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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

2018.1.14(日)東海道再訪 その①新橋~平和島・

2018-03-25 21:37:22 | 街・観光地編2018

 昨年『東海道歩き』をしましたが、その際に時間の関係で行く事が出来なかった場所やその後に存在を知った場所、もう1度じっくりみたい場所等を巡りたいなぁ~と言う事で、『東海道再訪記』を。
今回はその1回目。

 日本橋からスタートしても良いのですが、全てのコースを歩き直すと時間や回数が掛かり過ぎるので、今回は新橋からスタートしました。

 今回の相棒は、このペン太コンビ。
『JRペン太』と『戌年ペン太』。

 前回道の反対側を歩いていて、参拝する事が出来なかった日比谷神社。
日比谷神社ですが、日比谷ではなく、新橋駅の直ぐ近くに有ります。

日比谷神社拝殿。
周り場構造ビル群で、目の前は第一京浜。
車が引っ切り無しに通ります。

 拝殿と社務所(授与所)。
この日は「宮司、職員共に留守で、御朱印、授与品の対応は出来ません」と言った貼り紙が貼ってありました。

 芝神宮の近くには、芝神明商店街が。
先日のテレビで、色々な種類が有る鯛焼き屋さんが紹介されていたのですが、商店街のお店の殆どはお休み。
辺りはオフィス街なので、食堂やチェーン店の喫茶店は、土日や休みと言うお店が多いです。

 芝神明商店街のマスコットは、火消しの男性。
名前は有るのかな?
眼鏡のお兄さんと言うか、中年男性と言った感じ。
美青年や筋肉隆々の逞しい男性とかえなく、中年の男性。
『眼鏡のおっちゃん』がマスコットと言うのは、珍しいのではないかな?

 芝大神宮へ向かう道。
突き当りが芝大神宮です。

 短い階段の上に拝殿が。
右に社務所が有ります。

 階段の下、左手に生姜塚の碑が。

 御朱印は書置きのみで、五百円。
道中安全の御守りと生姜飴が戴けます。

 近くには、芝増上寺が。
道の真ん中に門が有り、其処を車が通ります。

 最初の門の先に増上寺の立派な山門が。
此方は車は通らず、人間だけです。

 増上寺の大きなお堂と、それより遥かに大きな東京タワー。

犬ペン太「徳川家の菩提寺の1つでもある有名なお寺です」
車掌ペン太「本堂も大きいけれど、後ろの東京タワーの大きさが際立って見えますね」

 とても迫力が有る鬼瓦。
目が飛び出ていて、共に下の中央部を見ています。
仏像は離れていても近付いても自分が見られている様な目の造りですが、この鬼瓦は一点だけを睨んでいてお堂を守っている感じ。
でも、「左右、横側から近付いてくる凶事に気付かないのでは?」と、心配になってしまう。

 増上寺の御朱印。
時間が無くて徳川将軍家の墓地へは行けず。
次回はもっとゆっくり時間を取って、じっくり廻ろうっと。

 次は第一京浜(東海道)沿いに有る御田八幡神社へ。
昨夏は、丁度夏祭りの日で、その準備の真っ只中でしたが、この日は静かでした。
看板が出ていて、「1月15日釜鳴り」と書かれていますが、それは明日。
どう言った神事なのかな?

 前回の参拝時の賑わいと異なり、「普段はこんな感じなんだ」。

 御田八幡神社の絵馬。
昔の風景が描かれています。
神社の階段下に川が流れ、門の先に海が。
埋め立てで海岸線は大分離れた場所になっていますが、昔は境内を出て直ぐの所が海だったのかな?

 階段下を見たのですが、現在川は見られず。
 「暗渠になっているのかな?」
と思ったのだけれど、それらしき物も分からなかったなぁ~。

御田八幡神社の御朱印。
書置きです。

 道路の向かい、木の右側、石垣と、その上に植えこみが有るのが、高輪大木戸跡。
此処が江戸の町の境で、時間になると門が閉められて街への出入りが止められた場所。
現在、海(南)側の石垣が残っています。

 次は前回行く事の出来なかった泉岳寺(せんがくじ)へ。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士47士の墓所が有るお寺。
東海道(第一京浜)の交差点に「泉岳寺」の表示が有りますが、
 「泉岳寺迄、距離が有るだろう。時間が無いから、今回は諦めよう」
と、前回は行かなかったのだけれど、交差点から直ぐの場所でした。

 小さな門を潜ると、その先に少し大きな山門と、右にお土産物屋さんが。
色々な赤穂浪士グッズが販売されています。

 山門を潜り、其処には大石内蔵助像が。

 車掌ペン太「」
犬ペン太「」

 吉良上野介の首を洗ったと言う首洗い井戸。

 赤穂浪士47士の墓。
団体の観光客が次々にやってきたので、外側から見るだけにしました。
日本人だけでなく、外国人観光客の団体も。
海外の団体ツアーのコースにもなっている様です。
海外のガイドブックにも載っている様ですね。
どの様に書かれているのかな?

 墓の配置図が記された看板が。
右下には、浅野内匠守奥方、右上は浅野内匠。
47士以外にも葬られているんですね。

 本堂。
御朱印受け付けは、写真右手の建物。

 泉岳寺の御朱印。

 前回、道の反対側を歩いていて、近くに横断歩道が無かったので、参拝をしなかった高森神社に。
ビルとビルの間が参道になっています。

 階段を登ると拝殿と奥に社務所と御自宅が。

 拝殿は新しい物ですが、狛犬は宝永9(1709)年の物。

 高輪神社の御朱印。

 品川宿に入り、海雲寺へ。
平蔵地蔵に参拝。

 海雲寺本堂。

 千躰荒神で知られるお寺。
千躰荒神の御札も有ります。

 鮫洲商店街のペナントには鮫が。
ジンベイザメみたいな感じ。

 鮫洲八幡へ。
前回はお祭りの日で、拝殿前にお神輿があり、とても賑わっていましたが、この日は品川宿の『東海七福神巡り』の方が時々参拝に来る程度。
社務所の前では3人の方が話をされており、御朱印の対応もしていただけました。

 鮫洲八幡神社の御朱印。
左の日付以外は全てスタンプになっています。
右下は天女、左は社殿と狛犬。
天女には何か謂れが有るのかな?




 天祖諏訪神社の絵馬。
川を挟んで向かい合う様に有った天祖神社と諏訪神社を合祀したのですが、合祀前の光景が描かれていますね。

 東海七福神の福禄寿が居られる神社。
にこやかなお顔で、何だか機嫌が良さそう。
御朱印ブームで若い女性が次々に訪れ、御参りをして福禄寿の木像をなでなでするからかな?
私が触ったら、途端に厳しい表情になりそう・・・。

 天祖諏訪神社の御朱印。

 鈴ヶ森の刑場跡。

 犬ペン太 「正確な人数は分からないけれど、1651(慶安4)年の開設から1871(明治4)年の閉鎖迄の220年間で、10万~20万の人が処刑された言われているそうです」
車掌 「10万人だと1年平均450人位、20万人だと900人程。毎日1人以上のペースですね」
犬ペン太 「間口が74m(40間)、奥行きは16.2m(9間)の敷地だったと言う記録が有るそうです」
車掌 「現在は、幅(奥行き)は3~4m程で、横幅が3~40m位かな?でも、この一帯でそれだけの方々が亡くなったと考えると、複雑な気持ちになりますね」

 磐井神社へ。
ここも東海七福神の弁財天が居られる神社。

 1月の御朱印は3種類。
東海七福神は、1月1日~15日のみ戴ける物。
右の正月バージョンも1月1日~15日。
真ん中の戌年バージョンは1月15日~1月31日の御朱印。

 私が戴いた御朱印はこちら。




  

 

 



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