Drマサ非公認ブログ

「よく生きる」哲学

 僕が尊敬する哲学者に藤沢令夫先生がいる。古代ギリシャ哲学の第一人者である。亡くなられて時間も経つ。彼の著作『「よく生きること」の哲学』(岩波書店1995)は、僕の愛読書である。

 冒頭プラトンの『クリトン』の中で、ソクラテスが語る一文を引用している。

生きることでなく、よく生きることをこそ、何よりも大切にしなければならない。

 これが哲学という営為の最底辺にある、不動の大原則ということになる。

 その言葉を常にどこかで意識して、生きているように思うが、愚かなこと、すぐ忘れて行動していることがある。難しいものである。このコロナ禍にあって、「よく生きる」とは、どのような行動をとればいいのか、簡単に答えは出ない。そこで逡巡し、足りない頭で考えるしかないのだが。

 「よく生きること」が、具体的な行動で示すものではないということに気づかされたことがある。常に問いとしてあるという、存在様態が「よき生きること」ではないかと。「誰か」が、「おいおい、それよく生きることかよ?」って、なんだか問うてくるということだ。

 「誰か」って、お天道様とか、神様とか、心とかかなあ。

 何か行動する時、その行動が「よく生きること」なのか常に問われるのが、人間という存在のありようではないかと。そのような考えが、どこかからやってきた。

 そこでコロナである。僕は注意して、感染の確率が低くなるような行動をしている。そういえば、先日のノーマスクで飲酒のフェスは、まさしく感染確率をあえて高くするようで、首を傾げていたのだ。まさか死んでも構わないとの覚悟を持っているわけでもあるまい。

 最近コロナ感染者数が減ってきているが、多分季節要因が主ではないかと疑っている。そのような自然の脅威を回避することも難しいので、どこかでコロナになってしまったらしょうがないし、死ぬこともあるかもと、漠然と思っていた。

 そこで先のプラトンの言葉である。「よく生きる」ためには、とりあえず「生き」ておかなければ、「よく生きること」は不可能だと気づいてしまった。そう考えざるを得ないので、「生きる」ことができようにしなければならない。

 ということで、みなさん、コロナにならないようにして、まず「生き」ましょうか。当たり前だ(笑)

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