次に「西欧化しない日本」について。日本ほど近代化に成功した国家はない。アメリカに続いてという評価さえあるが、それでもなお基本的な価値観、生活様式、人間関係、行動様式は西欧のそれになることはなかったということである。
山折さんはアメリカと比較して二国の文化の違いを図式的ではあるとしても、次のようにあげる。
個人主義と集団主義、平等主義と階級制、自由と権威、契約と血族(縁)関係、罪と恥、権利と義務、普遍主義と排他主義、競争と協調、異質性と同質性などである。もちろん前者がアメリカであり、後者が日本の文化であり規範である。
確かに日本人の生活様式は西欧化した。しかしながら、生活様式は表層であり、深層は日本人は日本人としてそれほど変化していないという考えである。
何か例を挙げてみよう。例えば平等主義と階級制。まさか日本に階級制はなくなっているはずである。では、日本が平等主義に覆われているかといえば、そうではない。近年差別やハラスメントを問題にする意識がつくられているので、平等化が進んでいるように見える。
しかしながら、アメリカや西欧の平等主義とは異なっている。以前僕のブログでも話をしたことであるが、アメリカ人が職場において上司と部下の関係になっている場合、それは業務上要求される機能として受け入れるが、業務を離れれば、その上司−部下関係は解消され、お互い一市民として平等になる。
日本であれば、部長の奥さんと部下の奥さんがプライベートであったとしても、部長の奥さんを立てなければならない。常に下の立場にある者が気を使わなければならないので、それをイヤがったり、気の使い方がいいとして評価されたりする。これは意識上、規範上の階級制である。先にハラスメントを意識するようになったので、改善されるかのように思うが、実のところ、機能的な上位下位関係を理解していないために、少しでも命令的であるだけで、ハラスメントと受け取られかねない。そのためコミュニケーション自体が難しいことになってしまう。
ここでハンチントンの日本のイメージを押さえておくと、表層としては西欧化がなされても、その実文化の本質、深層としては、日本は日本のままであるということだ。それが文明圏としての日本が他の文明の影響を表層では取り入れ、深層では他の文明圏の人からは理解されない原因であるという。
マクドナルドやコストコを喜んで受け入れるにしても、それらを利用し幸福感とするのは、みんなが受け入れるから(集団主義)、優越感から(階級制)、それら流行っているから(権威)、誰もが使っているから(血族=縁関係)、使わないと流行に乗り遅れるから(恥)、みんなが行くので(義務と協調や同質性)、行かない人間は変だから(排他主義)、少し強引だが、こんな感じだろうか。アメリカの判断基準とはズレるのである。
しかしながら、最も重要なのはハンチントンが日本のイメージを「革命のない日本」とし、その内実を考察する山折の日本人の宗教理解である。そこにこそ、他の文明圏との明確な断絶、あるいは中国や韓国との歴史問題の真相が見えるというのだ。
次回は「革命のない日本」について触れていく。