連続読物『いいかよく聞け五郎左よ!』でも、
足利義秋が興福寺から逃れて元服し、近江国
に入るところまで進んできました。テレビや
小説では、美濃国斉藤道三と尾張国織田信長
の関係は詳しく描かれていますが、意外と
近江・美濃・尾張の各国が深い関係にあること
は、あまり詳しく触れられていません。戦国
時代の行く末を左右するほどの重要なポイント
がありますので、暦年で記述してみます。
今回記事でのポイントは、
①当時から近江の佐々木六角氏は、足利幕府
に張り合うだけの実力を持っていた。逆に
言えば、足利将軍家は三好氏などに政治の
実権を握られ頼りない存在だった。
②佐々木六角氏は伊勢国とは保護してもらう
だけの関係を保っていた。
ということです。
文正元年(1466)9月 尾張守護代織田兵庫助敏広、
反対勢力義敏方の浪人も国内に
多く、自ら下津城を固め弟の織田
与十郎広近などに軍兵を添えて
上洛させ、斯波義廉に応じる。
応仁2年(1468) 近江で、佐々木六角氏(西軍)
と佐々木京極氏(東軍)の戦い
開始
文明3年(1471) 美濃国斎藤妙椿、近江に進攻し
西軍の佐々木六角高頼を助け、
東軍の佐々木京極氏の重臣多賀
高忠を攻めて越前に追いやる。
↓
文明3年(1471) 美濃国斎藤妙椿、伊勢の西軍方
の援軍のために出兵。
文明7年(1475)9月 佐々木京極政経(東軍)、
佐々木六角頼方(西軍)を近江
で破る。
長享元年(1487)5月 近江国の佐々木京極高清が、
姉川で多賀宗直を敗死させる。
長享元年(1487)9月 佐々木六角高頼が寺社領の
押領を続け、幕府の再三の命令
を無視した為九代将軍義尚が
佐々木六角氏の討伐を諸大名に
指示。
↓
長享元年(1487)9月 義尚出陣。観音寺城を攻め、
佐々木六角氏は甲賀に逃れる。
↓
加賀の富樫政親、六角攻め
に出陣する為過酷な兵糧米・
人夫役を徴発した為、主力
軍が進発したすきに一揆が
蜂起。
延徳元年(1489)3月26日 将軍義尚、佐々木六角
討伐の陣中で死亡。
延徳3年(1491)8月 足利将軍義稙、佐々木六角氏
の討伐の為近江三井寺出陣。
明応元年(1492)3月 織田信定・浦上則政ら、近江
愛知川で佐々木六角高頼を破る。
明応元年(1492)9月 幕府、近江の佐々木六角氏を
攻撃。六角氏は伊勢へ逃走。
明応5年(1496)12月 斎藤妙純・利光父子、佐々木
六角高頼と戦う。
↓
斎藤方敗北→12月7日斎藤妙純死亡
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足利義秋が興福寺から逃れて元服し、近江国
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の関係は詳しく描かれていますが、意外と
近江・美濃・尾張の各国が深い関係にあること
は、あまり詳しく触れられていません。戦国
時代の行く末を左右するほどの重要なポイント
がありますので、暦年で記述してみます。
今回記事でのポイントは、
①当時から近江の佐々木六角氏は、足利幕府
に張り合うだけの実力を持っていた。逆に
言えば、足利将軍家は三好氏などに政治の
実権を握られ頼りない存在だった。
②佐々木六角氏は伊勢国とは保護してもらう
だけの関係を保っていた。
ということです。
文正元年(1466)9月 尾張守護代織田兵庫助敏広、
反対勢力義敏方の浪人も国内に
多く、自ら下津城を固め弟の織田
与十郎広近などに軍兵を添えて
上洛させ、斯波義廉に応じる。
応仁2年(1468) 近江で、佐々木六角氏(西軍)
と佐々木京極氏(東軍)の戦い
開始
文明3年(1471) 美濃国斎藤妙椿、近江に進攻し
西軍の佐々木六角高頼を助け、
東軍の佐々木京極氏の重臣多賀
高忠を攻めて越前に追いやる。
↓
文明3年(1471) 美濃国斎藤妙椿、伊勢の西軍方
の援軍のために出兵。
文明7年(1475)9月 佐々木京極政経(東軍)、
佐々木六角頼方(西軍)を近江
で破る。
長享元年(1487)5月 近江国の佐々木京極高清が、
姉川で多賀宗直を敗死させる。
長享元年(1487)9月 佐々木六角高頼が寺社領の
押領を続け、幕府の再三の命令
を無視した為九代将軍義尚が
佐々木六角氏の討伐を諸大名に
指示。
↓
長享元年(1487)9月 義尚出陣。観音寺城を攻め、
佐々木六角氏は甲賀に逃れる。
↓
加賀の富樫政親、六角攻め
に出陣する為過酷な兵糧米・
人夫役を徴発した為、主力
軍が進発したすきに一揆が
蜂起。
延徳元年(1489)3月26日 将軍義尚、佐々木六角
討伐の陣中で死亡。
延徳3年(1491)8月 足利将軍義稙、佐々木六角氏
の討伐の為近江三井寺出陣。
明応元年(1492)3月 織田信定・浦上則政ら、近江
愛知川で佐々木六角高頼を破る。
明応元年(1492)9月 幕府、近江の佐々木六角氏を
攻撃。六角氏は伊勢へ逃走。
明応5年(1496)12月 斎藤妙純・利光父子、佐々木
六角高頼と戦う。
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