カナダの娘から「アドラー知ってる?」とSNSで聞かれた。
日本でも人気となった岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』ダイヤモンド社2013年に関心を持ったようだ。この本はアドラーの心理学から対人関係での悩み解消を説いているらしい。「嫌われるのが怖い」「人から好かれたい」という日本人の価値意識を相対化するのに役立つ本のようだ。
「らしい」「ようだ」という表現を使ったのは、僕が『嫌われる勇気』は読んでいないからだ。ただアドラーの主著『人生の意味の心理学』春秋社1984年は読んでいるし、書棚にもある。翻訳者は宗教学者の高尾利数先生、僕もちょっと知っている方だ。
心理学系の著作は自己啓発につながりやすいし、ちょっと読み方を間違えると洗脳みたいになると思うが、高尾先生が翻訳者なら問題ないだろうと考え購入した記憶がある。もちろんフロイトやユングと並び称される心理学者であるし、読む価値は当然あるだろうとも思っていた。
どうも娘は最近自己啓発系の本を読んでいるようで、成功や上昇志向のためということなら、警鐘を鳴らすことにするが、「まあアドラーだからいいと思うよ」と答えておいた。
自己啓発系の本をなぜお勧めできないかというと、成功や上昇志向は反復不可能な現象だからだ。ところが、反復不可能であるにも関わらず、反復可能と信じこめば、例外的に上手く事が運ぶこともあるが、そうではない場合、ドツボにはまることもある。読書によるカルトの成立だ。
どういうことか?反復可能な現象は自然科学の対象になる。りんごを手から話せば地面に落下する。同じ条件であれば、何度やっても同じ結果になるだろう。これは反復可能である。であるから、それを法則として取り出して、それを利用する事ができる。
では人間の心理はどうか。以前当ブログでも取り上げたが、ミルグラムの服従の実験。参考までに【続・橋下さんのTweet、めちゃくちゃだな
https://blog.goo.ne.jp/meix1012/e/61feeff121d5c96e7a08157b4f4b0e4a】。
この実験ではおおよそ被験者の3人に2人が服従するとなった。ガリレオの実験では100%の確率だが、心理学実験ではここでは一応67%としておこう。これは蓋然性という。社会科学では最初に習うことだが、人々の傾向がわかるということになる。ある程度の反復可能性があるとも言えるし、そうとも言えないが、まあ傾向は理解できる。
では歴史はどうだろう。その特徴は歴史上起こった出来事は2度とは起こらないのだ。よって反復可能性はない、一回性になる。坂本龍馬がお好きな人々が多いとは思うが、いくら坂本龍馬を勉強しても、坂本龍馬と同一人物はあり得ないし、彼の生きた社会と歴史の状況もまた一回生なのだ。そうすると「歴史から学ぶ」とは不可能なことだ。
日本では歴史がそういう性質であることを理解していた。それを表すのが鏡である。増鏡とか吾妻鏡の「鏡」である。鏡は歴史の意味を表すとされる。それは通俗的に「歴史から学ぶ」という意味ではなく、真に「歴史から学ぶ」という意味である。
(つづく)