『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

関長安(せきながやす)

2017-10-12 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
関長安(せきながやす)

〔現代仮名遣い〕せきながやす


小十郎右衛門・十郎右衛門。尾張一の宮の住人。

1574年7月信長父子の河内長嶋成敗に参戦し、

    信忠の軍勢として市江口を攻撃。

1582年4月信長は佐々木六角義治をかくまって

    いた咎により、甲斐の恵林寺を成敗。

    織田九郎次郎・長谷川与次・関長安・

    赤座永兼が奉行を務め、宝泉寺の雪岑

    長老・東光寺の藍田長老・高山の長禅

    寺の長老・大覚和尚長老・長円寺長老・

    快川長老らを含め百五十人余りを焼き

    殺す。


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