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史跡ハンター 臥龍

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三国史跡ハント・ファイナル~⑧湖北省当陽『関陵』編

2008年02月04日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
2月4日(月)2/3
『長坂坡公園』を出て、11:00公園前のロータリーに出ました。

左に『長坂坡公園』、右に『趙雲』像が見えるでしょ。

この『趙雲』像、新しいのかな?
数年前に撮られた「史跡アタッカーさん(仮)」の写真で見た像と違うんです。
「こっちもカッコいいぜ 趙雲

「長坂坡」の石碑です。

もう一つ入口がありますが、こっちは入口として既に機能していないみたい。
ロータリーを11:10に出て、歩いて『太子橋』を目指します。
…が、道を間違えてしまったみたい…
…これって、この後行く予定の『関陵』の近くまで来ちゃってるぞ…。
「路線バス」を拾って、「関陵までね」と言うと、「車掌」は「へ」って感じです。
だって『関陵』はほとんど目と鼻の先くらいだったんだもん…。
まぁでも「路線バス」は1元ですから…

11:40『関陵』に着きました。 (入場券30元)

この『関陵(胴塚)』は「河南省洛陽」の『関林(首塚)』、「山西省解州」の『関帝廟(関羽故里)』と並び「中国三大関帝廟」の一つです。
これにて「三大関帝廟」を「制覇」しました 

「忠義神武霊佑仁勇成顕関聖大帝漢前将軍漢寿亭候墓道」と刻まれた石碑があります。

「石碑坊」です。

その奥にあるのが「三元門」です。

左右に「鼓楼」と「鐘楼」があります。

これは「馬殿」です。

「赤兎馬」ですね。

これは「拝殿」です。

「正殿」の左側の「伯子祠」には「鍵」が掛かっていましたが、中には『関羽』の塑像がありました

これは「聖像亭」です。

これは「正殿」です。

「正殿」内の『関羽』像です。

「正殿」の裏側の『関羽』の顔。

「春秋閣」にも『関羽』像がありました。

「寝殿」内には「お土産屋」があり、少しグッズを購入しました。

これは『関羽』の「墓陵」と「祭祀亭」です。
「墓碑」には「漢寿亭候墓」と彫られています。
この辺りは昔は「漳郷」といわれ、ここで『関羽』が殺されたといわれています(遠安(当時は臨沮)で殺されたという説もあります)。
「三国演義」では、『関羽』が殺されたとき、「呂蒙(『関羽』を討った「呉」の武将」)が呪い殺されたり、「玉泉寺」に霊現があったりして、『関羽』の死は「神格化」されました。
『孫権』は『関羽』を殺しつつも、「王侯の礼」をもって葬りました。
『劉備』の怒りを『曹操』に向けるため、『関羽』の首は「洛陽」に送られました。
『曹操』は『関羽』の首を手厚く葬り、今の『関林』となっています。
よって、ここには首のない遺体が葬られたことになります。
12:30『関陵』を出ました。
『関陵』前で「4路バス」に乗り、ロータリー方面に戻ります。
今度こそ『太子橋』と『娘娘井』に行くぞ

「多分、この先だろう」という路地で「バス」を降り、歩いて行くと12:40『太子橋』を見つけました。

この橋の下に「麋夫人」が「阿斗」と隠れていました。(演義遺跡ですが)
12:45『太子橋』から『娘娘井』を探しますが、これが場所が分かりづらくて…

『娘娘井』を見つけたのは、13:05です。
「麋夫人井」ともいわれていて、『趙雲』が救出したにも関わらず、怪我をしていたため、「私がいたら足手まといだから」と、「麋夫人」が身投げしたといわれる「井戸」です。(これも演義遺跡ですが…)
この「井戸」では地元の人民が「洗濯」をしたりしていました。

13:15再び『太子橋』の前を通り、13:25ロータリー(長坂坡)に戻って来ました。
次は『玉泉寺』に行きます。
「史跡アタッカーさん(仮)」のレポートで「6路バス」に乗る、と書いてあったので探しましたが…全然「6路バス」なんて見当たりません。
仕方がないので、13:40「タクシー」を拾って行くことにしました…

続きはこの後のレポートにて。



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