▽若者言葉の傾向を学ぼうと、図書館で勉強。
『若者語を科学する』という本があった。
その近くに『例解・おかしな日本語正しい日本語』という本があって、興味を持ってちらりと見てみた。
「はじめに」で筆者の日本語に対する強い思い入れが見て取れた。
▽いわゆる「言葉の乱れ」問題に対して、(数本の論文を読んだだけで判断するのも憚られるけれども、)言語学者の間ではそれほど問題に思っている人は少なそうである。
新しい用例ができたぞ! とか、若者は何を言っとるか全然わからんなぁ。はっはっは。くらいの態度に見える。
言語っていうものは常に変わっていくものなのだから目くじら立てて直すようなもんじゃないし直るようなもんでもない、というのが若者言葉に対する捉え方の主流になっている様子。
この本の筆者は違う。
日本語は断固としてちゃんとした流れを汲んだものを使わなければならない、という態度。
それはいいんだけど、
若者言葉に見られる「誤用」に対しても寛容な言語学者たちに「彼らには日本語への愛情が感じられない。日本語の悲鳴が聞こえないのか。」
と主張する文に凝縮されているように、ずいぶんと感情論的な物言いだったのが気になる。
そもそも若者言葉は周りの大人たちに話を理解されまいとする隠語的要素や「仲間内で」楽しむ言葉遊び的要素を多く含んでいるから、そりゃ身内でもないあんたにはわからんでしょ。って思う。
▽本書は何年かけたかわからんけれども筆者が頑張って収集した「間違った使い方をしている日本語の実例(新聞・広告・小説などなど)」を挙げて、その後ろに本来こう使うべきだとする筆者の主張を述べる。
50音順。辞書の様なものを意識している。
▽前述のように、「はじめに」を読んだ時に既に若干の違和感。
それが「いる」の誤用を説明している項目で「あ、この人の本は今読まなくてもいいや」とさせるまでになった。
誤用例は吉本ばなな著『キッチン』。
「台所があり、植物がいて、同じ屋根の下には人がいて・・・」
この文に対して、「「犬がいる、猫がいる」とは言うが、「大根がいる、桜の木がいる」とは言わない。「植物がいる」はやはり変である。」とのたもうている。
んー。たしかに植物は非情物だから「いる」よりも「ある」の方がふさわしいんだけど、
ここではあえて有情物的に「いる」を使ってる気がするんだよなぁ。
それだけ話者が植物に対して愛着を持ってるってことでしょ。これ。
これに関して『井上ひさしの日本語相談』という本の解説がすごくわかりやすかったのでちょっと真似させてもらうと、
「アメリカに3ヶ月も行くんですか?日本語の活字に飢えますよ」と言われて
「向こうでもNintendoDSはできます。DSさえいてくれたら・・・」と答えるのは誤用か?という話。
正しい使い方ではないけど、間違っていると非難されるものでもないと思う。
『キッチン』に関しても、好きになる男はなにかしら植物に関連しているっていう文があるように、植物は重要な要素として物語に絡んでくるものなわけだし。
この使い分けがわからん人の本はこれ以上読んでも参考に出来なさそう、と、読むのをやめてしまいました。
▽とはいえ、これだけ躍起になって書かれた本。
正しい敬語の使い方とかの勉強にはなりそうなので、時間ができたら読んでみてもいいかもと思います。
印象に残ったしね。
▽ここまでつらつら文句を書いてきてなんだけども、
そういうお前はどうなんだと言われるとちょっと辛い。
お前は今まで間違った解釈はしてこなかったのかと問われればそんなことはないだろうからね。
気を付けてはいるんですよ。
▽今回自分がそうしたように、偉そうに書いてるけどこいつ何もわかってないじゃんと判断されて読者離れを引き起こすのは嫌なので、
賢い文章書きを目指してがんばります。
▽そういえば自分がすすめている若者言葉の研究、
「なさげ」に見られるように使用範囲が広がった接尾語「-げ」を見終えて、次は濁点の無くなった「-け(気)」を逆引きで調べています。
そこでわかったこと
「ちんけなやつ」とかの「ちんけ」、この語源はさいころばくちで一の目のことを「ちん」というところにあるらしく、
そこから劣っていること、最低であること、またはその様を表すようになったそうです。
へー。一って「ちん」っていうんだ。
じゃあ今日11月11日ってちんちんの日じゃん。
(賢い文章書きとはなんだったのか)
『若者語を科学する』という本があった。
その近くに『例解・おかしな日本語正しい日本語』という本があって、興味を持ってちらりと見てみた。
「はじめに」で筆者の日本語に対する強い思い入れが見て取れた。
▽いわゆる「言葉の乱れ」問題に対して、(数本の論文を読んだだけで判断するのも憚られるけれども、)言語学者の間ではそれほど問題に思っている人は少なそうである。
新しい用例ができたぞ! とか、若者は何を言っとるか全然わからんなぁ。はっはっは。くらいの態度に見える。
言語っていうものは常に変わっていくものなのだから目くじら立てて直すようなもんじゃないし直るようなもんでもない、というのが若者言葉に対する捉え方の主流になっている様子。
この本の筆者は違う。
日本語は断固としてちゃんとした流れを汲んだものを使わなければならない、という態度。
それはいいんだけど、
若者言葉に見られる「誤用」に対しても寛容な言語学者たちに「彼らには日本語への愛情が感じられない。日本語の悲鳴が聞こえないのか。」
と主張する文に凝縮されているように、ずいぶんと感情論的な物言いだったのが気になる。
そもそも若者言葉は周りの大人たちに話を理解されまいとする隠語的要素や「仲間内で」楽しむ言葉遊び的要素を多く含んでいるから、そりゃ身内でもないあんたにはわからんでしょ。って思う。
▽本書は何年かけたかわからんけれども筆者が頑張って収集した「間違った使い方をしている日本語の実例(新聞・広告・小説などなど)」を挙げて、その後ろに本来こう使うべきだとする筆者の主張を述べる。
50音順。辞書の様なものを意識している。
▽前述のように、「はじめに」を読んだ時に既に若干の違和感。
それが「いる」の誤用を説明している項目で「あ、この人の本は今読まなくてもいいや」とさせるまでになった。
誤用例は吉本ばなな著『キッチン』。
「台所があり、植物がいて、同じ屋根の下には人がいて・・・」
この文に対して、「「犬がいる、猫がいる」とは言うが、「大根がいる、桜の木がいる」とは言わない。「植物がいる」はやはり変である。」とのたもうている。
んー。たしかに植物は非情物だから「いる」よりも「ある」の方がふさわしいんだけど、
ここではあえて有情物的に「いる」を使ってる気がするんだよなぁ。
それだけ話者が植物に対して愛着を持ってるってことでしょ。これ。
これに関して『井上ひさしの日本語相談』という本の解説がすごくわかりやすかったのでちょっと真似させてもらうと、
「アメリカに3ヶ月も行くんですか?日本語の活字に飢えますよ」と言われて
「向こうでもNintendoDSはできます。DSさえいてくれたら・・・」と答えるのは誤用か?という話。
正しい使い方ではないけど、間違っていると非難されるものでもないと思う。
『キッチン』に関しても、好きになる男はなにかしら植物に関連しているっていう文があるように、植物は重要な要素として物語に絡んでくるものなわけだし。
この使い分けがわからん人の本はこれ以上読んでも参考に出来なさそう、と、読むのをやめてしまいました。
▽とはいえ、これだけ躍起になって書かれた本。
正しい敬語の使い方とかの勉強にはなりそうなので、時間ができたら読んでみてもいいかもと思います。
印象に残ったしね。
▽ここまでつらつら文句を書いてきてなんだけども、
そういうお前はどうなんだと言われるとちょっと辛い。
お前は今まで間違った解釈はしてこなかったのかと問われればそんなことはないだろうからね。
気を付けてはいるんですよ。
▽今回自分がそうしたように、偉そうに書いてるけどこいつ何もわかってないじゃんと判断されて読者離れを引き起こすのは嫌なので、
賢い文章書きを目指してがんばります。
▽そういえば自分がすすめている若者言葉の研究、
「なさげ」に見られるように使用範囲が広がった接尾語「-げ」を見終えて、次は濁点の無くなった「-け(気)」を逆引きで調べています。
そこでわかったこと
「ちんけなやつ」とかの「ちんけ」、この語源はさいころばくちで一の目のことを「ちん」というところにあるらしく、
そこから劣っていること、最低であること、またはその様を表すようになったそうです。
へー。一って「ちん」っていうんだ。
じゃあ今日11月11日ってちんちんの日じゃん。
(賢い文章書きとはなんだったのか)
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