国民民主党の山尾志桜里議員が、議員パスの不正利用を指摘されている。どうも交際している間柄の人物と会うため利用したということらしい。
議員パスは、国会議員に与えられているJRが無料になる特権とでも理解されている。もちろん税金が元だ。
山尾議員に関しては、結構前になるが、憲法に関して、至極真っ当な意見を述べていた記憶がある。ただ最近は、自民党との付き合いも増加しているので、“そういう人物?”なのか程度の認識をしていた。
さて、そこで議員パスが税金から支給されている点について、少しばかり取り上げたいと思う。一部公私混同の利用であると非難されているが、その内実について、触れていこう。
近代において、税金はなんなのであろうか?
事細かく説明すると長くなってしまうが、まず近代国家が成立する。民主主義である。民衆は自由になったので、好きなように経済活動してもいいことになった。経済活動の自由、通常は所有の自由であるから、国民であれば、私有財産が認められたのだ。
資本家も労働者も働けば、お金が手に入る。それは誰のものでもない、働いた者のお金である。よって、どのように使ってもいいことになる。私有財産にしていいのだ。フランス革命は、基本的人権として、この私有財産の権利を認めるものでもあった。
ところが理念上ではあろうが、困った事態が想定される。誰もが私有財産を自由に使うと、警察や軍隊や、それ以外の公共性のある事業にお金が回らないことになる。
そこで、主権者である人民は、主権国家を作り出すことにする。
主権国家を名目上創ったとしても、そこで上記の事業を実施するためには、労働力が必要である。それが公務員である。政治家から一般公務員まで必要になる。
同時に、施設や設備が必要である。もちろん一般市民が経済活動として、私有財産を使い、いろいろなモノ・サービスを商品として提供することになるだろう。ただ、それだけでは必ず穴がある。
つまり、公共的なモノ・サービスが欠如する。儲けにはならない道路や橋、医療や福祉、あるいは教育などなどが不足するのだ。
そこで主権国家を創った(理念上だとしても)国民が、自分たちの財産の一部を主権国家に渡し、上記不足分の労働・モノ・サービスを提供させるわけだ。この自分たちの財産の一部が、税金である。
ゆえに、税金は公共的なことに使わなければならない。これが税金を払わなければならない理由であり、税金の使い道の精神になるわけだ。
国会議員はよって、公共的な活動をするので国民からの税金を賃金としてもらうのである。さらに公共的な活動をするために議員パスが提供されているのである。
山尾議員は公私混同との批判を受けているのだが、このように税金の精神を理解するならば、当然である。交際している人に会いに行くのは、公共的なことであろうか?詭弁を言い出しそうだが。
彼女は元検察官だそうだ。どうも保守思想を掲げているらしい。
きっと明文化された法や規則に精通しているであろう。しかしながら「このぐらいの事?」とでも思っているなら、保守思想といえば必ず参照されるオルテガが言っていた大衆そのものであろう。
まあ謙虚にやってください。あれ、税金の無駄遣いはもっとあるか?