▽昨日の記事のオチがよくわからなかった人のために説明をしますと、
「きっと妖怪のせい(なのね)」というのは今小学生男子に大流行中(らしい)妖怪ウォッチというゲームだか漫画だかアニメだかの影響で、
何か不思議なことや理解しがたいことが起こったときに何故かということを追究するのをやめ「妖怪」という空想上のものに原因をすべて押し付け考えを放棄するときに使われる言葉です。
原因が明らかな時にも使われます。
朝起きてもまだ眠いのはきっと妖怪のせい、仕事が忙しいのはきっと妖怪のせい、夏休みの宿題が終わっていないのに24時間テレビを見てしまうのはきっと妖怪のせい、「きっと妖怪のせい」を使っとけば小笑いが取れるのはきっと日本人が流行に敏感に反応する性質を持っているせい。
アニメの「ゲラゲラポーの歌」が最近有線を流しているバイト先でも聞けるようになりました。
▽相変わらず本を読んでおるのですが、いつも家にいたんじゃつまらないし何も起こらないので
少し前から屋外で読んでいます。
今日は「こどもの森」のベンチにてよしもとばななの短編集を読みました。
外で読書をしていると、子どもたちの遊びまわる声やママさんたちのおしゃべりの声が聞こえます。
一話ごとに一旦本を置き、メールを返し、ツイッタ―を確認して、しばらくぼーっとそんな公園の風景を眺めます。
▽ママさんたちの中にもしっかりとグループができていることに気づきました。
同じくらいの歳の子を連れていても、他のグループには興味を抱くことなく自分のグループのなかでおしゃべりをしています。
子どもたちは基本的に親からそこまで離れたところにいませんから自然とお母さんと同じグループの他のお母さんたちの子どもの近くで遊んでいるんですね。
けど小さい子どもたちは自分以外の人間にさして興味がないようです。
グループがあってもなくても関係なし。
空間を共にはしていますが一人で滑り台をすべり一人で階段を上り一人で丸太をわたっています。
遠慮とか、配慮とか、そういったものとは無縁の世界です。
多分、自分以外の人間は予想できない動きをするオブジェクトにしか見えてないんじゃないかと思います。
そのオブジェクトの中からお父さんとお母さんの判別は辛うじてつくけど、くらいじゃないでしょうか。
いつごろそのオブジェクトが自分と同じくらい、もしくは自分以上にものを考えていることに気づき、
一緒にいることが楽しかったり煩わしかったりする様になるのでしょうか。
その時に子どもたちに自分以外の存在を認める社会性というものが表れ始めるのかもしれません。
そんなことも頭をかすめつつ、
「あー、やっぱり人妻からは独特の色気が出ているなー」などと感じながら読書に戻ります。
「きっと妖怪のせい(なのね)」というのは今小学生男子に大流行中(らしい)妖怪ウォッチというゲームだか漫画だかアニメだかの影響で、
何か不思議なことや理解しがたいことが起こったときに何故かということを追究するのをやめ「妖怪」という空想上のものに原因をすべて押し付け考えを放棄するときに使われる言葉です。
原因が明らかな時にも使われます。
朝起きてもまだ眠いのはきっと妖怪のせい、仕事が忙しいのはきっと妖怪のせい、夏休みの宿題が終わっていないのに24時間テレビを見てしまうのはきっと妖怪のせい、「きっと妖怪のせい」を使っとけば小笑いが取れるのはきっと日本人が流行に敏感に反応する性質を持っているせい。
アニメの「ゲラゲラポーの歌」が最近有線を流しているバイト先でも聞けるようになりました。
▽相変わらず本を読んでおるのですが、いつも家にいたんじゃつまらないし何も起こらないので
少し前から屋外で読んでいます。
今日は「こどもの森」のベンチにてよしもとばななの短編集を読みました。
外で読書をしていると、子どもたちの遊びまわる声やママさんたちのおしゃべりの声が聞こえます。
一話ごとに一旦本を置き、メールを返し、ツイッタ―を確認して、しばらくぼーっとそんな公園の風景を眺めます。
▽ママさんたちの中にもしっかりとグループができていることに気づきました。
同じくらいの歳の子を連れていても、他のグループには興味を抱くことなく自分のグループのなかでおしゃべりをしています。
子どもたちは基本的に親からそこまで離れたところにいませんから自然とお母さんと同じグループの他のお母さんたちの子どもの近くで遊んでいるんですね。
けど小さい子どもたちは自分以外の人間にさして興味がないようです。
グループがあってもなくても関係なし。
空間を共にはしていますが一人で滑り台をすべり一人で階段を上り一人で丸太をわたっています。
遠慮とか、配慮とか、そういったものとは無縁の世界です。
多分、自分以外の人間は予想できない動きをするオブジェクトにしか見えてないんじゃないかと思います。
そのオブジェクトの中からお父さんとお母さんの判別は辛うじてつくけど、くらいじゃないでしょうか。
いつごろそのオブジェクトが自分と同じくらい、もしくは自分以上にものを考えていることに気づき、
一緒にいることが楽しかったり煩わしかったりする様になるのでしょうか。
その時に子どもたちに自分以外の存在を認める社会性というものが表れ始めるのかもしれません。
そんなことも頭をかすめつつ、
「あー、やっぱり人妻からは独特の色気が出ているなー」などと感じながら読書に戻ります。
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