9月2日(火)
今日で俺の「日本語教師」としての仕事が終わりました。
「2006年5月21日」に「青州」に来てから、約「2年3ヶ月」弱ですが、その間(済南校で約2ヶ月教えた学生も含め)およそ「550名」の中国人学生に「日本語」を教えてきました。
そして、約「550名」中、約「340名」くらいの学生が既に日本の大学に留学しています。
俺は日本では約10年「サラリーマン」をしていて、その後「日本語教師養成講座」に通い、「日本語教師」の仕事はこの「青州」の学校が「初めて」でした。
それまで「青州」という地名も知りませんでしたし(三国志や水滸伝を読んでいれば知っていたかもね)、海外で生活するのも「初めて」でした。
旅行で行ったことがあったのは「香港」「台湾(台北)」で、いわゆる「大陸」の方では「香港」に行ったついでに「広東省深圳」に数回行ったくらい(つまり中国の南方のみ)でしたからね。
でも「青州」は日本や欧米の食べ物がほとんど食べられない事を除けば過ごしやすかったし、生活に関して学校の対応も良かったと思います。
(1人部屋で家電が揃ってるし、水道・光熱費も学校持ち)
だから俺も1年の「契約」を延長して、2年以上続けられたんだと思います。
学校の「教育方法」「生徒募集」「学生管理」…などには「言いたいこと」も多々あるけれど、日本との「習慣」や「考え方の違い」ってモノがあるからね…
ま、それは俺が「口を挟む」ことじゃ無いからいいや。
俺が「日本語教師」として、この約「2年3ヶ月」弱の間にどれだけ学生達の役に立てたか…は分からないけど、俺としては充実した時間を過ごさせてもらったかな…と思っています。
各クラスでは最後の授業で皆に「連絡先(メアド)」を渡し、今後どれだけの学生と「繋がり」を持てるか分からないけど、またいつか日本で会えるのを楽しみにしています。
そして「日本語」が上手になって「大学」を卒業し、「日本語」が活かせる仕事に就いてくれたら嬉しいですね。
そういう成長した「教え子」に会えたりすると、「日本語教師をやってて良かった」と改めて思うのかも知れません。
だから、こういう「人に影響を与える仕事」って「やりがい」がありますね。
「サラリーマン」のような「アホ会社」のために働いたって、「給料」もらう以外に「楽しさ」なんて無いからね。
その「給料」が安い会社だったとしたら…「やりがい」も無く、「見返り(給料)」も少ない…
貴重な人生の掛け替えの無い時間を賭けるに値しませんね。
おっと、今日は「日本語教師」としての「総括」だったね。
この学校は「全寮制」で、日本の大学に「私費留学生」を送り込む「日本語学校」です。
「日本留学試験」の中国本土での受験が実施されていないため、中国まで生徒募集に来てくれる大学しか受験出来ないんです。
「地方大学」が多いんですが、現在「20校」くらいの大学を学生達は選べるようになっています。
でも「難易度」は各校違いますけどね。
学生達は「月~土」の「朝~晩」まで「日本語」だけ勉強しています。
日本に留学するには高卒以上の「学歴」が必要なので、生徒は「17歳~25歳(ほとんど20歳以下ですが)」です。
「日本人教師」の仕事は「1日4コマ(1コマ=45分)」で、主に「読み・会話・聴解」を中心に授業をしています。
俺の元々の目論見は「日本語教師」をしながら、「中国語」をマスターすることだったんだけどね…。
でも俺は「日本語教師」だし、中国人教師も半人前なので、学生や教師のためには「日本語」を使うことが多く、じっくり「中国語」を勉強することは出来ませんでした。
やっぱ「日本語」が通じない生活に身を置かなきゃダメですわ。
まぁ、とにかく「青州」というマイナーな地という事を除けば、中国での「日本語教師」として給料は低くなかったですし、マイナーな地だけに物価が安いんです。
そして教師だから?「休み」が長いんで、「旅行」も出来るしさ。
今後「日本語教師」をやってみたい人がいたら、是非この学校を紹介しますよ。
日本で「日本語教師」をやると多国籍のクラスで「直接法」で文法を教えなきゃなりません。
でも、この学校は短期間で習得させて日本に留学させるための学校なので、文法は主に「中国人教師」が「中国語」を使って教えています。
だから「日本人教師」の役割は非常に「楽」だとも思います。
今日は夜に俺の「送別会」を学校が主催してくれました。
今日はちょうど「新任日本人教師M先生(58歳男性)」が赴任して来たので「歓送迎会」ですね。
最初は「職務」で出席していなかった「校長」や「理事長」までも顔を出してくれて「お別れ」をさせてもらいました。
俺はこの学校しか勤めていないから、他の学校は知らないけど、この学校に勤めたことを後悔していません。
本当に皆「親切」だったし、楽しかったです。
相変わらず「一気飲み」でいっぱい「ビール」を飲まされました。
まぁ、これも最後だ…と我慢して飲みましたが…
学校に戻ってからは新任の「M先生」と「HA先生」と「3時間」ほど「M先生」の部屋で話をしました。
「M先生」はとても日本語教育に熱心な方だと思いましたが、肝心な学生が…
さぁ明日は1日「片付け」と「掃除」だな…
本当は「M先生(中国人男性教師)」と「濰坊」に行きたかったんだけど…彼はいつ「青州」に帰って来るか分からないんでね。
「火車(列車)」のチケットは「中国人女性主任教師」に旅行社に手配してもらうようにしましたが…ちゃんと取れるのかな?
「4日」の夕方に「済南」の「I先生」が遊びに来てくれるんで、「M先生」が帰って来れば…だけど「濰坊」は「4日」の日中に行ければと思っています。
明日の“カウント・ダウン『3』”は何の「ネタ」にしようか…
何か考えておきます。
今日で俺の「日本語教師」としての仕事が終わりました。
「2006年5月21日」に「青州」に来てから、約「2年3ヶ月」弱ですが、その間(済南校で約2ヶ月教えた学生も含め)およそ「550名」の中国人学生に「日本語」を教えてきました。
そして、約「550名」中、約「340名」くらいの学生が既に日本の大学に留学しています。
俺は日本では約10年「サラリーマン」をしていて、その後「日本語教師養成講座」に通い、「日本語教師」の仕事はこの「青州」の学校が「初めて」でした。
それまで「青州」という地名も知りませんでしたし(三国志や水滸伝を読んでいれば知っていたかもね)、海外で生活するのも「初めて」でした。
旅行で行ったことがあったのは「香港」「台湾(台北)」で、いわゆる「大陸」の方では「香港」に行ったついでに「広東省深圳」に数回行ったくらい(つまり中国の南方のみ)でしたからね。
でも「青州」は日本や欧米の食べ物がほとんど食べられない事を除けば過ごしやすかったし、生活に関して学校の対応も良かったと思います。
(1人部屋で家電が揃ってるし、水道・光熱費も学校持ち)
だから俺も1年の「契約」を延長して、2年以上続けられたんだと思います。
学校の「教育方法」「生徒募集」「学生管理」…などには「言いたいこと」も多々あるけれど、日本との「習慣」や「考え方の違い」ってモノがあるからね…
ま、それは俺が「口を挟む」ことじゃ無いからいいや。
俺が「日本語教師」として、この約「2年3ヶ月」弱の間にどれだけ学生達の役に立てたか…は分からないけど、俺としては充実した時間を過ごさせてもらったかな…と思っています。
各クラスでは最後の授業で皆に「連絡先(メアド)」を渡し、今後どれだけの学生と「繋がり」を持てるか分からないけど、またいつか日本で会えるのを楽しみにしています。
そして「日本語」が上手になって「大学」を卒業し、「日本語」が活かせる仕事に就いてくれたら嬉しいですね。
そういう成長した「教え子」に会えたりすると、「日本語教師をやってて良かった」と改めて思うのかも知れません。
だから、こういう「人に影響を与える仕事」って「やりがい」がありますね。
「サラリーマン」のような「アホ会社」のために働いたって、「給料」もらう以外に「楽しさ」なんて無いからね。
その「給料」が安い会社だったとしたら…「やりがい」も無く、「見返り(給料)」も少ない…
貴重な人生の掛け替えの無い時間を賭けるに値しませんね。
おっと、今日は「日本語教師」としての「総括」だったね。
この学校は「全寮制」で、日本の大学に「私費留学生」を送り込む「日本語学校」です。
「日本留学試験」の中国本土での受験が実施されていないため、中国まで生徒募集に来てくれる大学しか受験出来ないんです。
「地方大学」が多いんですが、現在「20校」くらいの大学を学生達は選べるようになっています。
でも「難易度」は各校違いますけどね。
学生達は「月~土」の「朝~晩」まで「日本語」だけ勉強しています。
日本に留学するには高卒以上の「学歴」が必要なので、生徒は「17歳~25歳(ほとんど20歳以下ですが)」です。
「日本人教師」の仕事は「1日4コマ(1コマ=45分)」で、主に「読み・会話・聴解」を中心に授業をしています。
俺の元々の目論見は「日本語教師」をしながら、「中国語」をマスターすることだったんだけどね…。
でも俺は「日本語教師」だし、中国人教師も半人前なので、学生や教師のためには「日本語」を使うことが多く、じっくり「中国語」を勉強することは出来ませんでした。
やっぱ「日本語」が通じない生活に身を置かなきゃダメですわ。
まぁ、とにかく「青州」というマイナーな地という事を除けば、中国での「日本語教師」として給料は低くなかったですし、マイナーな地だけに物価が安いんです。
そして教師だから?「休み」が長いんで、「旅行」も出来るしさ。
今後「日本語教師」をやってみたい人がいたら、是非この学校を紹介しますよ。
日本で「日本語教師」をやると多国籍のクラスで「直接法」で文法を教えなきゃなりません。
でも、この学校は短期間で習得させて日本に留学させるための学校なので、文法は主に「中国人教師」が「中国語」を使って教えています。
だから「日本人教師」の役割は非常に「楽」だとも思います。
今日は夜に俺の「送別会」を学校が主催してくれました。
今日はちょうど「新任日本人教師M先生(58歳男性)」が赴任して来たので「歓送迎会」ですね。
最初は「職務」で出席していなかった「校長」や「理事長」までも顔を出してくれて「お別れ」をさせてもらいました。
俺はこの学校しか勤めていないから、他の学校は知らないけど、この学校に勤めたことを後悔していません。
本当に皆「親切」だったし、楽しかったです。
相変わらず「一気飲み」でいっぱい「ビール」を飲まされました。
まぁ、これも最後だ…と我慢して飲みましたが…
学校に戻ってからは新任の「M先生」と「HA先生」と「3時間」ほど「M先生」の部屋で話をしました。
「M先生」はとても日本語教育に熱心な方だと思いましたが、肝心な学生が…
さぁ明日は1日「片付け」と「掃除」だな…
本当は「M先生(中国人男性教師)」と「濰坊」に行きたかったんだけど…彼はいつ「青州」に帰って来るか分からないんでね。
「火車(列車)」のチケットは「中国人女性主任教師」に旅行社に手配してもらうようにしましたが…ちゃんと取れるのかな?
「4日」の夕方に「済南」の「I先生」が遊びに来てくれるんで、「M先生」が帰って来れば…だけど「濰坊」は「4日」の日中に行ければと思っています。
明日の“カウント・ダウン『3』”は何の「ネタ」にしようか…
何か考えておきます。