
今日は7:30に起床しました。

俺は何とか酔いは醒めたけど、昨晩「白酒」をメッチャ飲んでた教え子は起きられるのかなぁ?

彼は別の部屋に宿泊してるんで8:00ごろ部屋に行き、9:00に出発したい旨を伝え、食堂に朝食を食べに行って来ました。


これはホテルの部屋からの景色です。

そして8:50ごろチェックアウトし、近くのバス乗り場まで車で連れて行ってもらい教え子と別れました。

今回「聊斎城」も昨日の夕飯もホテル代も全て教え子が出してくれちゃった。

まぁ従業員100人以上いる会社の社長だもんね…俺も事業に失敗したら雇ってもらおうかなぁ。

9:00「張店」行きのバスが発車しました。

最初「張店」ってどこ?って思ったけど「淄博」の中心が「張店」って別名なのかな?


9:30ごろ「張店(淄博)」に着き、次に行く「臨淄」行きに乗り換えました。
ちなみに「臨淄」は別名「辛店」というみたいね。

ノロノロと途中で人民を乗り降りさせるから遅いんだよ…しかも途中から乗って来たオバちゃんと車掌の女の子が料金を巡ってケンカし出すしさ。

オバちゃんは前は2.5元だったと言うのに3元請求されたことにキレてさ…一番後ろで俺の隣に座ってるオバちゃんと一番前にいる車掌で口ゲンカ始められちゃ、乗客みんな最後には呆れ返ってたよ。

仕舞いにゃ運転手(オバちゃん)も「もう降りてくれ


たった0.5元(6~7円)でこんなにモメるなよ…
10:30ごろ「臨淄」に着き、少し歩いて…

10:50ごろ「姜太公祠」に着きました。

ここは2008年4月13日に来てるんだけど、併設されてる前回改修中?だった「姜太公紀念館」を観に来たんです。
でも…約4年近く経った今「姜太公紀念館」という文字すら消えてました。


「姜太公祠」は前回入ってるんで、その時のブログをご参照ください。



門の左右にあった像は誰だろう?

10:55「姜太公祠」を出て、もう「青州」に行こうかとも思ったけど、せっかく「臨淄」に来たんでタクシーを拾いました。


11:20「斉国歴史博物館」に着きました。

博物館は「斉国故城遺址」にあるんで、春秋戦国時代の「斉」の城内ってこと?


この奥で入場券を買いました。(30元)

そして中へ…

多くの展示品がありますよ。


「斉」を建国したのは「武王」の軍師「太公望(姜子牙)」です。

特に展示品についてはいつも通り詳しく紹介しません。




「管仲」と「斉桓公」です。

“桓公拝相”「鮑叔」の推薦により「管仲」は「桓公」と面会し宰相に命じられました。

刀銭ですね。

これは宴?祈祷?


名宰相「晏嬰」です。

これは楽器だって。


これも。


大きな鐘ですね。



「斉威王」です…中国映画「戦国」で「中井貴一」が演じていました。


当時の鎧や武具ですね。

「孫臏」と「孫武」です。

映画「戦国」の主人公「孫臏」は「孫武」の子孫といわれています。
若い頃「龐涓」と共に兵法を学び、「龐涓」は魏に仕官して恵王の元で将軍になることが出来ました。
しかし「龐涓」は「孫臏」に自分が及ばないことを感じていたので、偽って「孫臏」を魏へと招待し、「孫臏」を罪に陥れ脚を切断する刑と額に罪人の印である黥を入れる刑に処しました。
その後、斉の使者が魏へとやってきた際に密かにこれと面会して、使者と計らって魏を脱出することに成功しました。

「孫武」は兵法書『孫子』の作者として有名ですね。


ここ「臨淄」はサッカーの発祥地といわれています。


2007年9月16日のブログで「臨淄足球博物館」を紹介してるので見てね。

棺桶ですか?



11:50「斉国歴史博物館」を出ました。
付近には「桓公台」「晏嬰墓」「孔子聞韶処」などの遺址もあるんだけど…車か、せめてチャリでも無いと行かれないんで諦めました。

その他は2007年9月16日と2008年4月13日のブログ記事で「臨淄」周辺の史跡を紹介しています。

通りに出てタクシーを拾い…

12:00「臨淄長途汽車站」に着きました。

「青州」行きのバスに乗る前に公衆電話から青州の教え子に電話しようと思ったのに電話が無いんだもん…

仕方なく12:10バスに乗ったけど、発車したのは12:30でした。

では、3年ぶりの「青州」は後編にて。
