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Drマサ非公認ブログ

はじめて入院した⑧

 さて、ここで少しばかり私なりの分析をしておきたい。どうして心不全になるまで気づかなかったのか?その理由を。

 1点目。先に触れた通り、以前高血圧で病院通いをして、薬で血圧コントロールに成功していた。仮に頭痛やめまいなどの高血圧を元にした症状が出たらと頭の片隅にも置いておいた。

 頭痛やめまいが出なかった理由は、入院時医者と話したところによると、もちろんだが、そういう症状が出にくい人もいるとのこと。どうも入院時の経過を見ていて医者がいうところによれば、普通なら症状が出る状況であるにも関わらず、僕の身体が「頑固」なんじゃないかと。

 「頑固」という表現は医学的な立場からということではなくて、印象としての比喩のようである。実際入院時も「頑固」という状況があったように思われる。具体的には後ほど触れたい。

 2点目。少し概念化をして説明したい。医療に対する姿勢や考え方を大きく分けておく。あくまで思考実験的にだ。一方は自然治癒志向。もう一方は医療システム依存志向と名付けておく。

 自然治癒思考というのは、現代医療を信用しない思考で、なおかつ病気に対して人間が持つ自然治癒能力こそが正しいとする志向である。医療に対する左翼思想とでも言えばいいだろうか。医療システム依存志向というのは、病気や怪我をすれば、とにもかくにも病院に依存するような志向である。

 特にこちらの志向は日本人の病院に対する態度としては一般的であるがゆえに無意識的ですらある。ちょっと熱が出れば、いい大人でもすぐ病院に行くのが当然と考えたり、突き指しただけで、救急病院に行かなければならないと考えるような医療システムに短絡的に繋がろうとする。私はこのブログでもそういう医療の一面を批判してきてもいる。

 このような医療システム依存志向に反発するように、何でもかんでも自然治癒こそが正しいという極論に至ることがある。ゆえに左翼的志向。食などでも自然志向の食以外認めないといったフード左翼の医療版だ。

 私の志向としては安易な言い方を許してもらえれば、両者のバランスが重要と考えている。実際には社会的には2つのベクトルが共存しているわけだ。ただどうしても日本人の志向性が安易な医療システム依存になっていると捉えているがゆえに、批判的になることが多い。

 加えて、医療システムが病院と個人を直に結びつけて、その間で機能すべき共同性が失われていることに危機を抱いてもいる。簡単に言えば、一人暮らしの老人は頼る人々がいなければ、結局システム依存することになる。その代表格が病院だし、福祉施設でもあるし、お金でもあるわけだ。まあ他色々あるだろう。

 このような私の志向性からすると、私の自然治癒能力を超えていれば、当然病院に行く。その判断は基本的に具体的な症状があるか否かであり、これまでの経験である。

 しかしながら、自分の身体が「頑固」であるとは想像していなかった。私なりの解釈で自己の身体、病気に対して意識化していたのだが、「頑固」はすでに医療システム志向で動くべきところを自然治癒志向で動くように間違わせていたのだ。

 解釈を間違えていたわけだが、これもまた人間の自然ではないかと今は考えている。まあ、しょうがない。妻には申し訳ないけど。

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