『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

織田九郎次郎(おだくらうじらう)

2016-04-15 07:15:00 | 信長公記の蔵:人物篇
織田九郎次郎(おだくらうじらう)

〔現代かなづかい〕おだくろうじろう


不詳。

1582年4月信長は佐々木六角義治をかくまって

    いた咎により、甲斐の恵林寺を成敗。

    織田九郎次郎・長谷川与次・関長安・

    赤座永兼が奉行を務め、宝泉寺の雪岑

    長老・東光寺の藍田長老・高山の長禅寺

    の長老・大覚和尚長老・長円寺長老・

    快川長老らを含め百五十人余りを焼き殺す。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 織田勘七郎(おだかんしちらう) | トップ | 織田左近(おださこん) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事