史跡ハンター 臥龍

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コミケ➡甲斐「日本武尊」史跡めぐり

2018年12月29日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月29日(土)
今朝は4:00に起きたよ…まぁ俺は朝は(夜も?)強いんでね。
5:00少し前に家を出て、5:14発の上り列車に席が空いてなかったら…5:15発の下り列車で「京急久里浜」まで行って、5:27始発の上り列車に乗ろうと考えてたのね。
…そしたら余裕で座れたわ…コレが特急系の始発列車だったけど、やっぱこんな年末でもけっこう始発から乗る人多いんだね。(一部朝帰りもいたろうけど)
今日も「横須賀中央➡品川」¥640が¥520の切符を金券ショップで買ってたんで、JR山手線に乗り換えて「品川」「新橋」で“ゆりかもめ”に乗り換えて6:50「国際展示場正門」に着きました。

実は今回、企業ブースで買いたいモノが特に無くてさ…東エリアのサークルで買い物して、時間があれば西エリア(一部、東エリアの企業ブースも)に行ってみようと思ってたのよ。

東エリアから入るのも今年の夏コミのときと同じだな…でも始発で来てもこの込み具合だもんな~
7:10くらいから並び始め…「8:30ごろ列が動くまでにトイレとか済ませておくように」と言われてたんで、8:00にトイレに行っておきました。

トイレは分かるけど、何で手洗所にまで行列ができてんの?…そこまで小便した後に手を洗うって重要なことなワケ?
俺なんて当然こんなに行列ができてりゃ手なんて洗わんさ…それが何か?

こんな屋台まで出店しています。
8:30すぎたら列が移動するのか?…と思いきや、全然動く気配も無く、俺がいた列が動き始めたのって10:10ごろだったよ。
そして東館に入れたの10:25すぎてたわ…今日は元々13:00にはコミケ会場を出る予定だったけど、後のことを考えて1時間前倒そうとしてたのよね。
とりあえず、今日抑えておきたい「yamiチャン」と「伊織もえチャン」のブースにだけは行きたくて…まずは先着20名に特典があった「yamiチャン」のブースに行ってみたよ。
「東‐ネ‐35a」だったけど…東は当然今いるトコだし、ネもスグ行けたけど35番が探せなくてさ。
もう客でごった返してるんで…もうちょっと分かりやすいとイイんだけどなぁ。
そしてやっと「yamiチャン」を見つけたけど、もう大行列ができてたわ。
まぁ先着20名の特典は初めからムリだと思ってたけど…コレじゃいつ買えるか分からんぞ。
10:35ごろから並び始めて、写真集を買えたの11:15だよ…40分くらい並んだんだな。
今回も「yamiチャン」のサインもいただき、少し中国語で話してたら「中国人ですか?」って聞かれちゃった…俺のは拙い中国語なんだけどね。
あ、「yamiチャン」は上海出身のコスプレイヤーですよ…今、人気急上昇だぞ。

それから「伊織もえチャン」のブースに行ったけど…やっぱスゲェ人気だよな~
今年は「ヤングジャンプ」や「少年マガジン」の表紙・グラビアまで飾ったんだもんね。
俺に残された時間はあと35分か…でも、11:50にあと10分待っても絶対買えないと判断して諦めたわ。
…もえチャンの写真集もココ1年(昨年末のコスホリ、今年の夏コミ)買ってサインに一言入れてもらってたのにな~
今回は史跡ハントを優先する形になっちゃいました…最初の計画通り13:00に会場出るなら、あと30分くらい並べば買えたんだけどさ。
今日どうしても行っておきたい神社に、13:00会場出だと16:45ごろ着くんだよ。
それでも御朱印もらえると思うけど…もう大分、日も暮れてるんでさぁ、何か(事故とか)で到着が遅れたら、もうアウトだしさ。
でも列車の本数が無いから1時間の前倒しになっちゃうんだわ…30分くらいの前倒しで済めば、多分「いおりん」の写真集も買えたのになぁ、残念無念。
あとは1時間前倒した分、しっかり史跡ハントを成し遂げなければ…

12:07「国際展示場正門」発の“ゆりかもめ”に乗り、「新橋」からJR山手線に乗りました。

反対側ホームに着いた山手線が「ラブライブ!サンシャイン!!」ラッピングだったけど、目の前に来た俺が乗る山手線も「ラブライブ!」だったよ。

それから「東京」でJR中央本線に乗り換え「高尾」経由で15:45「酒折」で降りました。

やべぇ~山梨スゲェ風が強くて寒いぞ…

そして15:55ごろ「①酒折宮」に着きました…コレは「表参道鳥居」です。

境内入口です。

「酒折宮」は山梨県で唯一「古事記」「日本書紀」に記載のある古い神社です。

「手水舎」と「社務所」です…年末年始の準備をされていますね。
御朱印をお願いし…その間に境内を散策しました。

コレは「拝殿」です。

「日本武尊」が酒折宮を発つとき「塩海足尼」に「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし(ここに留まり国を開き民を育め)」と言われ、自身の身を救った「火打嚢(火打ち石を入れる袋)」を授けました。
「日本武尊」の御命を奉戴した「塩海足尼が」この「火打嚢」を御神体として御鎮祭したと伝えられています。
火打ち石は「金鑽神社」(御室山)に奉納されたんだよね。

コレは山縣大弐「酒折祠碑」です。

宝暦12年4月に山縣大弐が撰文、加藤翼の書による碑が建てられました。

こんなデカい「松ぼっくり」あったよ。

コレは本居宣長「酒折宮壽詞碑」です。

寛政3年1月に本居宣長が撰文、のちに平田篤胤の書による碑が建てられました。

コレは「連歌之碑」です…「酒折宮」は“連歌発祥の地”といわれています。
「日本武尊」が東夷征伐の帰りに「酒折宮」に立ち寄り、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で従者に問いましたが、誰も答えることはできませんでした。
しかし御火焚の者(たき火の番をしていた老人)が「かかなべて夜には九夜日には十日を」と片歌で答えたことが記載されています…この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされています。

コレらは摂社ですか?

御朱印は初穂料¥300です。

帰りは「東側参道鳥居」から出ました。

その近くに「山梨学院高等学校」がありました…今年の「夏の甲子園」出場校だね。

高校サッカーも県代表だったみたい。


16:14「酒折」発のJR中央本線に乗って…16:18に次の駅「甲府」で降りました。
早く「酒折宮」に行った分、余った時間は「甲府」でツブしますわ。

南口の「武田信玄」像です。

こんな自販機あったよ。

それから「舞鶴城公園」(甲府城跡)に行きました。

甲府城は「武田信玄」の居城ではないからね…信玄の居城は「躑躅ヶ崎館」(今は武田神社がある)だよ。

コレは「稲荷櫓」です。

コレは「稲荷曲輪門」です。

コレは「水溜跡」と「石切場跡」です。

武田氏滅亡後「豊臣秀吉」の命により甲府城は築城されました…関東の「徳川家康」に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。

コレは「小田切謙明の石碑」です。

“石垣の反りフェチ”からすると…まだまだ足りんね。

右の寺みたいのは「武徳殿」だって。

この石段を上がって行くと…

コレは「鉄門」です。

この塔は「謝恩碑」です…そこから見た「富士山」です。

コレは「天守台」です。

「天守台」からの景色です。

明治天皇も訪れているんだね。

コレは「本丸櫓跡」です。


16:55「甲府」駅に戻りました。

構内の「かふふ来の鐘」です。

JR身延線は奥なんだね…って、ヤベェ、Suicaで入っちゃってたよ。

17:21「甲府」発のJR身延線に乗り…17:42「小井川」で降りました。

そして、途中のセブンイレブンで夜食と晩ゴハンを買い…近くのブックオフで時間ツブしをすることにしました。
何とか1時間近く時間をツブし…19:00ごろ、ブックオフを出ました。
それから、今晩泊まるネットカフェの対面にあるデニーズに行きました。

「ごはんが進む。コク味噌ハンバーグ」を食べました…でもダメだ…21:00までは間が持たん。
20:10ごろ、デニーズを出て…近くのセブンイレブンで立ち読みしてました。

この木だけ白いモノがいっぱい実ってると思ったら、全部鳥だったわ。

そして20:36「快活CLUB田富店」にチェックインしました…今回は会員証持って行ってたよ。
俺、カード入れに会員証をまとめて入れてるんだけど、ネットカフェの会員証は10店舗以上持ってるんじゃない?
しかも全部、地方で会員になってるからね…けっこういろんな街のネットカフェ行ってるなぁ、コレは逃走犯みたいだぞ。
以前は「甲府」のネットカフェまでバスで行ったことあるけど遠いんでさ…明日はJR身延線に乗るんで「小井川」まで出て来ています。

シャワーは明日行くネットカフェで入ることにして…今晩は「ラブライブ!サンシャイン!!」第2期を観てました。
ナイト8時間だと…明日は4:35チェックアウトかいな…30分くらい延長するか?…それとも早く出て駅で時間ツブすかだな。


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上総国「日本武尊」史跡めぐり

2018年12月23日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月23日(日)
今日は3:40に目が覚めたんで…2時間くらい眠れたみたいだね。

コレが無人チェックインシステムだよ…コレ通さないと店内に入れないし、会計も全て無人です。

予定通り、6:15チェックアウトしました…まずはココ「高円寺」から歩いて阿佐ヶ谷の「神明宮」に行きます。
昨日はもう薄暗かったからね…冬は16:30くらいまでしか屋外はムリ、コレが夏なら19:00すぎてもまだイケるのに。

6:45ごろ「神明宮」に着きました…もう昨日、御朱印はもらってるんでさ、少し時間をツブしてから「中井」に向かうよ。

コレは「能楽殿」と「手水舎」です。

御朱印がいただける「神明殿」です。

コレは「北野神社」です。

コレは「猿田彦神社」と「瑞祥門」です。

「日本武尊」も元宮に祀られています…「日本武尊」との縁は昨日の記事を見てちょ。

昨日「拝殿」に参拝したんで…昨日、暗くて見えなかった「本殿(御垣内三殿)」を見ました。

また「瑞祥門」を出て…

コレは「御神木」の“夫婦けやき”です。

6:50ごろ「阿佐ヶ谷神明宮」を出ました…って、まだ早えぇ~

6:59「阿佐ヶ谷」発のJR総武線に乗りました。


そして、7:06「東中野」で降りました…穂香ちゃーん
これから歩いて「中井御霊神社」に行きます…駅なら「中井」からが近いんだけど、「東中野」から都営大江戸線1駅間(¥180)掛けるのイヤだし、時間もあるから歩いてるんです。

途中にあった「正見寺」です。

「笠森お仙の墓所」があるらしいんだけど…誰? 墓所に入ってみたけど、どの墓かも分からなかったよ。

途中の踏み切りで通った列車…ブレたけど、なんのキャラだ?

「八の坂通り」を上がって行くと…

7:45「中井御霊神社」に着きました。

鳥居の狛犬です…片側の犬はウンコしてるみたい。

コレが「拝殿」です…「中井御霊神社」は「日本武尊」の東征に従った常陸国鹿島神宮の神裔の一部がこの辺りを統治するようになり、祖神「武甕槌命」を祀ったことを起源としています。

左に「稲荷神社」、右に「三峯社、八雲社」があります。

社務所も9:00に開くか分からないんだよな…

ベンチがあったんで9:00まで1時間くらい座って待ってようとしてたら、8:00に宮司さんが出て来てさ。
掃除や祓詞?をされてました…おぉ~ちゃんとした神職者さんや。
8:20ごろ社務所に戻られる宮司さんに「今がチャンス」とばかりに御朱印をお願いしたら書いていただけました。(初穂料¥300)

8:25ごろ「中井御霊神社」を出ました…30分以上早く出られたぞ コレならこの後少し余裕ができるかなぁ?

中井駅に向かう途中には「林芙美子記念館」がありました。

ココは小説家「林芙美子」の旧家だったんだな。

まぁ当然この時間じゃ空いてないし、空いてたとしても入ってないけどね。

8:35「中井」駅に着きました。

8:40「中井」発の西武新宿線に乗り…

「高田馬場」でJR山手線に乗り換えました…「ラブライブ!サンシャイン!!」のラッピングだったよ。

それから「日暮里」でJR常磐線に乗り換えて、9:27「松戸」に着きました。
さぁ、これから上総国の史跡ハントに突入じゃ~…って、けっこうシビアなスケジュールなんでタイムロスは許されないぞ。

新京成はカラーリングがカワイイよね。

さぁ9:53「松戸」発に乗りたいんで、25分くらいで戻って来れるかなぁ?

川沿いを通って…

9:40ごろ「松戸神社」に着きました。

まず、御朱印をお願いし…境内散策です。(初穂料¥300)

「日本武尊」が東征の際に当地にご陣営を設けて従将の「吉備武彦」連と「大伴武日」連の方々と待ち合わせたため、『待つ郷』(まつさと)=『待土』(まつど)と呼ばれ、『松戸』の地名が生まれたと云われています。

右は「御神水」です。

「手水舎」の奥に鳥居が見えるな…ホントはアッチが参道なんだね…

「神楽殿」と摂社です。

コレは「潜龍橋」です…やっぱりまた正面から来なかったんだな。

はい、ココが一の鳥居だよね?
御朱印をもらって急いで駅まで戻ってみたけど、やっぱ9:53発には間に合わなかったよ…次は3駅先の「天王台」で降りるんだけど、10:14発って約20分待ちかぁ。
そしたら構内アナウンスで9:53発が遅れてる…と。
確かに都内にいたときにどっかで人身事故?とかあった…ってのは知ってたけど、何て幸運なのか?10:58に5分遅れで来てくれたよ。


10:13「天王台」で降りました。

そして10分くらい歩いて「柴崎神社」に着きました。

何かいろんな石碑があるな。

「手水舎」と摂社です。

「柴崎神社」は、「日本武尊」が征途の安全と武運長久を祈願するため御幣立したといわれています。

狛犬です。

御朱印は初穂料¥300です。

神亀です。

コレは「庚申塔」ですね。

10:30「柴崎神社」を出ました…って、また違う入口から入ってたんだな。

10:40「天王台」駅に戻り…10:50「天王台」発のJR常磐線「我孫子」で乗り換え「新松戸」でJR武蔵野線「南船橋」でJR京葉線に乗り換え…

12:00「蘇我」で降りました…JR武蔵野線が激コミだったんだけどさぁ、今日は中山競馬場で「有馬記念」があったからかね?

あ…雨が少し降ってきたなぁ…帰り時間があったらココで「担々麺」食べたいなぁ、だって「天使」なんだよ~

12:25「蘇我比咩神社」に着きました。

「蘇我比咩神社」は古記によりますと、「日本武尊」が東国地方を統一すべく勅命を受け「弟橘媛命」を始め多数の家来を引きつれ軍船に乗りて、千葉沖に差しかかったとき、風雨が強くなり船は進まず沈没の危険に遭いました。
このとき「弟橘媛命」は「龍神の怒りに触れた」とこれを静め和げんと同道して来た5人の姫達と共に身を海中に投じました…そして「日本武尊」は無事航海を続けられたのです。
身を投じた5人の姫の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり、この方がこの下の海岸に打ち上げられました…里人等の手厚い看護で蘇生することができ、無事に都に帰りました。
また里人達は「日本武尊」が日嗣の皇子でありながら東征の途中にて崩せられ皇位を継承するに及ばなかった事を聞き及び、その霊を慰めんと社を建て神として祀りました。

ココは珍しい「弟橘媛命」の従者(姫?)に縁があったんだね…またココの御朱印がヒドいらしいんで楽しみにしてたのよ。

まぁそれは最後に紹介します…12:30すぎに「蘇我比咩神社」を出ました。

12:45ごろ駅近くに着いてたんだけど、「担々麺」食べる時間が20分ってのが微妙だったんで…そのまま駅に行って、12:51発のJR内房線に乗りました。


そして13:07「姉ヶ崎」で降りました。

次に行く神社は駅から遠いな…こんな「ぼうき坂」なんて上がって行くの?

お~やっと着いたみたいだな。

コレは「随身門」です。

13:30ごろ「姉埼神社」に着きました。

アレ?向こうに鳥居がある…また違う入口から来たか?

社務所に誰もいないんで焦ったわ…ちょうど祈祷予約の電話が掛かってきて宮司さんが出て来たんで御朱印をお願いしました。(初穂料¥300)

正月が近いから?そういやさっきの「蘇我比咩神社」でさえ輪くぐり?あったもんな~

「日本武尊」が東征の際、走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭いますが、妃の「弟橘媛命」の犠牲によって上総に上陸することができました。
社伝では「日本武尊」が当社鎮座地の宮山台で「弟橘媛命」を偲び、風の神である「支那斗弁命」を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。

日本武尊の歿後、父である「景行天皇」は日本武尊の縁の地を歴訪し、ココに「日本武尊」を合祀したそうな。

コレは「浅間大神」です。

他にも摂社があったけど、雨も降ってたんで近くに行かず、ズームで撮っちゃいました。

御朱印をもらったとき、宮司さんに「鳥居の方から駅に帰れますか?」って聞いたら…コッチの方が近いって。
俺がスマホの地図アプリを頼りに「ぼうき坂」を上がって来たあの道は車で来る参拝客の道だって…

狛犬です。

コレは「三の鳥居」ってことかな?

地図アプリだとコレを道と認識してないんだな…俺はちゃんと徒歩ルートで検索してたのに。

コレが「二の鳥居」です。

コレが「一の鳥居」です。

鳥居のある参道から帰ったから帰りは早かったわ…行きは20分以上掛かったのに15分くらいで、13:50すぎ「姉ヶ崎」駅に着いたもん。

14:00「姉ヶ崎」発のJR内房線に乗り、14:26「千葉」で降りました。
次は14:41発の京成千葉線に乗るんだけど、京成線の駅がどこか分からなかったのに駅前でどっかの学校?の吹奏楽?の演奏でスゲェ見物人がいてさ…人がいっぱいでどこが駅の入口だか分からないくらいだったよ。

やっぱ新京成はカワイイよね、カラーリングが。

「京成津田沼」経由で15:38「公津の社」に着きました…さぁこの史跡ハント、最後の神社に行くよ

駅前15:50発のコミュニティバスに乗りました…今回、この時刻表に合わせた旅程を組むのがスゲェ大変で、結局最後になったんだよ。
もし最後が「蘇我」だったら「浜金谷」まで出て「東京湾フェリー」で帰るルートも考えてたんだけどね。

16:05すぎ「麻賀多神社」で下車しました…そこそこ雨降ってるわぁ、折りたたみ持って来てるけど面倒なんで差してません。

帰りのバス停は鳥居の近くです。

さぁ最後は成田のこんな辺鄙なトコまで来たんだぞ…

でも…御朱印は毎月1日と15日(8~14時)にしかもらえないの?

ココ「麻賀多神社」は「日本武尊」東国遠征の折に賜った「神鏡」「勾玉」を祀ったのが、そもそもの由来だそうです。
「日本武尊」が東征のためこの地を通ったとき、松杉生い茂る山に登って一本の大杉に鏡を掛け、西に向かって伊勢の大御神を拝んで戦勝を祈念しました。
そのおり里民から土地が悪くて穀物が実らないという嘆きを聞き、この鏡を祀れば豊作になることを告げました…そこで里民たちがこの鏡を祀ったところ、泉が湧き慈雨が降り、土地は開けて五穀豊穣の地になりました。
その後、応神天皇の時代、印波国(旧印旛郡一帯)の初代国造となった「伊都許利命」が霊夢を受け、杉の下より七つの玉を掘り出し鏡とともに祀って一社を創建(現奥宮)し、麻賀多真大神と称しました。
降って「伊都許利命」7代の孫「広鋤手黒彦」が推古天皇16年(608年)、現在の船形の地に「稚産霊命」を遷座して大宮殿(現本社)と称し、ここに本社と奥宮の二つの「麻賀多真大神」が成立しました。
しかし延喜18年(918年)、朝廷の宝物である「三種の神器」の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と同名であることを遠慮して「麻賀多神社」に改名したといいます。

コレは「本殿」でしょうか?

小さな摂社?がいっぱいあります。

コレは「天日津久神社」です。

コレは「凱旋紀念碑」です。

コレは「御神木」です…東日本一の大杉で樹齢千三百有余年、昭和10年、千葉県の指定記念樹第1号に指定されました。
パワースポットとしても人気のようで…スマホでも写真を撮って待ち受けに設定しておきました。

「日本武尊」はこの大杉に鏡を掛けて戦勝祈念したのかな?

16:20「麻賀多神社」を出ました。

まぁまぁ雨も降ってたんだけど…森の中で良かった?

創祀は「推古天皇」の時代だよ…「聖徳太子」を摂政にした日本で初の女性天皇だよね。

16:25に折り返して来るバスを待ってたら、もう1人神社にいたわ…もう俺しかいないと思ってたのに。
若いのか?俺くらいなのか?…不祥な女性だったなぁ…いつの間に来てたんだろ?
しかもバスに乗ったら会計の仕方知らなかったから…来るときはバス以外のどうやって来たんだか?

16:35すぎ「公津の社」駅に着き…16:43発の京成線に乗りました。

そして、17:45「京成高砂」で始発の京急接続の京成線に乗り…19:15ごろ「横須賀中央」に着きました。

帰りは吉野家で「牛チゲ鍋膳」を食べて帰りました…ずっとA3のランチョンマットケース持って移動すんの大変だったわ。

さて、今回の戦利品でーす。 (主に御朱印ですが)

まず「セーラージュピター」です…コレで全種(10種?)揃いました。

「マチ★アソビCAFE」でゲットしたランチョンマット(ペーパー)は「志摩リン」と「斉藤恵那」です。

フードをオーダーしてスグ渡されたんで…スグこのA3「ランチョンマットケース」を買ったよ。

ドリンクでゲットしたコースターは「志摩リン」と「各務原なでしこ」です…スタッフの神の手に感謝

缶バッジは自分で引きました…「志摩リン」と「犬山あおい」です。

コミケの企業パンフは中野ブロードウェイでもらいました…土曜に行くけど、今回何も買うモノ無いかも

御朱印です。

左「雉子神社(書置き)、右「白金氷川神社」

左「鷲宮神社」、右「渋谷氷川神社」

左「鷲神社」、右「大鷲神社」

左「(中井)御霊神社」、右「(阿佐ヶ谷)神明宮」

左「柴崎神社」、右「松戸神社」

左「姉埼神社」、右「蘇我比咩神社」です…やっぱお粗末だわ、コレやってくれた人は神職者じゃないよ、多分ただの管理人だと思う。
一応、コッチから言って¥300納めたけど…コレ、境内にスタンプ置いて「ご自由にどうぞ」でイイんじゃね?
最後に「麻賀多神社」の御朱印がゲットできなかったのは残念だったけど、あの大杉を拝めたのは良かったな。

今回2日間で12社いただきました…そして次週末、今年最後の史跡ハントで上手くいけば、さらに12社ゲットできる予定です。
この2日もだったけど、来週の旅程も何度も改訂を重ねているよ…この苦労して立てた旅程通りにハントできると気分イイんですわ。
でも…今回も両足裏に「水ぶくれ」ができ、筋肉痛がヒドいよ…家に帰ってスグに水抜き(ハサミで切っちゃう)したもん。
さぁ、また週末も超ハードで壮大なる史跡ハントの旅をお楽しみに~


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武蔵国「日本武尊」史跡めぐり~其の三

2018年12月22日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月22日(土)
今日は5:00に起きて、6:15家を出ました。
そしたら家から2~3分歩いたトコでカメラ忘れたの気づいてさ…慌てて取りに戻ったよ。
だっていくらスマホがあっても、やっぱ俺はデジカメ派なのでね…スマホはSNSに使う写真くらいしか撮らないよ。
でもフォルダは写真だらけ…って「川崎あや」チャンが毎日SNS(ツイッター)に写真をUPしてくれるんだもん。
…それはさておき、もう5分はロスしちゃったんでさ…今日は「京急久里浜」まで戻って始発の上り列車に乗るつもりだったけど、もう諦めてフツーに「横須賀中央」から上り列車に乗りますわ。
でも、元々少し余裕は持って家を出てたんで…駅に着いたら、ちょうど下り列車が来る6:32だったんだけど、階段を降りて来る人がいないから、まだ列車が来ていないと判断して急いで下りホームに上がったら間に合ったよ。
Suica残高も少ししか無いのは分かってたけど、改札入れる分(結局200円弱)が残ってたのも助かったな…チャージしてたら間に合ってなかったと思うし。
ドタバタしたけど、当初の計画通り6:47「京急久里浜」発の上り始発列車に乗りました…やっぱ「横須賀中央」に着いたとき席はほぼ埋まってたんで、この作戦は成功だね。
でも今日は「品川」までは出ません…先週(16日)「秋葉原」の用事(ムダ足だったけど)は済ませたからさ。
都内には出るけど今日は7:42「横浜」で東急東横線に乗り換え「武蔵小杉」で東急目黒線に乗り換え8:24「白金高輪」で降りました。

駅から10分くらい歩き…「白金氷川神社」に着きました。

今日と明日も「日本武尊」史跡めぐりだよ…コレは年末特別企画?として2週続けての史跡ハントで、今週末は都内~千葉です。
来週はまだネタばらししないでおきます…日程は29日~31日とだけ発表しておきましょう。

ココ「白金氷川神社」は「日本武尊」が東征の折にこの地に滞在し、「武蔵一宮氷川神社」を遥拝したことから、当地に氷川神社を創建したという伝承が残っています。
俺は「武蔵一宮氷川神社」にも8月に行ってるけど、「日本武尊」も遥拝するほどの神社だったんだね。

拝殿の右側には…

稲荷神社?がありました。

コレは「日露戦役紀念碑」です。

拝殿の左側には…

「建武神社」がありました。
まだ9:00まで20分もあるな…でももう見るトコも無いんでボケ~っと待ってることにしました。

社務所は9:00~かと思ったけど、開く気配も無いぞ。

どうやらココの住ネコのようだな…御朱印くださいよ。
待てないんで9:00にインターホンを押して、御朱印をもらいました。
コレなら8:50くらいに呼んでみても書いてくれたと思うな…見たら日付以外スタンプだったし。(初穂料¥300)

手水舎にもネコが水飲みに来てるし。

この石桶?は立派だねぇ。


次はココから歩いて五反田駅まで行く途中に1社あります…けど、俺、時間配分ミスってたなぁ、もう9:00とっくに過ぎてるのに「五反田」9:30発の列車に乗る計画になってるわ。
まぁとにかく、この都心にいる間は多少時間が押しても列車の本数もあるから何とかなるかな?

途中にあった「立行寺」です…「大久保彦左衛門」の墓があるんだって。
 
「大久保彦左衛門」は徳川家康に仕えた武将です…「大久保彦左衛門と一心太助の物語」は後に講談や講釈で知られるようになりました。

この「覚林寺」は「加藤清正」の位牌や像が祀られていることから清正公と通称される寺だそうです。

コレは「明治学院大学」の明治学院記念館です…他にもチャペルやインブリー館などの歴史的建造物があったんで、時間があったら校内に入ってみたかったな。(入れるのかな?)

そして歩き続けること20分以上…9:30すぎ「雉子神社」に着きました。

こんなビル?の中に入って行くの?

…って、ホントにビル?のロビーみたいなトコに神社があるじゃん。

「雉子神社」は、文明年中(1469-1487)当所に1羽の白雉が飛んで来て死にました。
その夜、村民の夢に甲冑姿の「日本武尊」が現れて「我を当所に祀れば国家を守護し、村民は安全に暮らせる」と告げて、白雉と化して飛び去りました。
そこで村民は死んだ白雉を埋めて、「日本武尊」を祀る「大鳥明神」と号す社を建てました。
そして江戸時代、徳川三代将軍「徳川家光」公(1604-1651)が鷹狩りの折、白雉が当宮に入ったのを追って社前に至りました。
神社の名前を尋ねられて、村人が「大鳥明神」と答えたところ、家光公は「これからは雉子宮と称せ」と命じられて「雉子神社」になったそうな。
参拝後に御朱印を授かったんだけど、書置きってこともあってか?「お代は取っていません」とのことで…コレなら、もっと賽銭入れてあげれば良かったかね?

脇には「三柱神社」ってのもありました。

「手水舎」もケースみたいになってるよ。

初めて見るタイプの神社だったね。

そして9:45「五反田」発のJR山手線に乗って…「渋谷」で降りました。
ココからが大変だった…地図アプリが上手く機能せず、自分の現在地がよく分からなくなってエラい時間をロスしちゃったよ。

やっと10:15すぎ「渋谷氷川神社」に着きました…最初の計画だと9:55ごろには着いてるはずだったから、20分は押してるぞ。

渋谷から徒歩でこんな風景があるのも不思議だけど…土地柄か?付近が若者が学校?に行く通学路にもなってる感じだったな。

ココは毎月15日限定で、縁結びの御朱印がいただけるようです…ご祭神に「素盞嗚尊」と「稲田姫命」の夫婦が祀られていることから、縁結びのご利益があると言われています。

とりあえず先に御朱印を頼みました…御朱印は毎月?異なるっぽいよ…渋谷だから?初穂料¥500でした。

「渋谷氷川神社」の創建は不詳ですが、「日本武尊」東征のときに「素盞嗚尊」を勧請したと伝えられています。

コレは「神楽殿」です。

秋葉神社の脇に昔は「本殿」があったみたいね。

多分、道を間違えなければ渋谷駅から着くのはコッチの参道だったんだな。

さて…できれば10:38「渋谷」発のJR湘南新宿ラインに乗りたかったけど、駅構内を工事してんだか?迂回させられて間に合わず。
計画通りなら10:12「渋谷」発だったんだけど、それはムリでも10:38発には乗りたかったな…だって次は埼玉県の「鷲宮」まで行くんだもん。
もう次のJR湘南新宿ラインは11:02発なんでさ…最終的に「鷲宮」に着く時間は同じだけど、少し安くなるんで10:52発の半蔵門線に変えるために、また混雑のなか改札まで行きました。
そしたら俺は別の改札から入ってて、途中話がよく分からなかったけど、もう入場料は発生してしまう…ってことで、またJR湘南新宿ラインのホームまで遠回りで戻るハメになったわ。
同じJR渋谷駅で何でICの入場が取り消せないんだろうね…ワケ分かんねぇよ。
そして11:02発のJR湘南新宿ラインに乗り…12:00「久喜」で降りました。
10:12発に乗る計画が50分遅れにまで膨れたか…最後に行く1社が間に合うか心配だよ。
それから12:18発の東武伊勢崎線まで時間があったけど…「立ち食いそば」が無かったんでメシ抜きだわ。

東武伊勢崎線は「館林」まで行くんだよね…『宇宙よりも遠い場所』聖地めぐりしたの5月の入院前だったな~

12:26「鷲宮」に着きました…ココでは26分しか時間無いのに3分くらい遅れて着きやがってさ。

でも、目的地が駅から10分も離れていなかったから助かったよ。

12:35「鷲宮神社」に着きました。

ココでは久々にアニメ聖地御朱印帳も出し、「日本武尊」のと2冊分御朱印もらうんで…先に社務所に依頼してからその間に境内を見て、拝殿に参拝しました。(初穂料¥500)
さて…「日本武尊」御朱印帳の片側最終頁に本日4社目の「鷲宮神社」が入りました。

「鷲宮神社」との所縁は「日本武尊」が当神社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀したそうな。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く…歴史上有名な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされました。

境内には多くの摂社がありました…「姫宮神社」と「鹿島神社」です。

コレは「八幡神社」です。

コレは「諏訪神社」です。

明治天皇も来ています。

「力石(徹)」じゃないよ。

アニメ聖地としましては「らき☆すた」の主人公4人のうちの双子の姉妹「柊かがみ」と「柊つかさ」の家の舞台となったのが「鷲宮神社」だそうな。

コレは「光天の池」と「久伊豆神社」です。

コレは縄文時代の「鷲宮堀内遺跡」の碑です。

この神社、鳥居が無いな…と思ったら、今年の8月に老朽化?で倒壊しちゃってたみたいね。

ココで若干余裕を持ってたんで12:23発計画が12:59発と36分遅れにまで縮めたぞ…って影響あるかなぁ?

12:59「鷲宮」発「久喜」「草加」13:40「谷塚」で降りました。

運良く13:45駅前発の東武バスに乗れました。

そして13:55ごろ「草加記念体育館」で降りました…帰りは黄色矢印から乗って帰ればイイんだな。

途中には「毛長川」なんてありました…薄毛に効果アリ?

14:00すぎ「花畑大鷲神社」に着きました。
バスは10分も乗ってないし、神社までも10分も歩いてない…コレは14:24発のバスで戻れるかも知れないぞ。
もし、それに乗れれば計画では14:03発に乗るんだったんで、21分差まで縮められるよ。

境内では…こんな時期に祭りやってたのかね?

「花畑大鷲神社」は社伝によると、当地(花又村)の人々が東国平定を行った「日本武尊」への報恩感謝の意を込めて、本陣があった当地に「日本武尊」をお祀りしたとあります。

「日本武尊」が駐屯した地で賊を征討したことに感謝した民が祠に祀ったとも、「日本武尊」の魂が死後に白鳥と化してこの地に舞い降りた後に神社が創建されたとも伝わっているそうな。

御朱印を頼んだら先客(夫婦?)が2人バラで御朱印帳持ってやがったせいで、出来上がりが遅くてさ。

神社出たの14:20になっちゃったよ。

しかも出た後、また地図アプリの誤作動でタイムロスしちゃってさ…小走りしちゃったよ。
先のバス停にバスが着いたのが見えたけど、まだ(バス側の)信号が青になってないんで急いだら…バス停の近くに中学校があって、そこの学生とか他にも乗客がいたんでギリ間に合ったわ。
コレで僅かな差で間に合わなかったら…また20分チョイ待たねばならなかったからね。

そして、14:35「谷塚」駅に着きました…もう走ったんで汗ビッショリだったわ。


それから、14:41「谷塚」発の東武線に乗り…14:46に2駅先の「西新井」で降りました。
今度は少し駅から遠いけど歩いて約20分弱で「島根鷲神社」に着きました。

この地図アプリ、入口がある方にナビしてくれないんだもんよ…着いたら壁だったぞ。

グルっと回って正面へ…

コレは「手水舎」です。

「島根鷲神社」は社伝によれば…往古、入江の中で島の根の様に出た景勝地であった当地は諸神が船で上陸した場所とされ、「日本武尊」が神々を尊び祀ったと伝えられ…この事績から日本武尊を称え「大鷲尊」「浮島明神」と称されました。

御朱印を社務所にお願いし…境内を散策してみました。

コレは「靖國平和塔」だって。

鷲神社鳥居?

じゃあコレも「鷲神社」なの?

コレは「島根富士浅間大神」(富士塚)だって。

コレは何の記念碑だ?

そして奥まったトコに…コレは「日本武尊」像?

コレは江戸幕府八代将軍「徳川吉宗」公が御成りになり、座られたという「将軍石」です。
悪魔将軍が座った「将軍石」の方が人気出そうだけどな…

コレは「神楽殿」です…毎年11月の二の酉の日に「島根神楽」が奉納されるそうです。

奉納される「島根ばやしお神楽」は無形民族文化財です。

御朱印の初穂料は¥300でした…コレから「西新井」駅に戻れば、15:37発の東武線に間に合うぞ。
15:20ごろ、少し雨の降る中「島根鷲神社」を出ました…次の15:48発でも次の目的地には間に合うけど、早歩きすれば15:37もイケるかな。

「草加」経由で足立区に来たけど…ココでも「草加せんべい」売ってるんだね。

ちゃんと間に合い15:37「西新井」発の東武線「茅場町」で東西線に乗り…16:40「阿佐ヶ谷」で降りました。
東西線じゃなく、秋葉原からJR総武線という方が5分くらい早く着いてたんだな…でも料金は東西線ルートの方が少し安かったからイイか。
こうやって計画から変動があると時刻表を調べながらの移動になるし、駅からのルートも地図アプリ頼みなんで…スグにスマホの充電が切れちゃうんだよ。
モバイルバッテリーの容量が小さいから、もう2本目使っちゃってたわ。

16:45「阿佐ヶ谷神明宮」に着きました…ココは駅から近くて助かったな。

17:00閉門らしいんで、スグに御朱印をお願いしました。(初穂料¥300)

ココは今年の初詣でも来ていた神社なんだけど「日本武尊」に関係があったなんて知らなくてさ。

もう暗いけど参拝もせず御朱印だけもらうのも変なんで参拝しました。

「神明宮」は「日本武尊」が東征の帰途、阿佐ヶ谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐ヶ谷北五丁目一帯)に一社を設けたのが始まりだそうです。
ココは、もし明日来ることになると…まず8:30にココで御朱印を授かってからのスタートになるんで一歩出遅れてしまい、後のスケジュールのどこかを削らなきゃならなくなるんだよ。
だから、どうしても今日17:00までに着いて御朱印だけはゲットしておきたかったんです。
16:55「神明宮」を出ました…社務所だけじゃなく、門も17:00に閉めるんだって~
明朝はヒマなんで、また参拝だけしに来るよ…高円寺のネットカフェから時間ツブしに早朝散歩だな。

それから「阿佐ヶ谷」「新宿」経由「原宿」で降り…ラフォーレ原宿の「セーラームーンストア」に行って、最後に発売になった「ジュピター」を買って全種集まりました。
17:30ごろ「ラフォーレ原宿」を出ました…コレでもう全種揃ったんで来ることも無いな。

こんなオシャレな街、俺には相応しくありませんので…
そして「原宿」「新宿」経由で、17:58くらいに「中野」に着きました。

ちょうどホームに「立ち食いそば」店があったんで入って、13時間ぶりの食事です。
この後、20:00くらいに食事しに行く店を決めてあるんで「かけそば」にしたんだけど、その後来た人が「もう終わりなんです」って断られててさ。
18:00で閉店だったみたいね…券売機が無い?んで変だとは思ってたんだけど、閉める間際だったのかぁ。

18:15ごろ「中野ブロードウェイ」に行きました…何年ぶりだろ?
最近はヤフオクやフリマアプリでフィギュアとか買っちゃうからさ…
2、3、4階をブラ~っと見て、19:30ごろ「中野ブロードウェイ」を出ました…買おうか考えたモノもあったけど、結局何も買わなかったわ。

「中野ブロードウェイ」からトボトボ歩き…19:55「マチ★アソビCAFE」に行きました。

お…何か会員制の秘密倶楽部の入口みたい。

ココは期間限定でいろんなアニメとコラボした飲食ができるカフェで…12月18日~1月14日まで「ゆるキャン△」が開催されています。
過去に「ガルパン」や「はいふり」でも開催あったっけ…?お店は知ってたけど、来たのは初めてだよ。
今の期間は「ゆるキャン△」「ゾンビランドサガ」「となりの吸血鬼さん」とかが開催されてたけど…「ゆるキャン△」以外知らないし、「ゆるキャン△」目的で来てるんでね。

まずはフードとドリンクを…フードは「ボルシチ」、ドリンクはアルコールVer.「志摩リン」を注文しました。

「ボルシチ」はアニメ4話で、リンちゃんが霧ヶ峰の「ころぼっくるひゅって」で食べたメニューですね…ドリンク付¥1,300もアニメと同じ設定。

デザートは「スモア」と…2杯目のドリンクはノンアルの「各務原なでしこ」を注文しました。

フードではランチョンマットがもらえるんだけど「志摩リン」と「斉藤恵那」でした…ドリンクでもらえるコースターは1杯目「志摩リン」を注文したときに「リンちゃん」で、2杯目「各務原なでしこ」を注文したときに「なでしこ」をゲットというスタッフの引きに感謝ですな。
ランチョンマットはA3(紙製)だったんで…スグ「ランチョンマットケース」買ったわ…でもA3は翌日持ち歩くのも面倒だったぞ。

コレが「ゾンビランドサガ」ですか?

混雑するときは整理券で順番待ちになるみたいだけど…夜だから入れたのかな?

会計のときブラインドの缶バッジも2個買ってみました…「志摩リン」と「犬山あおい」をゲットです
21:25「マチ★アソビCAFE」を出ました。
それから歩いて、21:45ごろ高円寺の「自遊空間」にチェックインしようと思ったら、無人になっちゃってて…会員証忘れちゃったから新規会員にならなきゃダメだと。
また入会費払うのアホらしいんで、もう1軒のネットカフェ「コミックバスター」に行くことにしました。
そしたら、またこのアプリのアホが裏通りにナビしやがってさ…分からないんで店に電話しちゃったじゃんかよ
せっかく着いたのにココも会員証忘れは再入会と言われたんで、元々セット料金が安かった方の「自遊空間」に結局戻って、22:17にチェックインしました。
会員証持って行かなかっただけで、エラい面倒なことになったわ。
このチェーンにも導入されてるらしいけど、やっぱアプリ会員にしちゃうのが一番イイよね…いちいち会員証持ち歩くの面倒だしさ。
ブースに入ってから着替えたりして落ち着いてから「ラブライブ!サンシャイン!!」の第2期を観ようと思ったら、多分そのチャンネルに加入していないのか?「視聴できません」だってよ。
仕方ないんで今日のブログ記事編集しようとしたら、キーボードが全く反応しなくてさ。
こういうとき、無人の店は困るよね…最初「ココに掛けてください」っていう番号に掛けても出なかったし。
キーボードを換えてもらってブログ記事編集ができたわ…マンガは特に今読みたいの無いんだよなぁ、読みたいのは買ってるし。
はぁ…まだ23:00すぎなのに大イビキで寝てるヤツが近くにいるわ…水かけてもイイ?
1:30ごろ編集の手を止め、寝てみることにしました。
明日は8時間パックにするため、6:15にチェックアウトだな…


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相模国「日本武尊」めぐり~ラブライブ!

2018年12月01日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月1日(土)
今日は6:30に家を出ました…でも行き先は「横須賀中央」駅じゃなくてJR「横須賀」駅です。
いつもけっこう早めに家を出てるんだけど…25分で着くんだな。

早く着いたので、また「ヴェルニー公園」に行ってみました…特にいつもと変わらない光景だね。

他にヤルこと無いんで駅に入りました。

7:16「横須賀」発のJR横須賀線に乗り…「大船」経由で、8:17「国府津」に着きました。
最初、旅程を作ったときは「二宮」で降りて「吾妻神社」に行ってから「国府津」に出る計画だったんだけどさ…御朱印も無さそうだし、もうハント済の神社なんで今回はスルーしました。
「日本武尊」東征のとき、三浦半島の走水から海路、上総へ渡ろうとすると、突如として暴風が起こり…船もろとも海中に沈むかと思われました。
そのとき妻の「弟橘媛命」は夫に代わって海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため海に身を投じるとたちまち海は静まりました。
その後、海辺に流れ着いた櫛(くし)を吾妻山山頂に埋め、祀りました…その場所が「吾妻神社」だと伝えられています。
その海岸は今も「袖ヶ浦海岸」という名で残っていますね…「櫛」なのに「袖」とは如何に?

そして8:31発のJR御殿場線に乗りました…この御殿場線は初めて乗るな。

8:46「松田」で降りました…対面が小田急線の「新松田」駅なんだね。
9:10「新松田駅前」発の箱根登山バスに乗るまでに1箇所行くトコがあるのよ…

8:55ごろ「寒田神社」に着きました。

とりあえず時間が無いんで…社務所で御朱印(書き置き)をいただき(初穂料¥300)…

「拝殿」に参拝してスグ出ました。
どうにか9:10発の箱根登山バスに間に合ったけど…もう満員で乗れたの乗車ドア付近だったよ。
このバスは「関本(大雄山駅)」経由で、その先まで行く(俺もその先に用があるから関本で乗り換えせず助かる)からか?登山の格好した乗客がいっぱいで…「関本」でも大して降りず、逆にそこそこ乗って来て、また満員になったわ。
「ヤマノススメ」の影響か?…は知らんけど「関本」のさらに先から「○○山」?の登山口ってのがあるんかね?

9:35ごろ、俺は「足柄神社前」で降りたけど…他に誰も降りないし、登山客らはもっと先まで行くみたい。
近くにいたオジイさんが席を譲ってくれてたけど、さすがに自分より年配者からは奪えないんでさ…ずっと25分立ちっ放しだったよ。

バス停の前にこんな石段があり…多分ココを上がって行けばイイんだろうと進んで行くと…

「観音堂」がありました。

とりあえず境内に入って、まずトイレを探したよ…バスに乗る前にしたくてコンビニに入ったら、トイレに先客がいてさ。
バスに間に合わなくなると困るから、そのままバスに乗って来ちゃってたからね…って、中に簡易トイレがあったけど、開かないようになってんじゃん。
もうその裏で小便したけどさ…歳のせいかトイレが近くなったと感じるココ1~2年。

そしてコレが「拝殿」ですかね。

裏側の「本殿」も見れます。

古事記によると「日本武尊」東征の際に足柄峠で食事中、峠の神が尊を害そうとして白鹿の姿に化けて近づいたといいます…尊は白鹿を怪しみ、蒜を一つ白鹿の方へ投げたところ目に当たり、白鹿は絶命したといいます。
神社の由緒では「日本武尊」東征の折りに足柄峠で道に迷った際、足柄峠の神が白鹿に化身して尊の前に現れ、道案内したという話になっています…そしてそのことからこの地に足柄明神を祀ったとされています。
その後、足柄峠を登った尊は相模湾を望みながら亡き妻「弟橘媛命」を偲んで「吾妻はや」と嘆きました…このことから足柄峠よりも東を「あづま」というようになったといいます。

コレらは「石祠」です…12基あるみたい。

壊れた鳥居?

コレは護衛艦「あしがら」の説明板だね…コレが設置されたニュースはタウン誌で見て知ってたよ。
護衛艦「あしがら」の艦内神社はココ「足柄神社」の分祀なんだね。

行きは通らなかった鳥居を出て…9:55、バス停まで降りて行くことにしました。

この辺りはミカン農家?が多かったな。

帰りのバスは10:33発…ココには約60分の滞在時間はあったけど、社務所も無い神社だから御朱印も無い(知ってて行ってる)し、近辺で他に(景色くらいしか)見るトコも無いんで降りて来ちゃったんだよ。

降りて来たトコは「苅野駐在所前」って1つ手前(帰りは1つ先)のバス停じゃん…ココで降りても行けたんだな。

バス停で約30分待ってバスに乗りました…もう30分なんて待つの苦じゃないからね~
このバスは「新松田駅前」まで行かない「関本」が終点なんだけど…ちょうど「関本」から10:40発「新松田駅前」行きが出た後に着いちゃってさ。
11:00発まで約20分あるんで周囲をブラブラしてみることにしました。

スグ近くにあるのが伊豆箱根鉄道「大雄山」駅です。

駅前には「金太郎」の像がありました。

近くのローソンでパンを買ってから、11:00「関本」発の箱根登山バスに乗りました。
次は「松田」11:16発のJR御殿場線に乗れれば良かったんだけど、乗車中にムリと判断して(次は11:40発)途中の「松田小学校」で降りて…また「寒田神社」に行きました。

今回は駐車場側から入ってみました。

何でまた来たか?と言うと、後で調べて見落としてた史跡が1つあったんだよ…この「腰掛石」です。
ココにも「日本武尊」が東征の際に立ち寄ったという伝説があり…暫くご滞在の史跡地として名高く、社前を流れる酒匂川は尊が東征の幸先を祈り、この川に酒を流して帰還の折にも酒の香が残っていたので「酒匂川」と名付けたと伝えられています。

さっき参拝したんで今回はしません。

左右の狛犬です。

参拝も御朱印もさっき済ませてたけど、この再来は時間が余ったからで…基本、先に済ませられることは、できるだけ先に済ませておくのです。

11:25すぎ「寒田神社」を出ました。

そして、11:35「松田」駅に着きました。

ホームからも「富士山」が見えました…途中でももっとよく見えてたけど、建物や電線とかがジャマなんだよな~

12:15「御殿場」に着きました。

まずは「御殿場市観光協会」に行き…レンタサイクルを借りました。

駅脇の「ポッポ広場」にD52がありました…「メーテル~っ

せっかく「富士山」がよく見えるのに建物がジャマ。

まず着いたのが高尾山「穂見神社」です。

この「穂見神社」ってのも、いろんなトコにあるみたいね。

俺が参拝しに来たのは隣?にある「吾妻神社」です。

コレが「拝殿」です…主祭神は「弟橘媛命」で、「日本武尊」は東征の帰路、足柄峠を越えてこの地「吾妻原」にて野営し、弟橘媛命を祀ったのが始まりのようです。

賽銭箱に御朱印の案内がありました…近くの製菓店で貰えるの?

そして境内には「御殿場発祥の地」碑があります。

その横には「御殿場東照宮」の石碑があります…ココに「徳川家康」の御殿があったので「御殿場」という地名になったそうな。

コレは「徳川家康公御殿土塁跡」です…家康の晩年に建設命令があったため、この御殿を使用することはなかったらしいけどね。

12:45「吾妻神社」を出ました。

左が「穂見神社」で、右の奥に「吾妻神社」があります。

そして大通り?に戻ったトコに「大田屋製菓店」があり…「吾妻神社」の御朱印だけ貰いました。
初穂料¥300と¥800の2種類があったけど、俺は¥300の方にしました…¥800のは賽銭箱に案内のあった「富士」「鷹」「茄子」も描かれています。

この後、もう1箇所「日本武尊」史跡の神社に行きます…昔はどこからでもキレイに「富士山」が拝めたんだろうな。

しばらく自転車を走らせ…森の中に入って行きます。

紅葉もしてるね。

13:10ごろ「二岡神社」に着きました。

なんか学生?が映画だかPV作ってるんだか数人で撮影してたよ。

コレが「拝殿」?です。

「拝殿」の中に入れます…特に何も無いけど。

左の写真の方に傘を置いて何かやってる学生?が写ってるでしょ。

コレは「石灯籠」です。

左側の「手水舎」と??です。

右側にも同じモノがありました。

「日本武尊」東征のとき、この地において…二岡に「木花之開耶姫」、四岡に「天津彦火瓊々杵尊」の社を建立したのが始まりといい、その後一岡から七岡に分散していた神々を「平将門」がこの二岡の地に合祀したものと言われています。

この「忠魂碑」には、二岡出身の死霊十五柱の方々が祀られています。

この神社…映画・ドラマ・CM撮影地としてもよく使われているそうで…
黒澤明監督の『七人の侍』・北野武監督の『座頭市』・中居正広主演『私は貝になりたい』・ドラマ『JIN』・au秋のトビラ「三太郎の出会い」などだそうです。

この映画やドラマの撮影地ってことは行く前から調べてて知ってたけど…帰ってから知ったのは「心霊スポット」だってことね。
まぁ俺は全く霊感が無いんでさ…「心霊スポット」という先入観も無かったんで何も無く、13:30ごろ「二岡神社」を出ました。
社務所も無い無人神社なので、御朱印はありませんが…せっかく自転車があるんで来てみました。

もう「御殿場」13:21発のJR御殿場線には間に合わないので、次の13:58発に変更しています。

13:45ごろ「御殿場市観光協会」に自転車を返却しました…2時間未満なので¥500で電動アシストが借りれて良かったわ。

まだ少し時間があるんで駅脇の広場を見てみました…SLが有名なの?

富士火山弾だって…噴火したらあんなのが降ってくるの?

13:58「御殿場」発のJR御殿場線に乗って…14:31「沼津」に着きました。
次は14:50「沼津」発のJR東海道線に乗らなきゃならないんで…15分くらい駅周辺を見に行ってみました。

「ラブライブ・サンシャイン」のカフェですね。

ラッピングバスも停まってました。
そして14:50「沼津」発のJR東海道線に乗り、「熱海」経由で15:26「根府川」で降りました。
ココ無人駅だったんだね…「沼津」からちゃんと¥670払って乗って来て損したわ。(冗談よ)
「何で根府川?」かと言いますと…さっきまで「ラブライブ・サンシャイン」の沼津にいたけど、俺が好きなのは「ラブライブ!」なんすよ。
「ラブライブ!」はアキバ周辺が聖地なんだけど…2ndの11話で「μ’s」の9人がココ「根府川」駅に来てるんです
では、アニメ本編の順で紹介しますと…9人で海に来て、そこで大会(ラブライブ)が終わったら「μ’s」も終わりにすることを3年生に伝えます。
皆が泣き出しそうになるのを遮って「穂乃果」が「終電に間に合わない」とダッシュ…皆も後を追って走り出します。


そして着いた駅が「根府川」でした。


終電に間に合わない…ってのは「穂乃果」のウソでした。


今はICタッチする機械は中央に無いね。


ダッシュして息を切らすメンバーたち。

皆で記念に写真を撮ろう…と提案する「穂乃果」、それは外にあった証明写真機でした。(コレは当時から設置はなかったみたいよ)


写真を撮ってホームに向かうメンバーたち…アニメシーンは俺の一押し「えりち」です。


この駅、初めて降りたけど…高架で上の方に出入口があるんだね。


「μ’s」の9人以外誰もいないホーム…今も俺しかいなかった。


ホームで込み上げてしまい…全員で号泣でした。(家でDVD観てた俺も)

15:46「根府川」発のJR東海道線に乗りました。

16:00「国府津」で降りました。

「ハイスクール・フリート」のJR東日本スタンプラリーで来て以来だな…そのときは、この「NewDays」でクリアファイル貰ってたね。

歩いて海岸に出ようとしてたんだけど…どっからでも出れるワケじゃないんだな。

西湘バイパスの下をくぐって海岸へ…ココが最初「μ’s」の9人が来た浜辺です。


初めは海岸ではしゃぐメンバーでしたが…


1人それを見つめる「穂乃果」が意を決します。


9人で手をつなぎ夕日を見ながら…


「穂乃果」をはじめ、2年生と1年生の6人が打ち明けます…大会(ラブライブ)が終わったら「μ’s」も終わりにすることを…


そして「穂乃果」が泣き出しそうになるメンバーを遮って「終電に間に合わない」とダッシュ…皆も後を追って走り出します。
その後、この「国府津」の海岸から「根府川」駅までダッシュ…何キロ走ったんだ?というツッコミは無しにしましょうね、今さら。

それから16:44「国府津」発のJR東海道線に乗って…「大船」経由で17:53「横須賀」に着きました。
今日は神社2社の御朱印が戦利品です。

どちらも書き置きですが、左「吾妻神社」(日付は自分で記入)、右「寒田神社」です。
もしかしたら年末年始にもう少し西まで行くかも知れないよ。


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武蔵国「日本武尊」史跡めぐり~其の二&アニメ

2018年11月24日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
11月24日(土)
今日は都内に出る計画を立て…そのついでに、また都内の「日本武尊」史跡めぐり(御朱印集め)をして来ました。
都内に出ようと思ったのは「ゆるキャン△STORE ~みんなで冬キャン! in 渋谷マルイ~」が11月16日~25日まで開催されてるからで…ちょうど23日~「ご注文は○I○Iですか?? in Shibuya」(ご注文はうさぎですか??)も始まってさ。
まぁ大して買うモノは無いんだけど、今日なら忘年会の集合(16時)まで時間があるし…出掛ける用事はできるだけ日曜より土曜に済ませておきたいからね。
今日は7:15に家を出たわ…いろいろ回るんでさ、16時前に「北久里浜」に着いてなきゃいけないと、こんな時間から出なきゃならなくて。
…で、下り列車に乗って「浦賀」まで行ったわ…最近、都内に出るときは少し早く出ても「浦賀」や「久里浜」発の始発(上り)で100%座って行くようにしてるんでね。

今回、購入した切符なんだけど…金券ショップの自販機で①横須賀中央→泉岳寺 ②品川→横須賀中央 を買ったんだけど、どっちも¥520(①は¥710→¥520 ②は¥640→¥520)で…見たところ行き先も記載がなく、同じ切符っぽいけど有効期限が11月30日だったんだよ。
でも、ちゃんと改札入れたな…もうどっちが行きの「泉岳寺」行き(降りたいのは浅草橋だけど、京急線内でしか使えないから一度改札を出る)のつもりで買った方か分からなくなっちゃったわ。

「横須賀中央」から下りの列車(浦賀行き)に乗ったら新型車両だったんだけど…よく見たら片側だけあるボックス席にはコンセントまで付いてたんだね。
7:57「浦賀」発の上り列車に乗って…一度「泉岳寺」で改札を出たんだけど、ちゃんとあの切符で出られたな。
そして、また5分後くらいに来た列車に乗って…9:27「浅草橋」で降りました。

9:30ごろ改札を出て…階段を上がったトコにある宝クジ売場で「年末ジャンボ」を、とりあえず連番10枚買ったよ。
ココは今年の「サマージャンボ」も買った(同じく連番10枚)んだけど…何と¥3,000+¥300=¥3,300で元が取れたのね。
それで今回も買って…前回は家に帰ってから封筒に入れた「酒列磯前神社」の金運お守りをスグ封筒に入れたよ…コレで¥3,300以上間違い無し(な~んて)
で、「浅草橋」で降りたのは宝クジのためじゃなく…

9:40に着いたのは「鳥越神社」です。

「日本武尊」が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀り、その後「白鳥村」と呼ばれたこの地に白雉2年(651年)、村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされています。

能褒野に葬られた「日本武尊」の魂は、白鳥となって飛び立って行った…という伝説があるんだよ。

この前(10月27日)は近くの「榊神社」には行ったんだけど、「鳥越神社」はチェックから漏れてたんだよね。

それでそのまま「浅草」に行っちゃったんで…

社務所で御朱印をもらったけど…初穂料¥500って意外と高いな。

アレ…コッチが正式な入口だった?

それから歩いて…10:15ごろ「秋葉原」に着きました…「AKB48」のカフェには行列ができてたけど、今日は何かあるの?

「秋葉原」では特に買い物も無かったんだけど…次に行く「ラフォーレ原宿」が11:00~でさ、少し時間があるんでブラブラしてようかと駅の向こう側(電気街)に行くことにしました。

そしたら「アトレ秋葉原」で「まんがタイムきらら展」ってのが開催してるみたい。

でも…個別に知ってて好きな作品はあるけど、まとまっちゃったりすると知らないマンガのキャラも入ってたり…で、特に何も買わなかったよ。

10:30ごろ「アトレ秋葉原」を出て…JR総武線と山手線で「原宿」に行きました。

「ラフォーレ原宿」の「セーラームーンストア」でQPを買って出ました。
それから歩いて11:40ごろ「渋谷マルイ」に着きました。

まずは「ゆるキャン△」から。

それから「ご注文はうさぎですか??」へ。

7人のパネルがありました。

俺「ご注文はうさぎですか??」ってチョットしか観たことないんだけどさ。

エスカレーターんトコのパネルです。

1階下の7階には…「麦わらストア」があったんで寄ってみました。

とりあえずチラッと見てクリアファイルだけ買いました。

そして「渋谷」からJR山手線に乗り…

「目黒」で降りて「大鳥神社」に行きました。

言い伝えによると景行天皇の時代にこの地に国常立尊を祀った社があり、「日本武尊」が東夷平定の折にその社に立ち寄って祈願しました…その後「日本武尊」の霊が白鳥としてこの地に舞い降り「鳥明神」として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したといいます。

境内の「目黒稲荷神社」です。

今日からクソ上司の退職を願うことから「アリスと話せるように」と願うようにしています。

「酉の市」の準備してるね…社務所に御朱印貰いに行ったら、御朱印は無いんだって。
調べによると例大祭と酉の市のときだけ頒布があるようだけど…通常の御朱印って感じじゃあないわ。
こんな由緒あって、そこそこ大きな神社なのに御朱印が常に無いなんて…もったいない?(商売的に?)
それから「目黒」駅に戻って…2駅先の「大崎」で降りました。

コレは「近代硝子工業発祥之地」碑です。

…って、ココ来たことあるなぁ…この先の墓地に「沢庵和尚」の墓があるんだよ。

そのときは「東海禅寺」にも入ったかな。

それから京急「新馬場」駅を越えて…この の奥に…

「寄木神社」があります…「日本武尊」が東征の折、「弟橘媛命」が走水でその身を犠牲にして「日本武尊」は難を逃れたのですが…船が嵐に見舞われ破損した際の木片が品川浦に漂着し、コレを漁民らが納めて祀ったのが創祀とされています。

稲荷社もありました。

この「寄木神社」の御朱印は駅(新馬場)に戻る途中にある「荏原神社」で貰えるらしいので行ってみます。

橋を渡らなくても行けたんだけど…参道だと思って渡って行きました。

明治天皇も来たのかな?

天正18年(1589年)「徳川家康」の東海道御通行の際、御愛蔵の左文字壱振りを当社に奉納され…天正19年11月には、御自身の武運長久を祈られて、神領五石の朱印を寄進されました。

社務所で「寄木神社」のみ御朱印をいただきました…この「荏原神社」は「日本武尊」とは無縁そうなので。
それから「新馬場」で割引切符を使って改札し…そのまま「北久里浜」で降りれたなぁ、アレは全区間有効な切符っぽかったな。
幹事の集合時間(16時)まで45分くらいあったんで、最初「デニーズ」に行ったら接客する店員が出て来ないのに会計する人が次々来ちゃったんで頭にきて店を出て…隣の「ジョナサン」に行ったわ。

少しの食事と時間ツブしができれば良かったんで…パンケーキとドリンクバーを注文しました。

さて…今日の戦利品です。

「セーラームーンストア」のキューピーは欠品してた「ウラヌス」と「サターン」と、10月に発売された「ヴィーナス」と「プルート」を買いました…残るは12月発売の「ジュピター」のみですな。

「渋谷マルイ」で買った「ゆるキャン△」のクリアファイルです。

単キャラでは何故か「大垣千明」が完売しちゃってました…何で?

「ご注文はうさぎですか??」のクリアファイルセットです。

「麦わらストア」で買ったクリアファイルです。

御朱印は「寄木神社」と「鳥越神社」です。

またそのうち「日本武尊」史跡めぐりに出て行く予定があるんで…お楽しみに。


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常陸国「日本武尊」史跡めぐり→大洗へ

2018年11月17日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
11月17日(土)
今日は4:30ごろ起床しました…昨晩、忘年会幹事の集まりで少し飲んで帰ったから寝付きは良かったんだけどね。
5:20ごろ家を出て…5:37「横須賀中央」発の京急に乗りました。

「品川」での乗り換えのとき、「ラブライブ!2nd Season」11話に登場するトコの写真を撮りました…って、ココかなぁ?

それから6:35「品川」発のJR上野東京ラインに乗りました。

そして、8:16「石岡」で降りました…今回、こんな朝早く出て来たのは、ココ「石岡」を組み込んだからなんだわ。
元々、今日は「水戸」周辺の「日本武尊」御朱印集めをするつもりでいて…最初は6:55に家を出る計画だったからね。
しかも最初は東京駅から「みと号(高速バス)」で行くつもりでいたけど、急遽「石岡」経由で「水戸」へ(列車で)行く計画に変更したんで、出発時間も早くなっちゃったのよ。
もう飲みがあるの断れないから前日入りもできない(石岡にネットカフェがあるのは確認できた)んで…当日、早く出ることでしか目的地の追加ができなかったのね。
まぁ朝早いのは全然苦じゃないからさ…中国を旅行してるときも、よく5~6時台にフロントで寝てる従業員起こしてチェックアウトして出掛けてたもん。
この「石岡」は去年の3月に来てるから、約1年8ヶ月ぶりくらいかな…再来も当時やってなかった御朱印集めのためです。

今回はホームページに載ってた通りの行き方で行ってみます…途中に古そうなレンガの塀があったぞ。

コレは「陣屋門」です…石岡城(府中城)の「陣屋門」が移築されてきたらしいです。

この先に「石岡市 ふるさと歴史館」ってのがあるらしいんで行ってみました。

「府中城」の土塁だって…「箱式石棺」は飛鳥時代のモノらしいよ。

コレは「風間阿弥陀」です。

コレが「ふるさと歴史館」です…開館前だし、それほど興味も無いし。

その脇にある「常陸國府跡」碑です。

8世紀、ココに常陸国の国衙が置かれましたが、10世紀の「平将門」の乱で破壊されました。
1346年「大掾詮国」が跡地に府中城を築城します…城の大きさは東西約500メートル、南北約400メートルあり、何重もの堀と曲輪がありました。
1590年に「佐竹義宣」に攻撃され落城し…江戸時代になると徳川光圀の弟「徳川頼隆」が、この周辺に領地を与えられて陣屋を築いていたそうな。

8:40「常陸國總社宮」に着きました。

やっぱホームページに記載されたルート通りだと…

ちゃんと「表参道」に着くんだね。

参道を進むと…

「手水舎」や…

「土俵」があります。

コレは「随神門」です。

「随神門」を入って境内へ。

菊が展示されてました。

コレは「神井」です…天然水が湧き出てるんだって。

この「参集殿(社務所)」で御朱印をいただきました(初穂料¥300)…9:00前だったけど、もう受け付けてました。

コレは「倭武天皇腰掛石」です…「日本武尊」はこの地で編纂された『常陸国風土記』では「倭武天皇」と記され…東征の途中、この石に腰掛けられたと伝わります。

石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸時代末期、藩主「松平播磨守」に仕えた「手塚良庵」という藩医がいました。
漫画家「手塚治虫」先生のご先祖です…「手塚良庵」を描いた『陽だまりの樹』というマンガは俺も持ってるよ。

コレは「拝殿」です…友人が来たとき、改修してたらしいんだけど…あんま1年8ヶ月前と変わってなくない?俺の方が後に来たのかな?

コレがそのときの「拝殿」です…そのときは「拝殿」脇にタヌキの置物?がいっぱいあったんだけどね。
宮司さんに聞いたら、アートイベント?やってたときだったみたい。(コレ、前回の記事)

コレは「神武天皇遥拝所」と「御神木」です。

コレは「十二末社」です。

「神武天皇遥拝所」と「御神木」は 印辺りにあるんだけど…「神武天皇」といえば「日本武尊」の先祖だからねぇ。

神社はスピリチュアルな場所やからね…

また「随神門」から出て帰りました。

9:05「常陸國總社宮」を出ました。

次は「石岡」9:32発の列車なんで、まだ少し余裕があるよ。

帰り道でもあるんで、前回も観た「中町商店街」に行きました。

昭和初期のレトロな看板建築の町並みです。

9:25ごろ「石岡」駅に着きました。

駅もキレイなんだよね~…9:32発のJR常磐線に乗りました。

10:01「水戸」に着きました。

それから地図アプリを頼りに歩くこと約20分…

10:25すぎ「常陸第三宮 吉田神社」に着きました。

鳥居が無い…ってことは、また横の方から入って来たんだな。

コレは「随神門」だな。

「参集殿」に御朱印をお願いして境内散策をします。

「拝殿」裏には「縁結びの笹」がありました…利き手と逆の手で笹の葉を結べれば願いが叶うそうな。
もう手前の笹は全部結ばれてて、奥の方のを右手(利き手)で引き寄せて結んだよ…またクソ上司の退職を願ったけど、これからは神社で参拝するときは「アリスと話せますように」ってお願いしよう。

「拝殿」裏の摂社?です。

「本殿」と摂社?です。

コレが「拝殿」です。

確かこの神社は「日本武尊」の何かがあったはずなんだけど…と「随神門」を出て、小さな鳥居の方に行ってみました。

何か石碑みたいのがあり…

コレが「日本武尊御遺蹟」です。
「日本武尊」が東征の帰途、かつてこの台地の下は海の入江で、そこに上陸したと伝えられる「日本武尊御着船の碑」があります。

ココは“朝日三角山”とも言われ、尊が御旗を朝日に輝かせ、四方を展望された由縁の場所で…古くから聖地とされてきました。
「日本武尊」が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、コレにちなんで社殿が造営されたのが創建であるといわれています。

あ、確かに石段を上がった(山の?)上にあったんだね。

「随神門」です…参集殿で御朱印(初穂料¥300)を受け取り、一応近くにバス停があることを聞いておきました。

「天満宮」もあります。

鳥居の右側が「日本武尊御遺蹟」があるトコ。

バス停は参道を降りて行けばあるらしいけど…どうせ1時間に1本くらいだろうな。

ココが正規の?入口ね。

10:45ごろ、バス停に着きました…おぉ、運良くあと10分(10:54発)で来るじゃん。
次は「水戸」から11:15発のJR水郡線に乗るんだけど…10分くらいで(11:05ごろ)「水戸」駅に着いて助かったわ。

JR水郡線は込んでたなぁ…皆「常陸大子」とか「袋田の滝」とかに行くのかな?

まぁ俺は11:18に1駅先の「常陸青柳」で降りたんだけどね。

目的地は前回も来た「鹿島香取神社」です…「常陸國總社宮」を出たときに、神社に電話して何時くらいに行けば居るか?聞いておいたんだよ。
今日行った「常陸國總社宮」や「常陸第三宮 吉田神社」と違い、小さな神社だからさ…そしたら「午前は居ない」ってことだったんで、午後に行くようにしたんだけど、列車が1時間に1本くらいなんだもん。
だから少し時間をツブして、12:36「常陸青柳」発のJR水郡線に間に合うように御朱印貰って帰って来なきゃならんのです。

地図アプリが前回と違うルートだったんで、川沿いを歩いて行きました。

11:35ごろ「鹿島香取神社」に着きました。

まぁまだ午前中だから居ないのは分かってるんだけど…もしや?と思ってね。

やっぱ社務所?は閉まってるし。

なので下の方?に行ってみると…

水戸八景「青柳夜雨」の碑がありました。

まだ時間があるんで…前回も行った「東征神社」にも行ってみました。

ココは「鹿島香取神社」と関係無くはないみたいなんだけど、御朱印は無いって。(鹿島香取神社の宮司さんに聞いた)

まぁ社務所も無いしさ。

12:00ごろ「鹿島香取神社」に戻りました…手水舎も枯れています。

本殿と拝殿です。

摂社?です…もう時間も無いんで12:08ごろ、もう一度電話してみたら「あと5~10分で行きます」と宮司さん?が。
そしたら12:20ごろ車で来てくれました…宮司さんの衣装は着てたけど、近くで何かやってたのかな?

コッチのプレハブに入って行き…御朱印を書いていただきました。(初穂料¥300)
さっきの「東征神社」のように由緒を伝える石碑も無いんだけど…「日本武尊」が東征のおり、青柳の地に武神、鹿島香取の二神を奉斎して戦勝を祈念したと伝えられています。

その後は小走りになっちゃったよ…12:36発を逃がすと、次は13:44発だからさ。
まぁそんなギリでもなく、12:36発のJR水郡線に乗り…12:40ごろ「水戸」に着きました。
この後は「大洗」に行くんだけど、鹿島臨海鉄道が13:00発なんで…「アニメイト水戸店」に行ってみました。

ココはいつもガルパンのキャラ誕パネルがあるんでね。

11月は3日の「小山柚子」と15日の「おりょう」…そして30日は「ミカ」だな。

13:00「水戸」発の鹿島臨海鉄道に乗りました。

13:17「大洗」に着き…13:20発の「海遊号(バス)」に乗ることができたよ~

13:30ごろ「祝町」で降りたんだけど…この近くに「弟橘比賣神社(天妃神社)」があるんだよ。

確か以前も少し探索したんだけど時間も無くて発見できなくてさ…今回もこの辺かな?と思って歩いてたらありました。

やっぱ枯れてる手水舎…

拝殿はしっかりしてるんだけど…無人なので御朱印はありません。

由緒としましては「弟橘媛命」の御櫛がココの浜に漂着したという伝説によるもので…こんな外房の方まで流れていったのね。

稲荷もあったよ。

1690年「水戸光圀」が、明の高僧「心越禅師」が持ち来た“天妃の像”をココに祀り、天妃山権現を創始したのが始まりだそうです…海上風波の難を救い給う神として漁民悉く信仰したとあります。
1831年に藩主「徳川斉昭」が御祭神を「弟橘比賣命」にしたそうですが…大昔から「弟橘媛命」を祀る何かはあったのかね?

この海門橋の袂の公園には来たことあったけど…そうかぁ、地図(コレには天妃神社と明記されてる)で見れば分かるな。

あ、このガードレールも戦車が曲げたんだよ…って、ココからが大変だったわ、次の目的地は「大洗シーサイドホテル」なんだけど、もうバス来ないから歩いて行ったよ。

14:20ごろ「大洗シーサイドホテル」に着きました…なんか装甲車みたいのが停まってたぞ。
とりあえず「みほ誕」のクリアファイルを買って…商店街の方へ向かいます。

珍しく「SAKAGEN」のカチューシャ&ノンナが表に出てたな。

14:30すぎ…朝でなくても賑わう「ウスヤ」です。

「肴屋本店」前の駐車場でもクリアファイルやその他グッズを買いました。

それから「大洗マリンタワー」に行きました…もう今日から飲食店の屋台が出てるんだね。

搬入されてきたジープ?

「ミニミニホビーショー」はずっと奥の方で開催されるんだね…今日は「あんこう祭」前日なんで全部のメーカーが出店してたワケじゃないけど、今回はあんま買い物する予定は無いッス。

何か戦車とかの展示があるぞ。

お、「ムラカミ」と「カトラス」がいるよ…って、「カトラス」はイイけど「ムラカミ」が似合っちゃうのもなぁ。

「Ⅳ号戦車D型」はド定番だね。

アンツィオの「CV33」とプラウダの「Rf-8アエロサン」だよ。

BC自由学園の「ルノーFT-17」です。

多分、明日出店するメーカーでも買うモノ無いと思うし…人がいっぱいだろうから明日はココには来ないだろうな。

確か「海楽フェスタ」のときはココで「ミニミニホビーショー」やってたよな…近かったけど、ドラッグストア?が建つらしいよ。

マリンタワー前広場に行きました。

スゲェ「あんこう」がいる…って、吊るし切りなんてもっと大きいのでやるよね。

もう16時近く…「藤乃屋」の昼営業が終わっちゃってた(夜は17時~)んで、屋台で「生シラス丼(¥500)」と「あんこう汁(¥350)」を食べました
朝4時半ごろにパン食べただけだったからさ…メチャ美味しかったなぁ、俺は「釜揚げシラス丼」だったら食べないよ。

明日はこのステージに「渕上舞」チャン、「茅野愛衣」チャン、「井口裕香」チャンらが登壇するんだね…多分、俺は見ないけど。

ココが今晩泊まる「ゆっくら健康館」です…入館は22:00~だから、まだ5時間半あるわ。

「しゅんさい」に行って「愛里寿誕」のクリアファイルあるか聞いたけど、もう完売してました。
もう辺りは暗くなり…まだ晩ゴハンには早いけど、マックみたいに時間をツブせるトコも無い…
結局17:15ごろ「大洗」駅に行き、駅の待合室のベンチに座って時間ツブしをすることにしたよ…屋内だし、明るいしさ。

19:30まで時間をツブし…満を持して19:40ごろ「藤乃屋」に行くと、予約で締め切りだって。
それから商店街を彷徨うも、ほとんど20時で閉店やオーダーストップでさ…仕方ないんで、さっきの「しゅんさい(居酒屋)」に行くも満席だって。
さっきまで居場所の無い難民だったけど…今は晩ゴハン難民になっちゃったよ。

あ、「ゆっくら健康館」の2階に食事処があって、入浴客じゃなくても(俺は22時以降だから)食べれるみたいだぞ
21時までみたいだから、まだ45分くらいあるから大丈夫だろうと安堵して行ったら…「20時ラストオーダーです」だって。

もうダメだわ…近くのコンビニで弁当買って、その辺で食べてようと思ってたら…イートインスペースがあったんで、そこに1時間近く居てスマホやモバイルバッテリーも充電したよ。
そして22:00~「ゆっくら健康館」の入館が始まりました…3月の「海楽フェスタ」のときは「潮騒の湯」に入館したけど、コッチの方が近いし、安い(¥1,000)し、定員も100人?なんで余裕があって良かったわ。
「潮騒の湯」は遠いし、最低¥2,000だし、200人受付?だったから寝る場所が無くてさ…

この後、もう少し人が来たけど、全然余裕だったよ…もし次回もこういう機会があったら「ゆっくら健康館」のBASE CAMPにしよう。

お風呂は0:00まで(潮騒の湯は2:00までだったかな?)だったけど、全然構いません…ちゃんとゆっくり入れたし、満足だったよ。

「みほ」と「優花里」は居ないの?
0:15ごろ消灯になりました…座布団が敷布団代わりだけど、ネットカフェで雑魚寝すんのとそんな変わらんよ。
明日は5:30ごろチェックアウトするかな…朝、駅に切符を買いに行こうと思ってますんで。


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武蔵国「日本武尊」史跡めぐり~其の一

2018年10月27日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
10月27日(土)
今日はいつも通勤するのと同じくらいの6:00ごろ起きました…昨晩?今朝?は4:00すぎに寝たんで、正味2時間も寝てないわ。
夜中から雨も降り続いてたけど、予報じゃ午前中には上がる…ということなんで、出掛けることにしちゃった。
右足首は少し痛むけど、通勤や仕事ができてるんだからさ…雨が上がらない予報だったら休養してたよ。
折りたたみ傘を差して家を7:20に出て、7:35発の下り列車で「浦賀」に行き…7:57「浦賀」発の始発に乗りました。

「横須賀中央」で下り列車を待ってるときに見たブルーの「けいきゅん号」です。
9:22「東日本橋」で降り、都営新宿線(馬喰横山)に乗り換え…

9:50すぎ「東大島」で降りました…もう京急に乗ってた9時前には雨も上がってたよ。

それから歩いて7、8分で「亀戸浅間神社」に着きました。

社務所に御朱印をお願いし…

「拝殿」に参拝しました…俺の願いは常にブレず、クソ上司の早期退職です。

コレは「稲荷神社」と「下浅間神社」…右は「富士せんげん道道標」です。

コレは「六ッ目地蔵尊」です。

御朱印(初穂料¥500)を受け取り…参道奥の「石造鳥居」を出ます。

写真左は「神猿」の石像です。

「日本武尊」が東夷ご征討の折、相模から上総へ船で向うとき、暴風にみまわれ、船は荒れ狂う波に翻弄され航行不能となりました。
従っていた「弟橘媛」が自らの身を海に投じると暴風はたちどころに止み、船は無事、岸に着くことができました。
後に「弟橘姫」の笄(こうがい)と櫛(くし)が奥湾に漂着しました…そのうち、笄がこの辺りの高貝洲と呼ばれていた現在の亀戸9丁目(旧神社跡)付近に漂着したと言われています。

コレをお聞きになった十二代「景行天皇」は大層愁いて、ココに笄を埋め…祠を立てて祀りました。

この「亀戸の富士塚(笄塚)」は旧浅間神社本殿跡地に建てられています。

また「東大島」駅に戻ります。

10:50ごろ「東大島」に着いたけど…俺やっぱ来たとき、(東日本橋馬喰横山で)都営新宿線の連絡改札じゃない出口改札から出ちゃってたわ。
「東大島」から都営新宿線に乗り…「馬喰横山」(東日本橋)で都営浅草線に乗り換え、「浅草橋」で降りました。

そして「蔵前」方面に向かって歩きます…この辺りも昔、営業でよく来てたなぁ。

11:00すぎ「榊神社」に着きました。

コレは「手水舎」です。

社務所に御朱印をお願いし、「拝殿」に参拝しました。

110年(景行天皇40年)「日本武尊」が東国鎮定のため下向した際、東に筑波山を、西に霊峰富士を仰ぎ見、南に内海の清き白浪が打ち寄せ、北に広大な林野が茂る鳥越丘上の地を良き斎庭と定め、国土創成の祖神である皇祖二柱の大御神を鎮祭し、白銅の宝鏡を納め東国の平安を祈願し、国家鎮護の神宮として創建したと伝えられています。
「第六天神宮」と称され、公武衆庶の崇敬が篤かったといいます…明治6年「榊神社」と改称しました。

コレは「浅草文庫跡碑」です。

今日2社目の「日本武尊」史跡をハントし…そのまま歩いて「浅草」に向かいます。

途中にあった「どぜう」の店?です。

11:30すぎ「雷門」に着きました。

せっかく来たんで「浅草寺」に行ってみます…って「仲見世」は相変わらず人でいっぱい。

コレは「宝蔵門(仁王門)」です。

コレは「五重塔」です。

「本堂(観音堂)」は参拝の行列がスゴかったんで…

「影向堂」に御朱印をもらいに行きました…「浅草寺」は「明治神宮」「靖国神社」に続く“超メジャー”の3頁目に書いてもらいました。

御朱印を待ってる間、周囲をブラブラしてました。

コレは「六角堂」です。

コレは「三峯社」です…先週行った秩父「三峯神社」の分祀じゃん。

コレは「写経供養塔」と「淡島堂」です。

コレは…9代目「市川團十郎」だって。

古そうなお店だ…って、売ってるのも骨董か?

それから12:10すぎ「吉原弁財天」に行ってみました…ココは目的地じゃなかったけど、途中にあったんで立ち寄ってみました。

名称で「もしや…」と思ったけど、ココら辺に「吉原遊郭」があったんだ…

コレは「観世音菩薩」です。

コレは「大震火災殉死者追悼記念碑」です…関東大震災によって逃げ場を失った遊女490人が犠牲となり、後に遊女ならび遊郭関係者の慰霊のために造られました。

この「愛護地蔵尊」は吉原で働いていた女性の水子地蔵です。

コレは「吉原弁財天」です。

コレは弁天池です…当時の弁天池は埋め立てられてしまったようですが、震災の大火で逃げ場を失い、弁天池に飛び込み溺れ死んだ遊女が大勢いたようです。

ちょっと派手な感じの社殿だけど…遊女たちの艶やかさが表現されているね。

写真でも紹介されています。

「吉原弁財天」から少し歩くと「吉原神社」があります。

「逢初桜」は江戸時代より遊客の出逢いを叶える桜として植えられていましたが、現在の逢初桜は平成24年に植樹された枝垂れ桜です。

それから12:25ごろ「鷲神社」に着きました。

ココは「酉の市」起源発祥の神社なんですよ。
「日本武尊」が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し…志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。
その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、すなわち「酉の市」なのです。

御朱印の初穂料は¥300だったかな。

今年の「一の酉」は11月1日だけど…この境内に何十軒の熊手屋?が並ぶんだろ?

「御社殿」に参拝して出ました。
それから「入谷」駅まで歩き、1駅間だけど日比谷線に乗って「上野」で降りました…バスは調べなきゃ分からないけど、1駅間でも電車で行けるなら乗って行くようにしてるよ。

12:55「上野公園」に着きました…「西郷どん」です。

コレは「清水観音堂」です。

この「上野公園」周辺にも「日本武尊」の足跡があります。

コレは「五條天神社」です…「日本武尊」が東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられたとき、薬祖神(大己貴命・少彦名命)二柱の大神に御加護をいただいことを感謝なされて、この地に両神をお祀りされたのが由緒です。
ココで今日4社目の御朱印(初穂料¥300)をいただきました。

境内には…

「花園稲荷神社」もあり、同じ社務所で御朱印がもらえるけど、コッチは「日本武尊」と無関係だからね。

「五條天神社」を出て約20分歩いて…

13:25ごろ「根津神社」に着きました。

「神橋」と「楼門」です。

「唐門」と「舞殿」です。

「社殿」と「授与所」です…御朱印の初穂料は¥300でした。
ココも「日本武尊」が千駄木の地に戦勝祈願のために創祀したと伝えられる古社であります

コレは「千本鳥居」です。

コレは「徳川家宣公胞衣塚」です…6代将軍「徳川家宣」の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた塚で、当地が甲府藩邸であったときに家宣が生まれたことに由来しています。

末社の「乙女稲荷神社」です…乙女なんて可愛らしい。

コレは「庚申塔」です。

コレも末社の「駒込稲荷神社」です。

キツネさんの顔が削られちゃってるね…

西口にある鳥居です。

「乙女稲荷神社」の鳥居と社殿です。

今は七五三のシーズンなんだね…今日行った何社かでも七五三を見かけたよ。

「千本鳥居」の入口です。

13:50ごろ「根津神社」を出ると…近くの讃岐うどん屋に行列ができてたぞ。
それから「根津」駅まで歩き、千代田線に乗って1駅だけど「湯島」で降りました。

この前も来たけど「湯島天神」です。

もう御朱印ももらってるし用事も無いんだけど、前回人がいっぱいで見れなかった何かがあるかな?…と思ったんだけどね。

コレは「本殿」です。

まぁ特に見るトコも無かったんで出ます。

コレは「宝物殿」です。

左は「銅鳥居」です。

それから14:25「妻戀神社」に着きました…ココは前回「神田明神」から「湯島天神」に向かう途中、偶然発見した「日本武尊」縁の神社です。

東征の帰途「日本武尊」は当初の社地で行宮したとされ、郷民は尊の妃を慕われる心を憐れみ、尊と妃を祀ったのがこの神社の起こりと伝えられています。
今日は御朱印書いてもらえたよ…ご不在のときもあるようでさ。

「水子地蔵」と「妻戀稲荷神社」です。

それから「神田明神」に行きました。

ココは買い物しに来ただけです。

「ラブライブ!」の聖地だからね。

「国学発祥之地」碑と「銭形平次」の碑です。

末社?と社務所です。

コレは「さざれ石」です。

「ラブライブ!」にも登場する「男坂」を降りて出ました。

「昌平橋」周辺も「ラブライブ!」に登場します。

秋葉原のゲーマーズで「はいふり」のステッカーもらいました…柔らかそう。

「UTX学園」だね。
「秋葉原」から山手線に乗り…「泉岳寺」から京急に乗って16:45ごろ「横須賀中央」に着きました。

今日は昼ゴハンも食べる時間が無かったからさ…晩ゴハンは「とんかつ方丈」に行きました。

う~ん…食べたい新メニューが他にもあって迷っちゃうなぁ~

結局「餃子かつ定食」にしました…ハロウィン限定の「かぼちゃかつ」付でした。
コレはなかなか新しい感覚だね…餃子の具を餃子の皮以外で食べたこと無いからさ、でも美味かったです

さて…今回の戦利品と御朱印です。

「神田明神」で買った「かすてらまんじゅう(ラブライブ!)」と…ゲーマーズでもらった「はいふり」ステッカーです。
「かすてらまんじゅう」のオマケのステッカーは「ほのか」だったか…「えりち」が欲しかったんだけどね。

左「亀戸浅間神社」です。

左「鷲神社」右「榊神社」です。

左「根津神社」右「五條天神社」です。

右「妻戀神社」です…ホントはもう1社ピックアップしてたけど、今回の台東区や文京区から少し離れるんで次回行くわ。

右「金龍山 浅草寺」です。

「日本武尊」御朱印は一気に集めたなぁ…
①走水神社(神奈川県横須賀市)
②三峯神社(埼玉県秩父郡)
③小鹿神社(埼玉県秩父郡)
④寳登山神社(埼玉県秩父郡)
⑤寳登山神社 奥宮(埼玉県秩父郡)
⑥金鑚神社(埼玉県児玉郡)
⑦亀戸浅間神社(東京都江東区)
⑧榊神社(東京都台東区)
⑨鷲神社(東京都台東区)
⑩五條天神社(東京都台東区)
⑪根津神社(東京都文京区)
⑫妻戀神社(東京都文京区)
もう関東近郊だと今まで行ったことある神社になっちゃうけど…また御朱印集めや史跡ハントと合わせて行って来ようと思います。


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2018・GW旅「三原・尾道・福山・津山」~広島(&岡山)編⑥

2018年05月05日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
5月5日(土)
長かった旅も今日が最終日です。
今日はココ「三原」「尾道」「福山」「津山(岡山)」で締め括ります。
最後が「岡山」なのは俺が手配している高速バスは「岡山・広島⇔横浜・東京」なんでね…行きは「東京⇒広島」で乗ったけど、帰りは「岡山⇒横浜」で帰れるんで、「福山」とかまだ行ったことないトコも行ってみようと思ってさ。
今日は4:45起床しました…このネットカフェ、広くて静か(客が少なかったからか?)で、よく眠れたよ。
起きてからトイレ(大)入って、しばらく経ったら電気が落ちて真っ暗になっちゃってさ…停電か?と思ったらスグ点灯したんだけど、俺がジッとしすぎてセンサーが反応して消灯されちゃったみたい。

昨晩買っておいたパンを食べ、6:00にチェックアウトしました…今日は7:05「三原」発のJR山陽本線で「尾道」に行くんだけど先に「三原城跡」を観に行きます。

駅に向かう途中にあった「城町公園」です。

コレも「三原城」の石垣なんでしょ?

6:15ごろ「三原(駅)」に着きました。

「やっさ踊り」と…「タコ」だね。

「隆景広場」に出てみると…

「小早川隆景」像がありました…「小早川隆景」は“三本の矢”で知られる「毛利元就」の3本目の矢(三男)で、兄弟に同母兄の「毛利隆元」「吉川元春」などがいます。

写真右は「原爆死没者慰霊碑」です。

コレって「天守台」だよね?…スグ後ろ駅なんですけど…

ココから一旦、駅構内に入ります。

駅構内に神社があるぞ。

6:30~開放されている「天守台跡」に入ります。

上がって行くと「天守台」なんだけど…

ただの庭園?…ちょうど同じころ、2人の若者も入って来たけど中国語話してたわ。

堀が見えました。

15分くらい余っちゃったけど、ホームに行き…

7:05発のJR山陽本線に乗りました。


そして7:18「尾道」に着きました…何か前に来たときと駅の感じが違うなぁ…と思ったら工事してたのね。
ココ「尾道」では約3時間あるし、けっこう山?登りがあるので大きい荷物をロッカーに預けて出ました。

前回来たときは「今治」から“しまなみ海道”をバスで通って来て、次に「竹原」行くんで全然余裕が無かったんだよな~
今日は余裕があるし、一度来てるし特に改めて観るトコも無いんで…ゆっくりブラブラ歩いてようと思います。

海沿いを歩いてみましょう。

公園でしょうか?

商店街に入ってみると歴史を感じる建物がけっこうあります。

国道2号線に出て…「千光寺踏切下」から入って行くことにしました。

なんか石段上がってたら急にお腹が痛くなってきちゃってさ…「千光寺に着けばトイレがあるだろう」…と何とか近くのトイレに辿り着くも1部屋しかない男(女兼)用個室に前歩いてたヤツに先入られちゃったよ~
でもそんな長グゾじゃなかったんで助かったわ…何だったんだろう?この“ゲリラ豪雨”的な異変は…

コレは「毘沙門堂」です。

8:05「千光寺」に着きましたね…


舞台?に上がるとビニールの幕があってさ…社務所?の人に「誰か落ちたんですか?」って聞いちゃったよ。
そしたら「そういうワケではないんですよ~」って言ってました。

この先は「石槌山鎖修行」があります。

もう既にけっこう高い…


前回(約2年半前)来たとき、やってないのに何故に今回やろうと思ったのか…(¥100)

まぁ…男なら腕力でもイケるよね…でもどっかで指ブツけて切っちゃった。


上りきると祠があります…女子高生がミニスカートで上ることは、お勧めです。

いつ観てもイイ景色だよね~

 
降りるときは鎖じゃなく、道があるのでご安心を。

「千光寺」の境内を散策します。

コレは「玉の岩」だって。

コレは「大師堂」と「鐘楼」です。

奥に行くと…

「鏡岩」や「梵字岩」があります。

おぉ、気合入ってるなぁ…俺は下りて行きます。

「中村憲吉 終焉の家」だって…誰かいな?

コレは「天寧寺 三重塔」です。

「猫の細道」を降りて行きます…今日は5月5日だから「鯉のぼり」もあるね。

「猫の細道」には108匹もの「福石猫」が道の至る所に潜んでいて、「福石猫」を見つけたり優しく3回撫でると願いが叶う…とも言われています。

映画の街っぽい壁画?

作家の「園山春二」先生が生み出したという「福石猫」です。

この「福石猫」なら俺でも作れそうな…

5月3日・4日(昨日)まで「猫祭り」が開催されていたんだね。

ココは「艮神社」です…「大林宣彦」監督の映画『時をかける少女』で主人公の芳山和子のタイムリープ中に神社西側の下り坂が登場するほか、「時かけ」の途中に幼いころの和子が神隠しにあった後、境内の大きな楠の裏から出てくるシーンに登場します。

ロープウェイも込んでるけど…俺は歩いて上がった方がイイと思うぞ。(帰りは歩くのかな?)

ココは「御袖天満宮」です。

ココも前回来ているね。

コレは「拝殿」です…その昔「菅原道真」が京より大宰府へ流される途中「尾道」へ立ち寄りました。

その際に民衆に親切にしてもらったお礼に着ている服の袖を渡されたことに由来するそうです。

おぉ、やっぱ「天満宮」には筆の石碑があるね…筆が達(立つ)ってこと?

「大林宣彦」監督の映画『転校生』で主人公の男女が転げ落ちるシーンのロケ地としても有名です。

「千光寺」も観えるね。

「御袖天満宮」近くの商店?

ココは「天寧寺」です。

康応元年(1389年)3月、三代将軍「足利義満」は厳島参詣の帰途、船を天寧沖にとどめ船橋をかけさせて上陸し、この寺に一泊して備後の守護山名氏の餐応を受けたそうな。

JRのガード下から出て来ました。

近くの「小さな趣味の博物館」です…何だろ?小さな趣味って。

同じトコずっとブラブラしてるのも疲れたから駅まで戻るか…ホントは「千光寺新道」の方に行きたかったんだけどね。


おぉ「尾道城」だ…と言うのはウソで、コレは城風の博物館として建てられたモノです…そろそろ取り壊されるんじゃない?


林芙美子の代表作「放浪記」です。

駅前商店街には著名人の足型があります…一部を紹介します。

「坂東英二」と「高橋秀樹」

「富士眞奈美」と「岸田今日子」
10:26「尾道」発JR山陽本線に乗り…10:46「福山」に着きました。

「サンフレッチェ」ラッピングの列車見たよー

ココでの目的は「福山城」と「尾道ラーメン」を食べることです。

まずは「福山城」…って、北口出たら、もう石垣かい さっきの「三原城(跡)」といい城跡に線路引いちゃったのかな?

滞在時間は約1時間…その間に城見学と昼ゴハン食べなきゃだぞ~

ホント、駅前お城だよ。

コレは「筋鉄御門」です。

とりあえず急ぎましょうか…

「天守閣(福山城博物館)」に入りました。(入館¥200)

いろいろ展示物はありましたが…

天守最上階へ急ぎました…何コレ?福山のガウディ?

11:15「福山城」は天守だけ上ってスグ出ました…そして逆の南口に出てお目当ての店を探すも、多分この辺だと思われる場所には無いよ。
もう時間も無くなってきたし諦めるか…と思ったけど、スマホの地図アプリで見てみると…あ、俺駅出て逆方向に行ってたみたい。

今から食べたら11:48発には乗れないな…と思いつつも近いから行ってみることにしたら、行列ができてるじゃん。
次は「岡山」に出るだけだし…せっかくだから食べて行くことにしました「尾道ラーメン一丁」です。
11:27から並んで10分くらいで席に着けたかな…俺の後もどんどん人が並んでたよ。

俺はラーメンとチャーハン(ミニ)のセット(¥880)にしたんだけど…初めて?の「尾道ラーメン」も美味しかったし、このチャーハンがまた美味しかった
このお店、この旅行中にたまたまネットで見つけてさ…開店11時なら「福山城」の後に行ける…と計画に追加したんだけど、「岡山」行きを遅らせても、並んでも食べる価値あり

11:50すぎ、俺が店出た後30人くらい並んでたよ…GWだから俺みたいに旅行で来てる人もいるだろうけど、スゴイね。

11:55には駅に着いちゃったよぉ、次は12:07発のJR山陽本線に乗るのに…ホームからも城が見える「福山」でした。

13:05「岡山」に着きました…ココから14:05発のJR津山線に乗って「津山」に行くんだけど、それまで1時間(当初の予定だと1時間15分くらい)あるんで「岡山城」を見に行く(外観見るだけ)つもりで、後々も考えてロッカーに荷物を預けて行こうと探すも全然空きが無いんだもん。
YOU(外国人)も困ってたぞ…もっとロッカー増やした方がイイんじゃないのか?

ロッカーが見つからず、デカい荷物背負ったままだし…もう時間もロスしたんでやめようかと思ったけど、路面電車乗りたかったから行っちゃった。

でも13:35引き返すことにしました…「岡山城」は2011年7月にハントしています。

13:50には駅に戻って来ちゃいました。

そして14:05発のJR津山線に乗りました…終点「津山」まで約1時間半なので、ちょっと寝ます。

15:32「津山」に着いたけど、ICが使えない路線だったんで現金精算して出たよ。

駅前には津山藩出身の蘭学者「箕作阮甫」像がありました。

「C11―80号」は2017年8月に津山市立南小前に展示されていたモノが移設されたんだって。

B’zの「稲葉浩志」はこの津山市出身なんだってね。

待合所や観光案内所も新しい感じだなぁ。

駅前ロータリーもキレイだしね。

今回「岡山」から帰るにあたり、夜までけっこう時間あるからさぁ…どこか周辺にハントできる史跡が無いか探してたんだよぉ、それがこれから行く「津山城(跡)」です。

商店街を歩き…って、カッパがシンボルなの?

この建物は何だっけ?

16:00…やっと入口に着いたわ。

「つやま自然のふしぎ館」だって。

けっこう広そうだなぁ。

「津山城」は“本能寺の変”で討死した「森蘭丸」の弟「森忠政」が、鶴山に築いた平山城です。

コレが「森忠政」像です…「森蘭丸」の弟というイメージから入るとガッカリする?

「つやま和牛」だって~

なかなか立派な石垣だよ。

明治の廃城令で建造物は取り壊されましたが、地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残しています。

櫓?が見えてきたね。

「津山城」は日本三大平山城の一つです。

コレは「表鉄門跡」です。

コレが築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されている「備中櫓」かな。

中は…こんなモンか。

この先にあるのが「天守台」かね。

上がってみることにしました。

ハートの石「愛の奇石」だって…観光地って、こういうの好きだよね~

「備中櫓」を見下ろします…ココには五重六階の天守が建っていたそうな。

2013年には「天守台」に創建当時の天守外観を模した1/2規模の模擬施設が期間限定で設置されていたんだって。

最初は時間ツブしでイイ程度に思ってたけど…

立派な石垣が残ってるし…なかなか良かったぞな。

ちなみに日本三大平山城は「津山城」「姫路城」「松山城」なので…コンプ達成です

「備中櫓」です。

16:40ごろ下山を始めました。

帰りは違う出入口から出ました。

17:00「岡山県立津山高等学校」に着きました…明治33年に建てられた旧本館は、明治期の木造洋風建築を代表する国指定の重要文化財です。
NHK朝ドラ「あぐり」のロケ地なんだけど、B’z稲葉さんの母校なんだって…ちなみに稲葉さんの実家(イナバ化粧品店)は隣のJR東津山駅近くです。

遠くに見えるのが「旧津山扇形機関車庫」です…もう17:25だからなぁ、知ったのコッチ来てからだから遅すぎたな。

17:29発のJR津山線に乗り…19:05ごろ「岡山」で降りました。

19:20ごろ「一風堂」に入りました…ココは2009年「岡山」に来たとき中国人の教え子たちと食べたお店なんだよね~

「一風堂からか麺」を食べました…19:45「一風堂」を出ました。

確か前に「岡山」に来たときもだったけど…帰りの夜行バスに乗るまでの間、近くのネットカフェで時間ツブしです。
俺が乗るバスは行きがそうだけど「広島」から来るんで「岡山」に来るのはけっこう遅い時間(23:30発)なんだわ。
だから3時間パックで、22:55にチェックアウトしました。

23:30発の高速バスに乗り…明日は8:20ごろ「YCAT(横浜)」に着きます。
長かった旅も終わり…横浜に着いたら「戸塚」の親戚の家に寄ってから「横須賀」に帰ります。


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2018・GW旅「岩国・宮島」~(山口&)広島編②

2018年05月01日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
5月1日(火)
消灯後、程なく眠れたようだけど…起きたの2:40だから2時間しか眠れてないね。
8時間パックで抑えるため、5:35チェックアウトする準備を進めてたら20分くらい前に俺とほぼ同時にチェックインしたショップ店員風のオネーさんがチェックアウトしたんだわ。
まぁ、もう始発は動いてる?だろうし、20分くらい早く出ても不思議じゃないよね~…なんて思いながら開いてたサイトを全部閉じたらデスクトップに時間経過が出たんだけど、8時間08分だと。
なぜもう8分オーバーしちゃったの?だって伝票の入店時間は21:38だろ…って、コレは後から追加になったシャワーの伝票じゃんよ。
そのシャワーの伝票をめくると下に入店時間21:16ってあるじゃん…マジかぁ、あのオネーさんが間違ってなかったんだ~
むしろ、あのオネーさんが「このオトコ、延長するのね」って思ってたかも知れないのかぁ…まんまとハメられたぁ~
それに気付いてスグ、フロントに「延長は何分単位か?」って確認しに行ったよ…そしたら10分単位だったけど、もう10分は過ぎたんで20分以内に収まるように…って、それが奇しくも5:35じゃんか。
延長料金払っても罰ではないんで、そんな高くはないからさ…俺、たまにこういうミスするなぁ、よく確認しとかなきゃ。

5:35チェックアウトし、駅前から出るバスが7:50なので…それまでココから徒歩15分くらいのトコにある神社に行ってみます。

スマホの地図アプリ見ながら歩くこと15分…5:50「白蛇神社」に着きました。

こういう神社仏閣系は早朝でも入れるからイイよね。

「白蛇観覧所」は、さすがに開いてないわな。

「白蛇神社」の鳥居です。

最初に「今津天満宮」を参拝しました…けっこうキレイだなぁ~と思ったら平成23年再建だって。

手水舎です…

リアルだなぁ…(蛇は1体です、別角度から撮っただけ)コレってまさに「蛇口」だよね。

石灯龍も蛇ね。

拝殿です…コレもずいぶん新しい感じだけど、元々「岩国」では「白蛇」が縁起の良いものとして信仰の対象となっていて…白蛇観覧施設に隣接したココに平成24年創建されたんだって。

クソバカジジイ(上司)が早くいなくなるように願っておきました…でもココは金運アップや商売繁盛にご利益があるようです。

コッチが「今津天満宮」の鳥居か…6:10「白蛇神社」を出ました。

もう他に行くトコも無いんで歩いて駅に向かいました。

6:35「岩国駅」に着きました…もっと時間掛かるかと思ったけど、まだ1時間もあるよ~
とりあえず現地で時間をツブすしかないんで6:52発のバスに乗る前に「錦帯橋周遊券(バス往復・ロープウェイ往復・錦帯橋通行・岩国城入城で¥1,540)」を買おうと思ったけど、窓口が開いてないんだわ。
バスの運転手に聞いても「9時から販売です」って言うだけで、バス車内で買えるワケでもなく、備え付けの切符自販機でも扱っていない…岩国城や錦帯橋はもう9:00~入れるんだから、切符はもっと早くから買えないとおかしいだろ?

この自販機で売ってる切符だって別に割引になってないから現金でバス降りるとき払うのと変わらないし…何のための自販機だよ?
「いわくにバス」さん、もうちょっと考えましょう…①窓口をもっと早くから開ける それができないなら②車内で買えるようにする もしくは ③自販機で買えるようにする …こういうこと思いつかないかねぇ?もう年寄りばっかしか居ないのかね?
意味の無かった前売り券?(¥300×2枚)を買ってバスに乗り…

7:00「錦帯橋」で降りました。

おぉ、山の上に城が見えるよー

コレは「錦帯橋」とは別の橋から撮っています。

「錦帯橋」に戻って下の川原から。

「錦帯橋」は9:00からじゃないと渡れないの知ってたから、あまり早く来ても仕様がないと思ってたんだよ。

でも、もう「錦帯橋」に人が歩いてるじゃん…って、学生がフツーに通学で渡ってるんだね。
9:00~が有料になるのか?よく分からないが…渡れるんだから渡っちゃいました。

コレは「錦川」です。

対岸にあった「槍倒し松」です…槍を倒さず大名行列をする他藩の無礼な武士対策として、この松を橋の袂に植えたされています。

コレは「巌琉ゆかりの柳」です…剣豪「佐々木小次郎」は、吉川英治の小説「宮本武蔵」の中では周防岩國の出身とされています。
小次郎は元々「岩柳」と名乗っていたのを、後に「巌流」と改名しました…秘剣“燕返し”は、錦川の河畔で風に揺れる柳の枝を切り、水辺を素早く飛び交う燕を切り落とすことで編み出したと伝えられています。

対岸側からもそんなに変わらんか…

まだ7:25だけど…とりあえず「岩国城ロープウェイ」が営業する9:00まで城下?を散策します。
「馬鹿石」の店って何だろう?

誰かよく分からないけど銅像がありました。

コレは「剣豪佐々木小次郎の像」です。

「バガボンド」がずっと休載してるのって「佐々木小次郎」の人物像を変えすぎて、巌流島で「宮本武蔵」に敗れる…という着地点に持っていけなくなったからじゃないの?

「岩国城歌碑」と、宇野千代の詩?

コレは「吉川史料館」です。

また「錦帯橋」の袂に戻り…

この「書状集箱」(ポスト)は明治4年の郵便事業創業当時使用していたものと同じ型なんだって~

コレは「吉川広嘉公像」です。

「吉川広嘉」は、江戸時代前期の周防国岩国領の第3代領主です。

「食事処むさし」だって…小次郎ゆかりの地で…それよか「ナニコレ珍百景」に出たの?

え…コレが165種類あるソフトクリームのメニューなんだぁ…165種類のアイス(作りおき)なら分からなくもないけど、ソフトクリームって機械で作るよねぇ?

コレは「香川家長屋門」です…岩国藩家老の香川氏の表門だそうです。

この一帯は「吉香公園」内です。

噴水あるの?

なんか昔の学校っぽい建物がありました。

「吉香 鵜の里」だって。

奥に行くと「岩国シロヘビの館」ってのがあるみたい。

旧家っぽい建物があるぞ。

「旧目加田家住宅」だって。

コレは「岩国美術館」です。

このセット券は往復のバス代(¥600)を含まず、¥1,110¥940なのね。

ココが「岩国城ロープウエー 山麓駅」だけど、9:00~運行だから…まだ1時間あるわ。

「白山比咩神社」に行きます。

まず左側の「白山比咩神社」に入ってみます。

1559年の創建で、加賀(石川県)白山神社の分霊を移し祀ったものと伝えられています。

1898年(明治31年)に創建されましたが、この「拝殿」は2004年の火災で焼失し…2005年に再建されたものだそうです。

この記事を編集してるときに知ったんだけど、境内横から城山登山道が通じているんだって…ロープウェイ乗らないでも「岩国城」行けるの知らなかったよ。
山頂まで高さ200mくらい?みたいだけど…いくら時間はあっても、俺の脚でムリする意味は無いよね。

さっき正面にあったのは「錦川水神社」です。

う~ん…まだ8:05だよ。

次は「吉香神社」に行きます。

境内は広そうだよ。

「田中穂積先生胸像」と手水舎です…「田中穂積」は明治期、軍楽隊に属してその発展に貢献した音楽家?軍人?です。

鳥居左右の狛犬です。

「吉香神社」は旧岩国藩主吉川氏の祖霊を祀る歴史ある神社です。

1728年に建築、1885年に現在地に移築された本殿は国の重要文化財に指定されています。

コレは境内にある「錦雲閣」です。

この「吉香公園」一帯は山麓の「御土居」と称される居館部分があったトコなんだね。

コレは「旧吉川邸厩門」です。

コレは「旧吉川家岩国事務所」だって。

この建物は「岩国徴古館」で、戦時下の昭和17年に起工、昭和20年に竣工されたんだって~

「錦雲閣」を境内外側から。

コレは「吉香神社」の末社「褒忠社」です。

花菖蒲園みたい。

コレは「吉香公園のエンジュ」です…今年の3月に幹の空洞化により山口県天然記念物の指定を解除されちゃったんだって。

堀?の中には…

亀用の甲羅干し場?があるよ。

8:35…「岩国城ロープウエー 山麓駅」に戻って来ました…「岩国美術館」前には、日本のエジソン「藤岡市助」博士の像があります。
現在の岩国市出身で東京電気株式会社(後の東芝の弱電部門)の創業者、日本に電気、電球灯の普及に大きな功績がありました。

お、ロープウェイが入って来たよ。

結局「錦帯橋」と、この「岩国城ロープウェイ」が9:00~営業なんでね…でも先にコッチ(錦帯橋方面)に来てて良かったわ、とりあえず時間ツブせたからさ。

もう乗客が上がって行ったんで、俺も8:45「ロープウェイ」の列に並びました…って、熊が出たの?

1番の回(9:00発)に乗りました。(往復券¥550)

上から観るのもイイね…ドローンになった気分?

「錦帯橋」もよく見えるね。

山頂駅までモノの5分くらいで着いちゃうんだね。

そこから山道の方を選んで「岩国城」を目指しまーす。

10分くらいで着くらしいけど…

おぉ石垣が現れてきたぞ。

9:10に「岩国城」に着きました。(入城¥260)
最終的に俺はバス往復(¥600)+ロープウェイ往復(¥550)+岩国城(¥260)=¥1,410で錦帯橋も渡ってるんで…錦帯橋周遊券(¥1,540)より安くなっちゃったけど、もし錦帯橋(¥300)も払ってたら¥1,710になってたんだからね。

城内には武具や甲冑などが展示されています。

予定では10:00発のロープウェイで下山して、11:23「岩国」発のJR山陽本線に乗るんだったけど…急げばもっと早く発てると思い、ほとんど展示物見なかったわ。

急いで天守閣に上がりました…「錦帯橋」もよく見えます。

吉香公園、城下町、錦帯橋から岩国市内一面、岩国航空基地、岩国錦帯橋空港、瀬戸内海の島々や四国、宮島までが一望できるんだって~

9:20には出ちゃった…

「岩国城」は、初代岩国領主「吉川広家」によって慶長13年(1608年)に造られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200mの城山に位置していました。

三層四階の桃山風南蛮造りでしたが、築城後8年で“一国一城制”により取り壊されました…現在の天守は、昭和37年に再建されたものです。

9:30のロープウェイに乗れました。

コッチの堀?にも亀たちが。

「吉川史料館」です。

また「剣豪佐々木小次郎の像」前を通り…

「さくらの茶屋」近くに掛かる橋(朝にも途中まで歩いた)を渡ります…コレは「錦帯橋」を渡ると¥300掛かるから。

朝はちょっと曇ってたけど、今はイイ天気だよ。

9:45ごろ「錦帯橋」バス停に着きました…こんな「いちすけ号」なんて走ってたんだぁ。
でもそれが岩国駅行きなんて知らず…9:50ごろに出るバスが「岩国駅」行だったんで、ちょっと遠回りみたいだったけど乗っちゃった。
そしたらその運転手、オバアちゃんが「降ります」ボタン押してたのにスルーしちゃって2停留所先で降ろしたんだよ…やっぱ「いわくにバス」さん、しっかりしましょうね。
そのバスは朝に行った「白蛇神社」付近も通るバスだったみたい…今なら「白蛇観覧所」とか観れたけど、もうイイや。
やっぱ遠回りだったから10:10ごろ「岩国駅」に着きました…次は「宮島」に行くけど、この1時間の時短も意味があったのか?はまだ分かりません。

10:23「岩国」発のJR山陽本線に乗り…

10:45「宮島口」に着きました。
「宮島」の後は「竹原」に行くんだけど、このJR山陽本線の車内で調べたら…「宮島口」12:19発のJR山陽本線に乗れれば、当初「竹原」には16:10着だったのが14:43着(約1時間半短縮)になるんだよ

とりあえず「JR西日本宮島フェリー」乗場に行き、乗船券(¥180)を買いました。

うぉ~スゲェ人だらけだぁ…でも11:00発の「JR西日本宮島フェリー」に乗れました。

「宮島」に着くのが11:10…混雑あるといけないから帰りはフェリー乗場に11:40には着いていたい…じゃあ30分しか無いけど「宮島」は何度か行ってるからさ、何とか30分で戻って来るぞ~

海から大鳥居を望める「大鳥居便」なので、船上から大鳥居を観ることができました。

もう1社「宮島松大汽船」ってのもあるんだけど、そっちは「大鳥居便」みたいの無いんだね。
俺はたまたま流れで?「JR西日本宮島フェリー」に乗ったけど…コレ(大鳥居便)って会社の力の差なの?運賃同じ片道¥180なら皆「JR西日本宮島フェリー」に乗っちゃうんじゃない?

11:10ごろ「宮島フェリーターミナル」に着きました。

もうスゲェ外国人がいっぱい居るし、日本人も多いし…早く出ろよ~って感じだったわ。

おぉ第1「鹿」発見…って、前はもっと居たような…

スタバもあるんだね。

この小船も観光船なのかな?

おぉ人力車も走ってるぞ。

あの小船は大鳥居を通り抜ける体験?ができる船なのかな?

おぉ~「厳島神社」は参拝に大行列ができてるわ…もう11:30近くなったから引き返すことにしたよ。

厳島神社」は2006年に観てるんでイイや。

全体的に鹿減った?もっと別のトコに多く居るのかな?

帰りは「表参道商店街」を通りました。

焼きがき?焼き牡蠣のことかな?

そういえば知り合い(女性)が2年前くらいに「宮島(厳島神社)」で挙式したんだったなぁ。

女子高生多いなぁ…せっかくのGWなのに修学旅行?

巨人族用のシャモジだな。

11:40すぎちゃったけど…

最後に「平清盛」像を観て、フェリー乗場へ

青いのが「宮島松大汽船」で、赤いのが「JR西日本宮島フェリー」だよ。

11:45発の「JR西日本宮島フェリー」に乗れて、11:55「JR宮島口桟橋」に着きました。

コッチが「宮島松大汽船」の乗場なんだね。

途中のコンビニで昼ゴハンを買い…

12:05ごろ「宮島口」(駅)に着きました…駅から真正面にあるのが「JR西日本宮島フェリー」乗場なんだもん。
そして…12:19発のJR山陽本線に乗れたことで、予定より約1時間半の時短に成功しました

では、続き(竹原)は改めて別ページでレポートしまーす。


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駿府城~久能山東照宮…そして秋葉原へ!?

2017年12月24日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月24日(日)
寝たの何時だったか覚えてない(多分0:00くらい?)けど、1:00に目が覚め…それから4:00に起きたんで、けっこう眠れたね…って、やっぱ餃子店で生中2杯飲んだからかな?
それにしても昨日もだったけど店内の暖房が効きすぎてて熱い…昨日なんて「あつい~」って唸ってるヤツいたもんね。

このネットカフェ、女性専用エリアもあるんだよ…従業員でも男は入れないのかね?
今日は入店時間(22:15)なんで7:15(9時間)で出るつもり(7:47発のバスに乗るんで)だったけど、8時間だとナイトパックが適用になり500円くらい安くなるんだわ。
シャワー代(300円)も掛かってるから6:15にチェックアウトしたよ…まぁ1時間半くらい待合室にでも居ればイイからさ。
外に出たらまだ暗かったけど…「駿府城」に行ってみることにしました。

まだ日の出前だし、どうやら今日は曇りっぽいし…

駿府城公園内はフツーに入れるっぽいぞ。

コレは「本丸堀」です。

俺のキライな家紋があるじゃない。

天守台の発掘工事が行われているっぽいぞ。

2016年から2019年3月まで3年間で天守台全体とそこに接する本丸堀を発掘調査して、4年目は天守台の内部をさらに掘り下げて13~16世紀に駿河と遠江を支配していた今川氏の時代の遺構を調査しています。

駿府城跡天守台発掘調査現場は普段は安全上立入禁止の現場を常時観覧できる「見学ゾーン」、

そして調査に関する基礎情報を分かりやすく展示している「発掘情報館きゃっしる」を併設しています。

コレは「やすらぎの塔」です…以前は台の上に学徒動員に関するものだった?像があったようです。

その横に新しく設置された戦没犠牲者追悼碑「とこしえ」があります。

駿府城公園には大御所時代の「徳川家康」像があります…昨日の浜松城は若き日の家康像だよ。

駿府城は「徳川家康」が大御所となって隠居した際に使われた城です。

ココは「紅葉山庭園」の入口です。

コレは「二ノ丸水路」です。

「巽櫓」と「東御門」です…7:00「駿府城公園」を出たよ、もうけっこう明るくなったね。

「石田ゆり子」サン…俺よか2歳お姉さんだけどイイよね~

7:10静岡駅に着きました。

駅にある「徳川家康」像も…大御所時代だね。

そして幼少期の「竹千代」像です。

駅前にズボンが脱ぎ捨てられてました…こんな寒い季節にパン一でどこ行ったんだろ?

今日はクリスマス・イヴ…きっと君は来ない~

南口に出てマックで朝マック買ってバス停に行きました。

今、7:30…俺、7:38発と勘違いしてた…7:47発だったわ。

露出してる女性が2人も。

路バスに乗って「中平松」で降りました…前に来たとき、バスでココの前を通り過ぎたときに発見してたんで6年越しに来れたってことかな。

ココには「天羽衣神社」があります。

昨日「三保の松原」周辺で天女(像)を見て来たけど…ココの祭神は「天女之霊」って書いてあったからね。

中は入れなかったけど、写真だけ撮れたよ。
これから「久能山東照宮」に向かうんだけど…ココで途中下車しちゃったし、もう当分バスは来ないんで歩きです。

途中にあった「石蔵院」です…左は「井出八郎右エ門」の墓です。
「徳川家康」が75年の生涯を「駿府城」で終えて…遺言により、その亡骸が「久能山」に葬られることになりました。
その葬儀の行列がこの「石蔵院」の前を通り過ぎた後、一人の武士が割腹して果てました…その武士が「井出八郎右エ門」でした。

「石蔵院のお葉付イチョウ」です。

境内です。

30分くらい歩いてようやく久能山下に着いたよ…以前はこの郵便局前のバス停からバスに乗って静岡駅に帰ったんだったな。

8:55登山開始でーす。

静岡駅まで無料シャトルバス出てるんだ…

「久能山東照宮」は2度目だね…前回は「日本平」からロープウェイで降りて来たんだよ。

「駿河稲荷社」と「久能山徳音院」です。

「表参道」を上がって行きます…前回は下って来ただけなのだが…

山下「石鳥居」から本殿前まで17曲り1,159段あります。

この石段を利用して?どっかの高校か大学の陸上部?が練習してたよ。

昭和32年に「日本平ロープウェイ」が開通するまでは、この表参道が唯一の参拝路でした。

俺の脚だと…まあまあキツい。

今日は曇ってるな…「日本平」から富士山見えるのかなぁ?

9:10ごろ「一ノ門」に着きました…写真右は「門衛所」です。

写真左にある井戸は深さ33メートル、石垣積で戦国時代に武田信玄公の軍師「山本勘助」が掘ったと伝えられ、昔の久能山城を語る貴重な文化財です。

コレは「久能山東照宮博物館」です。

お土産屋です。

今、9:15くらい…10:00のロープウェイに乗るんで入口を見てみると…12月1日から30日まで「運転休止」だってよー
マジか…コレじゃあ「日本平」に行くルートが無くなったじゃないか…

気を取り直し…参拝は¥500です。

コレは重要文化財の「楼門」です。

裏側左右の金剛柵内に狛犬(左の角が有る方)と、獅子(右の角が無い方)が据えられています。

「家康梅」だって。

「久能稲荷神社」と「神厩」です。

コレは「五重塔跡」です…以前この場所には三代将軍「徳川家光」公の命により寛永12年(1635年)に着工、寛永13年正月に完成した高さ約30メートルの五重塔がありました。

正面の「唐門」からは入れません…写真右に写っているのは「鼓楼」です。

「神楽殿」にはプラモデルが展示されていました…静岡にはプラモデルのメーカーが多いんだよね。

写真左は「竈神社」です。

写真左は「日枝神社」です。

コレは「御社殿」です…御祭神「徳川家康」公をお祀りする「本殿」と参拝をするための「拝殿」を石の間で連結した「権現造」と呼ばれる様式で、全国に数多く創建された東照宮の原型となりました。

久能山東照宮の御社殿は「徳川家康」公を祀る霊廟として元和3年(1617年)に創建されました。
二代将軍「徳川秀忠」公の命により宰相頼将卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉行となり中井大和守正清を大工棟梁として元和2年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月という短期間に造営されました。

「唐門」の彫刻です。

樹齢650年の「大蘇鉄」です。

「廟門」は廟所に通ずる門です。

この「廟所参道」は廟門から神廟までの間をつなぐ参道です…左右には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられています。

コレは「神廟」です…御祭神「徳川家康」公の御遺骸を埋葬し奉った所で以前は御宝塔と称えていました。

今、9:40ごろ…フツーにロープウェイが動いてればちょうどイイ時間だったのに。

「しかみ像」だ…あのとき家康が討たれておれば…

あれ?太陽出てきた…晴れないんなら「日本平」行けなくても仕方ないか…と思ってたのにぃ~

10:00に久能山を下り始めました…無料シャトルバスの発車時間が10:30だから余裕だけどね。

帰りは下る予定じゃなかったのにな…元々、この旅程はけっこう前に作ってたのが流れて12月になっちゃったからさ、最新の情報を入手してなかったんだよ。

石鳥居をくぐってスグの「久能梅林」に入ってみました。

「石垣いちご発祥の地」碑だって…「章姫」というイチゴを育成した「萩原章弘」氏の碑もありました。

石鳥居に着くと…何か御払い?してるね。

行きに来たときは目立つトコに置かれてなかったロープウェイ運休の看板が。

まだ10分あるんで海を見に行きました…今日は波が静かだな。

何かイベントやってたみたい…10:30にシャトルバスが出たけど乗ったの俺だけだったわ。
でも、コレが無かったらロープウェイは運休、路線バスは本数が少なすぎ…だったからね。

1箇所だけ停車します…「すんぷ夢ひろば」という温泉施設みたいで入口手前にはカート場もあったよ。

10:35に着いて、ココからは10:40発だったんでチョット降りてみました…大江戸温泉物語「天下泰平の湯」だって。
そして11:00ごろ静岡駅に着き…11:13発の東海道本線に乗り、沼津熱海を経由して14:38「東京」着山手線で「秋葉原」に行きました。

今日、史跡ハントの後に「秋葉原」に来たのは、16:30~「セガコラボカフェ」(ガールズ&パンツァー)を予約してたんでさ。

コレはもし「日本平」に行ってても、このくらいにアキバに着く予定で計画してたんだけど、15:00前には着いちゃったわ。

今、秋葉原では「World of Tanks」×「ガールズ&パンツァー」の“第5次秋葉原上陸作戦”やってるよ。

「セガコラボカフェ」は写真左の駅を出て目の前のビルの5階ぞね。

やっぱ1時間もツブせず、16:00前にはビルに入って待ってたよ。

16:30に一番で入場したけど…俺の席に注文を取りに来るのが遅いんだもん。

注文した「聖グロリアーナ女学院&プラウダ高校のミルクティーパフェ」(¥1,000)が来たの17:00過ぎてたもんな~

店内にはこういうパネルがあって…ドリンクメニューも豊富にあるけど、けっこうお高いのよ。

だから欲しい特典だけ確実にゲットできればイイかな…このカフェは予約制だけど、入場でチャージ取られるワケじゃないしね。

そして17:30ごろ出て、18:45ごろ横須賀中央に戻りました。

晩ゴハンは「よこすか×ハイスクール・フリート グルメスタンプラリー2」の“もかちゃん”の店「居酒屋 空母信濃」で“超大型「武蔵」のハヤシライス改(二〇一七式)”を食べました。

さて…今回の戦利品です。

コレは静岡の戦利品で、クリアファイルと直虎ちゃん、安倍川餅とミカンです。

コラボカフェで買ったクリアファイルセットと特典のブロマイド、コースター、クリスマスカード…“第5次秋葉原上陸作戦”の駒をゲットするために1個買ったキーホルダーです。
引いた駒は「歩兵」…って、ハズレじゃねーかよ…なら、キーホルダーは「ダージリン」か「まほ」が欲しかったのに「カチューシャ」じゃ、どっちもハズレだよ

今回は閉館ギリギリで大河ドラマ館を観に史跡ハントして来たけど…来年は「薩摩」で、あんま新たに行くトコも無さそうだな。
では、これにて年内最後の史跡ハントは終了です。


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「おんな城主直虎」史跡めぐり~後編

2017年12月23日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月23日(土)
では、後編の開始でーす。

また「井伊谷宮」付近を通って…

ココは「井伊氏居館跡」だよ…今は公民館らしい。

そして「井殿の塚」に着きました…井伊直満(宇梶剛士)と弟の井伊直義を祀った塚です。

井伊直満の子・直親が家督相続することを嫌う家臣の反感を買い、特に井伊家家老「小野政直(吹越満)」とはもともと仲が悪かったため、井伊家の領地を横領しはじめた甲斐国武田軍に対して直満と弟・直義が父・直平の命令で軍備を進めていたところ、政直が「直満・直義兄弟に逆意あり」と今川義元に讒言しました。
天文13年(1544年)直満は直義とともに駿府に呼び出され義元に弁明しましたが、政直の讒言を信じた義元に殺害されました。

この小さいお墓?は何だろう?

「井殿の塚」を出て行くと…

畑(花壇?)に直虎がいたよ…そしたら近くを歩いてたオバサンが「小野さんの供養塔がアッチにあるわよ」と教えてくれたんで「足切観音」の方へ行ってみます。

コレは「晋光禅寺」です。

コレが「足切観音」の鳥居かね?

コレが「足切観音」みたいっス。

歴応元年(1339年)「井伊道政」とともに、この地で戦乱に明け暮れていた南朝の「宗良親王」は敵の流れ矢を受けて落馬してしまいます。
すぐに従者が駆けつけましたが、不思議なことに傷は消え跡もありません…井伊谷城にいた親王はその夜、観音様の夢を見ました。
翌朝、すぐに参拝すると観音様の片足は鮮血に染まっていました…親王は「自分の身代わりとなってくださった」と涙を流し、終生の守り本尊として常に念持し祈願したと伝えられています。
それで草鞋とかいっぱいあるのかな?

この祠は何だろう?

今は14:10…何かよく分からないまま「井伊谷城跡」を目指すことになっちゃった…ホントは14:30くらいのバスに乗る予定だったけど1本遅らせたわ。

頂上?に着いたよ…

奥の方にチョットだけ「浜名湖」も見えるね。

速攻で「井伊谷城跡」を下り…

「二宮神社」に着くと、横の小さな祠に説明書きがありました。

現在はこの「天王社」に合祀されているけど「小野政次(高橋一生)」を祭神とした「但馬社」が建てられていたそうです。
…でもさっきのオバサンが言ってたのはコレじゃないな…と思ってたら掲示板に紹介されてたぞ。

コレは「二宮神社」です。

掲示板の地図を頼りに歩いてみたら…ありました「小野政次」の供養塔です、河畔にあったモノが移されたみたいよ。

「二宮神社」の鳥居です。

バス停「井伊谷」からバスに乗るんだけど…14:32発のに5分遅れで乗れなかったんで、14:52発のバスを待ちます。
…でも来たの予定時刻の10分後だよ…1本前のバスも10分遅れてくれりゃ乗れたのに。

15:15ごろ「ベル21」というバス停で降りました。

川沿いの道を歩くと右側に見えてきました。

コレは「井伊直親」の墓です。

天文13年(1544年)「小野政直」の讒言によって父・直満を「今川義元」に誅殺されると、更なる誅殺対象になりかねない幼少の直親は家臣に連れられ、井伊谷を出奔して武田領であった信濃国伊那郡松源寺へ落ち延びました。
弘治元年(1555年)に井伊谷への帰参が叶うと、ココ祝田を拠点とします。

永禄3年(1560年)従兄であり養父・直盛が桶狭間の戦いで戦死したため家督を継ぎますが、直親は「小野政直」の子・政次の讒言により、主君「今川氏真」から「松平元康(のちの徳川家康)」との内通の疑いを受けます。
縁戚であった「新野親矩」の取りなしで、陳謝のために駿府へ向かう道中の永禄5年、掛川で今川家の重臣「朝比奈泰朝」の襲撃を受けて殺害されました…享年27でした。

さっきの1つ先の「祝田」に着くと…10分後の15:40発のバスがあるじゃん

16:25すぎ「美術館」で下車しました…この城のような建物は交番でした。

もう16:30過ぎたから天守には入れないけど「浜松城」に行ってみました。

ココの石垣の石は平べったいね。

浜松城には10本の井戸があったそうです。

火球じゃないよ。

家康・直虎・直政の顔出しパネルがあるね。

「徳川家康」が29歳から17年間在城していて、家康が去ったのち浜松城主となる事が幕閣への登竜門とさえ言われていました。

平成26年3月に復元された「天守門」です。(写真右)

現存する石垣は築城当時のもので、野面積みと言われています。

浜松城公園維持管理の職員2名が、園内で採れた材料(松・竹・梅・羊歯)で完成させた門松なんだって。

「徳川家康」像です。

引間城本丸跡にある「東照宮」です…ココには2011年6月に来ているよ。

そのとき無かった(と思う)像があるぞう。

秀吉は子供バージョンだね…まぁ俺は秀吉派(西軍)ですが。

17:10ごろ「浜松城公園入口」からバスに乗って浜松駅に戻りました…まだ静岡(今日も同じネットカフェ)に帰るのも早いんで「餃子」を食べてから帰ることにしたよ。
浜松は繁華街が駅から少し離れてるのかなぁ? 結局、駅近辺に餃子店を発見できず、18:00「浜松」発の東海道本線に乗りました…コレ「掛川」行でさ、あと10分待てば直通で「静岡」に行けたけど、今待つか後で待つかの差だろうから先に乗ったんだよ。
そしたら2駅くらい先で電車が停まってさ…何だか先の方で列車にイノシシが衝突したとかでさ、「そんなのスグ終わるだろう」と思ってたら大変なことになってたね。
もう俺は寝不足と疲れで寝ちゃってたけど、起きても全然進んでないんだもん…ようやく発車してから1時間半後の19:30ごろ「掛川」に着いたよぉ、通常なら30分も掛からないんだよ。
とりあえず「掛川」に着いて別のホームにいた上りの「熱海」行に乗ったけど全然動き出す気配が無い…ってか、全然メドが立っていないらしいんだわ。

少し考えてこのまま居てもいつ復旧するか分からない…でも運良くココは「掛川」だから新幹線があるぞ…ってことで自由席(¥860)買って、20:05発の「こだま」に乗っちゃったよ。
もう他に交通手段無いしさ…翌日のことを考えても予定通り「静岡」に戻っておきたかったからね。
20:20ごろ「静岡」に着いた後も大変…俺はSuicaで改札入ってたから清算するにも、他にも大勢振替で新幹線に乗った人たちの清算で窓口に大行列ができてるんだもん。
俺が清算終わったのも20:40すぎだもんな…でも乗車券(Suica)は浜松‐掛川間しか取られなかったよ、そりゃ乗るはずもなかった新幹線に乗って自由席券(¥860)買ってるからね。

それから晩ゴハンの店を探しがてら映画館を見てみたけど…特に「ガルパン」での盛り上がり(装飾など)は無かったわ。

その後は俺がよくフィギュアやDVDの購入をしている「駿河屋(本店)」を覗いてみたけど…モノが多すぎて探す気にならなかったよ。

そして晩ゴハンは浜松で探せなかった「餃子」を食べました…この界隈(ネットカフェ付近)は繁華街で飲食店も多く、夜遅くまで(朝まで?)若者が居るね。

「男餃子」「チーズ餃子」「わさび餃子」に「生ビール」っスよぉ、餃子+ビールは最高だよね~

それから22:15「快活CLUB」にチェックインしました。
東海道線が復旧したの22:20だってよ…俺が新幹線に乗る決断をしたのが18:40ごろだから、ただ待ってたら3時間半待ったんだねぇ。
早めに決断して正解だったし、「掛川」まで出れて良かったよね…新幹線と接続の無い駅だったら「浜松」に引き返して、泊りになってたかもな~

『23日午後5時50分ごろ、JR東海道線菊川-金谷駅間で、浜松駅発静岡駅行きの上り普通列車(3両編成)がイノシシと衝突し、自力走行できなくなった。乗客約200人にけがはなかったが、掛川-島田駅間の上下線が約4時間半にわたり運転を見合わせ、約2万1500人に影響が出た。
JR東海静岡支社によると、イノシシと衝突した衝撃で車体下の空気配管が損傷したことが原因とみられる。JRでは下り列車を隣接させ、乗客を菊川駅に運んだ上で、故障した列車に別の列車を連結して島田駅に移動させた。』

何でイノシシごときに列車が停められるんだ?と思ってたけど、急所をヤラれちゃったのかぁ…まぁおかげで?時間ツブしになったかね。
今日は禁煙のフラットに入れたから、ゆっくり休めそう?


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「おんな城主直虎」史跡めぐり~前編

2017年12月23日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
12月23日(土)
この週末はずっと延ばしてきた静岡・浜松に行って来たよ…大河ドラマ「おんな城主直虎」も先週終わっちゃったからね。
当初は金曜(22日)の仕事後、家を出て23:00くらいに静岡のネットカフェに入る計画だったんだけど…その前日(21日)の晩に伯父(母の姉の夫)が亡くなってしまい、22日が通夜?というか納棺になってね。

急遽、母と行くことになり、22日は午後から半休取って親戚の車で「春日部」まで行ったんだわ…母や叔父叔母は翌23日の火葬まで付き添うんで母の姉の家に泊まったけど、俺は盆と正月に親戚が集まったときに会う程度の伯父だったから出棺前に顔だけ見れればイイかな…と史跡ハントの計画はそのまま準備して行ったんだよ。
去年の12月末はウチの父、今年の12月末は伯父さんか…伯父さんは6年もガンで闘病してたからさぁ、もう楽になれて良かったのかも知れないな。
棺に入った伯父さんを見たら1年前の父を思い出してしまったよ…

だから今回は出発地が「春日部」となりました…20:22発の東武アーバンパークラインで「大宮」に出て、高崎線で「三島」東海道線で0:38「静岡」に着きました。
コレは春日部駅に停まってた列車
4時間以上掛かったんだね…まぁ当日中に着けば問題は無いけど、まさかの埼玉県東京都神奈川県静岡県入りになったなぁ。

明後日はクリスマス・イヴですか…静岡駅や駅ビルにもツリーが飾られてるね。

静岡駅前の「徳川家康」の像だよ…静岡の「快活CLUB」は以前も来てるんで、近くのコンビニで夜食?と朝ゴハンを買って、1:05チェックインしました。
今回、禁煙席が空いてなくて喫煙のフラットにしたんだけど…タバコの煙と足(靴)のニオイが混ざり合ってフロアが臭いんだよぉ、だから喫煙席はイヤなのにさ。
翌日もココに宿泊するけど禁煙席空いてなかったら別のネットカフェ行こうかなぁ?
喫煙席もイヤだったけど、トイレとドリンクバーが1階下、マンガ・雑誌は2階下まで行くのも面倒なんだよね…ドリンクはまとめて何杯か持って来ようにも両手ふさがってドア開けられないし。

ローソンで買った中部限定の「ホイップクリームドーナツ」美味しかったぞな。
翌朝は5:30ごろチェックアウト予定なんだけど寝たの3:00だったわ…

さて、ココから23日(土)の始まりよ…4:30に起きたけど、正味1時間眠れたかどうか。
3Fから7Fまでネットカフェだよ
買っておいたパンを食べ、5:30すぎチェックアウトしたよ…ちょっと早かったけど、煙たくてさ。

5:45ごろ「新静岡」駅に着きました…これから「新清水」に行くんだけど、静岡鉄道に乗ったことがなかったんでJRじゃなくコッチを選んだだけ。
この駅ビルには映画館も入ってて「ガルパン」も上映してるみたい…今晩ちょっと見て(映画じゃないよ)みようかな。

6:00発が始発だったようでまだ改札ができず、5:50くらいに改札をし…「ちびまる子ちゃん」車両を撮りに行きました。

もう何年も(ちびまる子ちゃん)見てないな…

昨日は「春日部(クレヨンしんちゃん)」今日は「清水(ちびまる子ちゃん)」だね。

乗るのは一番左端のカッコいい車両でも、まるちゃん車両でもなく…真ん中のノーマル車でした。

6:20ごろ「新清水」に着いて、これから向かうのは「三保の松原」なんだけど…その前に見たいトコがあるんで途中まで歩いて、それからバスに乗ります。

途中には「エスパルスドリームプラザ」なんてのがありました。
6:43に目的地近くの「埠頭」からバスに乗るのに、コレじゃ間に合わん…そこは帰りにバスを途中下車することにして1つ手前の「波止場フェルケール博物館」から7:39発のバスに乗りました。(あれ?それじゃ埠頭発は6:40くらいかな?)
あとちょっとだったんだけどな…20分じゃ足りなかったかぁ、イケると思ったんだけど初めて歩く地と一度でも歩いたことある地とでは感覚が違うからね。

7:00前に「三保の松原入口」で降りました…去年9月に訪れているんだけど雨が降ってたんで「富士山」が見えなかったんだよ。
でも今日はバス停からスグ目の前に「富士山」が見えたよ

そして「御穂神社」に行きました。

右は「本殿」です。

左は社務所? 右は「舞殿」です。

コレは「子安神社」です。

コレは「八幡神社・八雲神社・神明社」です。

コレは「拝殿」かね。

コレは「磯前神社・呉服之神社・産霊神社・胡夫大夫神社・稲荷神社」です。

コレは「神馬」です。

「御穂神社」の鳥居を出ると…

「神の道」と称される樹齢300年から400年ほどの松並木が520メートルほど続きます。

こんな倒れかけた松もあるよ。

「神の道」を抜けると「羽衣ホテル」があって、入口には…

こんな像があったんだけど、コレはどう見たって「天女」じゃないよね?

「三保の松原」には謡曲『羽衣』で知られる樹齢600年の「羽衣の松」があるよ
この地に降り立った天女が羽衣をこの松に掛けて水浴びをしていたところ、漁夫白龍に羽衣を奪われてしまいます。(さっきの像のヤツか?)
返して欲しいと懇願する天女を憐れに思い、羽衣を返す代わりに白龍は天人の舞を見せて欲しいと頼むと…天女は羽衣をまとい、舞を舞いながら空へと戻って行きました。

まだ7:30前だからね…まだ太陽が低いね。

やっと見れた「三保の松原」の富士山だよ

今年は山頂部の雪が少ないみたいで…地熱が高まって噴火する前触れじゃないか?ってウワサだよ。(マジで?)

「羽車神社」と「世界遺産碑」です。

これから帰りのバスに乗るんだけど…行きのバスから気になるトコを発見してしまい、そこまで歩いて近くのバス停から乗ることにしました。

ココ「清水銀行」の建物の上に「天女」がいるんだよ~

何か赤い玉を持ってるね。
近くの「東海大学・海技短大前」に着くとバスは8:01に来るらしい…で、行きに行けなかったトコで途中下車し、歩いて「清水」駅まで行って8:34発の東海道本線に乗る…って、間に合うか?

8:12「埠頭」で降りました。

この「羽衣橋」の袂?にも「天女」がいるんだよ、前回来たときにバスから見えて今度また来るときに見てみようと思ってたんだ~

反対側の袂にも違うポーズの天女がいました。

飛び立つ天女をイメージしてるのかな?

コッチの天女は舞を舞っているイメージかな?

わざわざ途中下車して見る価値アリの「羽衣橋」でした。

さて…これから20分で駅まで着くだろうか…?

やっぱダメだったよ~でも6分後(8:40発)に直通の「浜松」行が来るんで何とかそれには乗ろうと頑張ってギリでホームに着いたわ。
当初の8:34発に乗ってると「静岡」で乗り換えがあってさ8:49「静岡」発のところ(8:40発に乗って)8:52ごろ「静岡」に着いたんで差が縮まったと思いきや、コレは9:05発なんだって。
計画よか少し遅れがでたけど…まぁ許容範囲なんでね、計画より20分遅れで「浜松」に着きました。

バス乗り場が何口かも分からなかったけど、出た方向で合ってたようで…でも切符買う場所も分からず少し彷徨っちゃったよ。
この後は「浜松」からバスで「気賀」周辺の「おんな城主直虎」史跡めぐりをしに行くんだけど…大河ドラマ館(¥600)龍潭寺(¥500)遠鉄バス電車1日乗車券(¥1,540)天竜浜名湖鉄道1日乗車券(¥1,700)の合計¥4,340が¥2,300になる「いいね!直虎1Dayパス」が買いたかったんだわ。

で、窓口を見つけて「1Dayパス」を所望すると「本日は龍潭寺が拝観できないんです」と…どうやら毎年12月22日~27日までそうみたいでさぁ、でも今年は大河ドラマやってたんだから土日くらい拝観させて欲しかったよね。
そうなると「1Dayパス」の中に含まれる「龍潭寺(¥500)」が初めから不要、天竜浜名湖鉄道には元々乗る予定は無い…ってことで、遠鉄バス電車1日乗車券(¥1,540)だけ買って、大河ドラマ館は現地で入場券(¥600)を買えば¥2,140となり「いいね!直虎1Dayパス(¥2,300)」より少し安くすることができました。

「そうかぁ…龍潭寺休みかぁ」と思いながら10:40発(計画よか20分遅れ)のバスに乗り…

11:35すぎ終点「気賀」駅に着きました。

あれ?この駅ってちゃんと列車が来る駅だよね?

そして11:45ごろ「大河ドラマ館」に入りました…大河ドラマ館は4作連続、通算7作目になるかな?今年4月は九度山に「真田丸」のドラマ館観に行ってるから年内でも2回目だね。

意外と来てる人多かったなぁ…先週ドラマも終わったし来年1月14日でココも閉館だしね。

写真撮れるエリアが限られててさ…あんま大して見応えってないんだよ、大河ドラマ館って。
次は12:15発のバスで「龍潭寺」に行く(周辺には史跡もあるから)けど、ココで当初の計画に追いついたよ。

まだ12:00…あと15分ほどあるんで「気賀関所」に行ってみました。

「気賀関所」は17世紀初めに江戸幕府が本坂通の気賀に設置した関所です。

ココは全国53箇所に設置された関所のうちで、東海道の新居(今切)の関所と同じく重要な関所と位置付けられていました。

関所は女性に対しては厳格で、気賀の関所では老中発行の女手形がなければ通行を許さなかったといいます。

「姫様館」だって。

入ってみると「駕籠」とかが展示されてました。

ドラマ館に売店とか無かったけど、コッチにあったんだね…少しグッズを買ったりしてたら15分経ってしまい、小腹も空いたから次の30分後12:45発のバスに乗ることにして、屋台?の小吃を食べてました。

「浜松」と言えば「餃子」(6個入り¥400)なんだよね。

それと「うなぎ焼きおにぎり(¥200)」が気になったんで食べました…一緒に写ってるのは、さっき買ったばかりの「直虎ちゃん」だよ。

あ、直虎ちゃんと家康くんだ。

12:30「気賀関所」を出ました。

刺股・突棒・袖搦

コスプレできるみたいよ。

またドラマ館に戻り…

そして12:45発のバスに乗って…

12:55ごろ「龍潭寺」に着きました。

今日は休館日だけど山門くらいまでなら見れるだろう…と行ってみると境内に入れたよ。

大河では「菅田将暉」が演じてた「井伊直政公出生之地」碑がありました…右は「鐘楼堂」です。

写真右は「東門(旧鐘楼堂)」です…龍潭寺では一番古い約400年前の建物で、 直政母が再婚した「松下清景」の養子となった「松下一定(中野直之の次男)が寄進した建物です。

コレは「庫裡」です…文化12年(1815年)に第14世住職の仲山和尚代によって建立されました。

コレは「本堂」です。

龍潭寺本堂は江戸時代前期、延宝4年(1676年)七世喝岩和尚代、井伊家27代(彦根4代目)直興公の寄進により再建されました。

コレは「開山堂」です…龍潭寺歴代住職のお位牌(御霊)を祀るお堂です。

ココ「龍潭寺」で見たかったのは「井伊氏歴代墓所」なんだけど、そこまでは立ち入り不可かな?と思ってたら…

「井伊氏歴代墓所」も観ることができました。

正面右は1代「共保」左は22代「直盛」(大河では杉本哲太が演じた直虎の父)です。

写真右は歴代の墓になります(前田吟が演じた20代・直平も含む)…左には大河でも登場した面々が

一番手前が「井伊直政(24代)」1つおいて写真右の左側が「三浦春馬」が演じた23代「直親」、右は「直虎(柴咲コウ)」だよ。

「直政」「直親室」「直親」「直虎」「直盛室」ですな。
“徳川四天王”にも名を連ねた直政だけど、関ヶ原の戦い(1600年)の2年後に42歳で亡くなっちゃうんだよ…死因は関ヶ原で島津軍に狙撃された鉄砲傷が原因だって。
コレって拝観料払って何が観れたの?俺としては墓参りできれば十分だったんで拝観料元から要らなかったんじゃね?

コレは「宗良親王墓」です…鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族で、後醍醐天皇の皇子です。

歩いてたら「井伊谷宮」に着きました。

コレは「井伊社」です。

資料館には「豊臣秀頼」と「淀君」の書?があったよ。

コレは「井伊谷宮」です。

コレは御神木かな?

13:20「井伊谷宮」を出ました。

「井伊谷懐古三首」だって。

また裏から入って来てたんだな。

また「龍潭寺」方面に戻る途中に「みかん」が売ってたんで買っちゃいました(1袋¥100)…家に帰ってから食べたらメチャ美味しかったよ。

「龍潭寺」近くのお土産屋でも買い物して…

それから「伝井伊共保出生井」に行ってみました。

直虎の先祖・井伊氏初代「井伊共保」が平安時代の1010年に生まれたと伝わる井戸です。

コレが「伝井伊共保出生井」だね…産湯の井戸とかじゃなく、井戸で生まれたの?

では文字数がオーバーしちゃうのでココで一旦〆ます…続きは後編で。


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鶴ヶ峰・二俣川合戦の地~旭区・保土ヶ谷区周辺めぐり

2017年11月25日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
11月25日(土)
今日は午前中、チャリで買い出しに行って来ました。

西住まほ「凄いじゃないか、エリカ」
逸見エリカ「いえ…コレは逸見(へみ)と読みます」
わざと逸見駅前を通ってみました…

左衛門佐「ココが徳川家康に仕えた三浦按針(ウィリアム・アダムス)の所領だったとされる地に建つ鹿島神社か」

西逸見町の「塚山公園」には按針夫妻の慰霊のために作られた2基の供養塔があり…「按針塚」と呼ばれています。

それからヴェルニー公園を通って…イオン横須賀店や業務スーパーに行ってから、衣笠の「はらどけい」に行って金券で「今川焼き」買って来ました。

秋山優花里「西住殿は“つぶ”と“こし”どっちが好きですか?」
西住みほ「私はチーズケーキ味かな」(期間限定メニューでした)
秋山優花里「え~っ」
この今川焼きは昼ゴハンと、この後行く史跡ハントの非常食にしたよ。
家に帰ってチャリを置き…11:00過ぎに家を出て横浜市旭区(鶴ヶ峰)に向かいました。
今日は特にイベントも無くヒマだったんでさ…ゲオで「ガルパン」キャンペーンやってて、神奈川県では唯一「聖グロリアーナ女学院」のある横浜市で「ゲオ今宿店」だけキャラパネルが設置されてたんだわ。
でもさぁ…本牧店とか岡野店じゃなく、どうして今宿店なんだよ…遠いじゃん。
最初はこのためだけに旭区まで行くのバカらしいんで行く予定にしてなかったんだけど…周辺に史跡とか無いか探してたらあったんで決行することになったんだよ。

12:10ごろ「鶴ヶ峰」で降りたんだけど…多分、降りたの初めてだなぁ、次の「二俣川」は車の免許関係で降りたことあるけど、そもそもあんま「相鉄線」って乗らないからね。

コレは「旭区役所」だね…この近くに史跡があるらしいんだけど…

川?があるけど…俺が探してる史跡は無いなぁ。

あぁ、やっと「鶴ヶ峰駅入口」交差点に「畠山重忠公碑」を見つけたよ。

ココにあるのは「さかさ矢竹」と「畠山重忠公碑」です。

「畠山重忠(1164年-1205年)」は父が源氏の家人でしたが、“平治の乱”で「源義朝」が敗死すると平家に従っていました。
1180年に「源頼朝」が挙兵すると頼朝討伐に向かい、“石橋山の戦い”で頼朝が大敗を喫して潰走すると相模国まで来ていた畠山勢は鎌倉の由比ヶ浜で、頼朝と合流できずに引き返して来た三浦勢と遭遇して合戦となります。
その後「畠山重忠」は三浦氏の本拠の衣笠城を攻め、三浦一族は城を捨てて逃亡…重忠は一人城に残った老齢の当主で、母方の祖父である「三浦義明」を討ち取りました。
頼朝が安房国で再挙すると頼朝に帰伏しますが、まだ父の「畠山重能」は平家方だったそうです。

それから区役所の駐車場に入ってみると…

「首洗い井戸」と「鎧の渡し」の標識がありました…って、標識のみかい

その近くに「首塚」がありました…重忠の首が祭られた所だそうです。
「畠山重忠」は頼朝の元で数々の武功を立てましたが、頼朝の死後「北条時政」の策謀により、時政の子「北条義時」率いる大軍に攻められて滅ぼされました…これを“畠山重忠の乱”といいます。


次は「白根神社」を目指します

13:10ごろ「白根神社」の鳥居に着きました~

「白糸の滝」だって。

おぉ、コレが滝?ちょっと小さいが…

紅葉も不完全だから緑、赤、オレンジ、黄色…いろいろあってキレイかも。

撮る角度等によって、見える色の割合、光の加減が違うので少し変化が付けられるね。

手前(下方)がもっと紅くなれば…さらにキレイかも。

宗谷ましろ「小さな滝だけど、マイナスイオンで癒されるな」
岬明乃「このくらいだと滝を1人占めしてる感じだね…って2人か」

ココ「白根公園」を突っ切っちゃえば速かったのに、回り道しちゃってたわ。

先に「白根不動尊」を見てみました。

この先は立入禁止だってよ。

どういう意味?

白根不動尊は「源義家」が“前九年の役”で勝利したことから、そのお礼に伽藍を建立したのが始まりとされています。
義家が兜の中に納めていた不動明王坐像を本尊とする白根不動堂が明治の神仏分離によって廃寺となり、社号を改めて造営されたのがコチラの神社だそうです。

紅葉もキレイだけど、まだ全開じゃないのかね?

コレは「白根不動尊」の鳥居だね。

けっこうな急坂を上がって行くと「白根神社」があります…御祭神は「日本武尊」です。

ネコにガンつけられました。

やっぱ紅葉って日が当たる上の方から紅くなるんだよね?

「白根公園」を離れ、その後辿り着いたのは「駕籠塚」です。

ココで「畠山重忠」の内室「菊の前」は夫の戦死を聞き、自害しました…駕籠ごと埋葬されたそうです。

近くの「鶴ヶ峯神社」です。

稲荷社の社殿は?

また「駕籠塚」前の道に戻り…鶴ヶ峯中学校近くにある「すずり水石」(標識のみ?)は探せず。

ココは「六ツ塚(薬王寺)」です。

「畠山重忠」を始め一族郎党134騎を埋めたと伝えられる六つの塚があります。

あれ?どれも「畠山重忠公」って彫られてるし。

「畠山重忠公戦死之地」碑があるってことは…重忠は二俣川の戦いで「愛甲季隆」の放った矢に討たれ、ココで首級を取られたのかね(享年42)。

毎年、命日の6月22日には慰霊祭が開催されているそうです。

この墳墓も関係あるのかな?
それから約20分歩いて…

14:30「ゲオ今宿店」に着きました…もう帰りは絶対バスだな。

ダージリン「わざわざこんな遠方まで来てくださったのね」

QRコードでゲットした画像でーす。

帰りは近くのバス停(筑池)からバスに乗ったよ…来たのが「鶴ヶ峰駅」行だったんだけど、ココのバスは一律¥210なんだね。
だったら「横浜西口」行が来るの待てば良かったかな…って、乗ってから気づいたんで仕方ない。

鶴ヶ峰駅で降りた後、相鉄線の「星川」で途中下車しました…行きに車窓から見えた寺か神社があって、そこに行ってみようと思ってね。
スゲェ大きな銀杏があってさ…スグ地図アプリ見たら「杉山神社」っぽく、駅からそう遠くなさそうだし祭神も「日本武尊」なのでさ。

駅近くの団地にも紅葉が

とりあえず、大きな銀杏を目指して歩くと…

おぉ、やっぱデカい…けど「杉山神社」ではなく、「法性寺」だって。

今は右側しか銀杏は無いけど、以前は門の両脇に1本ずつあったんだって~

樹齢どのくらいなんだろう?

その後は「杉山神社」にも行ってみることにしました。

およそ1200年の歴史がある…って、800年代って平安時代創建なのかね?

横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ、地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていたようです。

古くから杉や松などの緑に恵まれ、昭和以前の時代にはそれらの木々が境内全体を真四角に囲むほどだったといいます。

境内の石碑です。

今日は「白根不動尊」に続き、ココでも「クソ上司が早く辞めるよう」願っておきました。

コッチが鳥居のある正面入口だったね。

帰りも「法性寺」前を通ったけど、ホントにデカい銀杏だよな~

そして相鉄京急を乗り継いで、16:45ごろ「横須賀中央」に着きました。

月曜からの定期券を購入してたりして、17:00「とんかつ方丈」に入りました。

今日は「さかくらビル」47周年…ってことで、ビル生誕祭にともない方丈では「ビル解体トンカツ」が提供されました。(¥1,404)

杵崎あかね「さかくらビル、47歳おめでとうございまーす」

自分でカット(解体)するコース!?を選択させていただき…って、ビル生誕祭で解体しちゃう?
まぁやっぱ最上階からね…5階コミュニティスペースがぁ~

そして「いりふね」が破壊され…ついに1階を残すのみとなりました。

1階も分断され…最後は地下(箸入れ)の方丈だけ…って、食べるトコはもう無いね(看板の蒲鉾?は食べたよ)。
いくら地元でも牛丼系の4倍もするから、そんな頻繁に外食なんてできないし…滅多に来れないけど美味しく解体させていただきました。

さて…明日は「横須賀シーサイドマラソン」です…俺は不参加だけど、朝から「はいふり」オリジナルグッズの物販には参加しまーす


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GW史跡ハント~下野国

2017年04月30日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
4月30日(日)
15:21「太田」発の東武伊勢崎線は15:32「足利市」に着きました…今日は埼玉(川越)からスタートし、群馬(太田)、栃木(足利)へと3県目になるんだね。
③下野国~足利編
ココではレンタサイクルを借りるんで、まず足利観光交流館「あし・ナビ」に行きます。

レンタサイクルの受付は16:00までだったんでね…少し時短して着いて良かったわ。
¥400でチャリを借り…18:00までの返却なんでチャチャッと巡らないとね。
とりあえず最初に向かうのは16:30まで入場受付の「足利学校」だよ。

ちょっと回り道になっちゃうんだけど…「渡良瀬橋」を渡って行きました。

もちろん流れている川は「渡良瀬川」だよね~

この先が「足利学校」だね…孔子像が立っています。
 
15:55「足利学校」に入りました。(参観料¥420)
この門は「入徳門」です…寛文8年(1668年)徳川幕府第4代将軍「徳川家綱」のときの創建ですが、天保2年(1831年)鑁阿寺安養院の火災により焼失、同11年(1840年)頃修築、その後明治の中頃に移転修築したと伝えられています。
扁額「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言「徳川斎順」の書です。

釈迦、キリストとともに世界の三聖人の一人として崇められている「孔子」は、中国春秋時代の魯国(現在の山東省済寧市曲阜)の人で、儒教の開祖として歴代の皇帝に尊崇され、後に「至聖先師」の称号を贈られました。
俺は山東省に住んでたときに曲阜の孔子故里も行ってるよ。

この「学校門」は寛文8年(1668年)に創建され、現在「足利学校」の象徴的な門となっています。

コレは「遺蹟図書館」です…足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903年)3月に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915年)に現在の建物が完成し開館しました。

コレは「杏壇門」で孔子廟の門です…寛文8年(1668年)創建ですが、明治25年(1892年)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。
扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言「徳川治宝」の書です。

コレは「孔子廟」で、聖廟とも呼ばれ「孔子」を祀ってある廟です。
建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668年)足利学校第13世庠主伝英元教のときに造営されたものです。

中の孔子座像と…

小野篁公像です…足利学校の創始者らしいです。

「東郷平八郎」「伊東祐亨」「上村彦之丞」手植えの月桂樹です。

この「方丈」は寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。

「方丈」に入ってみました。

北庭園を観ることができます。

この「庫裡」は竃(かまど)のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋へとつづき、その奥には湯殿などがあり、庠主や学生の日常生活の場として使われていました。

コレは「裏門」で一般の人や学生が出入りをしていた往時の通用門です。

この「衆寮」は僧房または学生寮です。
16:15ごろ「足利学校」を出て…次は「足利氏宅跡」に行きます。

その近くにあった「足利尊氏」像です。

16:20すぎ「鑁阿寺(ばんなじ)」に着きました…コレは「楼門(山門)」で足利幕府13代将軍「足利義輝」の再建です。
この「鑁阿寺」は「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されていて…日本100名城の一つ(15番)だよ。

コレは「鐘楼」です。

コレは「多宝塔」です…「足利義兼」の創建と伝えられていますが、江戸時代の元禄5年(1692年)徳川5代将軍の母「桂昌院尼公」が再建したものです。
大銀杏は樹齢約650年だって~

コレは「本堂」です…建久7年(1197年)に「足利義兼」が持仏堂として建立したものを、その後「足利義氏」が方5間の大堂を建立しましたが、1129年に火災で失い、足利尊氏の父「足利貞氏」により正安元年(1299年)に再建したものです。

コレは「中御堂(不動堂)」です。

コレは「一切経堂」です…寺伝では開基「足利義兼」公の創建となっていますが、現存の経堂は1407年に関東管領「足利満兼」により再建されたものです。

コレは「御霊屋」です。

コレは「大酉堂」です。

コレは「校倉」です。

コレは「蛭子堂」です。

コレは「北門(薬医門)」です。

コレは「稲荷堂」です。

この「本堂」を中心に四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。

土塁と堀だね。

コレは土産屋「太平記館」です…特に欲しいモノはなかったわ。

コレは「足利氏宅跡(鑁阿寺)」の西門です。

17:00「織姫神社」に着きました。

朱色のキレイな神社だね。

2014年「足利織姫神社」は産業振興と縁結びの神様として“恋人の聖地”に認定されました。

ご祭神は機織(はたおり)をつかさどる「天御鉾命」と織女である「天八千々姫命」の二柱の神様です。
この二柱の神様は共同して織物を織って「天照大御神」に献上したといわれています。

むかし昔、都よりはるか遠い下野の国「あしかが」に一人の美しい娘が住んでいました。
ある日、娘が機を織るために糸をつむいでいると、そこへ都より若い織師が訪ねて来ました…そして、織師はその娘に都で流行っていた機織りを毎日熱心に教えました。
娘は織師と一緒に機を織ることが楽しく、朝から晩まで一生懸命に機を織り、その布を渡良瀬川の澄んだ流れの中にさらすと、川いちめんに花が咲いたような美しさでした。
何年か過ぎたある日、都より迎えの使者が来て織師は都へ帰らなければならなくなりました。
娘は悲しみのあまり機を織ることをやめ、毎日魚住山に登り、都に帰ってしまった織師に逢えることを祈っていました。
ある日、渡良瀬川のほとりにたたずんでいると、一人の白いヒゲをはやした老人が通りかかりました…老人は娘に一生懸命に機を織り、その布を神様に捧げればかならず願い事が叶うと伝えました。
娘は都に帰ってしまった織師に逢えることを願って一身に機を織りました。
やがて神様は一年に一度、七夕の夜に逢えるように娘の願いを叶えてくれました。
七夕の夜には渡良瀬川が天の川となって都まで広がり、織師は星の船に乗って娘に逢いに来ました…そのとき織師がまとっていた布は、娘が神様に捧げた布でした。
娘はいつしか「織姫」とよばれるようになり、都を望む魚住山の中腹に「織姫神社」が建立され、織姫は「天八千々姫命」織師は「天御鉾命」になり、織物のまち足利の守り神として「足利織姫神社」に祀られることになりました。

境内から見える「渡良瀬橋」だよ。

さて…史跡ハントとしてはココで終了し、足利に来たもう一つの目的に移ります。
それはココ足利が「森高千里」サンの名曲「渡良瀬橋」の舞台なんでさ…その聖地巡りだね。

歌詞に登場する床屋と公衆電話を観に行って、写真を撮ってたら…ちょうど店主が出て来ててさ。
お呼ばれされて店内でいろいろお話を伺わせてもらいました。

お店には「森高千里」サンのサインやファンからの贈り物などが飾られていました。
10分ほど居させてもらい17:30ごろ床屋を出たんだけど…店主はまだ話し足りなかったのかなぁ?でも俺はあと30分で自転車返しに駅まで戻ってないといけないからさ。

そしてココも歌詞に登場する「八雲神社」です。

だけど、境内に上がってみると…何よコレ、改修ってより建て直しじゃん。
そういや床屋の店主が何か言ってたなぁ…貰った雑誌記事のコピー見たら、2012年12月9日に火災で全焼しちゃったんだって。
それが今、復興に向けて動き出してるトコみたいよ…ちなみに、

コレは「足利学校」近くにあった「八雲神社」です。

コレは「織姫神社」近くにあった「八雲神社」です…どちらも分社なのかな?

そうかぁ…その「八雲神社」が焼失していたのは残念だったけど、また「渡良瀬橋」を通って駅まで戻ります。
今17:45…ちょうど陽が落ちてきたし、あと15分で「あし・ナビ」にチャリ返さんと。

18:00前にチャリを返却し、歩いて再び「渡良瀬橋」に行ってみました…帰りの列車は18:41発なんで、それまで「渡良瀬橋」の夕日を見てようかと。

コレは渡良瀬川沿いにある「渡良瀬橋」の歌詞碑だよ…再生ボタンを押すと曲が流れるけど、俺はスマホに曲入れてますから。

それでは、この歌詞に合わせた風景をご覧くださいな。

森高千里「渡良瀬橋」

1:渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
 キレイなトコで育ったね ココに住みたいと言った
 電車に揺られこの街まで あなたは会いに来てくれたわ
 私は今もあの頃を 忘れられず生きてます

 今でも八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ
 願い事一つ叶うなら あの頃に戻りたい


2:床屋の角にポツンとある 公衆電話覚えてますか
 昨日思わず掛けたくて 何度も受話器とったの

 この間渡良瀬川の河原に降りて ずっと流れ見てたわ
 北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました


 誰のせいでもない あなたがこの街で
 暮らせないこと分かってたの
 何度も悩んだわ だけど私ココを
 離れて暮らすことできない


 あなたが好きだと言ったこの街並みが
 今日も暮れてゆきます
 広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
 夕日がキレイな街


そして18:30…JR足利駅に着きました。

18:41「足利」発のJR両毛線に乗り、19:23「小山」着…それから19:39発のJR水戸線に乗り換えて20:58「水戸」に着きました。
今日4県目だね…埼玉(川越)を出発し、東松山、熊谷を経由して群馬(太田)栃木(足利)そして今、茨城(水戸)にいるんだからねぇ、忙しいオジサンね。
結局、今日も朝4時ごろ「おにぎり」1個しか食べてなく…でももう21時過ぎちゃったからさ、あまり駅から離れたくなかったんで夕飯はネットカフェ近くの「すき家」にしちゃったよ。

そしてコンビニで買い物してから、前回「水戸」に来たときと同じネットカフェに21:40ごろチェックインしました。
まさか再び「水戸」に来ることになるとはね…って、コレは明日行くトコに出やすくするためなんだけどさ。
このネットカフェはシャワー無料なんで、スグ借りて浴びたよ…けっこう汗もかいたからね。
もう初日から右足裏に「水ぶくれ」できちゃったわ…まだ前回のが完治(皮がキレイになる)してないのにさ。
でもスグ、店にあった楊枝を使って中の水は抜いたんで…明日からちゃんと歩ければイイけどねぇ。
今日は昨日に引き続き「極黒のブリュンヒルデ」を読もうと思ってたのに、そのネットカフェに置いてなくてさ…明日「宇都宮」で観れても最終18巻まで観終えられないな。
中古で全巻揃えようか迷ってるんだけどね…送料込み¥3,000までだな。
ココは前回もそうだけど、禁煙席はリクライニングしかなくてさ…仕方ないんでそれを選んでるんだけど、近くのヤツが咳ばっかしてんだよ。
風邪ひいてるヤツは家で大人しく寝てろや…今日は他にやること無くなった(読みたいマンガが置いてなかった)んで早く寝たいんだけど、そういうの気になっちゃうんだよね~
「いびき」がうるさいヤツもいたし…ネットカフェもある意味、図書館と同じだからねぇ、静かにしてもらいたいものよ。


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GW史跡ハント~武蔵・上野国

2017年04月30日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
4月30日(日)
さぁ、初のゴールデン・ウイークを使った史跡ハントに出発だよー

前日(29日)は家を18:00に出て、歩いてJR横須賀駅に行きました。

また少し時間があったんでヴェルニー公園に寄ってみました…今日は「いずも」が戻って来てたね。
 
「陸奥の主砲」です。

そして18:42「横須賀」発のJR横須賀線に乗り、18:52「逗子」で下車…それから19:05発の湘南新宿ラインに乗り換えるんだけど、乗り換えで案内されたホームの掲示板に19:05発が無いじゃん。
駅構内のアナウンスによると遅れにより出発ホームが変わります…だってさ。
で、5分遅れで発車したんだけど…また途中で踏み切りのトラブル?で列車が一時止まってしまい、目的地の「池袋」に着いたのは予定よか15分遅い20:30ごろだったよ。
それから20:40発の東武東上線に乗り換えて、21:12「川越市」で降りました。
川越には上の妹一家が住んでるんだけど…今回着いた時間も遅いし翌朝も早いんでさ、川越に行くことは言ったけど泊まりには行かなかったよ。
まぁ俺の旅は忙しいのでね…また機会があればゆっくり寄らせてもらいます。
…というワケで川越ではネットカフェに泊まるんだけど…「本川越」を越えたショッピングストリート?にあるんだわ。

まず近くに「天下一品」を見つけたんで、やっと夕飯です…何年ぶりだろ?天一食べたの。
それからコンビニで買い物してネットカフェにチェックインしたんだけど…この辺りで「街コン」でもあったんか?それともいつもこんなに騒がしいの?
若者がいっぱいいたよ…あれだけの集団がいると恐怖を感じるわ。
ネットカフェは最初あんま客がいなくて静かだったなぁ、だんだん込んできたみたいだけどね。
ぜも狭い店でさ…フラットマットの部屋も小さくて寝づらかったわ…って、本来ネットカフェは寝るための場じゃないんだよ。
前にも「いびき」がうるさい客がいて注意されてたよ…周りの迷惑になるって。

4月30日(日)
①武蔵国~川越・東松山・熊谷編
今日は6:00チェックアウトしたんで5:00にアラームをセットしておいたんだけど…正味1~2時間しか眠れてなかったわ。

なんか今「自遊空間」ではエヴァのキャンペーン?やってたよ。
7:41「川越市」発の東武東上線に乗るんだけど「氷川神社」に行ってみようと思い、6:00にチェックアウトしたんだけどさ。

まず「川越八幡宮」に行ってみました。

もうさぁ、今って神社はやたら“縁結び”をウリにしてない?

コレは境内にあった「民部稲荷神社」です…足腰健康にご利益があるそうで、箱根駅伝出場選手などに人気があるんだって。
「まんが日本昔ばなし」でも紹介された伝説があって…コレは侍に化けて、八王子に住みついていた老狐の伝説です。
この老狐は民部と名乗り、話し相手欲しさに寺の小僧と仲良くなっていましたが、そのことが和尚に知れ、不審に思った和尚が寺に招いて宴を催しました。
民部狐は家来を連れて宴に臨みましたが、和尚と意気投合し…家来と小僧とで相撲を取らせて楽しんでいました。
翌朝、寺の境内に狐の毛が散らばっていたことから、正体を悟られてしまい…和尚が昨夜の礼に伺うと、民部狐は正体を悟られたことを知り、川越の山中に身を隠すことを告げ、打ち身手当ての術を教えて去って行ったという話です。

コレは拝殿です。

「あ?あんだって?」じゃなく、「ぐち聞きさま」といい…「聖徳太子」だそうです。

1030年(長元3年)甲斐守「源頼信」により創建されました…源頼信が「平忠常の乱」平定の祈願をココで行い、戦勝に感謝し創祀したモノなので、けっこう歴史あるんだね。

俺、また裏から入ってたんだな…


続いて「仙波 氷川神社」に行きました…

あれ?俺が知ってる「氷川神社」と違うじゃんか…地図アプリで見ると川越駅方面にある方か?と行ってみることに。

途中にあった「菅原神社」です…言わずと知れた“学問の神”だよ。

6:45ごろ川越駅に着きました。

駅を越えて歩き続け…「雀ノ森 氷川神社」に着きました。

境内にあった「稲荷神社」と「榛名神社」です…他に「浅間神社」もあります。

あらら…ココも俺が知る「氷川神社」じゃないじゃんよ…
もうネットで「氷川神社」を調べてみると方角的には「時の鐘」の方なんじゃん…そういや前に川越に住む上の妹一家と車で「氷川神社」前を通って「蔵造りの町並み」を観に行ったんだったなぁ。
…ってことは川越市駅の方かぁ…とりあえず、「川越」から1駅だけ東武東上線に乗り「川越市」で降りました。
もう30分しか無かったんで、「時の鐘」にすら辿り着く前に引き返したわ…また川越市駅に戻る時間を考えたら限界だったのでね。

せっかく1駅だけ乗って降りたんで「熊野神社」(右)だけ行きました。

ココにも「銭洗弁天」があったんだね。

「熊野神社」だから八咫烏のマークがあるよ。

川越市駅に戻って来たけど…女子高生が多いなぁ、今日って日曜なのに…

そして7:41「川越市」発の東武東上線に乗って8:00すぎ「東松山」で降りました。

まずは西口から出て…

歩いてスグの「箭弓稲荷神社」に行きました…この近くには松山女子高があるみたいね、日曜なのに女子高生いっぱいおったわ。

ツートンカラーの鳥居だね。

コレは「拝殿」で…天保6年(1835年)に造営されたものです。

「拝殿」裏の「本殿」です。

「本殿」には「龍」や「獏」…

「仙人の烏鷺」や「二龍」といった彫刻があります。

コレは「神楽殿」で…巫女舞などの御神楽の奉納を始め、様々な神賑行事を行います。

コレは「元宮」です。

社務所(参集殿)で売ってた御守りや絵馬なんだけど…「何で野球なの?」って思ったら、ココが「箭弓(やきゅう)稲荷神社」だからなんだね。

「参集殿」には巨大な御朱印スタンプがあったよ。

写真右は「記念館」で…今上天皇ご降誕記念として建てられたもので、舞台のある百畳敷きの大広間です。

8:25ごろ、東松山駅の東口に出て…3番乗場から8:35発の川越観光バスに乗りました。

そして8:45ごろ「百穴入口」で下車しました。

川沿いに菜の花がキレイに咲いていたよ。

この辺りは「武蔵松山城跡」なんだね…初めて知ったけど、帰ってから調べたら「北条氏康」や「上杉謙信」が奪い合った城だったんだよ。

コレは「岩室観音」です…奥まで行けそうだったけど、俺の脚ではキツそうなので行かなかったわ。

建物の中にあったのは地蔵ばかりだね。

この道を左に行くと「吉見百穴」で、右側が城跡になるのかな?

8:50ごろ「吉見百穴」に着きました。(入場¥300)

コレは売店です。

大きな穴は軍需工場跡の入口です。

構内の巨大な洞窟は昭和20年ごろに地下軍需工場用として左右約500mに亘り掘られたもので、一部を観ることができます。

中央通路を上がって見晴台まで行けます…俺は途中までしか上らなかったけどさ。

一部の横穴には「ヒカリゴケ」が生息しているよ。

写真右は「吉見町埋蔵文化財センター」です。

「吉見百穴」は今から約1300年前の古墳時代終末期の横穴墓群です。

現在まで219個の穴が確認されているそうです。

また「百穴入口(バス停)」に戻り…8:22発のバスで東松山駅(東口)に戻りました。
今度は2番乗場から9:40発のバスに乗り…

10:15ごろ「熊谷(駅)」で降りました…ココが暑くて有名な「熊谷」だね、絶対7、8月には来たくないな。
何で東松山熊谷間を列車じゃなく、バスで移動したのか?というと…

ご覧のように直線だと近いのに、列車だと回って行かないといけないんで…バスが便利だよ。

駅前には「熊谷直実」の像があるよ…元は平家に仕えていましたが「石橋山の戦い」を契機として「源頼朝」に臣従し御家人となりますが、後に出家しました。
「熊谷直実」といえば…「一ノ谷の戦い」で波際を逃げようとしていた平家の公達らしき騎乗の若武者を呼び止めて一騎討ちを挑みます。
…その若武者を馬から落として首を取ろうとすると、ちょうど我が子ぐらいの齢でした。
直実は一瞬この若武者を逃がそうとしましたが、背後に味方の手勢が迫る中「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を切ったのです。
その後、首実検をするとこの公達は「平清盛」の甥「平敦盛」と判明、齢17でした…討ち死にの折に帯びていた笛「小枝」は、笛の名手として知られた敦盛の祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜ったものでした。
これ以後直実には深く思うところがあり、仏門に帰依する思いはいっそう強くなったといいます。
熊谷駅から10:32発の朝日バスに乗りました…ホントは10:53発のバスに乗る予定だったんだけどさぁ、熊谷に着いたのが10分くらい早くてね。
25分以上待つなら2つ手前で降りなきゃならないけど…早く目的地に着いた方がイイだろうと10:32発のバスに乗ったんだわ。

11:00ごろ「妻沼下町」で下車しました…少し歩いたら「坂田医院旧診療所」がありました。
テレビドラマ「南極大陸」や映画「ゲゲゲの女房」など数多くのドラマや映画のロケ地として使われているそうな。

11:10「妻沼聖天山」に着きました。

コレは「子育地蔵尊」です。

コレは「貴惣門」です。

参道を進むと…

武蔵国幡羅郡長井庄(埼玉県熊谷市)を本拠としていた「斎藤実盛」の像があります…右手に筆、左手に鏡を持っているのは、実盛公が老兵と悟られないように髪を墨で黒く染めて出陣したという史実にもとづいています。
武蔵国は、相模国を本拠とする「源義朝」と、上野国に進出してきたその弟「源義賢」という両勢力の緩衝地帯でした。
実盛は初め義朝に従っていましたが、やがて義賢の幕下に伺候するようになり…こうした武蔵衆の動きを危険視した義朝の子「源義平」は、久寿2年(1155年)に義賢を急襲してこれを討ち取ってしまいます。(大蔵合戦)
実盛は再び義朝・義平父子の麾下に戻りますが、一方で義賢に対する旧恩も忘れておらず、義賢の遺児「駒王丸」を畠山重能から預かり、駒王丸の乳母が妻である信濃国の中原兼遠のもとに送り届けました…この駒王丸こそが後の旭将軍「木曾(源)義仲」です。
保元の乱、平治の乱においては上洛し、義朝の忠実な部将として奮戦しますが、義朝が滅亡した後は関東に無事に落ち延び、その後平氏に仕え、東国における歴戦の有力武将として重用されます。
そのため、治承4年(1180年)に義朝の子「源頼朝」が挙兵しても平氏方にとどまり、「平維盛」の後見役として頼朝追討に出陣します。
平氏軍は「富士川の戦い」において頼朝に大敗を喫しますが、これは実盛が東国武士の勇猛さを説いたところ維盛以下味方の武将が過剰な恐怖心を抱いてしまい、その結果水鳥の羽音を夜襲と勘違いしてしまったことによるといいます。
寿永2年(1183年)再び「平維盛」らと「木曾義仲」追討のため北陸に出陣しますが、加賀国の「篠原の戦い」で敗北…味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将「手塚光盛」によって討ち取られました。
この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、「最期こそ若々しく戦いたい」という思いから白髪を黒く染めていました。
そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分かりませんでしたが、そのことを「樋口兼光」から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認されました。
かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだといいます。

コレは「中門」です…江戸時代初期の災火の際、唯一焼けずに残っていた聖天山最古の建造物です。

コレは「仁王門」です…1658年(万治元年)の創立と伝えられていますが、明治24年台風によって倒壊したので、明治27年に再建されました。

門の左右に配置された仁王(金剛力士)像は、向かって左側が口を結んだ「ウン」形、右側が口を開けた「ア」形です。

コレは「拝殿」ですね。

妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」は国宝です…拝観料¥700らしいです。(入らず)

写真左は「大師堂」です…弘法大師を祀り、関東88ヶ所霊場第88番結願所・幡羅88ヶ所第13番の札所となっています。

他にも境内には稲荷大明神や鐘楼、

夫婦の木や…

「軍茶利の瀧」がありました。

コレは何だっけ?

コレは「平和の塔」です。

11:30ごろ「妻沼聖天山」を出ました。

沿道の土産屋や食事処です。

11:49「妻沼聖天前」からバスに乗るんだけど、まだ10分くらいあったんで…近くの「大我井神社」に行ってみました。
鳥居をくぐると左右に「門神」があり、「唐門」(写真右)があります。

左手に「富士浅間大神(富士塚)」があり、正面に「拝殿」があります。
社伝によると景行天皇40年「日本武尊」東征のおり、稲置を建てて神の璽に矛楯立てたといわれる霊場であるらしい…と、ココにも「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」来てるの?

②上野国~太田・金山城跡編

ちょっと遅れて来たバスに乗り、12:20ごろ「太田(駅)」に着きました…太田市って群馬県なんだね。

北口側に出ると…「新田義貞」と「脇屋義助」の銅像がありました。

義貞の育った上野国新田荘が現在の群馬県太田市周辺で…「脇屋義助」は弟です。
「新田義貞」は後醍醐天皇の挙兵に応じて生品神社で挙兵し、上野国府、小手指原、分倍河原の合戦に勝利…鎌倉幕府を滅ぼします。
そして後醍醐天皇による新政が始まりますが、論功行賞をめぐって武家の不満がたまり、「足利尊氏」は天皇と袂を分かちます。
しかし義貞は「楠正成」とともに後醍醐天皇に忠節を尽くし、尊氏と戦います…一時は九州まで撃退するものの、勢力を回復した尊氏に追いつめられ、「湊川の戦い」で楠正成は自刃、義貞は京へ敗走し、後醍醐天皇は都から追放され、吉野へ逃れて南朝を開きます。
義貞は後醍醐天皇の再起の希望を担って皇太子「恒良親王」と「尊良親王」を奉じて越前国敦賀へ下向します。
しかし義貞はこの地の戦闘で乗馬もろとも転倒し、泥田に足をとられた兜の目庇の下に矢が刺さり戦死…義貞は最期の気力を振り絞り、自らの首を泥田の中に掻き落としたと云われています、享年38歳。
ココは「新田義貞」の出生地か…さっきから「熊谷直実」や「斎藤実盛」など源平や鎌倉末期の武将がよく登場するなぁ。
これから向かうトコは今回の史跡ハントで最も難所なんだよ…徒歩で片道約4.2Km、後半は山登りだかんね。
駅のロッカーに荷物を預けたいと思ったけど¥400だよ…コレならジュース3本買えちゃうじゃん。
もっと観光客に優しくして欲しいよな…例え¥500でも帰るとき返金されるとかさぁ、だから預けず出発よ。

太田行政センターの前庭に「太田宿本陣跡地」碑がありました。

最初の目的地「大光院」までだって2Kmあんだからね…

12:45ごろ「大光院」に着いたよ…コレは「本堂」と「臥龍の松」です。

コレは「開山堂」です。

コレは「手水舎」と「鐘楼堂(慈愛の鐘)」です。

コレは「吉祥門」です。
「大光院」は慶長18年(1613年)春「徳川家康」によって一族の繁栄と始祖「新田義重」を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた「呑龍上人」が迎えられました。
「呑龍」は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から“子育て呑龍”と慕われました。
中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機の愛称「呑龍」は同寺院の通称から名づけられたものです。

それから「金龍寺」に行ってみました。

寺伝によると、寺名は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものです。

「新田義貞公墓入口」だって~

「新田義貞公供養塔」は五輪塔の奥、最上段にあります。

由良氏五輪塔は9基あり「横瀬国繁」から「由良成繁」に至る歴代の金山城主とその一族を弔うために造立されたものと考えられています。

境内の仏像?や地蔵たち。

この石碑には「左中将新田公誠忠碑」と彫られていました。

13:10ごろ「金龍寺」を出て、さらに歩き続けます。

13:20ごろ「史跡金山城跡ガイダンス施設」に着きました…って、すげぇモダンな建物だなぁ。

13:25ごろ…ココから登山スタートです。

途中で寺院に寄ったりしてたけど、もう駅から歩いて来て1時間以上経ってるね。

登山中は何ヶ所か一般道を越えて行きます。

コレは「南木戸残存石垣」です。

この石段を上がると鳥居が見えてきたよ。

コレは「金山の大ケヤキ」です…推定樹齢800年だって。

235.8mの山頂には「新田神社」がありました。

「御嶽神社」と「新田神社」の拝殿です。

「新田神社」は新田義貞公を祀る新田氏ゆかりの神社です。

新田金山城址本丸跡に鎮座しています。

写真右は皇族の方々の「御腰掛石」です…「新田義貞」や「楠正成」は天皇に最後まで忠節を尽くした忠臣ということで、明治以降は特にクローズアップされたみたいです。

コレは「日ノ池」です。

1469年(文明元年)新田一族であった「岩松家純」によって築城され、以降1528年(享禄元年)に「由良成繁・国繁」親子、1584年(天正12年)には北条氏と主は変わりましたが「上杉謙信」の攻撃を退けるなど、関東七名城の一つとされています。

石垣改修の露出展示です。

1590年(天正18年)「豊臣秀吉」の小田原征伐の際、攻撃を受けて落城…こののち廃城となりました。

南曲輪には中島飛行機の創設者である「中島知久平」の胸像が建てられています…中島知久平は横須賀海軍工廠造兵部員として飛行機開発を担当していましたが、国産機開発にあたって官営ではなく民営の航空機メーカーが必須と思料、その信念により海軍軍人としての道を辞して出生地に設立したのが中島飛行機です。

100名城とか、それ以外を含めてもけっこう攻略難易度の高い城(跡)だわ…駅から交通手段が無くて遠い、せめて駅の観光案内所にレンタサイクル置いてくれよ…

この休憩所に日本100名城のスタンプがあるよ…ちなみに17番です。
それから同じルートを下り、14:20ごろ「史跡金山城跡ガイダンス施設」に戻って来たんで…約1時間で登下山したんだね。

はぁ…またこれから駅まで歩くのかぁ、帰りは左側の一本奥の道を歩いてみたよ。

太田市のマンホールです。

コレは太田駅傍にある「太田市美術館・図書館」です。
当初は15:38「太田」発の東武伊勢崎線に乗る予定だったけど、15:00くらいに駅に着いてたんで15:21発に乗れました。
さて次は栃木県足利市に行きますが…文字数の制限により、次頁に続きます。


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