Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

母に会えるまでのモノクロだった「わたし」

2024-11-02 08:12:54 | 病状要因と経過

*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*

現在、

過去のことを思い起こしながら綴っていますので、ご心配ご無用ですが、

当時のことを書き綴っていきたいと思います。

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2024年5月に母に会えるまでの長い間、たくさんがありました。

わたしは「引き離し措置」を「冤罪」によってなされ、

さらに、地域包括担当に浴びせられたひどい言葉で、

うつ病』と『パニック障害』を患い、その担当の言葉直後から、酷い症状により耐えきれず病院に通うこととなっていました。

その時は毎日がモノクロでした。

喜びも何もなく、ただ『孤独』で、いじめのあった職場の退職後も電車に乗るのも不自由でした。

電車では人と密着する際などが辛い状況で混む時間を避けて通えるクリニックにいきました。

とにかく、

人混みが無理でした。

冤罪と、地域包括担当の言葉職場いじめでも、もう『人が怖い』としか思えなかったです。

急ぎ足ですれ違って向かってくる人や、少し意地悪な、イライラしたような、言葉の悪い人たちなども、特に…

皆怖い

と思う状況でした。

意地悪というのは例えば、舌打ちしてたり、イライラして人にわぁとぶつかって我道いく人の事です。

なるだけ、

1人で行動して、

なるだけ人を避けるようになっていて、理解のない友人も縁を切りました。

一人で少しずつファミリーレストランなどに行けるようになり、ちょっとずつ、

病院へいく為にも電車にも慣れて行けるように頑張っていました。でも、電車はまだ好きじゃありませんが。

なぜかというと、

人間性がよくみえるから。

優先座席に、我こそはと座る大学生やサラリーマン。目の前に妊婦や白杖の盲目の方がいても席も譲らないでゲームする人々。

自分が障がいをもつと、こういった光景が目につくようになり、

人間のいやな側面も『不自由』になってからこそ見えるようになりました…

その代わりに、

自分がヘルプマークの人間でも、

その

白杖の女性を優先座席まで付き添って座らせてあげたり、助けるということ

もできました。

人生は皮肉ですが、色々な『気づき』がありました。

わたしショックやストレスで『失声症』にもなって、

だからセッカチでイライラした人が、わたしの声を

「聞こえないんですけど?」てイラッと言うとき、

すごく傷つき、嫌だとも思うんですが、逆にそういう、

心の荒い人は可哀想な人だな、と思えるようになりました。

母に会えるまで本当の『孤独』で、一人で住む部屋では、残された猫たちがいてくれるだけ。

猫たちだけがわたしを守ってくれていて、この子達を残して逝けないという強さを与えてくれました。

新しく借りた部屋で、

まだ誰も招待できてませんが、

新しく入社した職場や、どこかのお友達か、誰か、を、

いつかホームパーティー(猫カフェみたいな)誘いたいな、と、

かすかな夢を思ったりはして、

100均でできるインテリアをみたり出来るようになりました。

そんな「普通じゃん」と言うことまで、

わたしにはできなくなっていて

例えば、一時、食べることさえもできずの状態でした。

が、

猫たちのご飯とご先祖様へのお供え物だけはしてたので…

だんだん、ご先祖様のお下がりを食べられるようになってきて、

だんだん、その「普通じゃん」に戻れてきた気がしました。

しかしながら、

まだ人が怖い(理解してもらえない)という気持ちは簡単には拭えないので、ゆっくり癒したいです。


続く

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病状発症から現在まで〜病状と経過~テタニー②

2024-11-01 15:50:58 | 病状要因と経過
ここからの続きです。

病状発症から現在まで〜病状と経過~テタニー


わたしが幾度か経験した「四肢硬直をともなう強烈な発作」

今までで2,3度で、

(でも死にかけました)

病院に行くことを躊躇ってずっといかなかったわたしの背中を

押してくれるものと(皮肉にも)なりました。


それはいつでもどこでもおこる..過換気症候群胸痛

その症状が『頻繁過ぎ』て日常生活にも支障をきたしているので

なんとしても対処しなければいけませんでした。

はじめに、わたしはこの時、経済的にも豊かでなかったため

「自立医療支援制度」

というものがあると書かれているクリニックのサイトを見つけました。

そのクリニックでみていただき、はじめの診断は「パニック障害、うつ状態」でした。

ただ、それはまだ初診だったので「うつ状態」、

しばらく通い、のちにこの診断は「うつ病」になる状況となります。

わたしはまず、いじめのある職場を休職することにしました。

ただ、

休職しても、障害手当は日数をためて申請を行い、後日に支給されるものなので、支給までがたいへん経済的に困りました。

会社の休職中には、

強迫観念から「おまえなんか食べるな、飲むな、買うな、おまえなんか生きるな」などがずっとあり、

ごはんも食べられず、寝てもすぐ起きてしまう『過覚醒』の状態も続いていました。

常に孤独安心感もない、常に不安な状態でしんどかったですが、

リーゼ(クロチアゼパム)

というお薬でなんとか胸痛をともなうほどの過換気症候群は少し抑えられていきました。

結局、

これからどうやって生きていこうと考えたとき、前職は「戻りたい」とも思えなかったいじめのある職場のため、

ここできっぱり退職をして「失業保険」をいただくほうが引き続きの治療に専念できると判断しました。

いじめの起こっていた職場は「退職」を行い、ハローワークへ行って「失業保険申請」を行いました。

ここから2か月以内に再就職ができた場合、「再就職手当」というものがあるので、これを目標に頑張りました。

自分の状況に合った、気に入った職場を見学にいきました。

(失業保険受給中も再就職への努力は必要、訓練をうけるとか、面接やセミナーを受けるとかなどです)

はじめに見学にいった非営利団体の職場はとても設備が整っていてきれいで、

人当たりも良く、対応も優しく、ここが良いとすぐ自分の気持ちは決まりました。

就職先も受け入れてくださり、わたしは今もなおここでしっかり働けています。

テタニーを起こすような大きな発作は現在は起こっていません。

あの大きな発作はもう二度と嫌で…おそろしくてたまりません…。

続く

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病状発症から現在まで〜病状と経過〜テタニー

2024-11-01 01:11:45 | 病状要因と経過
はじまりにわたしの状態がおかしくなったのは下記の記事で説明したことが『要因』となりました。

去年から現在にかけて〜病状要因について

去年から現在にかけて〜病状要因について②

去年から現在にかけて〜病状要因について③

ホワイトとブラックのはざまで〜会社でのいじめ〜


わたしは上記の記したように、

身寄りがなく『介護困窮』でSOSに行ったにも関わらず

『冤罪』をかけられ、母と引き裂かれてしまった一件

から、

『天涯孤独』

になり、

孤立化されました。

母も同じように…

孤立化〈本人は隔離と言っています〉されていました。

これは『成年後見』という名のビジネスで、囲い込みと同じ。

各部署の売上や利益の為にだけに強制的に執行されもの

であって、

わたしたち母子には、人権侵害になるような酷い行政の強制執行

でした。

冤罪によって内心に強い憤りと、冤罪からの苦しみがずっとありました

さらに、

この一件で悪化させられた状態の中で、会社のほうでのいじめも酷い状況でした。

これによって、

わたしは10分日1回は襲ってくるパニック発作(過換気症候群)で、胸痛とともに、

生きている事自体がつらい症状

に見舞われていました。

周りの人々は、上司含め、誰ひとり、いったんこの状態になったわたしの相談に乗ってくださる方もいませんのでした。

むしろ、

いじめを黙認して辞めさせるためのようにに虐められました。

わたしは職務中も、仕事の通勤時にでも発作に苦しむようになり、『退職』に追い込まれ、

生きていてはいけないと思わされ、複数回にかけて自殺未遂をしました

飼い猫が亡くなったことも一つにありました。

もう息もない愛猫を抱いて高速道路をフラフラ歩いてたそうです。

わたしのあたまのなかでは、 地域包括担当らや、仕事場のいじめで言われた言葉が交互に繰り返しに頭にフラッシュバックし、

「わたしなんて死んでしまえばいい」と思わされていました。

このときは見知らぬ人に家まで送ってもらえました。

しかし、何度も繰り返しのフラッシュバックで、首を吊ったりしました。

おまえなんか食べるな、飲むな、買うな、何もできないやつ、迷惑、生きてるのも恥ずかしく思え

と、誰かに言われたり、思われていたものが繰り返しこだましていきました。

しかし、

もっともひどかった発作の『四肢硬直』の後遺症で、

手が動かしにくく、脱力感がある後遺症的な状態があったので、

首を吊る紐すらかたく紐を結べず、何度も落ちて失敗してしまいました

薬を大量に飲んでも吐いてしまいました。手首にも食べたい傷ばかりで、死にきれないのは一番つらいのだとわかりました。

わたしの四肢に残る力が入らない後遺症についてですが、

もっとも酷かった発作』

が明らかに始まりだったと思います。

この最も酷い症状の時も、救急搬送され、

3時間位は四肢硬直が治らず、6時間位は過呼吸気味

が続いていました。

それでも過換気症候群の対処は日本では「何もしない」ことが多いようです。

その日、わたしは、母の一件で、弁護士のところに相談に行き、その帰りにその大きな発作は起こっていました。

きっと、いきなり、

今のわたしには『大きすぎた事』(行政の人権侵害)に向き合った

でなのか、

この最も大きな発作が引き起こされました。

まだ、一人でいるときでなく公共の場で救急車を呼んでいただいたけよかったとおもいます。

この時の状況は、はじめに漠然とした不安感と呼吸困難と胸痛、いきなり立っていられなくなり、

動機が激しくなり、過換気症候群もひどくなってきて、だんだん立てなくなっていきました。

そして、はじめて、

手足がまったく自分で動かせなくなりました。

これを四肢硬直と呼ぶようで、テタニーという症状と非常に酷似しているものでした。

テタニーは日本であまり知られていません

海外ではビタミンD投与を行うと医学講座でも習うようですが、

日本ではその様な措置もなく、ただ落ち着くための点滴だと、点滴だけされました。

過換気症候群、パニック障害は30分くらいで治るといわれますが、私の場合は10分に一回、1時間以上いつも続きました。

当時にそのいじめのあった会社では、入社したてでわたしにはまだ手元に保険証がなかったため、

とある病院では10万くらい一括請求されました。ですので、本当につらい時期でした。

続く

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去年から現在にかけて〜病状要因について③

2024-10-31 20:47:54 | 病状要因と経過
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去年の日記を再編集して更新したい
とは思いますので
一旦過去ログ非表示です。


仕切り直しで、


わたしの闘病記ついて、
過去、現在交えてつづろうと思います。


*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。


わたしは、

2019年に父を亡くし、2020年に母も脳梗塞となって死の淵をさまよう

という切迫した状況を

経験しました。

まだ、父との離別(死)からの苦しみから回復できていずで、

母までもう逝ってしまうのではないかという、強い不安とショックがつづきました。

母は何度も脳梗塞の発作を繰り返していました。

わたしは一人娘で、経済的にまだ、父の死の際の葬儀費用、入院費用の支払いなどから回復できていないうえに、

ここでも母の多額救急搬送代、入院、手術の出費もあり、つらさが残る中、働きどおしでいました。

母はここでは奇跡的に名医の手術で生き延びましたが、この連続した強い不安とショックで、わたしの心は常に不安な状態になっていました。

この状況でもさまざまな費用の工面のために働きどおしで、走り回ったので心身ぼろぼろでした。

まだ癒されていない

父との死別の痛み、経済的苦悩(ほかに身寄りもなく親族分担もないので)

とともに、

日々心配な母の病状、安心ができるような時間は1秒もありませんでした。

この状況で、

母の年金だけでまかなえていなかった費用もわたしは働き同士で支払ってきていました。

父の葬儀代も安くはないけど、母の分担する部分もわたしは支払ってきました。

入院手術も繰り返した救急搬送も、ローンも全て。

母が最も状態が悪く手術をしたときの入院時、

入院ばかり続いてもう足の関節の問題で階段がのぼれないので、

在宅サービス、もしくは一時利用の施設や、サポートの相談を地域包括にしました。

しかし、

これは大きな間違いでした。

ただ単なる「介護困窮」であるにも関わらず、わたしはSOSをした地域包括担当には大きく裏切られることになりました。

地域包括担当には「7マンで施設を紹介してあげる」と言われました。

7マンであれば仕事を増やせばできるかもと思いました。

しかし、直前に「間違えました10マンはかかります」と言われました。

もう他も探す時間もない退院の直前でした。

これは地域包括に信頼を置いてSOSをしていた私たちを裏切るもので、

母は詐欺のようだ、いやだ

といいました。

おまけに、地域包括担当は福祉事務所の担当をつてれきて、

福祉事務所担当は「断って連れて帰ればあなたの虐待です」といってきて脅されました

支払いもできないからと、

年金でまかなえないからといっても、断らせてもらえず、連れて帰れば虐待など「大勢」から脅された状況

でした。

もともと母の年金だけでまかえないのを知っていながら、無理矢理に施設にいれられました。

母はいやがっていましたが、

福祉事務所などは「まったく違う報告」を市などの機関に報告

をしました。

これが私たち親子に起こっていたできごとです。

わたしがその「母の年金だけでまかなえない無理なプラスの10マン」と母のローン分など工面しなければいけない状況になったのは彼らすべては承知でしたが、

わたしへのサポートは何もなく「過労」をさせられました。

そして、また腰をまた再度悪化させられ、支払いが少し遅れたとき、

いざ、わたしが「彼らにとっての用なし」になったからと、

また、

「経済済的虐待だ」と脅され、無理矢理に引き裂かれました。

1年半ものあいだです

母はいかないといけない病院も検査すらも受けさせてもらえていませんでした。

すべては「成年後見制度」を

無理にでも契約させるための

「事実無根の冤罪

でした。

このときの必要以上の地域包括担当の言葉でわたしは自殺未遂を複数回しました。

自治体が状況確認もせず一方的引き離しを行ったことも要因です。

続く

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去年から現在にかけて〜病状要因について②〜

2024-10-30 23:49:20 | 病状要因と経過
*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

去年の日記を再編集して更新したい
とは思いますので
一旦過去ログ非表示です。


仕切り直しで、


わたしの闘病記ついて、
過去、現在交えてつづろうと思います。


*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。


わたしの振り返る2023年から去年2024年。

わたしは2023年から『冤罪』をかけられて、母と引き離されて『天涯孤独』にされていました。わたしには他の親戚もいなかったからです。

親戚がいないというのは大企業でも勤められないことになります。大企業で勤めるときに2名の身元確認者は必要とされます。

これは救急搬送や入院にもそうです。救急車で病院に運ばれる時に身寄りがないからと断られたりもありました。

これは賃貸でもそうです。

自治体も福祉もこのような私の状態にはまったくケアをしていただけませんでした。

引き離し措置を「冤罪」によって強行なされたときから、本当に苦しい思い、孤独の状況で、生きていく気力もなくされていました。

母と一緒にいられたころ、在宅介護の時はなんとか在宅ワークと夜間の作業仕事と日払いでやっていましたが、

何度も繰り返す入院と手術でそれだけ働いても足りず、だから、ただ一生懸働きました

それでヘルニアのような症状になって困ってSOSしているのにもかかわらず、「罪人」扱いの「冤罪」をかけられ、

この大変さと苦しみは誰にも理解されません

でした。

いざわたしがヘルニアのような状況で膝と腰が耐えれないほど痛み、歩くのも困難だった状況で、続けられたのは在宅仕事。

ですが、それでもつらい状態だったので、この「介護困窮」についてのSOSとして地域包括に相談しました。

ここで、

働けもしない、用無しとなったような「わたし」は放置されて、切り捨てられ、

あげくに悪人のように「経済的虐待」などのありもしない「冤罪」を仕立てあげられて、

母と1年半も引き離されました。

やっても無いことでレッテルを貼られました。

逆に自分自身が壊れるまで母の医療費や、負債、

いろんなものを支えてきたのは娘のわたしで、

倒れても、倒れても、母のためにやってきたのに、

このレッテルは非常に侮辱的で名誉棄損と同じでした

人生が曲げられて

『ガスライティング』

されたようでした。

そして、これらは全て母自身が拒否していた「成年後見」をつけるためだけにおこなわれたこと

でした

わたしはこのあとに腰のほうは奇跡的に治るも、

地域包括、福祉担当、いろいろな担当の彼らに言われた事、された事、冤罪で精神的な障がいが残されてしまいました。

そして、母とも合わせてもらえず、居場所も知らされず、容態もわからず「天涯孤立」にさせられ、誰にも頼れませんでした。

母は私がいなければ持病のことなど誰もわかりもしないのに、聞いてももらえず、

さらに母の負債などを残されてどうしようもなく、

さらには、

『冤罪』からの希死念慮が最高値まで達したりしました自治体は保身ばかりで絶対に自らは悪くないと居直るだけでした。

しかし、

国じたいはここまでしろとは言っていないはずです。相互の援助をするべきだといっています。

自治体、彼らはただわたしを切り捨てるだけでした。

知り合いには白い目でみられ、やっても無いことを言われ、

逆に私がすべての母の経費を3つの仕事で支えてきた状況で、

病気で倒れたという「介護困窮」という状態だけで、

このように「冤罪」をかけられ、地域包括や福祉事務所担当、

施設担当からきつく言及され、それによって

もう死にたい」と思いました。なぜなら、「冤罪」だから。

そういう人々がいるからで自殺率が伸びること

彼らはまったく分かっていないと思います。

むしろ、人のこと、命など、まったく気にしていないと思います。

わたしは母以外に身よりもなく、さらに、罪人扱いをされているわけですし、

「やってもないこと」で責め立てられては、会わせてすらもらえず1年半ほどのこの間、本当に苦しみだけでした。

母に必要な検査や治療など何度福祉事務所担当に伝えても何も対処されず、

母自体も必要な医療もを受けさせてもらえていません

でした。

ただ、母のため、

3つの仕事をして頑張って支えて

体を壊してしまっただけで

なぜこんなことまで

されないといけないか。

つらい「介護困窮」のために

SOSにいったのに

なぜここまで無理矢理に、

「冤罪」をかけての

この「仕打ち」をされないと

いけないのか?

それは単に

『成年後見人ビジネス』のため

だけでした。

本当に、心の奥底から、その身勝手さに大きな「憤り」を感じました。これによって、もうわたしは死ぬことでしか世間に知ってもらえる道がないから、そうしようと思わされました。

繰り返すこと6回、未遂がありました。でも死にきれなかったのは、おそらく、

「成年後見」を

「拒否」していた私と母を

無理やりに引き裂いて、

わたしに「冤罪」をかけて、

互いに孤独状態にして、

「成年後見」を無理につけ、

市長申し立てをした彼らが

本当に許せない。

そして、母じたいが、彼らの食い物にされ、孤独化され、廃人のようにされ、

死に目にすら会えなくさせられることになるのが、本当に憤りがあって、死に切れませんでした。

何故ならそれは

本当に単なる「後見人制度ビジネス」のため

であって、

彼らの利益というだけにすぎません。

これによって潤うのはケースワーカーや施設、地域包括、福祉事務所、はては、裁判所に売り込みに行く弁護士

わたしたち家族の意思や幸せはまったくそこにないものであるのに、なぜ、このように「強制」されなければいけないのか。

自分たちの「メリット」だからと、

必要はない人にまで無理に勧める、これは強制すぎ、かつハラスメントのようでした。

ターゲットは《身寄りがない人》《高齢者》《障がいのある人、子ども》からなのでしょう

強制執行がしやすいのでそのように弱者をターゲットにするのでしょう。

福祉協議会も、なぜ国連が廃止勧告する制度なのかなどすら、理由や詳細もわかっていず、

ただ自分たちの成績をあげるためだけに、この不備だらけの人権侵害の後見人制度を推進しすぎ

ています。

役所も含めどの福祉事務所担当すらも「成年後見制度」は、国連から廃止勧告(人権侵害問題)されている、

人権擁護団体からも訴えられていることは知っていませんでした。

認知症でも無かったのに、ただ歩けない母を、勝手に後見人をつけて挙句に、

母を本当に尊重や心配することすらない状況で、望む病院にすら行かせない、お金も渡さない現在…

後見人と福祉事務所は、

「ほかの病院や施設に行きたいなら娘が支払え」

《病院と施設移動について》

というのみです。

それなら、

最初からわたしの助けがあってで必要な医療が受けられていて、

それなのに引き離しなぢするからこいなっていて

今彼らはわたしに医療費を求めてくるんじゃないでしょうか。

まったくの「冤罪」なのが丸みてわかるのに、なぜこの汚名を着せられなくてはならなかったのか。

悪徳弁護士の儲けのため、口座にあるのに母のお金は生活必需品すらも買うために渡してもらっていません。

軟膏やボディクリーム、衣服、介護タクシーまで、もらえていません。なんにしても、わたしへ金銭要求します。

彼らが原因でわたしも「障碍者」になってしまっているのに。

母の口座のお金はどうしたの?

給付金等たまっているはず。

些細な日常品くらいの

購入金くらい払えるはず。

後見人弁護士は絶対渡さない。

現在、

母の希望は何一つ聞いてもらえず、施設も移動させない、行きたい病院も勝手に断ったり、

人権はく奪

が行われています。

わたしは行政や施設や福祉事務所の無茶苦茶な対応で、

障害まで負っていますが、それでも尚金銭要求での追い込み

をなされています。

自治体も不備の部分は認めない。

これははっきり

組織ぐるみ

《囲い込み》

と思っています。

続く
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