▽やっぱほぼ日(ほぼ毎日)更新してると書くことがパターン化されちゃうなぁ。
んー。
けど俺書けるジャンル少ねぇんだよなぁ。
むしろ書きたくないジャンルが多いというか。
そんなわけで今日も「街で見かけた日本語」がきっかけで考えたことです。
▽未就学児童に英語を教えるスクールがあるビルに入っていて、
でかでかと広告が外に掲げられてたんだわ。
地球を模した球体を転がす子どもの写真がどーんと中央にあって、
その下にはキャッチフレーズ「楽しかったことは 覚えている」。
この文言にね、俺は英語じゃなくて違和感を覚えたというか。
▽この「楽しかったことは覚えている」の言いたいことはよくわかる。
このスクールに入れば楽しんで英語が覚えられるからおすすめですよってとこでしょ?
けどねー。
俺の頭に浮かんだ映像はこのメッセージとかけ離れたものだったのね。
▽こう、そのスクールに通ってた子が中学生とか高校生になって
「あのスクール行ってたんだって?どんなことやってたの?」
って聞かれて
「うーん、楽しかったことは覚えてる」
って返してる映像が浮かんだんだわ。
この「どんなことを学んだのか」という質問に「楽しかった」と返す、
一見問答が成り立っていないようでありながら、
回答側は暗に「どんなことを学んだかは覚えていない」というメッセージを発信していて、
多くの場合質問側もこのメッセージをちゃんと受信できているという上等コミュニケーション。
▽「楽しかったことは覚えている」だと後に「(英語は覚えていない)」が見えてしまうんだよね。
このキャッチフレーズは「楽しんで覚えたことは 忘れない」のほうがよかったのではないかという考えね。
▽「は」という助詞のはたらきのひとつとして「限定」がある。
「は」の前についた語句の範囲を多くの事柄から一つに絞るわけだ。
例えば「鳥は飛ぶ」という文章なら(他にもたくさんいる動物の中でも)というニュアンスが含まれる。
「飛ばない何かもいる」ことが同時にわかる。
「鳥が飛ぶ」だったらこの文章に登場するのは「鳥」だけ。
「楽しかったことは覚えている」の文章中の「は」はさっきの鳥のやつとちがって主語についてるわけじゃないけど
「楽しかったこと」と「そうじゃないこと」があることがわかる。
勉強=楽しくないというイメージが個人の中で強いからなんか変な見方をしちゃうんだな。
んー。
けど俺書けるジャンル少ねぇんだよなぁ。
むしろ書きたくないジャンルが多いというか。
そんなわけで今日も「街で見かけた日本語」がきっかけで考えたことです。
▽未就学児童に英語を教えるスクールがあるビルに入っていて、
でかでかと広告が外に掲げられてたんだわ。
地球を模した球体を転がす子どもの写真がどーんと中央にあって、
その下にはキャッチフレーズ「楽しかったことは 覚えている」。
この文言にね、俺は英語じゃなくて違和感を覚えたというか。
▽この「楽しかったことは覚えている」の言いたいことはよくわかる。
このスクールに入れば楽しんで英語が覚えられるからおすすめですよってとこでしょ?
けどねー。
俺の頭に浮かんだ映像はこのメッセージとかけ離れたものだったのね。
▽こう、そのスクールに通ってた子が中学生とか高校生になって
「あのスクール行ってたんだって?どんなことやってたの?」
って聞かれて
「うーん、楽しかったことは覚えてる」
って返してる映像が浮かんだんだわ。
この「どんなことを学んだのか」という質問に「楽しかった」と返す、
一見問答が成り立っていないようでありながら、
回答側は暗に「どんなことを学んだかは覚えていない」というメッセージを発信していて、
多くの場合質問側もこのメッセージをちゃんと受信できているという上等コミュニケーション。
▽「楽しかったことは覚えている」だと後に「(英語は覚えていない)」が見えてしまうんだよね。
このキャッチフレーズは「楽しんで覚えたことは 忘れない」のほうがよかったのではないかという考えね。
▽「は」という助詞のはたらきのひとつとして「限定」がある。
「は」の前についた語句の範囲を多くの事柄から一つに絞るわけだ。
例えば「鳥は飛ぶ」という文章なら(他にもたくさんいる動物の中でも)というニュアンスが含まれる。
「飛ばない何かもいる」ことが同時にわかる。
「鳥が飛ぶ」だったらこの文章に登場するのは「鳥」だけ。
「楽しかったことは覚えている」の文章中の「は」はさっきの鳥のやつとちがって主語についてるわけじゃないけど
「楽しかったこと」と「そうじゃないこと」があることがわかる。
勉強=楽しくないというイメージが個人の中で強いからなんか変な見方をしちゃうんだな。
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