政倫審が実施されました。
野田さんが岸田さんから「在任中は・・・」との言質を取ったとか。まあでも、大谷の結婚で皆そちらに注目ですね。スピンドクターではないにしても、こんなもんでしょう。
現代日本はポピュラー文化がドミネイトしているので、大谷の方に関心が向くようにメディアは自動制御される、そんな感じでしょう。
さて、自民党、特に清和会の奴らの「政治と金」問題。政倫審で明らかになったでしょうか。日本社会は責任不在社会ですから、自然現象のように時が使われるのでしょう。
当然、メディアは政治家や自民党の体質など、問題にするでしょう。特にリベラルな人たちは。まあ僕もそうなんですけど。でも日本社会には責任が不在なんですよ。
英語で責任は2つあります。1つはresponsibility。responseですから反応する能力(ability)。パー券のキックバック、裏金、脱税という問題を突きつけられて、この問題を受け反応する力がありますかね。
だいたい日本人なら、そんな問題があれば、そのうち通り過ぎるように耐え忍ぶのではないでしょうか。あたかも自然災害のように。
2つ目はaccountability。accountですから数える能力、説明する能力です。今回岸田さんをはじめ誰か1人でも説明するということに懸命になる人はいたでしょうか。誰もいませんよ。説明ということで行われていることは、当たり障りのないことを言うことでしょう。
で、結局皆責任を負うということを知らないという印象です。あれが日本の説明であり、欧米的な意味での説明など微塵もないのです。
ということで、これら政治家を見ていると、こちらが無気力になるけれど、そもそも、彼らを選挙で選んだのは国民ですから、真の責任は国民にあるわけです。でも政治家を槍玉にあげて、国民自ら責任をresponseすることはないようです。
一応形式的には民主主義国家なんですから、最終的には国民に責任がありますね。