近況はこんな感情

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心が表れる文章

2014年09月11日 14時55分09秒 | 枕電子計算機
▽ブログを復活させたわけだが、

文章のリズムが若干変わってきた気がしてる。

友人Nに言われた。

「今のくわちゃんの文章の書き方好きだよ。」

「まるで書いてる人が一回生の時とは違うっつーか。てか当たり前だよね。一回生の頃とは全然違う人だもんな。」

「なんか、人生を若干諦めた感じの、人間って汚いって思ってる感じが出てる。」

「共感できることも多いし。」

すごい。

Nの感受性もすごいが文章でそこまで自分の心がわかられてしまうというところがすごい。

▽たしかに一回生の頃はこんな生活になるとは思ってなかった。

考え方もめちゃくちゃ変化していってると思う。

▽人生の方は、諦めたわけではないけど希望とか目的みたいなもんを見失い中。

けど諦めるには素敵な人たちに囲まれすぎてる。

▽人間って汚いということばだとはちょっと強い気がするけど

他人が思ったよりいい人でないことはようやく確信した。

横断歩道の手前で渡りたいそぶりを見せても車は絶対に止まってくれないし、

狭い道を自転車で走行してて対向車が来た時、こっちが一旦停止して道を譲っても一瞥もくれないし。

もう、そんなことには期待もしないことにした。

希望を持たなければ失望もしない。

たまにしてくれる人がいたらいい人なんだと思うことにした。


▽とはいえ横断歩道で止まってくれないことに関しては

ある種しゃーないと思う。

後続車がいる場合もあるからね。

いちいち止まって燃費を下げたくもないでしょうし。

止まってくれて当たり前と思うような人にはなりたくないと思ってたら

いつのまにか止まる方が普通じゃない人と思うまでになってた。

歩行者にやさしい人。

いつの日か歩行者にやさしい人が特に感動を覚えることもない普通の人と思える日が来ればいいのにね。



来ないけどね。

やさしいのが当たり前。

それがLOVE&PEACEの世界。

結局は理想論的な感じがある。

たぶんそういう人は全人類が自分みたいになればいいのにとか思ってる。

俺は思ってた。


▽フランク・ザッパっていうロックンローラーがいた。

記者「平和や反戦の歌を歌わないんですか?」

フランク「今おれはデンタルフロスの歌を歌ったんだが、お前の歯は綺麗になったか?」

この言葉がすごい好き。


▽閑話休題。

この前、初心に帰って横断歩道前で手をあげたら車は止まってくれるのではないかと思ったけど

そんな希望持っても失望するだけな気がして実践はしてない。



▽先日twitterで人気が出ていたツイート

>>

バスを降りるとき「ありがとうございました」とか言っている客がいると、きっとこの人は「気持ちのいい挨拶をしましょう」とか「健全な青少年の育成」とか学校で教え込まれたことを疑わずに大人になったんだろうなぁと思ってしまう。はっきり言ってうざいですw

>>

10000RTされたツイート。

これを見た時の衝撃ったら。

自分はわりと「あざーっす」とか言っちゃうタイプの人。

そのことを否定(?)されたというよりも、そのことで「うざったい」思いを誰かにさせてしまっているという事実に衝撃を受けた。

全部が全部共感の想いではないのかもしれないけど、10000アカウントがこの言葉を広めている。

ウザいと思ってその言葉を聞いてるらしい。

自分のお礼が人を不快にさせている。

青天の霹靂。



別にだからと言ってお礼言うのやめないけどね。

「自分と価値観の合わない赤の他人にウザったがられないようにする」ことと「自分を目的地まで運んでくれた運転手さんにお礼を言う」ことを天秤に掛けたら

後者の方に傾くんだ。

みんなに愛されるとか不可能。

自分のことを徹底的に嫌ってる人がいるおかげで自分に好意を持ってくれる人が一層好きになれるし。


▽ところで、バスの運転手さんってお礼言われることをどう思ってるんだろう。

ちょっとでも嬉しく思ってくれてたらこちらも嬉しい。

正直どうでもいいと思ってるんだったらこっちが言いたいだけのことなんでそのままスルーください。

そういうのを「いちいちウゼぇな」ってウザったがってたら申し訳ないです。

俺の自己満足に付き合ってもらっちゃって。

「お客さんにお礼を言われたら嬉しい」っていうレジ打ちの時の自分の価値観を押し付けちゃって。



全国の運転手さん、そこんとこどうですか。

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