史跡ハンター 臥龍

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「富士山」周辺から小田原の桜見!

2020年04月06日 | その他国内旅行記
4月6日(月)
今朝は4:00にチェックアウトしました。

でも、4:55発の列車なんで、まだ50分もあるんだけどね…

駅のホームのベンチでパンでも食べてようかと思ってたのに…駅がまだ開いてないじゃん。
近くのコンビニで立ち読みしたりして時間をツブし…

「西八王子」から、まずJR中央線で「高尾」へ…ホームにこんな天狗があったんだね。
そして、「高尾」5:15発のJR中央線で「大月」へ…次は富士急行に乗り換えるんだけど…

ホーム側の俺が乗るのはノーマルだったけど、その奥とホームの先端の方に停まってたのはラッピング車両だぞ。

隣の車両は「Fate」で先の方のは「ナルト」だったよ…どっちも知ってはいるけど、観たことは無い。

富士急行の車窓から…富士急行に乗るのも初めてや~

6:53「下吉田」で降りました…行っちゃったけど「トーマス」のラッピング車両もあるみたいね。
富士山もよく見えるな…こんな富士山の近くまで来たの初めてかもな。

この「トーマス」車両は展示用なのかな?

コレが「下吉田」駅なんだけど…「ナルト」のパネルがあったよ。

左から…

一番右が「ナルト」なんでしょ?…それしか知らないや、他のは敵か味方かも分からんわ。

さっきの「トーマス」車両です。

「新倉山浅間公園」はコロナのせいで、3日からだったかな…閉園中(入園禁止)なんだよ。
だから今年は行くのヤメようかとも思ったんだけど、今回の旅はココに来るために立てた計画だったし…とりあえず、公園下の「浅間神社」までは行けるらしいんで来てみたんだよ。

駅から歩いて5分ほどで「新倉山浅間神社」に着きました。
まだ7:00すぎだけど…もしコロナが無くてフツーに公園に入れれば、こんな時間でもけっこう人が来てたんだろうな。

参道を上がって行きます。

振り向くと富士山がよく見えます。

一応、浅間神社に参拝しました。

もうこの先は通行止めですわ。

まだ早い時間だけど、ホントならこれから人もいっぱい来て…屋台も繁盛してたんじゃないの。

富士山がキレイです…ちょうど桜も咲いてるしさ。

この上が「新倉山浅間公園」で…五重塔と富士山と桜を一緒に撮れるスポットが人気なんだけどね。
今回はココまで…俺1人くらい10分間でもイイから行かせてくれないかしら?

今回初めて来て行き方も分かったし…また来年、桜の季節に有休取って来るかな。

絶対、土日は混むと思う…まだ平日の方がマシだと思うんで、また来年来るよ。

1時間半くらい取ってて余裕があったので、少し周囲から富士山を見てました。

駅の後方に見えるのが五重塔だったんだね。

この景色が観たかったのにな~


余裕ありすぎて予定より早い7:45発の富士急行に乗ることにしました。

そしたら「ナルト」車両に乗れたよ…そして3駅先の「富士急ハイランド」で降りました。
予定では2駅先の「富士山」で降りるんだったけど…行きに「Fate」や「ナルト」のラッピング車両を見て、富士急行で何かコラボしてるのか調べたら「富士急ハイランド」でやっててさ。
「Fate」の記念乗車券が「富士急ハイランド」駅で買えるらしく…それと当初「富士山」駅から乗る予定だったバスが「富士急ハイランド」経由して来るのが分かったんでね。

今「富士急ハイランド」って休園中?…バスの時間まで10分も無かったんで、改札で人を呼んで「記念乗車券」を買うことができました。
今度、手段があれば「Fate」も観てみようかな…時間が無さそうだけど。

駅から少し歩いたトコにバス停があり…8:04発の富士急行バスに乗りました。

8:30ごろ「忍野八海」で降りました…今回「富士急ハイランド(当初、富士山)」から「御殿場」までのバス区間内に観光地が無いかと探してたら見つけたんだよ。

「忍野八海」…何となく聞いたことあるな~って…まぁこの辺りならどこ行ってもキレイな景色が観れそうだけどね。

8つの池があるみたいで…時間の都合で全部は行けないかも知れないけど、まず道案内で一番近かった「お釜池」に行ってみました。
最初、どこか分からず…って、こんな小さな池だと思わなくてさ。

でもよく見てみると…小さいのに青みがキレイな池じゃないの~

コレは「彦兵衛屋敷」だって。

それから池がいくつか密集したエリアに来ました。

コレは「銚子池」です

さっきの「お釜池」より大きいけど…あんまキレイじゃないな。

コレは「湧池」です。

この池は大きくてキレイだわ…魚もいるよ。

コレは八海の池ではないみたいだけど、バックに見える富士山がキレイです。

コレは「鏡池」と「菖蒲池」です。

忍野村のマンホールです。

コレは「濁池」です。

今回は六海しか行けなかったけど…この「湧池」が一番キレイかな。

コレは「忍野村観光案内所」です。

やっぱ富士山は登る山じゃなくて見る山だよね~

9:23「忍野八海」発の富士急行バスに乗りました。

途中「山中湖」も通りました。

10:20「御殿場」駅に着きました。

そして、JR御殿場線に乗り…

11:15ごろ「沼津」に着きました。

「ゲーマーズ」はコロナの影響で12:00開店だったんで「アニメイト」に行ったけど…特に欲しいモノは無かったわ。

それから「サンシャインCafe」に行きました。

さすがに平日の日中だから空いてたわ。

今回もコロナの影響で、席は選べず…で、鞠莉ちゃん席。

4月17日が誕生日の「渡辺曜」メニューを食べたよ。

12:21「沼津」発のJR東海道本線に乗り、「熱海」経由で…

13:11「小田原」に着きました。

「小田原城」の桜を観に行きます。

ちょうど見ごろだね。

見えるのは「学橋」です。

コレは「隅櫓」です。

この桜は立派だなぁ~

コレは「馬出門」です。

コレは「二の丸観光案内所」です。

コレは「銅門」と「常盤木門」です。

改装後、初めて来たかな?

まぁ案の定「天守」には入城できず。

確か5月は「小田原北條五代祭り」があるけど…中止やろな。

その後「小田原」から「横浜」に出ました。

「アニメイト横浜店」のオンリーショップ(リゼロ)に行ってみました。

もう地元や一昨日「秋葉原」でも買い物してるんで、ココでは何も買うモノは無かったわ。

「リゼロ」もアニメ第2期が4月から放送開始だったのに、コロナの影響で7月開始に延期になっちゃったのよ。

15:30すぎで「横浜」駅はこの人の少なさ…

地元の「ガスト」で昼ゴハン兼晩ゴハンです…平日休みのときは、いつも「ガスト」だよ。
17:00まで日替わりランチ(ライス大盛無料)があり、18:00までハッピーアワーで生ビールやレモンサワーが¥200で飲めるからさ。

さて、今回の戦利品です。

大洗で買ったクリアファイル。

八王子で買ったクリアファイル…半額だった。

どっちも賞味期限近いんで半額だった菓子。

献血でもらったクリアファイルとサンシャインCafeでもらった特典。

AKIHABARAゲーマーズで買った「リゼロ」グッズ。

その他、富士急行の記念乗車券など。

もう7日に「緊急事態宣言」が出て(記事編集は15日にやってます)…その後、ネットカフェなんかも営業停止になったんで、もうしばらくは宿泊を伴う外出もムリだね。
いつになったら正常な生活に戻るんでしょうか…


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初詣2019 in Kamakura

2019年01月01日 | その他国内旅行記
1月4日(金)
今年の初詣は2日(水)に買い出しついで?に「横須賀中央」周辺の神社に行って来たよ。
元旦の折込チラシにソフトバンクのショップでクーポンがもらえるってんで行ったら「システムの問題で15分ほど掛かります」って言うんでさぁ、時間ツブしに初詣に行くことにしたわ。

「諏訪大神社」に行こうとしたら、途中の寺の前に「シェンムー聖地巡礼キャンペーン」のパネルがあったよ。
PS4版「シェンムーⅠ&Ⅱ」で1986年の横須賀の街並みが一章の舞台になってるんで、キャンペーンやってるみたい。

まぁとりあえず、初詣1社目は「諏訪大神社」に行って来ました。

『ハイスクール・フリート』にも登場した「諏訪大神社」です…今年は4月にイベントあるからね。
またソフトバンクに戻って…ピカソとかで買い物を済ませました。

吉野家は2日と3日が休業だって…もう今の時代は選択肢も多いんだし、休んじゃえばイイんだよ。

「さかくら総本家」は元旦も営業してたのかね?

帰りは「諏訪神社」に行きました…2社目でも「詣」でイイの?
そして、一度帰って家で昼ゴハンを食べた後、今度は自転車でイオン横須賀店に行きました。

その途中にある汐入「子之神社」に寄って、この日3社目です。

アニメ『たまゆら』にも登場した神社です。 

アニメイトで買い物してもらった年賀状ですよ~

そして1日置いた今日4日(金)は「鎌倉」に行ってみることにしました。

家を7:20に出て…7:50ごろJR横須賀駅に着きました。

またチョットだけ「ヴェルニー公園」を見に行きました…まぁいつもと変わらずか。
毎回、JR横須賀駅に来たとき、ココを見るのは…何かいつもと違う艦船とか入港してないかな?…って思ってさ。

7:58「横須賀」発のJR横須賀線に乗り…8:18「鎌倉」で降りました。

コッチに入ると「小町通り」なんだけど、どうせまだ開いてる店も少ないだろうから…

ちゃんと参道から参拝しに行きました。

今日は4日で…もう仕事始めの人も多いのかね?コレが三が日でもう少し遅い時間だと、もっと人が多いんだろうな。

この「段葛」は政子の安産を祈願して造られた参道なんだって~

8:35「鶴岡八幡宮」に着きました。

初詣客向けの屋台もまだ開店前が多いね。

「舞殿」では何かイベントでもあるの?

「手水舎」で清め…

「御朱印所」で御朱印を授かりました。(初穂料¥500)

この「大銀杏」は平成22年3月10日、雪混じりの強風によって倒伏してしまいました。

「御朱印所」「本宮」「舞殿」です。

この警備員?がココで行われる何か?を警備すんのかな?

2019年の「おみくじ」はココ「鶴岡八幡宮」で引くことにしよう

コレが「本宮」です。

見下ろした「舞殿」です。

さて…どこで「おみくじ」引こうかな?

こんなトコに「丸山稲荷社」なんてあったんで入ってみました。

社殿は室町期の建物らしいよ。

ココで「おみくじ」を引きました…受付?が女子だったから。

「鶴岡八幡宮」に来たの5年半ぶりなのかね?2012年にはココで「中井貴一」と「小泉今日子」を見ているよ。

9:00ごろ「鶴岡八幡宮」を出ました。


お、蔵みたいな建物だね。

鎌倉にはこういうトンネルや切通しが多いな。

この路地を赤矢印に行くと“銭洗弁財天”「宇賀福神社」だけど…俺の目的は黄色矢印「佐助稲荷神社」です。

コレは「佐助稲荷神社 下社」です…ココの「十一面観音」は、良縁に恵まれない「赤松幸運」という美しい姫君が、恋を諦めて出家する前に、この世の若い男女に良縁がありますようにと祈って彫った観音像だそうです。

縁結び?もう、どこもかしこも…

9:20すぎ「佐助稲荷神社」に着きました。

近くの「宇賀福神社」には何度か来ているけど、ココは初めて来たよ。

朱(あか)い鳥居と稲荷(狐)…「赤いきつね」とは、稲荷神社の鳥居から付いた商品名なのか?

「佐助稲荷神社」の鳥居はおよそ50基だそうな。

参道を上がりきると石鳥居があります。

その鳥居のキツネさんです。

振り向くとこんな感じです。

コレは「拝殿」です。
「源頼朝」は父を「平清盛」に殺され、自身は伊豆に流されて少年期を流人として暮らしていました。
いつかは平家を滅ぼすことだけを頼りに鍛錬を続けていたある日、頼朝の夢枕に立った稲荷神が「平家打倒の兵を挙げろ」と告げ、それに従った頼朝は見事に平家を倒し鎌倉幕府を開きました。
頼朝は、平家を滅ぼしたお礼として社殿を建立して稲荷神を祀りました…コレが「佐助稲荷神社」ですが、“殿”と呼ばれていた頼朝をけたことから、この名が付いたといわれています。

コレが社務所かな?

御朱印は書置き(初穂料¥300)がありました…ココは一応、アニメ聖地の御朱印帳に入れておきますかね。
作品は「ハナヤマタ」「エルフェンリート」「極黒のブリュンヒルデ」「天空のエスカフローネ」…そして、アニメじゃないけど「海街diary」などに登場します。
実は「鶴岡八幡宮」を出たときから小便がしたくてさ…ココの巫女さん?(ただの販売員?)の子に「トイレありますか?」って聞いたら、「近くですと銭洗弁財天にあります」だって、マジかいな。

コレは「霊狐泉」です。

「拝殿」裏に上がって行くと…

「本殿」がありました。

スゲェたくさんキツネの置物があるよ~

「佐助の狐は悪いやつじゃないよ」(「海街diary」より)

あら こんなトコにも…

ココにも…

このキツネ、社務所で売ってたけど…こうやって境内に奉納?してくんだね。(当然お持ち帰りもOK)

また「拝殿」前に戻りました。

「PUMA」みたいだな…

コッチはハイキングコースなのかな?

上がってみると…ミニ佐助稲荷神社もありました。

大小様々なキツネ・パラダイスだね~

古い稲荷群の全体はこんな感じ。

お塚?がココですか?

また「本殿」前に戻って来ました。

9:40すぎ「佐助稲荷神社」を出ました。

ココの御朱印帳もカワイかったんだけどね…俺はテーマを決めて御朱印収集してるから、もう御朱印帳は要らないかな。
さて…次は「鎌倉大仏(高徳院)」に行く予定だったけど、小便するために「宇賀福神社」に行くわ。


5分ほどで「宇賀福神社」に着きました。

ココは通称“銭洗弁財天”と呼ばれている神社ですね。

トンネルを抜けると…

右に「手水舎」があります。

でも、まずトイレじゃい。

鳥居を出ると…

左に売店、右に社務所があります。

「本社」参拝には列ができているね…左の岩窟内に「奥宮」があり、お金を洗うトコがあるんだよ。
でも、面倒なんでやらなかったよ…だって、俺、ココに来たの小便がしたかったからだもん。

「龍神 水おみくじ」だって…水に浸けると文字が出てくるとか?

10:05「宇賀福神社」を出ました…この先には「葛原岡神社」ってのもあるけど、2011年に行ってるからパスしました。

また戻ります…坂が急なんじゃあ。

 
そして、10:30「高徳院(鎌倉大仏)」に着きました…コレは「仁王門」です。

コレは売店と券売所です。(拝観料¥200)

像高約11.3m、重量約121tを測るこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏(盧舎那仏)に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しています。

国宝銅造阿弥陀如来坐像の建立が開始されたのは1252年(建長4年)ごろのことと言われています…完成当初、鎌倉大仏は金箔で覆われていて、大仏殿内にありました。

いっぱい外国人が来ていたけど、カワイイ子みーっけ。

下手すりゃ日本人より外国人の方が多かったんじゃない?俺はアジア系(中国や韓国)でも見分けできるし。

御朱印所に行ったら「15分待ち」だったんで、境内をブラブラしてることにしました。

裏側の窓?は、まるでロボットのような感じだね。

コレは「観月堂」です。

「与謝野晶子 歌碑」と「ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑」です。

横顔。

10:50ごろ「高徳院」を出ました。


「日蓮聖人靈跡」碑がありました。

次は通りすがりにある神社に寄ってみます。

ココは「御霊神社(権五郎神社)」です。

もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の五氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて「御霊神社」と通称されるようになりました…後に「鎌倉権五郎景政」の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から「権五郎神社」と呼ばれました。

コレは「景正公 弓立の松」です。

ココには「神輿」が納められているんかな?

コレは「夫婦銀杏」です。
 
袂石(約60Kg)と手玉石(約105Kg)です…「鎌倉権五郎景政」が手玉にとり、袂に入れたと伝えられています。

コレらは摂社です。

写真右は「宝蔵庫」だって。

社務所のネコです…カワイイね、俺はイヌかネコを飼うならネコかな。

行きはさっきの「宝蔵庫」横の鳥居から入って来てたんだけど…コッチ(参道)の方は江ノ電がスグ前を通ってるんだね。

11:10「御霊神社」を出て…江ノ電の線路を渡りました。

「夫婦饅頭」だって~

コレは「星月井」です。

そこにあったのは「虚空蔵堂」です。

高僧「行基」と縁あると伝えられる歴史ある寺です。

もう少し先に行くと「成就院」の入口があります。

「東結界」だって…結界なんて聞くと、スピリチュアルな感じやね。

振り向くと「由比ケ浜」がキレイに見えるよ~

「成就院」に入りましょう。

コレは「弘法大師」像です。

コレは「本堂」です。
鎌倉幕府三代執権「北条泰時」が1219年に建立しましたが、1333年「新田義貞」の鎌倉攻めで焼失した後、西ヶ谷に移りましたが…1688年元禄元年に元の地に再建されて現在に至ります。

コレは「法隆寺」の「夢殿」ですか。

コレは「子安地蔵」と「子生み石」です。

コレは「不動明王」像です。

「縁結び不動明王像」はパワースポットとしても人気があるんだって…って、不動明王が縁結び?…よく分からんけど、待ち受けにしとこかな。

11:25「成就院」を出ました。

今度は「西結界」から出て…

橋を渡ると「導地蔵」があります。

ココは「極楽寺」です。

こんな低い入口から出入りすんのね…俺、そういう体勢まだキツいのよね。

コレが「本堂」ですか?

スグ近くに江ノ電「極楽寺」駅があります。


11:35ごろ「極楽寺」駅に着きました…ずっと小便ガマンしてたのよ。

「極楽寺」から江ノ電に乗り…

「鎌倉」からJR横須賀線に乗って…

12:25すぎ「横須賀」に着きました。

「ヴェルニー公園」を歩いて…

コレは「イオン横須賀店」なんだけど…4月から改装工事に入ってリニューアルが2020年になるみたいよ。
そうなったら俺がいつも買ってるカップラーメンは「久里浜店」まで買いに行かなきゃならんのかな?

スゲェなゴミが…こういうゴミがウミガメが食べちゃったりして、プラのストローをやめようって世界の流れになってるんだよね。

それから「平八」に昼ゴハンを食べに行ったら…まだ13:00前なのに、もう品切れしちゃったってよ。

仕方ないんで「上海亭」でパイコー飯を食べて帰りました。

今日授かりました御朱印は…

メジャー寺社で「鶴岡八幡宮」と「高徳院」。

アニメ聖地で「佐助稲荷神社」です。

おみくじは「小吉」でした…俺、割と「大吉」率は高かったんだけどな。
休みも残り土日のみかぁ…


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秩父郡・児玉郡「日本武尊」史跡めぐり

2018年10月21日 | その他国内旅行記
10月21日(日)
今日も2、3時間しか眠れてないな…朝食は「ぼっしゅーと」されちゃったけど、このネットカフェは個室(大)トイレが2つあって良かったわ。

今朝は8時間ナイトパックにするため、6:20チェックアウトしました…昨晩コンビニで買ったパンは「秩父神社」の境内で食うか。
計画じゃ8:16「秩父」発の秩父鉄道に乗る予定だからさ…それまでけっこう時間あんのよね。
…かと言って、こんな時間から開いてるトコも、近くてサッと行ける場所も無いんでさ…

歩いて5分くらいで「秩父神社」に着きます…昨晩はわざわざこの先のファミマで買い物してからチェックインしたのにさ。

「あの花」自販機みーつけ…登場シーンの近くに設置されてるのかな?

昨日も来たけど「妙見の森公園」です。

コレ、何なのかなぁ?

今日も「めんま」でーす。

もう昨日で「あの花(ここさけ)」聖地めぐりは終わりで…今日は「日本武尊」史跡めぐりがメインだよ。

6:30「秩父神社」に入りました…昨日はゆっくり観れなかったからね。

コレは「神門」です。

コレは「御本殿」です…天正20年(1592年)9月に「徳川家康」公が社領57石を寄進し、代官である成瀬吉右衛門に建造させたものと伝えられています。

この「御本殿」には4つの有名な?彫刻があります。

まず「子宝 子育ての虎」です…名工「左甚五郎」が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫ったものと伝えられています。

コレは「お元気三猿」です…この三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」お元気三猿として親しまれています。

コレは「北辰の梟」です…体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。

コレは「つなぎの龍」です…コレも「左甚五郎」作で、その昔、秩父観音霊場札所十五番である少林寺の近くの天ヶ池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。

まだ社務所も開いてないんで「秩父神社」の御朱印は諦めます…って、昨日行った寺ほど聖地じゃないからさ。

そして7:00前には「秩父」駅に着きました。

「ポテくま」くんだって。

あ、「あの花」ラッピングバスだ
7:01発の秩父鉄道に間に合ってたけど、スルーして待合室?で「ぼっしゅーと」されたパンを食べてました。

ココの駅員の子は昨日も見たけど「伊織もえ」チャン系のカワイイ子だったよ…“リアル鉄道むすめ”ですね。

7:28発の秩父鉄道に乗りました。

そして7:46「長瀞」で下りました。

目的地の「寳登山神社」を目指します。

「長瀞」と言えば「ライン下り」なんだろうね…俺は全く興味は無いけど。

コレが「一の鳥居」かな?

「長瀞サル劇場」だって。

まだ開いてないの分かってるけど…

コレは「長瀞町郷土資料館」です。

コレは「旧新井家住宅」です。

参道もあと少しです…

コレは「宝登山神社売店」です。

8:05すぎ「寳登山神社」に着きました。

鳥居をくぐると…

「本殿」があります。

コレは「神楽殿」です。

コレは「招魂社」と「藤谷淵神社」です。

「授与所」もまだ準備中です…なので、ちょっと境内を散策します。

コレは「天満天神社」です。

コレは「宝玉稲荷神社」です。

さらに奥に行ってみます…

「玉泉寺」に着いちゃった。

一応「山門」も見に行きました…「仁義」の扁額が掲げられています。
また「寳登山神社」に戻り…

コレは「日本武尊社」です。

「本殿」裏にある「日本武尊みそぎの泉」です。

「日本武尊」が東国平定の帰途、山麓の泉で「みそぎ」をされ、寳登山に登られたと伝えられます。

左は「関羽」と「赤兎馬」だよ。

8:25ごろ「授与所」に行ったら開いてたんで「御朱印」をもらいました。(初穂料¥500)

「日本武尊」の絵馬もあったよ。

社務所の人にロープウェイ乗場のこと聞いたら鳥居の方まで戻らなきゃならないみたいでさ…「一の鳥居まで戻るのか…」と思ってたら、「二の鳥居」で良かったのかぁ。

少し山道を歩いて…「宝登山ロープウェイ」入口に行きました。

8:40「宝登山麓駅」に着いたんだけど…朝一番のは9:40発だから1時間待ちだわ。

切符の販売も9:30~だってよ。

あ、ちちんぶいぶいのタオちゃん。
後から来たオバちゃんたちが1時間近く待つのイヤだって山道上って行ったみたい…1時間近く掛けて上っても、1時間後にロープウェイで5分で上がれるからね。
金は掛かるけど…今の俺はあんまムリはしないよ、ムダに体力だけ使うことになるからさ。

パンとか食べながら、どうにか1時間ツブし…9:30に切符を買って、9:40発の「もんきー号」に乗りました。

約5分で「宝登山頂駅」に着きました。

コレは「宝登山臘梅園」です…って、当然秋だから何も無いです。

「寳登山神社 奥宮」に参拝しに行きます…ってか、そのために来たからね。

どうやって車が入って来たんだ?

「日本武尊」が神霊を祀った宝登山山頂のゆかりの地に鎮座しています。

ココで「御朱印」もいただけます。(初穂料¥500)

この鳥居から上がって来てないんで…写真だけ撮りました。

それから、497.1mの山頂に行きました。
計画では11:00発のロープウェイで下山予定だったけど…コレなら10:15発のに間に合いそうだぞ。

「OASISの鐘」だって。

奥秩父連山です…富士山は見えないの?(俺は「各務原なでしこ」か)

10:15発はもう1基の「ばんび号」でした。

中間地点くらいで「もんきー号」とスレ違います。

「宝登山麓駅」前に長瀞駅までの無料シャトルバスが来てなかったんで、歩いて駅に戻ります。
この道を左に行くと「宝登山麓駅」だけど、右に行くと登山道なのかな?

右に行くと「寳登山神社」、左に行くと「宝登山麓駅」です。

「長瀞」発の秩父鉄道は10:52なんで、けっこう余裕はあるよ。

10:35ごろ「長瀞」駅に着きました。

駅周辺のお土産屋です…もうこの時間になると駅周辺も観光客で賑わってたよ。

センガタン?

10:52発の秩父鉄道に乗り…これから最後の目的地に行きます。
計画より30分は時短に成功したのに…後の乗り継ぎが悪くてさ。

11:13「寄居」で降りました…この後、乗り換えるJR八高線の本数が少なくてさぁ、約30分早く着いたのに結局12:26発に乗るのは計画と変わらないんだよ。
だから「寄居」にいる時間が約40分から約1時間10分に増えただけ…駅員に北口と南口のどっちに行けば近くに昼ゴハン食べる店があるか訊いたら「南口」の方と言われたので案内を見てみると…

「鉢形城跡」って書いてあるじゃん…そういや以前ピックアップしてたことあったけど歩いて行けるのかなぁ?…とスマホで調べながら駅の階段を下りてたら、足を踏み外して落ちちゃいました。
足をヒネって転んじゃったけど、1段下が最下段じゃないけど平地になってたんで転げ落ちずに済んだわ…

右足首が少し痛むけど…片道1Km弱で行けるなら十分乗り継ぎまでの時間で行って帰って来れるぞ。

「荒川」って秩父の方から流れてるんだよね~

約15分くらいで「鉢形城跡」に着きました。

1564年(永禄7年)北条氏康の四男「北条氏邦」が鉢形城へ入城し、以後、北条氏の北関東支配の拠点となりました。

その後も戦略上の重要性から、各地の戦国大名の攻防の場となっており、1569年(永禄12年)には「武田信玄」による攻撃を受け、1574年(天正2年)には「上杉謙信」が城下に火を放っています。

1590年(天正18年)「豊臣秀吉」による小田原征伐が始まり、鉢形城は「前田利家」「上杉景勝」「島田利正」「真田昌幸」徳川家康麾下の「浅野長吉」「本多忠勝」「鳥居元忠」らの連合軍(35,000)に包囲され、北条氏邦の老臣「黒澤上野介」ら(3,000)が約1ヶ月の籠城戦を戦ったのち、開城しました。

「本丸址」です…深沢川が荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地していました。

櫓も何も無いけど日本100名城(18番)に選定されているよ。

「鉢形城歴史館」ってのがあるらしいんで、とりあえず行ってみます。

こんなトコ入って行くの?

「外曲輪」です。

11:50すぎ「鉢形城歴史館」に着いたけど…

12:26発のJR八高線に乗らなきゃいけないし…有料だったんで入らずに「寄居」駅に戻ることにしました。

右足もちょっと痛みが増してきたかな…

レトロな建物あったよ。

駅前の観光案内所で「鉢形城跡」の資料をもらいました。

12:20「寄居」駅に戻りました。

この駅、東上線、秩父線、JR八高線の3線が覇権を争う「三線史」駅なのである…

コレは“ローカル線あるある”だな…10分くらい遅れてJR八高線が着いたけど、お詫びのアナウンスも何も無し。(写真のクリーム色の列車は八高線じゃないよ)

12:55ごろ「丹荘」で降りました。

それから、歩いて朝日バス「丹荘駅入口」まで行き…13:19発のバスまで約20分待ったけど、やっぱ5分以上遅れて来たわ。

そして、13:35すぎ「新宿」で降り…片道約1.5Kmくらい歩きます。

13:55ごろ、鳥居に着いたよ。

それから参道を歩きます。

コレは「多宝塔」です。

14:05「金鑽神社」に着きました…御朱印は書置きでした。

社伝では「日本武尊」が東征の際に伊勢神宮にて叔母の「倭姫命」から授けられた草薙剣と火鑽金(火打金)のうち、火鑽金を御室山に御霊代として納め「天照大神」と「素戔嗚尊」を祀ったのが創建といいます。

コレは「神楽殿」です。

「拝殿」と「神饌所」です。

「中門」の背後には一般の神社に見られる本殿がなく、神体山とする御室山(御室ヶ獄)を直接拝するという形式を採っています。

14:20「金鑽神社」を出ました…帰りのバスは15:00発なんで十分余裕があるけど、もう右足は引きずって歩いてます。

コレは「神流川」というらしい。

バス停では15分くらい前から待ってたかな…そしたら東南アジア系の若者が数人後から来てバスを待ってたけど、こんなトコで何してんだ?

15:40ごろ「本庄」駅で降りました…そして15:55発の湘南新宿ラインに乗りました。
それから18:15「横浜」発の京急に乗り換えたんだけど…もう歩くのが大変よ、いつも使ってる杖じゃ歩けないわ。
18:45ごろ「横須賀中央」で降りて、晩ゴハンを食べて帰ったけど…家まで歩くのも、どうにか帰って来れたって感じ。

だって…こんなに腫れちゃったんだもん…明日は休んで整形外科に行くわ。

さて、今回の戦利品でーす。

「鉄道でめぐる 埼玉×アニメ横断ラリー2018」のクリアファイルと秩父鉄道の「桜沢みなの」(クリアファイル)です。

『心が叫びたがってるんだ。』のクリアファイルと、ちょうど20日から始まったばかりのスタンプラリーの景品(ストラップ)です。

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のクリアファイルです。

左のクリアファイル(SL)と同じデザインのタペストリーも買ってしまった…まだこれから“聖地めぐり”するってときにね。
右の牛乳瓶や水は夜にまた買い足したモノ…絵馬は「定林寺」で買いました。

「プレミアム振興券」で付くポストカードや聖地巡礼マップなど。

今回ゲットしたアニメ聖地御朱印は左「大慈寺(心が叫びたがってるんだ。)」、右「定林寺(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)」です。

「日本武尊」御朱印帳は2頁目「三峯神社」、3頁目「小鹿神社」…

4頁目「寳登山神社」、5頁目「寳登山神社 奥宮」…

6頁目「金鑽神社」が入りました

では…右足は大事にならなきゃイイんだけど…皆さんも“ながらスマホ”には気をつけましょう


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父の“喜寿”祝い温泉旅行~群馬サファリパークへ

2018年05月13日 | その他国内旅行記
5月13日(日)
今日は6:00ごろ起きました。

天気は…雨は降ってなさそうだなぁ、どうにか今日一日持っておくれ。

「長寿乃湯」は昨晩20:00~清掃の10:00まで女性専用なので、もう入れないけど…「長寿乃湯」は狭いから別にイイです。
「法師乃湯」は混浴です。

俺らはまず「玉城乃湯」に入り、最後に「法師乃湯」に入りました。

最初、朝ゴハンは8:00~みたいなこと言われてたけど、そんなゆっくりもしたくないんで、7:30ごろ宴会場に行きました。

ちゃんと朝ゴハンの準備はされてたんでね。

そして8:45ごろチェックアウトしました。
旅館も良かったし…やっぱり全員で来れたのが一番だよ。

9:00ごろ「法師温泉」を出発して…10:30「群馬サファリパーク」に着きました。
今日は元々ココに来る計画を立ててたんだけど、ヤフオクやメルカリでココの割引券とか無いかな…って調べてたら、読売の優待券みたいのがあったんだよ。
母が読売関係にパートで働いてるんで、その優待券が無いか?聞いてもらったら入手できてさ…しかも、今日に限り大人も子供も¥500で入場ができる優待券だったんだわ。
なので大人6人×¥2,700(¥16,200)、子供4人×¥1,400(¥5,600)=合計¥21,800が¥5,000(10人×¥500)になっちゃったんだよ。

俺らは園内を巡る「サファリバス(1人¥500)」にしたんで、それを足しても入園料¥5,000+バス代¥5,000=¥10,000で済んじゃったのは大きいよ…何ごとも情報収集は大事だぞ、例えば今日来園した人で読売新聞購読してても、その行楽のチラシなんて見ずに捨てちゃってたら通常価格になるんだからね。
俺らが乗った「シマウマ5号」は10:50ごろ発車して、ゲートに入りました。
まずは「アフリカゾーン」からです…

「アミメキリン」と「エランド」です。

このトナカイみたいのは「アメリカエルク」です…とにかく毛が生え変わり?で汚いな。

「チャップマンシマウマ」と「アメリカバイソン」です。

「アフリカゾーン」と「アメリカゾーン」がつながってるんで、車窓側によって「アメリカゾーン」の動物が先に見えたりしてました。

そして「日本ゾーン」に入り…「ツキノワグマ」です。

「ニホンザル」です。

それからバスを降りて「ウォーキングサファリゾーン」に入りました。

「ロバ?」や「ヒツジ」や「ヤギ」などにエサをあげることができます。(エサは売ってます)

コイツは「ラマ」っていうの?下あごが出てて歯並び悪いから…エラくブサイクだぞ。

「シカ」や…コレは何だ?後脚がカンガルーのようで跳ねそうだけど。

「ダチョウ」です。

「チーター」です。

「ワイルドキャッツワールド」の展示施設には何もいないぞ…と思って見上げるといました

「ホワイトタイガー」と「ライオン」かなぁ?尻尾がライオンっぽいけど。

「ライオン」や「トラ」にエサやり(有料)もできます。

「カピバラ」です。

コレは何て鳥だっけ?

コレも分かりません…あんま動物に詳しくないので。

「カピバラ」のモグモグタイムが始まりました…コイツらもマヌケな顔で好き。

コレは「ピューマ」だったかな。

上にも「ヒョウ」がいたよ…ウンコとか落とさないよね?

このサルが面白い…ずっと檻を掴んで左右に身体を振ってるんだわ。

「ミーアキャット」です。

ヒフミン…じゃなかった「ゾウガメ?」です。

このコは生まれてどのくらいなんだろ?

甥っ子たちも落ちてるエサ(草)拾って食わせてたよ。

コイツは目立ちたがりか?

「シカ」です。

「ラクダ」もブサイク系だな。

絶滅が危惧される「オオカミ」の繁殖と展示を目的とした「オオカミの森・オオカミ繁殖センター」があります。

「ウォーキングサファリゾーン」を観終えて、12:15ごろ「サファリバス」に並びました…右の「エサやり体験バス」は¥1,300です。

また「サファリバス」に乗って「アジアゾーン」へ…「アジアゾウ」と「マレーバク」です。

「ライオンゾーン」に入りました。

ココが「エサやり体験バス」のメインかね?

「ベンガルトラ」は居なかったけど「ホワイトタイガー」がいました…コッチは母?で…

コッチが子供みたい…

また「アフリカゾーン」に戻りました…「アフリカスイギュウ」もブサイクですね~

12:50ごろ「サファリパーク」を出ました…ちょうど出たころから雨が少し降り出してきたよ。

13:30ごろ、お土産買うのと昼ゴハンを食べるために「道の駅 甘楽」に行きました…コレは「松井家住宅」です。

食堂で「上州牛カルビ定食」を食べました。
14:45ごろ「道の駅 甘楽」を出ましたが…雨が大降りになってきてさぁ、みんな傘も持ってなかったんで急いで車に乗り込みました。
母はこっから下の妹一家の車に移り、そのまま「横須賀」まで帰ることになりました…まぁ借りたのが「アクア」だから、行きも乗って来れたかも知れないけど、母には1人で「川越」に行く予行練習もさせたからコレで良かったんじゃないの。
帰りは雨のせいでバタバタしたままお別れになったけど…俺はそのまま上の妹一家の車で「川越」まで帰り、もう1泊させてもらいました。
まぁ降り出したのが「サファリパーク」観終わってからで良かったよ…この運も父のおかげかもね。
初めての家族全員の旅行はどうだったかな…?もう来年は一番上の甥も中学生になります。
どうかなぁ…?次は母の喜寿が5年後だけど、一番下の姪でももう中学に上がってるもんなぁ…
まぁできればどっか連れて行ってあげたいし…それは甥姪次第かな。

明日はちょっと寄り道して「横須賀」に帰ります…


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父の“喜寿”祝い温泉旅行~吹割の滝へ

2018年05月12日 | その他国内旅行記
5月12日(土)
今日は母と上の妹一家(4人)、下の妹一家(4人)と計10人で群馬県の「法師温泉」に行きまーす。

コレは2016年12月26日に亡くなった父が今年の5月21日で77歳(喜寿)になるので企画した旅行です。
父も生きていたら、きっと同じように何か皆でやったろうしさ…生死は問わず、コレは77歳の喜寿祝いなのです。
元々父は温泉が好きで母や友人たちと年に6~8回くらい行ってたんじゃないかな?
母は父が亡くなって以来、まだ友達とも旅行に行ってないしさ…それで家族みんなで行く計画を去年の夏から立てていたんです。
みんな仕事や学校があるからさ、父の誕生月の土日で…車で行って1泊2日となると関東近郊、できれば父が好きだった「日本秘湯を守る会」の宿…で考えていました。
3つ、4つ候補を絞って、上の妹の旦那(同じ歳)に相談してみると…父の生前に「今度、法師温泉に行こうか」と話していたようでさ。
そこは俺も候補に入れていたんで、場所は即決定しちゃいました…日付も5月12-13日(その翌週の方が誕生日に近いけど、子供が運動会かも知れなかったので)に決まりました。
あとは旅館が、その6ヶ月前から予約開始なので、その日に忘れずにスグ予約を入れることね…行くのが平日だったら、スグじゃなくても空いてるかも知れなかったけどさ。
そして6ヶ月前に全員で10名(大人男3人、女3人、子供男3人、女1人)を男女別で2部屋取ることができました。
そのころはまだ5月21日から入院するなんて想像してもいなかったから…だから「5月12日(土)は有休取らなきゃ」って単純に思ってただけだからね。
それが年末ごろから今までの左脚に加えて右脚の股関節も痛み出してきてさ…年明けに久しぶりに病院に行って、その後手術を受ける決断をしたんだけど、それが「この旅行が終わってから…」でした。
俺の脚はそんな急ぐ問題じゃなかったからね…だったらGWもしっかり休んで、この父の喜寿祝いを無事に終えてから入院しようと思ってさ。
もう入院(手術)日を確定させたころには「GWからそのまま休職に入ろう」…という考えは持ってたよ。
GW明けから入院まで2週間空いたけど、その間に9日に診察(自己血採血)や、この旅行で12日にも有休取らねばならなかったからさ…そんなに休むと、その先に休職まで決まってるんだからクソバカジジイ(上司)がイヤミを言いそうだから、GW明けから休職にしちゃったんだわ。

まぁ…とりあえず、待ちに待ったこの日を迎えることができました…小学生の甥姪たちも直前に風邪とかひかなかったしね。
両妹一家と皆で旅行するなんて父の生前でも無かったんだよ…両親(+俺?)とそれぞれの一家では何度か行ってたんだけどさ。
だからこそ、父が生きていてこの日が迎えられたら…初の家族全員旅行になってたのになぁ…と言ってもさ、きっと遺影と一緒に魂も来てくれているよ。
俺は前々日くらいからブラブラしてたし、同じ横須賀市内に住んでる下の妹一家の車に母が乗れない(定員オーバー)というので…俺と母は先に「川越」の上の妹の家に泊まっていました。
下の妹一家とは11:00に「赤城高原SA」で合流します…が、上の妹の旦那が仕事忙しくて、今朝8:45ごろ帰って来たよ。
当初は俺ら川越組も8時すぎに出発するような話だったけど、運転手でもある旦那にはチョット酷なのでね…俺ら川越組は9:45に出発となりました。
途中、下の妹とも連絡を取り合ってたけど…下の妹一家は10:30には「赤城高原SA」に着いてたよ。

俺らは11:15「赤城高原SA」に着いたよ…下の妹一家はずいぶん待たせたけど、待ち合わせ時間からみれば15分の遅刻だけなんで、けっこう速く着けたのかもね。
無事に下の妹一家とも合流し…トイレ休憩だけしてスグ出発でーす。

まずは「沼田IC」で高速を降りて…12:00ごろ昼ゴハンを食べに行きました。
事前に調べておいた和食レストラン「まるきち」です…この辺り「上州沼田とんかつ街道」といい、とんかつ店が多いみたい。

「奥利根もち豚ロースカツ」が絶品らしいです…俺は蕎麦も食べたかったんでミニカツ丼のセットにしたけど、「ロースカツ定食」にしても良かったなぁ。

13:00すぎに店を出て…13:20すぎに温泉旅館に行く前に立ち寄る観光地に着きました。

この先を左に入って行くと「吹割の滝」があります。

なんか味のある?土産物屋だなぁ…こんな山道を下って行くと…

川が見えてきました。

おぉ「コレが吹割の滝か…」と感心していたら…

さらに先まで行けるみたいだぞ。

ココを上がると…

おぉ、スゲェ コッチが「吹割の滝」なんだね

「法師温泉」に行くにあたり、近くに何か無いか?…と探して見つけたのがココだったんだけど、よくありがちな滝ではなく「ミニナイアガラ」みたいなのがイイでしょ?

ネット記事なんかで観るより、実物はかなり迫力があるよ。

滝よりさらに奥までも行けるので、そこからも観えます。

それがこんな感じ。

奥の橋の方まで行ってみました。

コレは「浮島観音堂」です…日光東照宮の「眠り猫」や他数千の彫刻を完成させたという「左甚五郎」が作ったとされる木彫像の「如意輪観音像」が安置されているそうです。

橋は吊橋じゃないよ。

この辺りは「吹割渓谷」というらしいね。

橋の先には「浮島観音堂」以外なかったので、また戻りました。

第1~第3までの観瀑台もあったんだね…あの「浮島観音堂」のさらに先は行き止まりかと思ってたわ。

般若岩周辺の岩並み?

最初に観たこの滝は「鱒飛の滝」でした…

こういう案内板見てなかったので…

またさっきの土産物屋がある山道を上がって行きました。

「松尾芭蕉」もココを通ったんですと。


15:50ごろ、ほぼほぼ予定通り今日宿泊する「法師温泉」に着きました…バス停あるけど、バスも来るの?(ココの送迎バスかね?)

旅館は「長寿館」です…「法師温泉」には、この「長寿館」しかないのかな?

「日本秘湯を守る会」の提灯があります…ココで父の遺影も持って皆で写真を撮りました。

玄関入って横の部屋には「囲炉裏」もありました。

1981年、旧国鉄の「フルムーン夫婦グリーンパス」のCMで、女優の「高峰三枝子」さんと俳優の「上原謙」さんが丸太を挟んで湯に浸かったシーンです…父と母も12、3年前に夫婦で来て、この「法師乃湯(混浴)」で一緒に写真を撮っていたよ。
他にもドラマの撮影や…

「テルマエ・ロマエⅡ」にも登場しました

…って、この映画も何回か観たけど、覚えてなかったから「長寿館」だと気づかなかったよ…分かってれば「ルシウス」が入ったトイレ(女子だけど)に入ってみたかったぞ。

廊下にもいろんな展示品がありました。

剥製もあります。

ウチらが泊まるのは本館ではなく「薫山荘」という隣接した建物です…

廊下には「佐久間象山」の書もあったよ。

コッチは男性陣が宿泊した部屋です…奥にはテーブル席もあるね、晩ゴハン後ココでゆっくり話でもしながら飲み直そうかと思ったけど、けっこう晩ゴハン時で皆デキ上がってたわ。

コッチは女性陣の部屋です。

この部屋は「夏目雅子」さんがよく泊まられてたんだって。
明日はあんま天気が良くないみたいだし…日が暮れる前に外(周囲)を観に行ってから、温泉に入りに行きます。

この建物が俺らの部屋がある「薫山荘」です。

「法師川」沿いに別館(写真左)も見えます。

「薫山荘」と「法隆殿」です。

奥の方へ行ってみました。

旅館側を見ると衝立があるね…そこは露天風呂だよ。

「長寿の泉」だって~…飲んだから長寿になる?

表には「ラムネ」が売ってました…天然水で冷やしてあるんだよ。

旅館内に戻り…温泉に行く途中にあった休憩室?です。
温泉(風呂)は「法師乃湯」「長寿乃湯」「玉城乃湯」の3つあり、今の時間(17時くらい)は「法師乃湯(混浴)」「長寿乃湯(男性)」「玉城乃湯(女性)」です。
「法師乃湯(混浴)」に関しては20:00~22:00が女性専用になる以外、男性専用になることはなく常に混浴です。
まぁ立ち寄り入浴(10:30~13:30)で来た女性が、よほど「法師乃湯」に入ろうとでもしない限り、混浴の時間に好き好んで入って来る女性なんていないでしょうな。
俺ら男性陣は晩ゴハン前に「長寿乃湯」に入りに行きました…ココは通常は女性専用で15:00~20:00までしか男性は入れないんです。
だけど…「長寿乃湯」は狭く、多分宿泊客の割合も男性の方が多そうなので、コッチを女性専用としているのかもね。
その後、「法師乃湯(混浴)」にも入ってみました…20:00~22:00まで女性専用だから、もしゆっくり晩ゴハン食べてたら22:00以降にしか入れないからさ。
やっぱ混浴でも男しかいませんでした…まぁもし若い女の子でも居たら、ただの露出狂だし、かと言ってどうせガン見なんてできませんわな。

18:00~晩ゴハンでした。

父の喜寿を祝い、母の日も祝い…

けっこう、いろんなモノが出て来て食べ応えあったし、良かったです。
母がね…遺影の父が微笑んで見えた…って言ってたよ、また皆で行ける機会があったらイイね。
1時間半くらい食事するトコに居たかな…?皆、部屋に戻ってまずグッタリし…それから、また温泉に入りに行きました。
もう20:00すぎなので「玉城乃湯」が男性専用です…やっぱコッチの方が広いね、露天風呂もあるし。
甥っ子3人が泳いだりしてたけど、ちょうど俺ら6人しか居ない時間もあったから…思い切り遊んでたよ。
…でも、今は他の客の迷惑にもなるし、ましてや混浴もあるので…カメラは持ち込めなくてさ。
この「玉城乃湯」を出たときに事件が起こりました…上の妹の旦那のパンツが無くなった?と。
多分、ココだろうという籠の中には、多分妹の旦那のモノであろうパンツや浴衣と…なぜか女性のパンティがあったのです
コレは事件です 妹の旦那にそういう趣味があったなんて…と言うのは冗談だけど、俺の隣で脱衣してたのは俺が覚えているし、その籠で間違いは無いんだよ。
「玉城乃湯」はその前まで女性専用だったからね…穿き替えたパンティを持って帰るの忘れちゃって、その籠を妹の旦那が知らずに使っちゃったんだろうな。
…じゃあ脱ぎたてパンティだな、女子高生のだったら売れるぞ…アホか。
でも替えのパンツを持って来てもらい、浴衣等もそのままで置いて来ちゃったよ…だから置き去りにされた籠には男性のパンツと女性のパンティが入っています。
あの籠、あの後どうなったろうね…その後、もう一度「法師乃湯」に入ってから(入ったっけ?)寝ました。
寝たのって何時だったかなぁ?22時ごろには寝たのかなぁ?時間を全然覚えてないけど、もう布団に入ってスグ眠ってしまったのは自覚しているわ…
明日は天気が心配だけど「群馬サファリパーク」に行って来まーす。


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2018・GW旅「大崎下島」~広島編⑤

2018年05月04日 | その他国内旅行記
5月4日(金)
11:55発のJR呉線に乗って「竹原」に行きます。
「また竹原?」って感じですが…次に行く「大崎下島」行フェリーが「竹原港」から出ているので。

途中の「バンブージョイハイランド」と、「ぽって」見送りシーンの桜のトコ。

12:10ごろ「竹原」に着きました…これから「大崎下島」に行くために「竹原港」に行くんだけど、高速フェリーは13:05発なんで約50分くらいあります。

なので…駅のロッカーに荷物を預けた後、ちょっとだけ買い物に出ました。

「道の駅たけはら」2階で買い物し…

12:30「松屋二重焼本舗」に行ってみました…やっぱ行列ができてたけど、10分待ちだったら間に合うかも。

もう早歩きで12:58ごろ「たけはら海の駅」に着いたよ…二重焼のせいで間に合わないトコだったわ。


急いでチケット買って乗り込みました。

フェリー内で早速1個食べました…うん、美味い。


俺含め誰も前の席には座ってなかったんで、写真だけ撮りに入りました。


13:50「大長」に着きました。


今日の帰りは19:01「大長」発の最終便だから、けっこう余裕あるよ。

なんか神社が見えるんで上がってみました。

「東風崎神社」というらしい…それだけ。

俺が目指すトコは「御手洗」地区なので…少し歩いて行きます。

「大長(港)」から20分くらい歩いたかな…


14:15「御手洗休憩所」に着きました…これから4時間以上あるから、ゆっくり回ろうと思います。
江戸時代より風待ち、潮待ちの天然の良港とされていた「御手洗」は人と情報が集まる要衝地として十八世紀に入って急速に発展しました…そうだよねぇ、昔は帆船だったんだからね。

こういう古い町並みに車が入って来るのも…仕方ないか。

まず「天満神社」に行きました。

コレは「菅公御手洗いの井戸」です…901年「菅原道真」公が大宰府に左遷されたとき、九州に向う途中でこの地に船を着け、天神山の麓で口をすすぎ、御手を洗われ、お祈りをしたという伝承が残っています。
コレが「御手洗」の由来の1つ…もう1つの地名の由来は「神功皇后」が三韓侵攻のとき、この地で手を洗われたという事から呼ばれるようになったという伝説もあります。

「菅公之碑」と、筆を立てた石碑だね…コレって「天満宮」には大抵?ある石碑みたいよ、今まで注意してなかったわ。

ココは「若胡子屋」です。

中が無料で見学できるようなので入ってみました。

江戸時代に広島藩から免許をもらった御茶屋で、屋久杉など上質な建材で作られた佇まいは、花町御手洗の隆盛を極めた時代を彩った思いが偲ばれます。

ココの庭だっけ?

江戸時代の家並みなんだって~

お、郵便局に着きましたな…この辺りも「たまゆら」に登場します。


コレは「新光時計店」です。


全国から修理依頼がくる有名時計職人が営む時計店なんだよ。

コレは「御手洗昭和館」です。


そして…ついに来ました「乙女座」です…大崎下島で「たまゆら」といえばココ「乙女座」だよね~

どうしても中が観たい…と思い、入ってみると¥200で見学できるんだって。


おじゃましまーす…最初入ったとき、まだステージの片付けが残ってたみたいでさ…少し前まで演奏会?やってたみたい。


ステージ側から客席を。

おぉ、往年の映画スターと…何と「麻音たん」が

2階にも上がってみました。

昭和初期のモダン劇場を復元し、中は「花道」や「奈落」、2階部分には「桟敷席」が設けられています。

憧れのステージで朗読劇をすることになった「麻音」でしたが…無事に終えることができました。

15:00ごろ「乙女座」を出ました。

なかなか建物の全体が撮れないのよね~

今も開業してるのかな?

コレは「薩摩藩船宿跡脇屋」です…江戸時代「大久保利通」ら幕末の志士達も立ち寄ったとされる薩摩藩指定の「船宿」だった建造物を改装し、今はデザイン雑貨店のようです。


コレは「七卿落遺跡」です…「たまゆら」では麻音の実家「のどか亭」のモデルになっています。


幕末の混乱の中「三条実美」ら5人の公家は幕府派の追っ手から逃れるため、長州へと向かいました…そのとき「御手洗」で風待ちをし、こちらの庄屋竹原屋に泊まっています。

コレは「恵比寿神社」です。

海がキラキラしてる。

「レモン」かぁ…カブりつけないもんな~

コレは「大東寺」だって。

路地を抜け…

あなごめし「なごみ亭」だって…穴子飯ってことだよね?食べてみたいなぁ、コレらの建物は「船宿」だったモノ。


コレは「高燈籠」です…江戸時代に石で造られたモノ。

太鼓橋を渡って…奥あるのが「住吉神社」です。


写真右「千砂子波止」です…「中国無双」の大波止場、江戸時代に築造された大きな波止場です。(石積みの波止場では日本一かも知れません)

「千砂子波止」は江戸時代後期に芸州藩が築いた防波堤で、当時の最高の技術が用いられ「中国無双」と称えられました…「高燈籠」は千砂子波止の突端で灯台の役目を果たしてきました。

この駐車場で折り返しかな…

ココは「御手洗幼・小・中学校跡」です。

この上を上がって行くと「歴史の見える丘公園」に行けるんだけど…まだ15:35だから早いなぁ、でも町中もほぼ見尽くしたけどね。


この「満舟寺石垣」は地元の伝承では1585年(天正13年)の「豊臣秀吉」による四国攻めの際、前線基地として「加藤清正」が築いたものとされています。

コレは「満舟寺」です…縁起によれば「平清盛」公が上洛の途中にこの付近で嵐に遭い、一心不乱に祈りを捧げたところ晴天となったため、そのお礼として草庵を建て、行基作の十一面観世音を安置したとされています。

左は全国でも珍しい「亀趺墓」なんだって…そういや中国でよく見たよな。

隣の「荒神社」です。

2個目の二重焼を食べながら、またグルグル回ってます。

右は「潮待ち館」(喫茶店)です…中が見学できました。

この町は「ももへの手紙」というアニメーション映画の舞台にもなってたみたい…

この「御手洗(港)」からフェリーが出てるとラクなんだけどな~

こういう「洋館」もあります。

コレは「江戸みなとまち展示館」です。

16:20「歴史の見える丘公園」に行くことにしました…もう町中は見尽くしたので。

「麻音たん」を追いかけて行きましょう。

「おいらん公園」だって…花魁?って思って後で調べますと、潮待ち風待ちの港として遊廓が栄えた御手洗…工事中偶然に発見された江戸時代の遊女たちの墓100基あまりがこの地に集められて供養されているんだって。

けっこう上がって行くよ。

さっき観えた景色と少し違う…ってのは、それだけ空に近づいた…ってことだよ。(Byのりえ)


俺も「展望台」を制圧するぞー


16:30「展望台」確保

ココで最後3個目の二重焼を食べながら夕暮れを待つかね…

ココで「麻音」が初めて口笛を吹きました。

「麻音」の口笛によって、ケンカして泣いていた「かおる」と「のりえ」も…それを見てもらい泣きしていた「楓」も泣き止みました。


「楓」のお父さんが迎えに来ました。


「麻音」と別れる「楓」…まだ幼なき頃、ココで出会っていた4人でした。(「かおる」と「のりえ」は元々幼馴染み)

高校生になって友達として一緒に訪れたこの場所…遠い日の記憶は甦ってきたでしょうか?

「千砂子波止」と…奥の方に観えるのは「しまなみ海道」だよ。


17:50ごろ下に下りることにしました…当分、日が落ちそうにないのと、怪しいヤツ(俺と同世代くらいの男)が俺に早く去って欲しそうだったからね。
そいつ、何かを撮影しに来てるんだか分からないけど、「展望台」に俺がいる間は警戒?して入って来なくてさ…わざと俺が下りて行って明け渡して「展望台」を見上げたら、その隙に上がって来てやんの。
そんで俺と目が合ったらサッと身を隠したからね…あまりにも怪しいんで、俺も「展望台」にまた上がって行ってやろうか…と思ったけど、やめといたわ。
何かの儀式でもやるつもりだったのかね…別に人が居たってイイじゃん、この後来る人だって居るんだろうしさぁ、怪しすぎだぞ。

夕暮れも観たかったけど…それ待ってたら帰りの最終フェリーに乗れなくなっちゃうからさぁ。

18:20ごろ「大長」に戻っちゃいました…まだ45分もあるわ。

19:00フェリーが到着しました…後からもう1人乗客来たけど、フェリー来なかったらどうしよう?って思ってたよ。

19:45ごろ「竹原港」に着きました…ココから駅まで歩く間、歩道は割と真っ暗で誰も歩いてないもんなぁ。

20:00すぎ「竹原(駅)」に着き、コインロッカーから荷物を出して…20:17「竹原」発のJR呉線に乗りました。
20:55ごろ「三原」に着き…今晩泊まるネットカフェに向かいます。
ちょっと駅から歩くけど…途中には飲食店があるので、21:15ごろ「ビッグボーイ」に入りました。

「ビッグボーイ」って初めて入ったと思うけど…ご飯、スープ、サラダと…カレーまでフリーなんだね。

最初、メインのハンバーグが来る前にカレーライスを食べてたんだけど…ご飯が不味いわ、コレじゃいくら「お代わり自由」でも最初の一盛りしか食えなかったわ。
21:45に店を出て、近くのコンビニで買い物して…22:00「サンカフェ三原店」にチェックインしました。
そして22:30ごろシャワーを浴びました…って、ココもシャワーあったんだね。
客も少なくて、凄く静かな店だったなぁ…それから寝たの何時ごろだったろ?意識して横になったけど覚えてないんだよね~(多分、0時前後だと思います)
さて…明日はこの長かった旅の最終日ですな…


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2018・GW旅「うさぎ島」~広島編⑤

2018年05月04日 | その他国内旅行記
5月4日(金)
今日は4:45起床しました。

6:00チェックアウトし…

6:24「呉」発のJR呉線に乗りました。

途中「竹原」を通ったんで…

また車窓から「たまゆら」のシーンに出てくるトコを撮ったんだけど…斜めったな。

7:37「忠海」で降りました。

「たまゆら」で、ちひろちゃんが「竹原」と間違えて降りてしまったのも「忠海」です。

これから行くのは以前から話題になってる「大久野島(通称:うさぎ島)」ですよ~
調べたらフェリーが8:30にあるらしいんで、それに合わせてチョット早く着いておいた感じなんだけど…駅からフェリー港の方に行ってみると、もう大行列じゃんよ。
フェリーに並ぶ列はもちろんなんだけど、乗船券を買うのにも列ができてるわ。(コッチの方が当然少ないけど)

とりあえず、俺も乗船券の列に並んだけど、コレ買っても8:30のに乗れるのか?…が心配でさぁ、俺はガッツリ予定を組んでるから遅れが発生すると修正が利かないこともあるので。
乗船券売場のオバちゃんに「次の8:30のに乗れますかねぇ?」って聞いてみたら「次のは250人くらい乗れるから…今列に並べばもしかしたら乗れるかも知れないですね」と。

急いで列に並びました…250人くらいかぁ、チョット厳しいかもな~

8:20フェリーが港に入って来ました…けっこうデカいじゃん乗れるかなぁ?

はい、残念…俺の30人くらい前からもうストップ掛かってました。

これから乗船券買う列も凄いことになってきたぞ。

8:30発のフェリーは出港して行きました。

…マジかぁ、この次9:30だろ?…って思ってたら、横に停まってた小さな船の方に誘導されてさ…コッチは8:40発で最大定員115名?らしく、乗ることができました。

どうやら俺は「フェリー」の時刻表しか調べてなかったけど、別会社?が運行する「客船」ってのがあったんだね。
10分遅れなら全然OKです…でも、もしコレにも乗れなかったらホントに9:30のだからね、少し早く来てもこんな込むなんてGWとウサギの力か

所要時間は大きなフェリーと同じく15分なので8:55「大久野島」に着きました~
帰りは10:30(フェリー)または10:50(客船)のどっちかだな…次は「竹原」に行くんだけどJR呉線は「忠海」11:55発なんで、10:50発に乗った方が時間ツブしが50分で済むな。

まず「南部砲台跡」って方に行ってみることに…もうチラホラ、うさぎちゃん居るのね。

こんな感じの道を進んで行くと、それらしきモノが…

コレが砲台跡か?

至るトコにウサギは居ます。

皆、キャベツとか持参して来るのかね?

左の「発電所跡」に行ってみます。

コレがそうなの?

戦時中の1929年「旧陸軍造兵廠火工忠海製造所」がこの島に置かれたことにより、毒ガス製造の電力供給のために建てられました。

外に出たらあったコレは何でしょう?

この辺りの海はキレイだなぁ。

ココには5羽いるね…俺、勝手にスゲェ集団がいることを想像してたけど、こんな5羽がまとまってるだけでも多い方でした。

それから向かったのは「火薬庫跡」です。

レンガ作りですな。

ココは「MAG1」で、さっきの発電所が「MAG2」です。

次は「北部砲台跡」に向かうと…おぉ「ヘビ」だ。

ココには「12Cm速射加農砲」が4門置かれていたそうな。

1902年に設置されたらしいです。

コレは「北部砲台観測所跡」です。

ココには「24Cm加農砲」が4門置かれていました。

写真左は貯蔵タンクが置かれていた台座です。

この北部砲台は広範囲だね。

コレらは「兵舎」なのかな?

この島は何ていうんだろ?…結局、周囲約4Kmの「大久野島」を1周する形になったな。

だから展望台?に行ってないんだよな…

ココは「たまゆら」でも登場する、楓のお父さんがお母さんにポロポーズしたトコだよ。

コレは「毒ガス貯蔵庫跡」です…猛毒で皮膚が爛れる「イペリット」と呼ばれる毒ガスが貯蔵されていたようです。

写真右は「毒ガス工場初代トイレ跡」だって。

コレも「毒ガス貯蔵庫跡」…?さっきのを別方向から見てるのかな?

コレも「毒ガス貯蔵庫跡」…?

コレは「大久野島 休暇村」だよ。

わぉ、ウサギいっぱいだー

俺、このシーンとか見てたから、いっぱいウサギが寄って来るイメージ持ってたのかな?

コレは「研究所跡」かな。

コレは「大久野島 毒ガス資料館」です。

コレは「自動交換機室跡」だって。

ココにあるのは「慰霊碑」だね。

研究やら実験中に命を落とす方もいたんだろうね…

コレは「大久野島ビジターセンター」です。

コレは「幹部用防空壕跡」だって。

10:15ごろにはフェリー&客船が出る第2桟橋には着いてたけど…様子(10:30発がいっぱいで乗れないと10:50発に流れてくる)を見つつ、近くのウサギたちを見てることにしました。

コレは「芸予要塞時台の桟橋」です。

たれウサギ。

なまけウサギ。(左端)

ダルメシアン風。

兎種っていろいろあるの?

夫婦うさぎ?(左)

ピーターラビットって茶系な感じ?

このコ、真っ白で目が真っ赤の「ザ・うさぎ」って感じだね。

まぁ俺は男だし…そんなキュン死にしちゃいそうな感情も無いけどさ。

行きと同じになっちゃったけど客船に乗りました。

10:50発で11:05「忠海港」に着きました…

今がピークかねぇ?スゴい行列だわ、乗船券も踏切越えて列が続いてるよ。

「大久野島」には約700羽のウサギが居るらしいけど…もはや上陸する人間の方が多くないか?

「忠海」11:55発には、まだ時間があるんで…「黒滝山」登山口まで行ってみることに。

途中にある「地蔵院」に立ち寄ってみました…背後にそびえるは「たまゆら」にも登場する「黒滝山」です。

立派な「蘇鉄」が生えてるね。

11:20ごろ、これ以上行っても意味が無いんで駅方面に戻ると…フェリーの乗船券を買う列がこんなトコまで。

11:30ごろ「忠海」駅に着きました…これから11:55発のJR呉線に乗って「竹原」に行きます。

次の「大崎下島」と同頁で公開すると次数制限に達してしまうので、「うさぎ島」だけで先に公開します。


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2018・GW旅「アクアワールド茨城県大洗水族館」~大洗・水戸編②

2018年04月29日 | その他国内旅行記
4月29日(日)
途中何度か目覚めたモノの4:00近くまで眠れたわ、さすがに寝不足が積み重なってきてるからね。
朝5時から5分置きくらいに目覚まし鳴らすバカがいてさ…もし俺の近くで、まだ寝てるときだったら蹴りに行ってたぞ。

今日は5:40にチェックアウトしたよ…列車に乗るまで余った時間は「水戸城」周辺の朝散歩にしました。

やっぱり…今日も荷物をコインロッカーに預け、北口に出ました。

水戸黄門です。

義公(徳川光圀)生誕の地に建つ「水戸黄門神社」です。

「徳川光圀」は寛永5年(1628年)に家臣「三木仁兵衛之次」の屋敷で生まれ、4歳まで三木家の子としてココで養育されました…現在この地に「水戸黄門神社(義公祠堂)」が建てられています。

カワイイ絵馬だね。

「水戸学の道」を進みます。

コレは「徳川頼房」像です。

この奥の「旧水戸城薬医門」は今は?入れなさそう。

コレは「水戸第三高等学校」です。

コレは「杉山坂」と「杉山門」です。

コレは「二中見晴らし台入口」と「水戸城跡の大シイ」です。

コレは「二の丸展示館」です。

ココは「旧水戸彰考館跡」です…大日本史編纂の地です。

ココは「茨城師範学校跡」です。

あれ?まだ「大手門」復元されてないんだ…平成31年9月9日まで工期かぁ。

まだどこに門が建つのかも分からんな…

「大手橋」を渡ると…

藩校「弘道館」があります。

弘道館は第九代藩主「徳川斉昭」が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして開設されました。

ココは「柵門」があったトコです。

まだ時間があるんで…6:30「水戸東照宮」に行きました。

徳川光圀(水戸黄門)が造らせた「常葉山時鐘」です。

「稲荷大明神」と「天満宮」です。

「水戸東照宮」は水戸藩初代藩主「徳川頼房」により、元和7年(1621年)徳川家康公を祀る神社として創建されました。

旧国宝だった社殿は昭和20年の戦災で焼失し、昭和37年に現在の社殿が再建されました。

徳川斉昭の考案による「安神車(戦車)」です。

6:40…そろそろ駅に戻るかね。

今までコッチから上がって来てたんだよな。

6:50ごろ駅に着いちゃいました…今日も7:09発の鹿島臨海鉄道に乗ったけど、今日はガルパン車両じゃなかったね。

バスにはガルパンラッピングがされてました。
今日はまず9:00開館の「アクアワールド茨城県大洗水族館」に行って…14:00までに大洗駅に戻る夕方、東京駅に着き、20:30発「広島」行に乗るまで時間をツブす…って感じ。

また昨日と同じパターンです…

歩いて商店街を通り…

また8:00すぎ「ウスヤ」に行って“朝ウスヤ”しました。

8:20ごろからパネル探ししながら「アクアワールド大洗」を目指します

「白浜荘」にBC自由学園「押田」がいます。

エスカレーター組「押田」でーす。

それから「HAMAKAN」の「マリー」に会いに行きました。

「幕末と明治の博物館」前を通り…

旅館?「入船」を覗いてみたけど…「ルクリリ」はいなかったなぁ。

9:15…やっと「アクアワールド大洗」に着いたよ…帰りは11:46発の「海遊号」に乗ろう。

昨日買っておいた前売券です…通常¥1,850⇒¥1,670(10%引き)になってます。

まず「出会いの海ゾーン」から入ってみました。

俺、コイツ好きなんだよね…ブサイクで。

赤ちゃんウミガメいるよ。

フグ?

この小魚が集団になって身を守ってるのかな?

水量1,300tだって~

次は「暗黒の海ゾーン」に入りました…サムクラゲです。

ミズクラゲとシンカイウリクラゲです。

アカクラゲとキタユウレイクラゲです。

ヤナギクラゲとタコクラゲです…いろんなクラゲ見てたら「海月姫」思い出した。

コレは「リュウグウノツカイ」です。

大洗といえば「あんこう」だね。

ヒトデと…コレもフグの一種?

次は「世界の海ゾーン」に入ります。

サメの飼育数は全国一みたい。

う~マンボウ

エンゼルフィッシュ?

ハリセンボン?とニモかな?

ニョキニョキ…って勝手に名づけちゃった。

コレもサメの一種かね?

「フウセンウオ」だって~ カワイイね。

タラバガニ?

コイツ何だっけ…ウツボかね?俺の好きなブサ魚タイプなんだけどな。

シビレエイがいるみたい。

ヤシガニ?

「ミュージアムゾーン」のマンボウの剥製です。

「世界の海ゾーン2」です。

ゴマちゃ~ん

水槽を上から見られます。

エトピリカと…カピバラ寝てやがるな。

わ~い、ペンギンだぁ~

ペンギンも面白い動物だよね…水陸両用型だもん、コレで飛べたらもっとスゴいぞ。

あ、起きた。

10:30「オーシャンシアター」の列に並びました…どうやら11:00開演のショーがあるみたい。

入れたけど立見か…まぁ仕方ない。

まだ20分も待つのか…疲れたなぁ。

ようやく11:00開演しました。

まずイルカが軽くジャンプを見せてくれた後は…

アシカのショーです。

なかなか芸達者ですな。

前列の人はコリャ大変だ…開演前にビニールシート販売してたからね。

こういう動物に芸を仕込むの大変そうだなぁ。

何とイルカがアシカを乗せてます

イルカとアシカのキス…って、オス同士だったりして。

この後はイルカのショーです。

ただジャンプするだけでも…よく指示どおりにやるよね。

ちゃんと持って?来るんだよ~

またバシャバシャタイムが始まったね…

最後に大ジャ~ンプ
11:20すぎに「オーシャンシアター」を出て…

「ガルパン」のパネルを撮りに行きました。

アクアワールドの担当?「五十鈴華」とサメさんチームの「竜巻のお銀」です。

11:30ごろ「アクアワールド茨城県大洗水族館」を出ました。

外には動物ふれあいコーナーみたいのありました。

コレもウサギの一種?…ズングリしててカワイイなぁ。

この後、11:46発の「海遊号」を待ってたんだけど…いつも通り10分くらい遅れて来たわ。
今日はこの後昼ゴハン食べて…14:00までに駅に戻れればイイんだけど、どこで食べようかね。

今日の「海遊号」は魚市場前ルートを通るんだけど、降りるトコは元々「曲松」を予定してて…そしたら「和久」や「ブロンズ」前を通り、降りたトコは「かま家」前でした。
なので…「かま家」に入っちゃった、ココも食べてみたい店だったので。

ランチの「海鮮丼」いただきました~

隣は隊長(西住まほ)の旅館だよ。

それから歩いて「赤星小梅」(右)のいる乾物屋?に行きました…大洗を発つまで新キャラのパネルめぐりします。

「ORACLE大洗」ってココにあったのかぁ~

「爆弾低気圧のラム」です。

「クローゼット」には…「大波のフリント」がいたんだね。

ステッカーも売ってる「田口理髪店」です。

「生しらす丼のカトラス」がいる「ドルフィン」に行ったんだけど…バーだから昼は営業してなかったわ。

13:45「大洗(駅)」に戻りました…そして14:03発の鹿島臨海鉄道に乗って、14:21「水戸」に着きました。
それから南口14:40発の「みと号」に乗って…17:25「東京」に着きました。

東京駅周辺のネットカフェを探そうと思います。

この駅前もけっこう整備されたよね。

夕焼けがキレイでした。

18:30ネットカフェを見つけました…1時間だけ休んだんだけど、ドリンクは2杯目から有料とか変わった店だったな。
まぁとりあえず充電ができればイイんだけどさ。

19:30出て近くの家系ラーメン店で晩ゴハン食べました…ライス食べ放題だったけど「Big Boy」より美味しかったぞ。

20:30東京駅発の「中国JRバス」に乗り…9:26「広島バスセンター」着予定です。
さぁ明日(30日)~5月5日まで6日間の「広島編」をお楽しみに~


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茨城「奥久慈」へ~紅葉にはチョット早かった…

2017年11月04日 | その他国内旅行記
11月4日(土)
昨晩は0:30ごろ寝たけど…2:00ごろに目が覚めちゃってさぁ、今日は7:08発の水郡線に乗るんで7:00チェックアウト予定なんで、さすがに早すぎだよ。
そしたら3:00くらいだったか覚えちゃいないけど2度寝に成功し、5:20ごろ起きました。
店内の暖房が効きすぎてるのかヒートテック1枚しか着ていないのに暑くてさ…
また昨晩コンビニで買っておいたパンを朝食にし、7:00ちょっと前にチェックアウトしたら、思ってたよか料金が高くてさぁ…店員に聞いたら「9時間をオーバーして延長料金が加算されています」と。
うそぉ、俺は21:52にチェックインしてたのかぁ…レジに行ったの6:56だったんで、実質4分もオーバーしていないのに¥140取られたわ、まぁ思ったよか被害額は少なかったけどさ。

チェックアウト前にスマホで天気調べてたら水戸市で「雨」表示になっててさ…もう一つ自分で入れたアプリ(tenki.jp)で調べたら曇のち晴で、雨なんて10%だよ…どうなってんだ weather.jpは?
こうなったらセカンドオピニオンでパソコンのサイト観てたら、全然「晴」だよなぁ…もし雨だったら今日はチェックアウト後、水戸から「みと号」で強制送還になるトコだったよ。
今日これから行くトコは天気良くないと行く意味が無いからさ…コレで今日はヒートテックは着ないで出て、寒けりゃコート着るからイイや。

「水戸」から7:08発のJR水郡線に乗り…

7:53「常陸太田」で降りました。
ガルパンイベントは3連休初日で終わったので、今日は茨城観光の日だね…せっかく茨城まで来たんだもん、もっとお腹いっぱいにして帰らないと。
常陸太田駅前から8:01発の茨城交通バスに乗ったんだけど、バスの終点は「竜神大吊橋」です…水郡線もバスも本数少ないから正に「この乗り継ぎで行けよ」って感じだよ。
この後のルートも含め、この時間に出るパターンしかハマらなかったからね…クルマ無いと不便な観光地だな。


8:45「竜神大吊橋」に着きました…今年の5月に「袋田の滝」に行っているけど、この吊橋のこと知らなかったんで滝しか観に行かず、そのまま福島(白河・二本松)に行っちゃったからね。
まぁそもそも水戸から水郡線に乗っても「袋田の滝」と「竜神大吊橋」は途中の「上菅谷」で分岐してるんだわ…だから続けて行きたい場合はバスで行くか、一度「上菅谷」に戻って水郡線を乗り換えて行くしかないんだよ。
今日のこのパターンで行けば「竜神大吊橋」で少し時間余っちゃうけど、バスを2台乗り継いで「袋田の滝」方面には行けるんだよ…俺は滝はスルーして「常陸大子」まで出るんだけど、その理由はまたそのときに。

タツノオトシゴ?

橋に入場する前に周りをブラ~っとしてました…10:50発のバスまでまだ2時間あるしさ。

奥の方の小屋?を見ると「バンジー」って書いてあるよ…あの「竜神大吊橋」からバンジージャンプすんの?

橋の入口にあった「若ガエル石」です…カエルっぽく見えなくもないね。

「竜神大吊橋」の入場料は¥310でーす。(写真右は入口側)

紅葉はもうちょっとなのかな?

コレはダム?

この扉は橋のメンテとかする人用かと思ってたら…バンジーする人の出入口だったわ。

「竜神大吊橋」は高さが100m、長さは375mあり、歩行者専用の橋としては本州一の長さなんだって~

対岸?に着きました。

コレがバンジーするロープみたいだね…どうやら飛ぶ人がいるみたいで、ずっとカメラ構えて待ってたよ。

おぉ、飛び込んだぞ

うわぁ…よくこんなことヤルよなぁ…金もらってもやりたくないよ。

橋の高さは100mらしいけど、バンジーでは地上何mくらいまで落ちるのかなぁ?

落ちた後、バウンドして上がったり下がったりがイヤな感じするんだけど…どうなんだろ?

下にボートがいてそこに下ろされるパターンもあるらしいけど、ココ「竜神大吊橋」では引き上げられて飛んだ場所に戻るようです。

ハイキングコース?下に行けそうなんで行ってみました。

さっき金をもらっても飛びたくないと言ったけど、飛ぶのいくら掛かると思う?…1回目¥16,000(同日2回目¥7,000円)だよ、同じ¥16,000使うなら「ホテル高級ディナーフルコース」とかの方がいいや。
まぁ実際ディナーにも¥16,000なんて使う気ないけど、まだマシ…ってことね。

何か10分おき?くらいに人が飛んでる感じするんだけど…

対岸には見晴台みたいのがあるよ。

紅葉も一部は赤いんだけどね~


冷泉麻子「高い所は苦手なのに…」
武部沙織「吊橋って言っても揺れないし、真ん中歩いて下見なきゃイイのよ」

この背中にリュックみたいの背負ってる2人はバンジーを終えた勇者だよ。

10:25ごろ入口に戻って来ました。

「猿回し」やってました。

いろんな角度からの写真を撮りに行きました。

この橋って別に対岸に渡って先へ行くことを目的とした橋ではなく…何をするための橋なんでしょ?


左衛門佐「おーい、私たちはココだぞー」


ケイ「みんな、何食べようかぁさっき窯焼きピザってあったよね~」
角谷杏「私は干し芋
ダージリン「私たちは温かい紅茶を飲みに行きましょ」
オレンジペコ「はい、ダージリン様」

10:50発のバスに乗ったんだけど…乗ってた人はココで全員降りて、乗ったのは俺だけだったよ。
11:00過ぎ、終点「馬次入口」に着き…ココで11:30発のバスに乗り換えます。

そしたら乗ってたバスの運チャンが「次の乗換えバスはこの時刻表じゃないか?」とバス停に付いてた時刻表を教えてくれたんだけど…コレ、10月21日~12月3日までダイヤ変更しちゃったの?
…そうなると次のバスは12:01発かぁ…予定より30分遅れるけど仕方ないわ、他に手段無いし。
それよか約1時間何してましょう…周りにはベンチ以外何も無い山の中?だもん。
そしたら11:20ごろバスが来てさ…あの付け加えられた時刻表は臨時バス?みたいで、通常便の11:30発が来たんだよ
しかも、このバスの運チャンが1日フリー切符を紹介してくれてさ…恐らく行き先まで¥770だったのが¥500で済んだからね。
乗客もしばらく俺1人だったんで、ずっと運チャンと話してたよ…フツーは路線バスの運チャンと話しながらなんて有り得ないけど、横須賀にも縁のあった人だったんだよ。

12:10過ぎ「常陸大子」駅前で降りました。

場所がよく分からず電話しちゃったんだけど、駅近くの建物内に「大子町観光協会」が入っています。
観光協会で無料のレンタサイクルを借り…しかも荷物も預かってもらっちゃえました。
12:25出発でーす

少しチャリで走ると「永源寺」の標識がありました…さっき、バスの運チャンに「紅葉がキレイな寺がある」って聞いてたんだわ。

おぉ~確かに

西住みほ「わぁ~キレイな紅葉だね」

通称“もみじ寺”と呼ばれています…今月中旬が見ごろかな?

大子七福神の紅一点「弁財天」を祀る寺です。

文安3年(1446年)に創建、1864年「天狗党の乱」で寺の大半を焼失し、現本堂は1953年に再建されました。

12:45ごろ「永源寺」を出て…さらに走り続けること10分ほど…


大子町に来た一番の目的「旧上岡小学校」に着きました~


ココは「ガールズ&パンツァー」劇場版でも登場するんだよ…映画では大洗の「幕末と明治の博物館」辺りに設定されているけど、ホンモノは大洗から大分離れたココ「大子町」にありまーす。

土日・祝日、夏休み期間のみ見学できます…料金は無料です。

まず左の教室に入ると…

懐かしいオール木造の机と椅子だよ。

教壇から。

その隣の教室は…高学年用かね?金属パイプも使った少し大きめの机と椅子だね。

下駄箱なのか個人の道具入れか分からないけど…懐かしい感じ。

正面入口から入って左奥の教室です…途中、職員室があるんだけど、従業員?が居て写真撮れず。


正面入口の奥には階段があって…左側には講堂がありました。


「錆び」をアートにしてるアーティスト?たちが創作活動中でした。

ホントに「錆び」だったよ…侘び錆び(侘・寂)?

角谷杏「みんな、集まったか~」

講堂を出て突き当りを右に入ると…

ココは音楽室みたいだね。

こういう作曲家の肖像画も懐かしいね…子供のころはチョット怖かったけどさ。

「ガルパン」劇場版のシーンで分かるけど、こういう構造の校舎です。

こういう形のポストも少なくなってきたよね。

窓ガラスは全部昔のガラスで、学校の備品もそのまま残されています。


大子町立上岡小学校は1879年4月20日に創立され、2001年3月31日に廃校となりましたが…今ではNHK「花子とアン」「おひさま」など多くのドラマや映画の舞台となっています。


アニメ「ガールズ&パンツァー」劇場版では廃校になった大洗女子学園の生徒たちの仮宿舎?として登場しました。

コレ、小便小僧?


大野あや「廃校になったときはこの先どうなるんだろう?って不安だったよね」
澤梓「でも会長ならきっと何とかしてくれるって思ってたよ」
山郷あゆみ「そして西住隊長が勝ってくれた」



「ガルパン」劇場版では金次郎の頭がアンコウになってるよ~

逸見エリカ「どうして私たちまで?」
西住まほ「みほがいた学校を見てみたくなってな」

13:25ごろ「旧上岡小学校」を出て…再び大子駅前を通って「袋田の滝」を目指します
「袋田の滝」までは約9Kmだよ…さっきバスで通って来たから大子駅から袋田駅辺りまでどんな道か分かったし、5月に袋田駅から滝まで歩いてるから行けるという判断ですな。
15:47「常陸大子」発の水郡線で「水戸」まで帰るので…約2時間で大子駅から「袋田の滝」を往復しなきゃならんのよ。
14:00までに「袋田の滝」に着かなかったら引き返さなきゃダメだな…とにかく漕げ

13:55「袋田の滝」に着いたよ~急いで入場券(¥300)を買って入りました。(急いでたんで写真は帰りに撮ったモノ)
なんか第2観瀑台に行くエレベーターが30分以上待つらしく…第1観瀑台まで行って引き返すことにしたよ、ココは遅くとも14:30には出たいので。

フラッシュ使っちゃったから分からないと思うけど、トンネル内は暗いんだけどミラーボールが回ってて光が渦巻いてたよ…5月に来たときはこんな演出?無かったと思う。
前回はGW中だったけど朝一で来たから人も少なかったしね…

まだ紅葉も大したことないなぁ…むしろキレイじゃない。
 
コレは5月に来たときの写真…緑がキレイだったよね。

こんなトコがエレベーターの最後尾だもんな~

14:10「袋田の滝」を出ました。

なんか雨が降り出してきちゃったよ…それでも時間には余裕ができたんで写真を撮りながら駅に向かっています。

14:45大子駅前に着きました…SL(C12187号)が展示されているよ。

列車の時間まで1時間あるんで…駅前の立ち食いそば屋で昼ゴハンにしました。
15:00過ぎ「大子町観光協会」に自転車を返し、預かってもらってた荷物を受け取り…雨もまだ降ってたんで駅の待合室で30分くらい待ちました。
そして15:47発の水郡線に乗って、17:15ごろ「水戸」に着きました。
それから17:30発の「みと号」に乗ったんだけど…やっぱ休日の夜は渋滞するんだね、19:50「都営浅草駅」に着く予定が21:00だもん。

その「みと号」がちょうど良く「都営浅草駅」を経由する運行だったんで…21:17発の羽田空港行(急行)に乗り、品川で始発の快特に乗って座れて22:40「横須賀中央」に着きました。

さて、今回の戦利品でーす。

まずは生誕祭クリアファイルだね…右下の横サイズのミポリンのが「大洗シーサイドホテル」で販売しているモノだよ。

コレはガルパンギャラリーで買った「笠間焼」とコラボレーションしたクリアファイルです。

お好み焼き「道」で交換してもらった「澤梓」と「山郷あゆみ」のクリアファイルです…コレで6人揃いました。
下のはギャラリーで買ったけど、大子で販売してたクリアファイルらしいです。

コレ(左)が献血でもらえるクリアファイル(2種入ってる)と、右はジュウロクホウイで¥2,000以上買い物するともらえる非売品クリアファイルです。

昨日の「商工感謝祭」で郵便局も出店してて…切手シート買っちゃいました。
19日に販売するグッズも欲しいなぁ…もし12月に行っても買えるかなぁ?

マウスパッド(左)タオル(右)クロス(上)です。

肴屋本店で買った「ダージリン」カレンダー、9月に買いそびれてた「ダージリン」ステッカーと、今回発売の「みほ」ステッカー、大洗駅入場券(みほスタンプ)、今回の温泉の素は「大洗女子Ver.」…ポストカード、うちわ、あんこうチームのステッカーはもらいモノ。

缶バッジはスタンプラリーでもらった「みほ誕」以外は「商工感謝祭」で1個¥100で売ってたモノです。

「商工感謝祭」で買った国井屋のお茶と…¥100で買った「煎餅」です。

今回、キャラ誕と重なったおかげで、初めて「商工感謝祭」に行ったんだけど…いろんなモノが安く食べれた上にスタンプラリーで「みほ誕」缶バッジがもらえるんだから一石二鳥でしょ。
大洗はこういうイベントが楽しいから、また行きたくなっちゃうんだよね~
今度は12月16日の「華誕」に行くかどうかだね…そのときには劇場版「ガールズ&パンツァー」最終章・第1話も公開されてるからね、また「ガルパン」が盛り上がるぞ~


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秋葉原~国立科学博物館へ

2017年06月24日 | その他国内旅行記
6月24日(土)
今日は当初2つの目的で久々に都内に出る予定を組んでたんだけど…1つは昨晩参加ができなくなったため、他の用事を2つ充てがい「3本の矢」で行って来ました。
まず家を7:40ごろ出て「秋葉原」に向かいました。

9:10ごろ「秋葉原」に着きました…って、思ってたよか早く着いちゃったなぁ。


西住みほ「あれぇ?どうして私たち秋葉原に来ちゃったの?」
1つ目の目的はココ「アトレ秋葉原」で、先週17日~来週30日まで開催されている「アトレ秋葉原×ハイスクール・フリート」のコラボグッズを買うこと。
先週18日に行こうか悩んだけど、前日(初日)に欲しいモノが完売しちゃってたり、天気も良くなかったし…この週末は新商品の発売と完売した商品も補充がされてたんでさ。
開店は10:00なんだけど、このビルには入口が何ヶ所かあって…どこで並んでりゃイイのか分からなかったけど、とりあえず俺が居た周囲には明らかにコラボショップの開店待ちの“海の仲間”がいたよ。
ボーっとして待ってたら9:45ごろ係員らしき者らが現れ、ちょうど俺が居た近くから列を作ることになってさ…10番以内に入れちゃったよ、まぁ俺だって9:10には着いてたんだからね。
コレは家に帰ってからショップのツイッター見て知ったんだけど…ちゃんとその情報は配信されてたんだね、俺は偶然近くに居てラッキーなだけだったけど。

開店後の第1グループ(10人)でショップに通され…今回のコラボグッズを数点買って…もう1つ目の目的終了です。

今回コラボしたキャラはマロン&クロちゃん、めいタマの4人だけなんだけど…俺の推しキャラ「マロンちゃん(柳原麻侖)」が入ってたんで買いに行こうと思ったワケですわ。
マロンちゃんの着ぐるみは、あの本編で皆を恐怖に陥れた?あのラットだよね?
1つ目の目的は…早く着いて偶然列の始めの方に並べたんで10:10には「アトレ秋葉原」を出てたよ。

園みどり子「この街は風紀が乱れているわ」

次は「上野」に行くんだけど、歩いて行くんで久々の「秋葉原」を散策してみようかな。

「ガルパン」のショップでもあるのか?…と思ったらパチスロかよ。

秋山優花里「西住どのぉ~」

「秋葉原」に来たのいつ以来かと思って調べてみると…1年10ヶ月ぶりくらいだったわ。

リアル「マリオカート」?

昔、秋葉原の近くにある会社で働いててさ…仕事でも来ることが多かったんで、ついでに買い物したりしてたんだよ。

ねこにゃー「ネットゲームしに行こう」

カチューシャ「ちっとも“ぬいぐるみ”取れないじゃない!」
ノンナ「私が取りますから…」

でも今はヤフオクだのメルカリだのネットでフィギュアとか買うから、昔みたいにわざわざ「秋葉原」や「中野」まで行かなくても済ませられちゃうんだよね~

だからどうなんだろう?今は外国人の割合がけっこう高いような気がするなぁ。

角谷杏「AKB劇場行ってみる?」
河嶋桃「会長、アイドル好きだったんですか?」
小山柚子「あ、私行きたいです!」

よく通販で利用する「駿河屋」もアキバに出店してるんだね。
11:00開店の「ガチャポン会館」にも久しぶりに行ってみたけど…全然購買意欲をそそられるガチャが無かったわ。

電気街を抜けて「上野」に出て来ました。

西住みほ「カバさんチームとアヒルさんチームは私たちに着いて来てください」

すげぇリュック売ってんなぁ…高いのは¥5,900だって。

ココは「不忍池」です…日本で最初に行われた駅伝のゴール地点がこの辺りだったみたい。

お堂がある方へ向かってみました。


河嶋桃「めがね之碑か…他にメガネはいるか?」
大野あや「はい、あと…おりょうさんとネコニャーさんが…いません」

コレは「不忍池辯天堂」です…天海大僧正が琵琶湖竹生島になぞらえて、寛永年間に不忍池に中之島を築き、その地に建立されました。

境内にあった石碑です。

「暦塚」や「鳥塚」などがありました。

写真右は「聖天島」で月3日くらいしか開放されていないみたい。

おりょう「幕末之剣豪 櫛淵虚冲軒之碑ぜよ」

バス「めぐりん」のヘッドマークは「上野動物園パンダ誕生おめでとう」バージョンだね。

コレは「人形供養碑」です…ウチにもフィギュアいっぱいあるな。

コレは「清水観音堂」です…清水観音堂は京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永8年(1631年)天海大僧正により建立されました。

「西郷隆盛」像を見るのもホント久しぶりだ…2018年大河ドラマは「西郷(せご)どん」ですよ~

おりょう「西郷さん、久しぶりぜよ」

コレは「彰義隊墓所」です…今年は明治150年にあたり、5月15日には法要があったらしいね。

コレは「博士王仁碑」です…王仁博士とは朝鮮の百済から、論語十巻、千字文一巻と共にやってきた人物で、日本に漢字や儒教を伝えた人らしいです。

コレは「天海僧正毛髪塔」です…天海大僧正は寛永20年(1643年)10月2日に108歳で示寂(じじゃく)されました。
墓所は日光山輪王寺に造られ、ココには弟子の晃海が供養塔を建立し、後に伝来していた毛髪を納めた宝塔も建立されました。

左衛門佐「憎っくき家康のブレーン、天海かぁ」

上野の森美術館では「片岡鶴太郎展」が開催されていました…こういう何か才能がある人って羨ましいなぁ。

コレは「正岡子規記念球場」だって…正岡子規は明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたといいます。

コレは国立西洋美術館の前庭にあるロダン作「考える人」と「カレーの市民」です…カレー?

コレはブールデル作「弓をひくヘラクレス」だって。

コレはロダン作「地獄の門」です。

左右には左に「アダム」…右は「イブ」かと思ったら「エヴァ」だって。
後で調べたら「エヴァ」は「イブ」のことでした。

「国立西洋美術館」です…俺は西洋の美術には興味無いなぁ、浮世絵や水墨画の方がまだ好き。


12:15ごろ、今日2つ目の目的「国立科学博物館」に入りました。(入館¥620)

入口脇には蒸気機関車があります…デゴイチ(D-51)だね。

まず入館して「地球館」のB3Fから攻め上がることにしました…B3Fのテーマは「自然のしくみを探る -私たちの世界はどのようにできているのか-」です。

B2Fは「地球環境の変動と生物の進化 -誕生と絶滅の不思議-」です。

恐竜絶滅後の哺乳類の進化過程の展示かな?

あれは「ナウマン象」かね?

B1Fは「地球環境の変動と生物の進化 -恐竜の謎を探る-」です。

けっこう子供連れが多かったけど、こういう恐竜の化石展示とか好きなんだろうね。

1Fは「地球の多様な生き物たち -みんな、かかわりあって生きている-」です。

上に吊るされているのはクジラの骨かな?

2Fは「科学と技術の歩み -私たちは考え、手を使い、創ってきた-」です…写真右では「イトカワの微粒子」を観ることができます。

コレは「零式艦上戦闘機二一型改造複座機」です。

ラバウルには大破した複数の零戦から使える部品をかき集めて再生した複座の改造機が存在しました。

1944年にラバウルから戦闘機隊が撤退した後、ラバウル工廠が機体番号53-122の二一型を基に1機のみ(改造が)完成し…アドミラルティ諸島の飛行場爆撃や後に後席にカメラを搭載して偵察を行っていました。
その後撃墜されますが1975年に海中から引き上げられ、復元されて国立科学博物館に展示されています。

秋山優花里「戦車の展示は無いのでありますか?」

コレは大正時代に生産された「オートモ号」です。

科学技術の発展ってめざましいよね…ほんの20年くらい前はパソコンや携帯も普及してなかったもんね。
3Fは「大地を駆ける生命 -力強く生きる哺乳類と鳥類をみる-」です…動物の剥製ばかりありました。(写真無し)
それから「日本館」に行きました。

1Fは「自然をみる技」です。

2Fは「生き物たちの日本列島」と「日本人と自然」です。

ニイニイゼミとノコギリクワガタの分布です。

縄文時代から江戸時代にかけての日本人の進化について精巧な人形を用いて紹介しています。

3Fは「日本列島の素顔」です…海洋堂のミュージアム以上にリアルだよね。

隕石と琥珀です。

「のび太の恐竜」でお馴染み?の「フタバスズキリュウ」だよ。

昔は大型生物多かったのね…こわっ。

「日本館」側の建物は昭和5年に竣工し、ネオルネッサンス様式を基調としています。

建設当時の科学技術の象徴だった飛行機型のデザインを採り入れているため、展示室は“南翼”と“北翼”に分かれています。

「フーコーの振り子」とは、長い振り子(通常10m以上)の底に質量の大きいおもりをつけたもので、地球が自転していることの証明に使用されます。

この旧式の国会議事堂のような建物が「日本館」だね。
13:35ごろ「国立科学博物館」を出て…上野駅に向かいます。


近くに「野口英世」像がありました…1,000円の人ですよ~

銅像前面の標示石・敷石は昭和46年に会津会が設置したものです…野口英世は福島県猪苗代湖畔の農家に生まれました。

広場のようなトコに人が大勢いるな…と行ってみたら「台湾フェスティバル」がやってました。

イイねぇ、台湾フェスティバル…俺は台湾の「小吃」が好きだからさ。
また台湾行きたいな…知り合いが台中の方にいるんで、その間には行きたいとは思ってるよ。

五十鈴華「みほさんとゆかりさんはどこに行かれたのでしょうか?」
武部沙織「どこも行列ができてるから先に並んでおこうか?」
冷泉麻子「暑い…休みたい…」

ライチの種飛ばし大会?…ライチの種ってそんな大きかったっけ?中国に住んでたとき食べたことあったけど忘れちゃったわ。

コレは「小松宮親王像」です…明治維新後の「戊辰戦争」「佐賀の乱」「西南戦争」等の内乱鎮圧の指揮を執り、その後日本赤十字社の総裁を務めるなど、文武共に日本国に大きな貢献をなされた方です。

コレは「上野動物園」入口だね…俺、上野動物園って入ったこと無いと思うよ。

上野に「東照宮」なんてあったの知らなかったよ…寛永4年(1627年)「藤堂高虎」が上野の自分の敷地内に創建しました。
この鳥居は寛永10年(1633年)上州厩橋城主「酒井忠世」が奉納しました。

参道の脇に諸大名から奉納された石燈籠と奥に銅燈籠が並んでいます。

手水舎と神楽殿です。

コッチも手水舎かと思ったら中に鐘があるね。

コレは「唐門」で慶安4年(1651年)建築で、入口の柱には「左甚五郎(眠り猫も彫った)による金箔の昇り竜、降り竜の彫り物があります。

授与所の脇から有料(¥500)で「社殿」が見学できるので…せっかくなんで入ってみました。
樹齢600年以上の御神木「大楠」があります。

コレは「栄誉権現」です…御狸様とも呼ばれ、江戸時代に大奥など安置される各所に災いをもたらしましたが、 大正年間に東照宮に寄贈されてから災いが無くなったといわれています。

「透塀」に囲まれた「社殿」に入ります。

「社殿」は1651年(慶安4年)造営されました。

金色殿とも呼ばれており、参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の3つの部屋から構成される権現造りです。

御祭神は「徳川家康」公、「徳川吉宗」公、「徳川慶喜」公です。

コレは「唐門」の裏側かな?

コッチ側の彫刻もキレイだね。

旧寛永寺五重塔は動物園内にあります。

写真右は「上野大仏」です…ワケありでレリーフ状に顔の前面だけ安置された大仏なのです。

コッチのはタイとかにありそうな「パゴダ」という仏塔です。

コレは「花園稲荷神社」です。

この稲荷社は寛永の初め、天海僧正が寛永寺を草創の際に忍ヶ岡(上野恩賜公園一帯)の狐が棲み処を失った事を哀れみ、一洞をつくり、そこに祠を建てて祀ったものといわれています。

コレは「五條天神社」です…第12代「景行天皇」の御代「日本武尊」が御東征の際、上野の忍ヶ岡に大己貴命と少彦名命の両神をお祀りしたと伝えられます。

14:25ごろ上野恩賜公園を出ました…何度か来ていたけど初めて「国立科学博物館」「上野東照宮」などに行けたね。
当初の予定だと次は「目黒」に出て、ホテル雅叙園で明日まで開催されている「坂本龍馬展」を観に行くつもりで上野から山手線に乗ったんだけど…途中で行くのやめて品川から京急に乗り換えて帰っちゃった。
先週だったら江戸東京博物館で開催されていた(17日まで)「坂本龍馬展」とダブル龍馬展だったんだけどね。
このホテル雅叙園で開催中だった「坂本龍馬展」は高知の県立坂本龍馬記念館(現在リニューアル休館中)から出張して来てるからさ…俺は2009年2月に観に行ってるのと、入場料が¥1,500(高知は当時¥500だった)なので行くのやめたんだわ。
横須賀中央に16:00くらいに着いたけど…もうランチも終わってるし、できれば福引券がある店で食べたかったんで彷徨った挙句「花車」で、たこ焼き買って帰ったよ。
さて…明日は買い物とかあるけど、天気はどうなんだろ?


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GW史跡ハント~下野国

2017年05月02日 | その他国内旅行記
5月2日(火)
ココ(ネットカフェ)のフラットマットは大人2人でも寝れるくらいスペースがあったんで、よく眠れたよ…珍しくアラームで起きたわ。
なんか前日から風邪ひいたっぽいんだよ…多分、まだそれほど暑い気候じゃないけど、俺はいっぱい歩くから半袖Tシャツ1枚とかになるんだわ。
で、汗がひくと少し冷える…みたいな繰り返しで風邪ひいたんだと思う…

⑥下野国~宇都宮編
4:00に起きて昨晩買っておいたパンなどを食べ、5:00にチェックアウトしました。

5:00でも、もうこんなに明るいから動きやすいよね。

昨晩「西那須野」で友人と食べた餃子屋は、この「宇都宮餃子館」の支店だよ。

餃子の消費量が日本一ってのが「宇都宮」で、特にその餃子に何か特徴あるの?
最近じゃ「浜松」が消費量日本一の座を奪ったりしてるみたいだけど…やっぱ消費量だけで餃子としての特徴はコレといって無いのかね?

東口側から西口側へ出ました。

そして5:40ごろ「宇都宮城址公園」に着きました…写真右は歴史資料館「清明館」です。

右側に観えるのは「清明台」です。

左側に観えるのは「富士見櫓」です。
平安時代の後期より宇都宮氏代々の居城となり、関東七名城の1つに数えられています。

おほり橋を渡って…

堀沿いを歩いてみました…写真は「清明台」です。

また歩いて駅まで戻ります…写真は「宝蔵寺」です。

6:30「宇都宮」発のJR日光線に乗りました。

⑦下野国~日光編

7:15ごろ「日光」に着きました…2014年3月24日以来、約3年ぶりの「日光」ですね~
昨日「袋田の滝」を観て来たんで…その3年前は行かなかった「華厳の滝」を今回は観るために「日光」を旅程に組み込んだんだわ。
「華厳の滝」なんて小学6年の修学旅行以来だし、この後まず行く「東照宮」では前回改修中だった「陽明門」が3月10日より竣功したらしくてさ。

さぁ、行くぜよ「東照宮」は8:00開門らしいからさ。

東武日光駅です…帰りは東武に乗る予定。

奥に見えるのは「日光市役所支所」です。

コレは「日光物産商会」です。

「板垣退助」像と「二荒山神社神橋」です。

コレ、今も有料で渡れるのかね?

「神橋」は“日本三奇橋”(他は山口県の錦帯橋・山梨県の猿橋)の一つに数えられています。

7:45ごろ「東参道」より入山です。

参道を上がった先に見える「三仏堂」は、まだ平成大修理中なの?

コレは「日光山輪王寺」です。

コレは輪王寺の「大護摩堂」です。

7:55ごろ「東照宮」の入口に着いたけど…もう「石鳥居」まで行列ができてるじゃん。

「五重塔」と「表門」です。

「石鳥居」には「黒田筑前守藤原長政」と彫られているよ…「黒田官兵衛」の嫡男「黒田長政」の寄贈だよ、長政は「徳川家康」に仕えていたからね。
8:00すぎに入場券(¥1,300)を買って「表門」より入場しました。

コレは「中神庫」と「下神庫」です。

「上神庫」の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。

この神庫を総称して「三神庫」といいます。

「神厩舎」には「三猿」があるよ…神厩舎はご神馬をつなぐ厩(うまや)で、昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。

先には「陽明門」が見えるね。

コレは「御水舎」です。

コレは「輪蔵」です

「陽明門」は2013年から4年間かけて行われた「平成の大修理」を終え、3月10日から一般公開されています。

コレは「薬師堂」と「廻廊」です。

コレは「鼓楼」です…こういうトコに「桔梗」の紋があしらわれているので「明智光秀」が「南光坊天海」ではないか?という仮説があるんだよね。

コレは「釣燈籠」です…右のは何だろ?

コレは「鐘楼」です。

「平成の大修理」も約40年ぶりだったらしいので…それはさすがに俺が小学6年の修学旅行より前だったわ。

「陽明門」には故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。

「神輿舎」と「唐門」です。

「祈祷殿」と「神楽殿」です。

「奥宮」へ続く東回廊にある入口です…奥に「坂下門」があります。

「眠り猫」と…裏側には「雀」の彫刻があるよ。

参道?を上がって行きます。

狛犬と御宝蔵です。

「鋳抜門」の内側に「奥宮宝塔(御祭神:徳川家康の墓所)」があります。

家康は元和2年(1616年)4月17日に駿府で亡くなった後、遺骸は「久能山」の廟所へ埋葬され…翌元和3年(1617年)3月15日に遺骨を納めた棺は金輿に移され久能山を出発、4月4日に日光に到着し、盛大に遷宮の儀式が取り行われたようです。

コレは「奥宮拝殿」です。

「陽明門」と「唐門」のトコに戻って来ました。

小学校の修学旅行以来の「陽明門」だったけど、そんときの集合写真、雨でみんなカッパ着て写ってるよ…リベンジできたね。

「表門」から出て「東照宮」はコレまで。

「表門」の左下にあるのが参拝受付所(チケット売場)だよ。

「表番所」と「石鳥居」です。

大小便厳禁…って、大便は無いだろぉ?

「大猷院」と「二荒山神社」の入口です。

3代将軍「徳川家光」の墓所がある「大猷院」はこの奥です…前回観たんで入りません。

「常行堂」の裏に行ってみたけど…「南光坊天海」の墓はもっと奥なのかねぇ?

最初「神橋」に戻ってバスに乗る予定だったけど…9:30ごろ「総合会館前」近くから出て来たんで、ココでバスを待つことに。
9:51に来るバスがあるんで待ってたんだけど全然来なくてさぁ…バス会社に電話しちゃったよ。
やっぱゴールデン・ウイークの影響で道路が込んでて遅れてるんだとさ…
…で、バス来たの10:25くらいだよ…45分以上待ったからね、多分コレ9:41に来る予定だった「中禅寺温泉」行だったと思う。

11:08くらいに「中禅寺温泉」で降りたんだけど、ココが終点だったんで9:41のだったんだと分かったよ…本来俺が乗るはずだったのはこの先の「湯元温泉」行なんでさ。

こんな時間が押しちゃうとは思わなかったな…とりあえず、ココに来た目的だけは果たさねば

明治天皇がココから「華厳の滝」を観たんだって…って、ちょっと観えただけね。

「華厳滝エレベーター」に乗りました。(往復¥550)

エレベーターを降りてトンネルを抜けると「観瀑台」があります。

ココは場所そのものが20数年ぶりの「華厳の滝」だよ~
4月7日に「那智の滝」を観たばかりで、昨日「袋田の滝」そして今日「華厳の滝」…と、1ヶ月以内に“日本三大名瀑”制覇しちゃったね。

やっぱ晴れてるとイイよね…でも滝って正面のベストショット以外変わった写真が撮れないのよね。

岬明乃「わぁ、スゴイなぁ、華厳の滝
宗谷ましろ「私は小学校の修学旅行以来だよ」

売店もあるよ。

「華厳の滝」観たから…もう帰ります。

もう11:45…当初の計画だと11:25発のバスで日光駅に向かってなきゃいけなかったのに。

11:50にバス停(中禅寺温泉)に着いたけど…もう時刻表なんてアテにならんわ。
結局12:30だもん…バス来たの。

「いろは坂」を下って帰るよ…そんで東武日光駅で降りたの13:15すぎだよ。
計画よか1時間押しちゃってさ…12:22発のリバティ号に乗れなかったから、14:23発になっちゃった。
コレで計画より2時間遅れな上に、今も1時間ヒマになっちまったよ…

もう適当に近くをブラブラするしかなくなってしまった…

コレは「白山神社」です。

あらキレイなお花。

東武日光駅に戻って来たけど、まだ30分以上あるよ。

コレがリバティ号だよ…前はこんな特急じゃなく普通列車で浅草まで帰れたのになぁ。

トイレも広いぞ…男性用なんてガラス越しに立ってるのが見えちゃうね。

座席は指定でゆったりフカフカ。

とりあえず駅のカフェ?で買ったカレーパイを食べてました。

16:10ごろ「東京スカイツリー」で降りました。

そして「テレビ局公式ショップ」に行ってみたけど、特に欲しいモノも無かったわ。

まだ「スカイツリー」の展望台上がったこと無いなぁ…こういうのは彼女と…なんて言ってたら一生上がれないんじゃね?

岬明乃「あれなんかさっきの華厳の滝のような写真」
宗谷ましろ「華厳の滝は97mだけど、コッチは634mですよ」
16:50「押上」発の浅草線に乗って、そのまま「横須賀中央」まで帰って来たよ…もし計画通りにいけば14:30ごろから「江戸東京博物館」で特別展「没後150年 坂本龍馬」を観て帰ろうと思ってたのに、コッチに着いたときにゃもう16時過ぎてたんだから。

地元に戻ってから「平八」でラーメン食べて帰りました…ココは福引券もらえる店だからね。
さてさて…今回の戦利品は…

「自遊空間」で買ったエヴァのクリアファイルのみでーす。

今回は天気が良くてよかったよ…また6月には遠方の史跡ハントを計画してるけど梅雨があるからねぇ、7月に延期しようかなぁ。


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紀伊国~熊野三山と周辺めぐり Part.2

2017年04月08日 | その他国内旅行記
4月8日(土)
さて…今日は6:30チェックアウト予定なんで5:30に起床したよ。
そして昨日コンビニで買っておいたパンとオニギリを食べ…外を見てみると、もうソコソコ強い雨が降ってんじゃん。
せっかく靴と服と傘も乾かしたのに…もう濡れることになるのかぁ。

④和歌山県新宮市 Part.2編(2勝2敗)
昨日は熊野三山の「熊野那智大社」に行ったけど、今日はまず残す二山に行ってから和歌山市に出ます。
8:40「新宮」駅前からバスに乗るけど、その前にスグ近くで一山ハントできるんで6:30チェックアウトしたんだよ。

コレが宿泊した民宿で、素泊まり¥3,996(税込み)でした。

この後、最初に行くのはこの山の中なのかなぁ?

徒歩10分で「神倉神社」に着きました…熊野三山の一山である「熊野速玉大社」の摂社です。

社務所と世界遺産碑です。
『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は「神武天皇」が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であると伝えられています。

境内にあった摂社?です。

山上へは「源頼朝」が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない…って、この雨で?

538段…思ったよりキツくなかったなぁ、まだ半分くらいだろう?と思ったら頂上に着いたもんね。

熊野の神々は神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。

この手水鉢は新宮城第2代城主「水野重良」から寄進されたもので、幅1.9メートル、奥行き91.0センチメートル、高さ60.0センチメートル、黒雲母花崗斑岩の巨大な一枚岩を刻んで仕上げた江戸時代のものだそうです。
まだ民宿出てから30分ほどで靴もビショ濡れや…

山上には「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨岩が御神体として祀られているよ…熊野の神々が降臨したと伝えられています。

市内を見下ろす…って、ほとんど見えん。

「熊野速玉大社」の元宮なんだけど…こういう538段の石段とか巨石の御神体という神秘的な寺社を観るのは非常に興味深いね。

帰り(下り)の方が怖いなぁ…雨で滑らなきゃイイけど。

「御燈祭」という勇壮な火祭りが毎年2月6日に行われるんだって。

近くの「出雲大社新宮教会」も見てみました。

コレは稲荷社です。

「神倉神社」を出てから雨も一旦あがったよ…続いて徒歩で「熊野速玉大社」を目指します。

清涼寺と松巌院。

瑞泉寺と清閑院。

「神倉神社」を出て約10分後の7:30ごろ「熊野速玉大社」に着きました

“熊野三山”では新宮駅から徒歩でも行けるのがココ「熊野速玉大社」です。

コレは「手力男神社」と「八咫烏神社」です。

扇立祭舞台と忠魂碑です。

歌碑や記念碑。

コレは「熊野神宝館」です…像は「弁慶」みたい。

御神木「梛」と「熊野稲荷神社」です。

社務所と手水舎です。

コレは「神門」です。

新宮神社と恵比寿神社です。

写真右は「鈴門」です。

コレは「拝殿」です。

歌碑です。

参集殿と熊野御幸碑です。

世界遺産碑と授与所です。

佐藤春夫先生句碑です…って誰よ。
7:50「熊野速玉大社」を出ました…8:40発のバスまで、まだ50分もあるぞ
…ということで昨日ハントできなかった「徐福上陸の碑」のリベンジじゃい…って、駅まで少し回り道するだけだからさ。

「ことびき岩」と「八咫烏」だね。

写真右は昨日ハントした「新宮城跡」だよ。

ココも昨日ハントした「阿須賀神社」だよ…その脇道を入って行くんだけど…

昨晩、スマホで再チェックしておいたから場所もモノも分かってたけど…昨日もココ通ってたし、この灯篭みたいのも見覚えあるんだけど、まさかコレが上陸記念碑だとは思ってなかったみたいね。
また雨がけっこう強くなったけど…新宮駅に行き、8:40発のバスに乗りました。

⑤和歌山県田辺市編(2勝3敗)
次は“熊野三山”の最後(三山目)だけど…予定では「熊野本宮大社」までバスで1時間20分くらい掛かるみたいよ。
こんな天気なんでさ…バスも数人しか乗って来なくて、俺の前には台湾人のオバちゃんが座ってたよ。
途中、曇った窓ガラスを俺の横の窓も拭いてくれたんで「謝謝」と御礼を言ってから、少し中国語でお話しちゃった。
オバちゃんらは3人旅で来てるんだってさ…まぁ俺が1人で中国大陸をブラついてたのに比べりゃ日本は安全安心だわな。

10:00すぎ「本宮大社前」で下車しました。
 
平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになり…浄土へお参りし、帰って来るということは、死と再生を意味します、そのため“熊野三山”は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。

コレは「大鳥居」です。

鳥居をくぐって杉木立の中「熊野大権現」の奉納幟が立ち並ぶ158段の石段を上ります。

俺は中腹にある「祓戸大神」にちゃんとお参りしたよ。

コレは「手水舎」です。

「熊野本宮大社」は全国3000以上の熊野神社の総本宮です。

写真右は「宝物殿」です。

小さな幟がいっぱい刺さってるぞ。

「神門」をくぐり、奥の御社殿に入ってみると…

左端から③西御前(結宮・第一殿)夫須美大神 ②中御前(結宮・第二殿)速玉大神 ①証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神(素戔嗚尊) ④東御前(若宮・第四殿)天照大神 です。(番号は参拝順序なんだって)

正面が①証誠殿で、写真右⑤満山社 結ひの神(八百萬の神)
明治24年に現在地に遷されてから120年にあたる2012年には、正遷座120年記念大祭に合わせて御本殿の御屋根が葺き替えられたそうです。

コレは「拝殿」です。

「拝殿」前、左に「大黒石」右に「亀石」があります。

コレは「八咫ポスト」だよ…「八咫烏」は日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場します。
「神武天皇」が宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語です。
「神武天皇」が熊野に到着されたとき、神の使者である「八咫烏」が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する“導きの神鳥”として信仰されるようになりました。

ちょっと境内の外に行ってみました。

コレは「祓殿王子社跡」で…「熊野本宮大社」での参拝前にココで祓い身を清めていたことから「祓殿王子跡」という名前が付いているそうです。

また境内に戻り…社務所と授与所です。

帰り道は参道と平行?した山道が「熊野古道」らしいのでソッチを下って行きました。

右が行きに上がった参道で、左が今降りて来た古道だよ。

「八咫烏」はサッカー日本代表のシンボルマーク?だからね…キリンの自販機がココにあるのもうなずける?

11:00「熊野本宮大社」を出て…「大斎原」に行ってみます。

「産田社」参拝の前に大きな鳥居の方に行ってみます…って、順番は先に「産田社」だったみたい。

コレが「大斎原」の大鳥居で高さ33.9mは日本一らしいよ。

世界遺産碑です。

三本の川の中州にあたる聖地「大斎原」に社殿が建てられたのは、飛鳥時代(615年)のことでした。
明治22年の大洪水により「大斎原」は大きな被害を受け、明治24年に上四社が現在地(今の熊野本宮大社)へ移されました…って、今も湿地帯を歩いている感じだわ。

かつて「熊野本宮大社」があった「大斎原」には二基の石祠が建てられ、左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊をお祀りしています。
だから昔の人たちはココにあった「熊野本宮大社」に参拝しに来てたんだね。

平安時代に皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から「熊野古道」を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。
室町時代には武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました…男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。

「産田社」には伊邪那美命の“荒御魂”がお祀りされています。

「熊野本宮大社」には伊邪那美命の和御霊(にぎみたま)が祀られていて、ココ「産田社」には伊邪那美命の荒御霊(あらみたま)が祀られています…って何が違うの?
和魂と荒魂は元来一つの神の2つの側面を表したモノで、和魂(和御霊)は神様のお優しい温和な霊力を指し、荒魂(荒御霊)は勇猛さの反面、粗野でときには人に祟りを及ぼすような霊力であり、神の「怒り」を示しているともいわれます。

新たなものを生み出すパワーを感じる神社…らしいけど、何も感じなかったわ…

「熊野本宮大社」が移ってしまったから大鳥居だけ残っちゃった…ってことなのね。
まだ11:30かぁ…帰りは12:17発のバスなんで45分くらいあるなぁ。

なんか他に見るトコも無くて昼ゴハン食べることにしたよ…軽く「焼き飯(チャーハン)」にしました。

一応、雨やんでるんだけど…もうエエわ。
12:17発のバスに乗って向かったのは「紀伊田辺」だよ…だから今朝までいた「新宮」の反対側に出ることになるのね。

バスは14:00ごろ「紀伊田辺(駅)」に着きました。

駅前には「弁慶」の像があります…武蔵坊弁慶は『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと云われていますが詳細は不明らしいよ。

右は合気道創始者「植芝盛平」生誕の地碑です。

14:24「紀伊田辺」発のJR紀勢本線に乗り、15:33「御坊」での乗り換え(同じJR紀勢本線)があって「和歌山」に16:36着予定だよ。

⑥和歌山県和歌山市編(3勝3敗)
天候の勝敗は3勝3敗になったけど…朝から雨だと濡れた靴や服での移動だからさぁ、雨はやんでも冷たいのよね。
16:36ごろ「和歌山」に着いてスグ「和歌山城」に向かうんだけど、17:00までに入城しなきゃならないのよ。
駅前から16:45くらい発の路線バスに乗って降りる「公園前」まで何分掛かるか?そして下車後、天守まで何分で上がれるか?なんだよな~
バスは予定通りに出て、16:50すぎに「公園前」に着きました…あと7~8分で天守まで上がれるのだろうか?

(写真は一の橋大手門)
歩きながら電話して「17時ちょっと過ぎても17時半には退出するから入れてもらえないか?」問い合わせたんだけど、ダメだってよ…こうなりゃ自力しかないけど、どこから上がって行きゃイイんだ?
とにかく天守なんて上を目指しゃイイんだろ?と痛む足で早歩きだよ…そして何とか16:58くらいに入城券買えたよ。(¥410)
やっぱ独立した入城券売場だと時間通りに閉められちゃうだなぁ…コレが天守閣の入口での販売で、出入口共通だと若干時間過ぎても退出時間さえ守れば入れてくれる可能性が高いんだけどね。

「楠門(天守二の門)」と「天守閣」入口です。

中の展示品だよ。

甲冑。

銃と刀。

武器セット。

「真田丸」に出てきた「馬上筒(短銃)」はもう少し大きかった?

陣羽織ってヤツかな?

天守は連立式層塔型3重3階です。

天守から「二の門櫓」(左上)と「乾櫓」(右上)を望む。

さっき天守から見下ろした「楠門(天守二の門)」だよ。

この小さい建物が入城券売場です。

豊臣秀吉の弟「豊臣秀長」は1585年(天正13年)の紀州征伐の副将として参陣し、平定後に紀伊・和泉の2ヶ国を加増されました。
当時「若山」と呼ばれたこの地に秀吉が築城を命じ、自ら「吹上の峰」を城地に選定して縄張りを行いました。
普請奉行に「藤堂高虎」を任じ、1年で完成させました…この際に「和歌山」と改められたそうです。

1619年(元和5年)後に城主となった浅野氏は改易となった福島正則の後、広島藩に加増転封となり…代わって徳川家康の十男「徳川頼宣」が55万5千石で入城し、南海の鎮となる御三家の紀州徳川家が成立しました。

頼宣は兄の2代将軍「徳川秀忠」より銀5千貫を受領し、これを元手に1621年(元和7年)より城の改修と城下町の拡張を開始しますが、この改修が大規模であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであったといいます。

特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがあり、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石があります…模様は約170種類、2,100個以上の石に確認されていて、その大半が和泉砂石です。

紀州の徳川家からは8代「徳川吉宗」9代「徳川家重」14代「徳川家茂」が将軍になってるよ。

城内には約600本の桜が生育していて、ちょうど「和歌山公園桜まつり」やってたぞ。

コレは「伏虎像」です…江戸時代、和歌山城は別名「虎伏竹垣城」と呼ばれていました。
和歌山城の建つ山が虎の伏した姿に似ていたためと言われています。

「和歌山城」をハントした後は「紀州東照宮」や「和歌浦天満宮」に行けたら行こうと思ってたけど…曇りな分、陽が落ちるのが早そうな感じだったんで諦め、城周辺をもっと観てくことにしたよ。

また「大手門」に戻り…

今日は周辺を探索してネットカフェに行きます。

「天守曲輪外壁」がこんなキレイに見えるんだね。

この「御橋廊下」は江戸時代には藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた橋で、屋根を設けて外からは見えない造りになっていました。

奥に行くと「和歌山県護国神社」で写真右は「わかやま歴史館」です。(どっちも入らず)

雨ばっかの旅だけど…これだけの桜が観れただけでも良かったよね。(負け惜しみ?)

コレは「追廻門」です…って、また城内に入っちゃった。

あれコッチからも「護国神社」に続いてるの?

提灯に灯りが灯り始めたね。

コレは「歩兵第二百十八聯隊」の碑。

コレは「歩兵第六十一聯隊」と「歩兵第二百三十聯隊」の碑。

コレは「あゝ予科練」の碑。

もう参拝時間は終了しちゃったみたいね。

コレは「陸軍少年飛行兵」と「満蒙開拓青少年義勇軍」に関する碑みたい。

「和歌山公園動物園」です。

夜桜で花見客がけっこう来ていたよ。

雨はやんでるけど下がヌカるんでるからね…

重要文化財「岡口門」から出ました。

そして近くの「岡公園」に行ってみました…ココに「陸奥宗光」の像があるって知ったんで来たのに…どこにあんだよ?

もう日没タイムア~ップ

「和歌山城」もライトアップされてきたよ。

園内にあった「紀州徳川神社」です。

あんなにヌカるんだ園内を歩き回って発見できなかったとは…不覚。

コレは県庁前にある「徳川吉宗」の像です。

そこから約20分歩いてネットカフェ到着~

近くのガストで夕飯を食べて…20:00くらいにチェックインしました。
明日は5:34「和歌山」発のJR和歌山線に乗るのと、このネットカフェから駅まで4Km弱あるようなので…3時起きだな。


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紀伊国~熊野三山と周辺めぐり Part.1

2017年04月07日 | その他国内旅行記
4月7日(金)
6日(木)は1時間残業をして家に帰り…夕飯食って風呂入って21:30ごろ家を出ました。
今回の高速バスは珍しく「YCAT(横浜)」発じゃなく「川崎」発だったんで…22:30ごろ「京急川崎」で下車したんだけど、バス停に向かう途中からポツポツ雨が降り出してきたよ~
関東も雨予報が出てたけど…もう傘の出番か?と思ったら、何とか傘は出さずにバスに乗り込めたわ。
あと5分以上待ってたら傘差さなきゃダメだったかもな…屋根の無い路上でバス待ちだったからね。
高速バスは22:55発車し…都内(恐らく、新宿のバスタ)でも客を乗せて、3回パーキングでトイレ休憩を挟んで三重県に向かいました。
俺は窓側の席だったけど、隣(通路側)に座ったヤツが3回ともPAで降りてくれて良かったわ…俺はトイレ以外でもPAの土産店見るのも好きなんで、PAでは降りたい派だから窓側だと不便なのよ。

行きは「WILLER」を使ったんだけど…バスもキレイだし、こんなフードみたいのも付いてるんだよ。
計画では7:30「津」に着いて、スグ列車に乗って「松阪」に出る予定だったけど…どうやらこのバス、「津」の次は「松阪」にも停まるらしいのさ。
俺が乗車券買ったとき、「松阪」にも停まることになってたかなぁ?そうなってなかったから「津」で降りて列車(JRもしくは近鉄)で「松阪」に行く計画にしたと思うんだよね。
だから乗務員に降り先変更させてもらったよ…「松阪」へは8:10着らしいんで、予定よか10分くらい遅れちゃうけどさ。
そしたら8:20「松阪」に着いたんで…1時間くらいしか余裕なくなっちゃったわ。

①三重県松阪市編(1勝)
「松阪」でバスを降りたら目的地とは反対の近鉄側でさ…近鉄とJRを越えてかなきゃ。

JR側に出て…歩いて「松坂城」を目指します…って、雨降ってきてないよね?

コレは「継松寺」です。

ココはかつての三井家屋敷跡地に整備されたポケットパークで…「三井高利」が江戸日本橋に開業した呉服商「越後屋」の流れを汲む「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」より寄贈された「ライオン(来遠)像」があります。

ココは「三井家発祥の地」です…三井家の遠祖「三井越後守高安」は今の滋賀県鯰江の武将でしたが、1568年に主君の六角佐々木氏が「織田信長」との戦いに敗れたため、浪人となって今の三重県伊勢に移りました。
その孫が「三井高利」で、1622年「松阪」に生まれ、成人して兄の仕事を手伝うために江戸に出ますが、28歳の時に母・殊法の面倒をみるために一時帰郷、1673年に再び江戸に出て、現在の東京都中央区に呉服店越後屋(現「三越」)を開店することになります。

コレは「松阪商人の館」です。

「松坂城(跡)」を目指します…駅から徒歩圏内なのが助かるわぁ。

8:50「松坂城(跡)」に着きました~

「松坂城」は日本100名城の48番目だよ。

1588年「蒲生氏郷」により築城されました。

「蒲生氏郷」は小田原征伐の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て「若松城」に移りました…その後、会津には「上杉景勝」が移っています。

安土城の築城にも加わった「蒲生氏郷」ですが「松坂城」にも、このときの石垣作りが取り入れられています。

コレは「市立歴史民俗資料館」です。

桜も満開じゃん 城って桜多いよね。

左「月見櫓」跡、右「金の間櫓」跡です。

左「松阪開府之碑」です。

「本丸」跡の広場です。

左「敵見櫓」跡と…写真右を上がってみると…

「天守閣」跡がありました。

コレは「本居宣長記念館」です。

「本居宣長」は江戸時代の国学者・文献学者・医師です…映画監督「小津安二郎」は末裔らしいよ。

コレが旧宅?
さぁ、もう9:00過ぎてるから急いで駅まで戻らないと。

コレは「松阪市役所」です。

松阪市のマンホールなんだけど…最初、左の「うすい」を見て「何?うすいって、おすい(汚水)の間違いじゃないの?」って思ったんだけど、その後右の「おすい」もあったんで調べてみたら「うすい(雨水)」「おすい(汚水)」なんだね。

でも「松阪」のマンホールとしてはコッチ(松阪牛)の方が“らしい”よ。

予定通り9:24「松阪」発のJR紀勢本線に乗り、9:43「多気」で乗り換え(同じJR紀勢本線)ました。(写真右は何線だ?)
次の目的地「新宮」まで3時間40分(13:20着予定)もあるよ…寝られるかなぁ?

②和歌山県新宮市 Part.1編(2勝)
さて「多気(三重県)」から約3時間40分後、和歌山県「新宮」に到着しました~
今日と明日はココ「新宮」が拠点になるので宿泊もココでするよ…でもネットカフェが無さそうだったんで「民宿」を予約してあります。

次は14:21発のJR紀勢本線に乗るんだけど、約1時間の空きを利用して周辺の史跡ハントに向かいます

コレが新宮駅だよ…俺は「桃鉄」で昔から知ってた地名だよ。

まず最初に駅チカ(近く)の「徐福公園」に行きました…オーソドックスな中国の公園スタイル、この門構え…懐かしいな。

この「徐福」は中国「秦」時代の方士で…司馬遷の『史記』によると、秦の「始皇帝」に「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、「始皇帝」の命を受け3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかった…との記述があるそうな。

俺のイメージの「徐福」って「始皇帝」に呼び出され、あるかも分からぬ不老不死薬を探して来るよう無茶振りされたカワイソウなオジサンだったのよね。

ココの他にも「徐福」が上陸したと伝わる地が多くあるんだよ…「徐福」が上陸したと伝わる三重県熊野市波田須からは2200年前の中国の硬貨である半両銭が発見されているんだって。

この公園にある「徐福の墓」は、江戸時代の元文元年(1736年)に建立されたもので、紀州藩初代藩主である「徳川頼宣」が儒臣の李梅渓に「秦徐福之墓」の文字を書かせたものと伝わっています。

写真右は裏口かな?


次に向かったのは「丹鶴城公園」だよ…って「新宮城(跡)」のことね。
元この地に「源為義」と熊野別当の娘の子である「丹鶴姫」の住まいがあったので別名「丹鶴城」なんだって。

築城は1618年なので…大坂の陣以降だね。

築城主は「浅野忠吉」です…はじめ「織田信長」に仕え、後に浅野家惣領の「浅野長政」に仕えました。

イイ景色だね~

1619年、完成を前に浅野氏は備後三原の三原城(広島県三原市)へ転封し、「徳川頼宣(徳川家康の十男)」が紀州藩主として入国して以後、付家老「水野重仲(重央)」が城主となりました。

もう時間があんま無いんでザッと見て出ることにしたよ。

どこが本丸跡だとか分からぬまま「丹鶴城公園」を出ることにしました…その理由は周辺地図を見たら、見ておきたいトコがあったので。

ココは「阿須賀神社」です。

熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場の第23番です。

この近くに「徐福上陸の碑」があるんで来たんだけど…どこにあるのか分からんかったよ。

諦めて14:21発のJR紀勢本線に乗り、次の目的地「紀伊勝浦」に向かいました。

③和歌山県勝浦町編(2勝1敗)
14:43「紀伊勝浦」で下車しました…次に向かうのは熊野三山の一つ「熊野那智大社」だよ
駅前からバスに乗って行くんだけど、約30分待ち時間があるんよ…でも駅前はこんな感じ。

しかも…ついに雨が降ってきちゃったのよね~

駅前に足湯?がありました。

ただ待っててもヒマだし腹も減った…でもコンビニも無い…あ、フードの自販機発見
ホットドッグ(¥370)買ってみました…まぁ味はこんなモンやろ。

15:10発のバスに乗ったんだけど…途中、紀勢本線の2駅手前の「那智(駅)」も停まったわ。
いかにも「熊野那智大社」行きそうな人たちが「那智」で降りてたんで…「那智」からも行く手段があるのかな?と思ってたら、「勝浦」から出るバスが「那智」経由してたのかぁ。

15:30ごろ「大門坂駐車場前」で降りたんだけど…けっこう雨足強いって。

俺は敢えてココで降りて、少しでも「熊野古道」を歩いてみたかったんだけど…イヤがらせのようなこの雨。

写真右は「南方熊楠」が3年間滞在した大阪屋旅館跡だって。

新宮藩の関所跡だって。

「熊野那智大社」までけっこう歩くのかなぁ?

「熊野古道」といえば平安時代の女性の旅姿だね…晴れてたら若くてカワイイ古装女子がいたかも知れないのに。

夫婦杉を越えると上りになるよ…

右「多富気王子跡」です。

木に扉があるよ。

雨はさらに降り続く…

古道を抜けると…うわぁ、もうガスってんじゃんよ。

表参道を進んで行くと…

「熊野那智大社」の鳥居があります。

荷物や傘があると手水もできないよ。

振り向くとこんな感じ。

ココを上がれば「熊野那智大社」境内だよ。

コレは「宝物殿」です。

扉にある「八咫烏(やたがらす)」は熊野の神様のお使いである、三本足の烏です。

コレは「御縣彦社」です。

八咫烏はより良い方向へ導く、お導きの神様とされ「熊野那智大社」の境内にある「御縣彦社」でお祀りされています。

「拝殿」にお参りしたけど…裏の御本殿を観に行くの忘れた。

コレは「樟霊社」で樹齢約850年の樟を御神木として祀っています…「平重盛」の手植えと伝わっています。

幹が空洞化していて、護摩木(¥300)を持って通り抜けることができます。

隣の「那智山青岸渡寺」にも行ってみましょう。

青岸渡寺本堂は西国三十三所霊場の第一番札所としても有名な寺で…推古天皇の時代に創建され、天正18年に「豊臣秀吉」が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。
如意輪観世音を祀る本堂は桃山時代の建築様式を伝える建造物です。

右は「宝篋印塔」だけど…左は何でしょう?

「山門」の写真を撮るためだけに下に降りて行きました。

コレは青岸渡寺の「山門(仁王門)」です。

この「尊勝院」は青岸渡寺の宿坊なの?

コレは大黒天並びに六福神を安置した「如法堂」です。

鐘楼と…ココからも「熊野古道」につながってるの?

スゲェ霧で先に何があるのか?も分からず…行ってみるも「納骨堂」でした。

「三重塔」です…晴れてたら奥に「那智の滝」も見えたんだよ。

とにかく最後に「那智の滝」を観に行きます。

道標だけが頼りだわ…

ココが「那智の滝」の入口みたい。

那智山一帯は滝に対する自然信仰の聖地なんだね。

参道を下ると滝が見えてくるよ。

「華厳滝」「袋田の滝」と共に“日本三名瀑”に数えられているということは…「華厳滝」は小学校の修学旅行で観てるから2滝は制覇したね。
確かそのときの修学旅行も雨だった記憶が…
ちなみに「袋田の滝」はどこか知ってる? 茨城県久慈郡大子町だって…関東エリアだから秋にでも計画してみようかな。

「那智の滝」は総合落差では日本12位だけど、一段の滝としては落差日本1位なんだって~

前にあるのは「光ヶ峯遥拝石」です。

ココ「飛瀧神社」の御神体が「那智の滝」ってことなのかな?

今から戻れば「那智の滝前」から17:11発のバスに乗れそうだな。

予定よか30分早い17:11「那智の滝前」発のバスに乗ったよ…帰りは「那智駅」で降りてみるわ。

「那智(駅)」に17:28ごろ着いたんだけど、ちょうど17:33発のJR紀勢本線があって乗れたよ…コレ「紀伊勝浦」まで行ってたら乗れてなかったな。

17:51「新宮」に着きました…って、この列車じゃないよ。
それから歩いて15分くらいだったかな…予約していた民宿に着いたよ。
もう靴が濡れちゃったから靴下替えてもムダなんで、チェックイン後スグ近くにあった「すき家」で夕飯を食べ、コンビニで夜食と朝食を買って帰ったよ。
雨降るとホント疲れるよね…服が濡れたからエアコンをガンガンに点けてたら逆に暑くなり過ぎちゃった。
カメラも急に暖かくなったせいか?レンズが湿気で曇ってしまい、ピントが合わなくなってシャッターが切れなくなっちゃったもんね。(コレは乾燥したら直った)
テレビ観ながらウトウト寝てしまい…ちゃんと寝ようと思ったら民宿が居酒屋?もやってて、俺の部屋(1階)近くで電話してる客がいたり、店から話し声が聞こえて眠れなくなっちゃってさぁ、文句言ってやったわ。
明日の天気はどうなんだ?せめて曇りで雨は降らないように…もう傘も靴も乾かして準備してるんだぞー


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史跡ハント in 下総国~2日目・後編

2017年03月12日 | その他国内旅行記
3月12日(日)
「鹿島神宮」を出てからは千葉県(下総国)に入るので…字数制限もあって後編にしました。
⑧千葉県香取市編

13:45ごろ千葉県の「佐原」で下車しました。
ココから14:00発の「佐原循環バス」に乗って向かったのは…

14:20「香取神宮」に着きました。

参道を進んで行くと銅像がありました。

どちらも同じ「山村新治郎」の銅像なんだけど…佐原の商家・山村家の当主が代々襲名してきた名なんだって。

今回は「常陸國總社宮」「笠間稲荷神社」「鹿島神宮」とハントして来て、最後は「香取神宮」です。(写真は二の鳥居)

けっこう長い参道を進んで行くと…

コレは「三の鳥居」です…そして「総門」です。

コレは「楼門」で国の重要文化財です。

コレは「拝殿」で国の登録有形文化財です。

コレは「祈祷殿」で旧拝殿です。

ココには「宝物館」があります。

コレは御神木です。

「匝瑳神社」と「鹿島新宮」です。

「拝殿」と裏の「本殿」です。

楼門(裏・表)です…楼上の額は「東郷平八郎」の筆なんだって~

「佐原」に戻るバスは14:55発なんだけど、10分くらい前にバス停に戻って来ちゃった。

⑨千葉県香取市佐原編
修正前の旅程では17:40「佐原」に着いて、17:51発のJR成田線に乗るんだったんで「佐原」の滞在は考えてなかったし…時間を前倒ししたこの旅程でも接続さえ良ければスグ帰るつもりでいたんだよ。
だけど「香取神宮」から14:55発のバスに乗って、15:10「佐原」に着いてもJR成田線は15:56発でさ…約45分も空いちゃうんだわ。
せっかく旅程(時間)を前倒しても接続が悪けりゃムダな時間ができちゃうんだな…と昨晩のネットカフェで今日のタイムスケジュールを練り直してるときに思ったんだよね。
それなら、この「佐原」で45分で観れるトコ無いか?…と検索してたら、ココ佐原は「伊能忠敬」所縁の地なんだわ。
じゃあ、旧宅や記念館を観て45分ツブせばいいか…と旅程に組み込んだんだけど、行きに「香取神宮」に向かう途中の車窓から観た景色には驚いたよ。
…ということで、帰りのバスは駅まで行く手前の「忠敬橋」で降りました。

もうバス降りた目の前からこの町並みですよ~ 写真右の「正文堂」は明治13年(1880年)築だってさ。

写真右「中村屋商店」は安政2年(1855年)築だって~

コレは「伊能忠敬」の旧宅です…入場無料ですよ。

「伊能忠敬」は江戸時代の商人・測量家です…寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量して『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上初めて国土の正確な姿を明らかにしました。
香取市の「観福寺」と上野「源空寺」に墓があるそうです。

母屋は寛政5年(1793年)忠敬自身が設計したものといわれています。

「伊能忠敬家訓書」です。

「伊能忠敬先生之像」です…1801年の第2次測量で三浦半島にも来ているんだね。

まぁ「伊能忠敬」はイイとして…俺はこの「佐原」にこんな「川越」のような町並みがあったことに感動しているよ。

だから「伊能忠敬記念館」には入らず、この町並みをもっと観に行くことにしました。

俺、庭園とかは観ててもツマラなくて飽きちゃうんだけど…こういう町並みは飽きないねぇ、タイムスリップしたみたいな感じになり、当時に思いを馳せちゃうよね。

ほんの1時間ほど前まで知らなかった町並みだもんね…時間を前倒し、さらに「香取神宮」から戻った後「佐原」で50分くらい空いたおかげだわ。

写真左は「中村屋乾物店」で明治25年(1892年)築だって。
写真右の「三菱館(旧三菱銀行佐原支店)」は大正3年(1914年)築です。

写真右は「蜷川家具店」で昭和5年(1930年)の看板建築です。

写真右の「油茂製油謹製」で小瓶の「ラー油」1本買ってみたよ…俺、辛いモノ好きなんで。

写真右の白い壁の建物「旧油惣商店」は明治33年(1900年)築だけど、土蔵は寛政10年(1798年)築なんだと。

川沿いに和服着ている女子がいるぞ…

ちょっと風景の写真を撮ってから…

対岸に回ってみると…カワイイ子じゃあーりませんか。
特に聞かなかったけど…モデルで何かの撮影待ちだったのかなぁ?

写真左は「小堀屋本店」で明治25年(1892年)築。
写真右は「福新呉服店」で明治28年(1895年)築だって~

もっとゆっくり観たかったけど、15:30すぎ旧町並みを離れました。

ココは「諏訪神社」です…時間があれば境内に上がりたかったけど、ココ見つけるまで少し時間食っちゃっててさ。

近くの公園には…

「伊能忠敬」の銅像があります。

駅に戻る途中に「諏訪神社」の一の鳥居?がありました。

この観光案内所で行きに「佐原循環バス」の1日フリー乗車券を買ってたんだよ…¥500なので2回乗れば(通常1乗車¥300)お得になるので。

「佐原」15:56発のJR成田線に乗って16:27「成田」下車徒歩で「京成成田」に出て16:39発の京成線で17:32「青砥」着17:33発の京成押上線で17:39「押上」着17:41発の京急で18:51「横須賀中央」に着きました。
当初の計画よか2時間早く着いた上に、当日盛り込んだ「佐原」もハントできたのは大きな収穫だったよ~
朝30分早い列車に乗っただけで「大洗」で1時間15分前倒し…「佐原」から「香取神宮」に行くバスでは1時間50分前倒せてたからね。

今回の史跡ハントの戦利品です…

「大洗」で買った「ガールズ&パンツァー」のクリアファイルと戦車の容器に入った…珍味って書いてあるぞ、パケ買いなんで中身知らずに買ってたんだよ。
多分菓子でも入ってると思ってたんだけど…珍味?まだ開けてません。

「常陸國總社宮」で買った絵馬とお守りです…俺は「火の鳥」「陽だまりの樹」「アドルフに告ぐ」は今も所有してるからね。

「偕楽園」で買った「刀剣乱舞」のクリアファイルです…真ん中の小さいのは「チケットケース」で、スタンプラリー(JR2駅と施設1箇所)でゲットしたんだよ。

最後に「佐原」で買った「ラー油」です…今度、餃子とかラーメンに使ってみよ。

今年一発目の史跡ハントだったけど…天気も良かったし、計画も良い方向に修正ができて取りこぼしも無かったんじゃないかね?
そして約1ヶ月後の4月6日(晩に出発)から10日(早朝)帰りで超ハード史跡ハントに出る予定です。
もう行きと帰りの高速バスは手配済みでさ…あとは天気次第で翌週にスライドさせるか?だけど有休申請やバス乗車券のキャンセルや再手配もあるからね。
4月7~9日の天気が26日(日)くらいに分かればイイんだけどな…ちなみに目的地は近畿地方です。
では、その史跡ハントの前には「桜」を観に近場をブラブラしに行く予定だよ、お楽しみに~


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史跡ハント in 常陸国~2日目・前編

2017年03月12日 | その他国内旅行記
3月12日(日)
昨晩も0時には寝たけど…2時と4時に目が覚め…元々5時に起きる予定だったから、そのまま寝ずにいたよ。
昨日22時ごろには空調下げられてたんだけど、それでも上はヒートテック1枚で寒くなかったわ。
でもあまり眠れなかったのはリクライニングチェア室に替えたからかもな…最初はいつも通りマットブースを選んでたんだけど禁煙室じゃなかったんだもん。
それで禁煙室に替えてもらったらリクライニングチェア室しかなくてさ…ネットカフェって個室と言っても上は開いてるからさ、隣が喫煙者だったら絶対臭うだろうし。
…って、数年前まで喫煙してたくせに、他人の煙は大キライなのよね…
そしてまたブログ記事編集しながら昨晩買っておいたミスド食べたよ…コレで今日は朝ゴハン(早すぎだけど)食べて出動になるぞ。

コレらが俺がネットカフェ宿泊に使うアイテムだよ…1つは「じょうご」もう1つは「分配タップ」で、どっちも100円ショップで売ってます。
「じょうご」はネットカフェで飲み放題のドリンクをペットボトルに入れるために使います。
夏はペットボトル1本じゃ足りないけど…最初の1本くらいはネットカフェにお世話になってます。
「分配タップ」はスマホとデジカメバッテリーを充電する際、コンセントが1個、もしくは空きが無いときにコレを使って電源確保します。
デジカメバッテリーも純正の1個の他に予備を4個持ってるんだけど…そのうちの最初に買った予備2個はもうダメだ、また買い換えないと。
コレもどうでもイイ話なんだけど…ネットカフェだと通常はコンビニとかで立ち読みしても見ることのできない「袋とじ」を見ることができるよね。
今週号のFLASHに「坂口杏里(ANRI)」のグラビアが袋とじであったの見てビックリ…あんな乳首が長い子初めて見たわ。
ネットで「ディグダ」って書かれてて…「何のことだ?」と思ってよく調べたら、ポケモンGOのキャラでいました…なるほど、確かに「ディグダ」だった…
昨日のネットカフェで見たんだけど、再確認?で今日も…2度見しちゃったわ。

そして6:00にチェックアウトしたよ…12時間パックにしてるから7:45まで居られるけど、遅くても「水戸」7:40発の鹿島臨海鉄道に乗らなきゃいけないのでね。

南口にはビックカメラもあるんだね。

ネットカフェや映画館が入ってたビルには早朝から行列ができてたよ…若い女子ばかりだったけど何があるんだろう?

チェックアウト後は北口に行き、昨日時間の都合で断念してたトコに向かいました…昨晩ネットで場所も詳しく調べておいたし。

ココは「藤田東湖生誕の地」です。

「藤田東湖」は江戸時代末期(幕末)の水戸藩士、水戸学藤田派の学者です。

俺は「手塚治虫」先生の「陽だまりの樹」を読んでたんで知ってたよ…安政2年(1855年)“安政の大地震”で江戸の藩邸で震災に遭い、母を助けて自らは倒壊した家屋の下敷きとなって圧死したといわれています。

スムーズにハントできたんで、予定(7:40)よか1本早い7:09発の鹿島臨海鉄道に乗れるぞ。

「アクアワールド大洗」のラッピングだね。

振り向くともう1両ホームの中にいるぞ…って、売店だったのか。

2両編成の1両は昨日乗った「ひたちなか海浜鉄道」と同じ車両だな…コレはクリーニング店のラッピングだったのね、鉄道会社のキャラでウサギ使ってるのかと思ってたわ。

⑥茨城県大洗町編

7:25ごろ「大洗」に着いたよ…駅内にも「ガルパン」のポスターが

当初はバスまたはレンタサイクルの始業時間を考慮して「水戸」7:40発にしてたんだけど、「大洗」のガルパン聖地巡礼?は徒歩で早めに始めちゃおうと思ってさ。
それによって前倒しに史跡ハントができれば家に着く時間も早くなって明日が少しはラクになる…という目論見ですわ。
俺がネットカフェに泊まる理由は安さと、もう一つ…こういう直前の列車やバスの変更やルートの見直しなどが調べられるってトコね。
もし以後の計画も前倒しできたら空いた時間にハントできる史跡も見つけておいたんで…それはこの後の展開次第よ。


大洗駅前でーす…「ガルパン」のワンシーンも載せます。


駅前のイルカだよ…大洗の海でイルカ見れるの?

あ、ラッピングのクリーニング店あるじゃん。

とりあえず「ガルパン」で市街戦が行われた辺りに出てみることにしました…7:30に開店?するレンタサイクルもあるようなので。



市街戦が繰り広げられる回があるようで…適当に町内の写真を撮ってました。


この「肴屋本店」で7:30すぎに自転車(1日¥500)を借りました…ココは旅館なの?作品じゃ店先に戦車が突っ込んでるじゃん。



多分、この辺りのシーンかな?

時間的に開店前が多いけど、いろんな店にパネルが設置されてるんだね。

写真右はリアルにガレキがあるぞ。

「大洗マリンタワー」を背に自転車用道路を走ります。


そして8:00すぎ「大洗磯前神社」に着いたよ…坂道の参道を上がって行きます。

途中には小さな神社もあったけどスルーして境内に入ると…

「軍艦那珂忠魂碑」がありました。

艦名は栃木県、茨城県を流れる那珂川に因んで命名され、艦内神社は「大洗磯前神社」からの分祀なんだって…それでココに忠魂碑があるんだね。

万里小路楓「那珂は1944年2月のトラック島空襲で爆撃を受けて沈没しました」

コレは「神馬舎」と「随神門」です。

「御本社」です…このカエルは?

振り返って「随神門」の裏側。

「授与所」前には「ガルパン」の絵馬があるよ。

ヴィルヘルミーナ「戦車といえばドイツじゃろう」

そして聖地巡礼で訪れた多くのファンが絵馬を奉納しているんだね…横須賀の諏訪大神社もまだまだだな。

八木鶫「すごいですね…横須賀ももっと盛り上げないと」

大杉神社・水神社・八幡宮です。

「御本社」裏側…「本殿」かな?

大神宮・静神社・水天宮です。

コレは御嶽神社です。

「神饌所」には声優さんたちの絵馬?が飾られていたよ。

手水舎とその裏の石碑です。

鳥居の下に降りてみると…そこにも大鳥居がありました。

左側には「大洗美術館」、

右側には「魚来庵」があり、真ん中の小道を入って行くと…

「神磯鳥居」が見えます。

また境内に戻ります。

写真左は清良神社です…8:40ごろ「大洗磯前神社」を出ました。
次は9:00開館の「幕末と明治の博物館」を目指します。

その途中にあった「護国寺」です。

立派な三重塔があるね。

コレは「昭和維新烈士之墓」だって~

コレは「日召翁像」です…って、誰かと思って調べたら「井上日召」という戦前の右翼テロリスト集団「血盟団」、戦後の右翼団体「護国団」の指導者を務めた人なんだね…

8:55ごろ「大洗町 幕末と明治の博物館」に着きました。

入ってスグ右の方に「藤田東湖先生銅像」がありました。

「藤田東湖」は今朝、水戸で生誕の地をハントしてるね。

左「竹内勇之助」右「竹内成一」銅像です…どちらも茨城県の実業家?

「幕末と明治の博物館」前には創設した「田中光顕」の銅像があります…当時は「常陽明治記念館」という名称だったんだね。
入館料¥700またクーポン使用で¥500になりました…今は「ガルパン」グッズの提示でも同等の割引になるよ。

「田中光顕」が出迎えてくれます…「田中光顕」は幕末の土佐藩出身で「武市半平太」の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加しました。
明治の世で政界引退後は「高杉晋作」の漢詩集『東行遺稿』の出版、零落していた武市半平太の遺族の庇護など、日本各地で維新烈士の顕彰に尽力しています。
展示物は撮禁なので…どんな展示があるのか?はホームページでも観てくださいな。
さぁ、11:00「大洗」発の鹿島臨海鉄道に乗るんで、あと1時間半くらいだな…10:00開店の「大洗リゾートアウトレット」を目指します。
また「大洗磯前神社」の大鳥居前を通過し、海沿いをサイクリングです。

カキ小屋と…ガイドブックにも載ってた「かあちゃんの店」です。

「大洗海鮮市場」と「めんたいパーク」です。
9:45ごろ「大洗リゾートアウトレット」に着いたよ…早く開店しないかなぁ。

「ガルパン」トラベルガイド絶賛発売中


まだ開店前なんだけど、けっこう広いね。


「ガルパン」カーだね。

大洗まいわい市場「ガルパンギャラリー」に入りました…最初1階の「まいわい市場」に入ったら何もグッズが売ってないんだもん。

「はいふり」もグッズ売場は「ポートマーケット」にあったけど、もう閉店しちゃったもんな~

ファンの交流場は「さかくら総本家」5階にあるけど…もっとオープンな感じが欲しいよね~

あぁ…腹も減ったなぁ。


「大洗マリンタワー」も時間が無いのでスルーだな。

循環バス「海遊号」だね…当初はコレに乗って巡るルートも考えてたんだよ。
あと20分くらいでチャリ返して駅に戻らなきゃいけないのに…道分からなくなっちゃった。

それでも写真を撮り続ける俺…
何とか10:40くらいに自転車を返却し…急いで駅まで戻ったよ。
ココで乗り遅れると時間を前倒して来た意味がなくなっちゃうんでさ…


駅売店でもグッズ買う時間があった…良かったわぁ。

11:00発の鹿島臨海鉄道は2両中1両が「ガルパン」ラッピングだったよ~

ココまで来て言うのも何ですが…俺、ほとんど「ガールズ&パンツァー」観たことなくて、キャラの名前も1人も知らないのよね。

大洗まいわい市場「ガルパンギャラリー」でもらった「うまい棒」だけど…最近、問題?があって休業(数日)しちゃってたんだね、知らんかったわ。

⑦茨城県鹿島市編

12:00「鹿島神宮(駅)」に着きました。

駅名の通り、目指すは「鹿島神宮」です。

途中に「塚原卜伝生誕之地」がありました。

「塚原卜伝」といえばドリフ(カトケン?)のコントでもあったけど…若い頃の「宮本武蔵」が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込み、卜伝はとっさに囲炉裏の鍋の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めたとする逸話があるけど、2人の生きた時代がカブらないんでフィクションだね。

「鹿島アントラーズ栄光の碑」がありました…何たってクラブワールドカップ世界2位だもんね。

ココは「卜伝にぎわい広場」です。

鹿島の鹿ね。

「鹿島神宮」に着きました。

コレは「楼門」です。

コレは「宝物館」です。

本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は元和5年(1619年)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。

写真左は「仮殿」です…元和4年(1617年)社殿造営のため徳川2代将軍秀忠公が奉納しました。
写真右は「摂社 高房社」です…武甕槌大神の葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神が御祭神です。

「奥院」に向かう奥参道に入ります。

参道には杉が生い茂っているよ…写真右は「さざれ石」です。

「鹿園」もありました。

コレは「末社 熱田社」です。

コレは「奥院」です。

コレは…ナマズに乗った神サマ?

さらに奥まで行ってみると「要石」があります。

境内に戻ります…境内や参道ではNHK「塚原卜伝」の撮影が行われたらしいね。

戻って来たよ。

「授与所」では「神鹿おみくじ」が売ってたよ…昨日の「笠間稲荷(きつねみくじ)」と同じ理由で買わず。

拝殿と楼門。

コレは「稲荷社」です。

12:55「鹿島神宮」を出ました…次のJR鹿島線は13:23発なので余裕だね。

「塚原卜伝生誕之地」から駅方向を見たところ。

「鹿島神宮(駅)」にはアントラーズの歴代ユニフォームが展示されてるよ。

写真右の森が「鹿島神宮」があるトコかな?
13:23発のJR鹿島線に乗りました…最初の計画だと15時台の鹿島線だったんだよ。

さて…字数の制限があるので、この先の千葉県から後編でレポートしまーす。


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