日本の思想みたいなところで、僕が愛好するのは西田幾多郎・小林秀雄・福田恆存・岡潔、小室直樹なんかをよく読んできたと思う。最近なら養老孟司かな。ほか色々あるのだが、いま取り上げた人物の言葉には、尊敬すべき知があると確信できる。
ところが最近の日本の知には、いま取り上げたような知の深淵のようなものを感じることが少ないように思う。誰だったか忘れたが、世界の知が低下すると暗い時代になってしまうと言っていたと思う。まさにそういう時代なんだろう。
もちろんSNSは知のエントロピーが増大するだけのような気もしている。そんなことを指摘してしまえば、本ブログだってエントロピー増大に一役買っているのかも・・・
ネット上に現れる論客を垣間見ることがあるが、その知のありように愕然とすることがある。まあここで具体的には人物名をあげる事はしないけれど。
暗い時代というのは、物事の何が良いのかがわからなくなるということだと思う。哲学的に言うと、真善美を問うような態度をといたいけれど、そのような哲学が後退してしまうと、実社会の利に目が向いてしまう。つまり実社会が有すという価値観とのみ結びつけて考えることしかできなくなる。これってイデオロギーだろう。その中心的価値が功利主義。
真善美を問えば、利や功利主義ではなく、その程度のものを超えて、尊厳であるとか、誠実とか、道徳とか、そういう測り難いものに向かうと思う。いまの社会は「測りすぎ」という話があるが、測れるという事は、数えられる利の方に向かうのは必然、トートロジーである。
おそらくそういう時代にあっては、功利主義は政治を重視したり、軍事をも重視する。政治は土木を重視したり、利権に傾き、そういうものが重要であると、社会の中心は動いて行く。これに反対を唱えたとしても、無意識になってしまっているというか、空気がそちらの方向に駆り立てる。いままさにそういう時代。
知が低下するとは、真善美を考えない世界であったり、政治とは違う水準にある生活世界を顧みない事だと思う。なんだか、こんなこと書いていたら、人類の向かう方向が危うという考えが湧き出してきた。
なんとなく書き始めたら、変な方向になってしまいそうだと、ここで今日はやめておくことにしよう。