Drマサ非公認ブログ

ナショナリズムに関して少しばかり8

 明治維新後、日本には愛国という考えはありませんでした。そこで天皇が、もともと日本を統治していたのだという物語、つまりフィクションが作られ、天照以来の「万世一系」の子孫という正統性が作られます。

 明治憲法は、最初にその記述で始まります。現在の“平和憲法”でも、最初は天皇についてですから、こうやって、“日本という国があるぞ”と宣言しているわけです。ですから、いまもなお明治に作られた物語は信じられ続け「通史」と信じられるわけです。

 当時は欧米列強が入ってきたので、多くの人は、新しい国家が自分たちを守ることを信じたということでしょう。ただ実際はそんな簡単に「愛国心」などはできず、薩英戦争の時、庶民は英国の手伝いをしていたぐらいです。手伝うと手当があったようです。

 それと前回論じた神道がうまく接合され、日本という近代国家の体制が作られたということでしょう。西欧には一神教の神が存在していました。その神の代わりを天皇という人間に当てはめたのです。天皇の神格化がなされたのです。 

 ということは、繰り返しになりますが、その前は神格化されていないのですから、天皇をこういう形で利用している人は、天皇を神格化しません。

 よく天皇制があるから、日本が近代化できなかったのだと戦後言われましたが、天皇制によってまがいなりにも近代化に進んだのだと思います。

 まだ考えが深まってはいないのですが、天皇を利用しようとした輩こそが、戦争に突き進み、戦争を止めることができなかったと思うのです。そして、その輩のような輩は今も存在していて、日本の中枢ではないかと・・・

 僕は三島由紀夫について、右寄りの人が崇拝するかのようなことを言ったりすることに違和感があります。また彼の美学について、あるいは死に方についても違和感を持ちます。ただ三島の見識は凄いと思います。三島は天皇を愛の問題であると断じています。

 三島によると、近代は人々のつながりを失わせるのを必然とする社会です。これは社会学者テンニースのゲマインシャフトからゲゼルシャフトを思わせる議論のようにも思われます。

 近代以前の人々は地縁血縁で同じ地域共同体に包摂されていました。近代になると、地縁血縁は重要ではなくなり、利益縁で結びつきます。

 近代以前は人を信じやすいです。なぜなら、同じ共同体で、生まれた頃から知っているからです。例えば、二人の間だけで信頼を確保できます。なぜなら共同体に包摂されているので、自分の考えは彼の考えと一緒という信憑の中でいきているからです。

 ところが近代になると、知らない者同士のコミュニケーションです。そこでは、そのまま二人を信頼で結びつけることはできません。知らない関係だからです。

 そこで信頼を獲得にするのに必要なのが、この二人が同時に信じている“なにがしか”です。それが西欧ではキリスト教の神です。日本では“なにがしか”を天皇にしたのです。

 ですから、天皇という存在は、日本人には特別な意味を持ちます。共同体が脆弱になる中で、個人は孤立していきます。ところが天皇を媒介として、孤立ではなく、つながりを確保できるのです。これを三島は愛といったのです。

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