緊急事態宣言が出される。「遅きに失した」との思いである。
ウィルスは一人歩きできない。必ず人間が広げる。スマホに付着したウィルスも生きている。どのぐらいの期間生きているのかわからないそうだ。それほど長いわけでもないだろうが、そこで消毒が必要となる。「ウィルスが生きている」との表現は正確ではないかもしれない。なんせ生物なのかどうか定義しがたい存在だからだ。
こんな僕のような素人でもわかるのは、結局コロナウィルスを広げるのは人間であるという事実である。だから人間が動かないことがウィルスを広げない最善の方法になる。
約100年前のスペイン風邪も同じ。100年経ち、科学が発達したと自惚れる私たちだが、ウィルス対策でやってることは、100年前とほぼ同じ。マスクも蜜回避も、小池都知事の「5つの小」も元をたどれば、当時の対策だった。
結局人の接触、モノとの接触を制限するしか、対策方法はない。前回ワクチンについて記したが、ワクチンを打った人がコロナに感染した。当り前である。ワクチンは2回やらなければならない。1回目から3週間後もう1度、そこで彼らがいう有効性があることになる。どうもより長い期間空けることになりそうだとも。
アナフィラキーショックがあるとの事例も紹介されているが、これまでインフルエンザワクチンでは、ワクチンとアナフィラキーショックの因果関係は不明とされてきた。つまり科学的にはわからないという程度である。
さて、初詣に行かれたでしょうか?初詣は結局のところ、ウィルスからみれば、ウィルスを運んでくれるいい機会でしかない。なんせ先に触れた通り、ウィルスは自力では動かない。
感染症の歴史を振り返ると、感染症が拡大する機会は宗教儀礼などで人が集まる時だ。初詣の人出が減ったとはいえ、それでもかなり大規模なわけで、皮肉にも感染拡大したい人たちの集まりに見えてしまう。
ちなみに初詣は日本の歴史や伝統ではない。鉄道会社が正月儲けが減るので、作り出した企画という性格が強い。日本一の初詣客数を誇る明治神宮なんて100年程度の歴史である。これをメディアが宣伝したことで、定着したわけだ。
こういう伝統だと思っていることが実は近代社会で作られたことを「創られた伝統byホブズホウム」という。クリスマスもバレンタインも、ハロウィンも似たようなものだ。クリスマスの本来の意味はなんだったろうか?みんな忘れたに違いない。
そういえば、箱根駅伝でも18万人が沿道で観戦していたという。皮肉にも感染拡大したい人たちのようだ。「善人byニーチェ」なんだろう。