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▽先輩と、「たばこの値段を一箱1000円にする」という例を挙げて受動喫煙防止議員連盟が税制改正でのたばこ税の引き上げを求めた、というニュースの話題になった。
1000円になると決まったわけではない。
まだ要望書が出ただけの段階なのにそういう話をするのは、喫煙者か絶対的嫌煙家のどちらかだと思う。
ちなみにこの話題が出たのは喫煙所でのこと。
▽今まで特別ブログで公表する必要もなかったのと、家族の過半数が嫌煙家ということもあって書かなかったけれども
自分は喫煙者だ。
自ら買い求めてるから「嗜む程度です」とは言えないと思う。
ただ、現在ヘビースモーカーになれるほどのお金もないので1000円にされるのはちと困る。
▽禁煙しなよ、と家族の全員から言われる。
そりゃそうか。
▽昨年、たばこがきっかけで友好を深めた友人がいる。
今年、たばこがきっかけで親しくなった先輩もいる。
まだ、たばこがきっかけで離れていった知り合いはいない。
▽喫煙者同士には、謎の連帯感がある。
ライターが点かなかったり持っていなかったりした見ず知らずの人に「火、もらえます?」と言われてもなんの抵抗なくライターを渡せるし、
(3個常備してるからほとんどないけど)自分のライターがないときに「火、もらえます?」と言える。
時計と携帯電話を忘れて「今何時ですか?」とは、なかなか聞けない。
どっかのお店の掛け時計を窓の外から盗み見る。
喫煙者は皆肩身の狭い者同士であるというのが謎の連帯感の要素の一つだろう。
大学をはじめとして、世の中は「徹底分煙」でなく「絶対禁煙」の流れがどうも大きい。
その中で生まれる仲間意識。
言っちゃえば、世の中や大人に反発するはじかれものの不良同士が仲良くなるあれだ。
飲み会での親睦を「飲みュニケーション」と言って揶揄しているのにあやかって、
たばこで生まれる付き合いを「吸いニケーション」と、自分は呼ぶ。
九州では「たばコミュニケーション」という造語があるらしい。
語感が悪いから「吸いニケーション」をぜひ使ってほしい。
▽その連帯感で親しくなった人に、寂しいと感じさせたくないな、というのが禁煙しようと思わない理由のひとつだと思う。
一度仲間に入った人がそこから出ていくというのはなかなか辛い。
これはたばこに限った話でなく、最初から入らなかった人を見るより寂しさを感じる。
一緒にワルやってたやつが、大学に進みたいからと真面目に勉強を始めるような、仕方ないんだけど、なんだかおもしろくないな、というやつ。
「裏切り」とまではいかないにしても、自分はそれに近いものを感じてしまう。
と、書いていながら
教育学部進学→不登校→休学(夜間主に行くとか放送大学に行くとか言ってた)→復学(結局教育学部)→不登校→転学部準備中
という、親と先生と気にかけてくださるすべての人の期待を裏切り続けている自分。
こっちも裏切りたくない思いはある。
現にほら、寂しさを感じさせないためにたばこ続けてるし。
ここで吸いニケーションがまさかの足かせとなるわけである。
▽ええ。わかってます。言い訳です。
たばこに関してはただ自分の意志が弱いだけです。
はいはいすみません。
2
▽禁煙を勧める人に「他の人(主に発言者自身のことだろうけど)から嫌われるよ?」と言われる。
喫煙所以外では吸わないので勘弁してほしい。
吸った後の残り香的臭いが嫌ならもうちょっと気をつけます。すみません。
そこに関してはあまり意識していませんでした。
けど水を飲むくらいの口臭ケアはしてるんです。
嫌煙家の人たちに対しては、徹底分煙で何とかならないものかなー、と思う。
▽もうひとつ、「(自分の)体に悪いよ」という進言もいただく。
これはもう、仰せのとおり。
「わかっちゃいるんですけどねぇ・・・へっへっへ。」という小悪党みたいな苦笑いを浮かべた返ししかできない。
「すみません、自分長生きするために生きてるわけじゃないんです」という開き直りも考えたけど、
まだ口にしたことはない。
「じゃあ何のために生きているのか」という追及をされたときに答えられないから。
▽長生きや健康のために生きるのなら、たばこは吸わんだろうし、酒も飲まないだろう。
多分それだけじゃなくてハンバーガーもラーメンもポテチも食べない。
三食全部で一汁三菜を心掛けるし、毎日走るし、適度に睡眠取る。
けどそういう生活はしない。
したいとも思わない。
なぜ健康でいたいのだろう。
病気になったら色々な人に迷惑をかけることになるからだろうか。
迷惑をかけるのが嫌ならそもそも生まれてこなければいいのに。
生きなければ自分は誰にも迷惑も心配も気苦労もかけない。
喜びも与えられないけれど。
▽ブログを書くために生きているわけでもないだろう。
好きだけどね。
けどご存知のように毎日はとても続けられない。
▽子を残すためだろうか。
恋人いません。
はい論破。
▽アリなんかは「種の繁栄」のために生殖の役割の無い個体として女王に食べ物を運ぶやつがいる。
それと同じように働いて税金を払って未来の子どもたちに投資したりするのが生きる目的なんだろうか。
それは一理あるかもしれない。
人間という「種」としての生きる目的が。
▽父親から転学に際して「23歳として自己責任でもって真剣に取り組んでほしい」とのメッセージをもらった。
もっともだ、と思う。
がんばらなきゃいけない、とも思う。
けど、その自分に対する責任を負いきれなかったらどうすればいいの?という疑問もある。
自らその命を絶てばいいんだろうか。
それはなんか違う気がする。
自殺をすると、自分の周りの人はなぜ苦しみに気付いてやれなかったのかと自分を責め、
あまり関係のない人たちは周りの人になぜ止めなかったのかと責句※を与えることだろう。
成人が生きるのは自己責任、けど死ぬのは連帯責任なわけだ。
おいそれと死ねない。
死なないくらいには自分に責任を持たねばならない。
※責苦(せめく)から派生させた造語。
▽この辺のいわゆる「何のために生きるか」がよくわからなくて、
しばらく(2年くらい)うだうだしていた。
1.寝る
↓
2.寝すぎる
↓
3.起きて動かなかったことを反省
↓
4.そもそも何のために動く(生きる)んだろうという疑問を持つ
↓
5.上記のような考察に入る
↓
6.考えても仕方ないか!とりあえず動いてみなきゃね!となる
↓
7.動機がイマイチだからか、つまらないことで挫ける
↓
8.好きなこと・したいことなら続くのでは!?というアドバイスを思い出す
↓
9.したいこと?
↓
10.読書は好きだけどずっと読み続けるわけにもいかない
↓
11.ブログ好きだけど連続更新はできない
↓
12.23年生きてきてしたいことがない?
↓
13.俺は今まで何をして生きてきたんだ?
↓
14.考えても仕方ないか!
↓
15.これからだ!動いてみよう
↓
「7.動機がイマイチだからか、つまらないことで挫ける」 または 「1.寝る」 に戻る
THE☆堂々巡り
3
▽友人が仕事を辞めるらしい。
その友人は、「人は金のために生きるんじゃない、生きるために金がいるんだ、だから人間は働くんだ」と前に行っていた。
おそらくその友人にとって今の職場は彼として(彼らしく)生きることのできない場所だったんだろう。
辞めることにした、ということを真っ先に報告してくれた。
彼が退職の意を上司に伝えたその日の昼に連絡が入った。
退職を伝えた友人第一号として自分を選んでくれたんじゃないかと思ったりする。
ちょっと調子のりすぎかな。
どうあれ、彼にとってそういう連絡を送ることのできる人に自分が挙がったのは嬉しい。
▽先日その退職する彼とは別の友人が電話をくれた。
「最近声を聴いていなかったから話したくなった」と言ってくれた。
彼にとってそういう存在であったこともうれしい。
▽友人らがそのこと(退職や桑谷の声が聞けなかったこと)を原因として死ぬことはないにせよ、
彼らがもし自殺を考えるようになったらぜひとも自殺する前にも自分に電話をかけてきてほしい。
生きることの自己責任を負うことについてはあまり自信がないので、
せめて死ぬことの連帯責任くらいは負おうと思う。
一緒に酒を飲もう。
一緒にたばこを吸おう。
カラオケ行こう。
ボウリング行こう。
ドライブもいいじゃん。
苦手だから見てるだけになるかもけど釣りも付き合ってやる。
好きな本について話そう。
知人の近況を報告し合おう。
▽連絡くれてありがとう。
俺もようやく生き続ける理由を見つけた気がするよ。
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