史跡ハンター 臥龍

 ★戦国・幕末&中国に関する史跡を中心に紹介しています★

 ご意見・ご感想・ご質問など、気軽にメッセージください!

義風堂々!!漢たちに逢いに行け!~越後・直江兼続&上杉謙信・景勝編 Part.1-前

2014年04月11日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
4月11日(金)1/2
さて…いよいよラストになるかも知れない史跡ハントの始まりだよ~
10日(昨日)は定時あがりで、帰りは近所から来てる同僚のバイクの後ろに乗せてもらって帰って来たよ。
そうすれば15日は史跡ハントから直行で仕事に行くんで、帰りは自分のバイクで家に帰れるでしょ…それに俺が留守中、会社に置いといた方が都合がいいんでさ。(向かいの家の駐車場に置かせてもらってるんで)
18時半ごろ家に帰って夕飯食べて、風呂に入って…21:45に家を出ました。
22:04発の京急に乗るつもりが21:55発に乗れちゃってさ…22:30にはバス停に着いちゃったよ。
バスの発車時刻は23:00で、15分前に集合なのにバスが10分前に来ると…ホントに乗車場所が合ってるのか不安になるよね。
高速バスは予定通り23:00「横浜」を出発し…その後はもう寝てるしかないわな。
バスは混んでなくて隣も人がいないし、後ろにも人がいなかったんでリクライニングも気にせず倒せたよ。
驚いたのがドライバーが割と若い女性だったってことね…最初車内アナウンスしてたとき、車掌みたいな役割なのかな?って思ったら、まさかのドライバーでさ。

途中、新宿で客乗せ(それも少数)し、高坂と越後川口でトイレ休憩があり…予定よかちょっと早い4:50ごろ「長岡(新潟県)」に着きました…って、やっぱ日本海側は肌寒いねぇ。

でも…ついに来るべきところに来たって感じだよ…この感覚は以前、土佐(高知県)に行ったときにも感じたね。

今回の史跡ハントは前回の記事に書いたように、4県で12ヵ所あるんだよ。(1ヶ所史跡と無関係な地も含む)
まず、今日最初の目的地は…①六日町(坂戸)で、当初は「直江津」方面か、この「長岡」を拠点に行く「栃尾」か「与板」をハントする旅程を組んでたんだけど…土日しか運行していない路線があったり、「栃尾」や「与板」はバスでしか行けないのに接続が悪くて1番目を「六日町」にしたんだわ。
ここ「長岡」からバスで行く「栃尾」や「与板」だと早くても7時台のバスだし、信越本線で行く「直江津」方面でも6時半ごろが始発だったんだけどさ…「六日町」へはここから上越線に乗るんだけど、始発が5:43にあるんだよ。

今回の史跡ハント、新潟県では7ヶ所…主に上記3ヶ所のエリアにあるんだよ。
 ・長岡エリア……長岡・栃尾・与板
 ・直江津エリア…直江津・春日山・北新井
 ・六日町エリア…六日町
…で、青のライン(長岡-直江津)は信越本線、オレンジのライン(長岡-六日町)は上越線、緑のライン(直江津-六日町)は北越急行ほくほく線です。
高速夜行バスで着いたのは「長岡」で、まず長岡エリアをハントしてから直江津エリアもしくは六日町エリアに行くか、先に直江津エリアもしくは六日町エリアをハントしてから長岡エリアに戻るか…この三角地帯に関しては出発ギリギリ(8日)まで時刻表とハントする史跡(所要時間)との調整に追われてたよ。
一番手っ取り早いのは、夜行バスが「直江津」か「六日町」に着いてくれれば良かったんだよ…最初か次に「直江津」と「六日町」をハントしてから「長岡」に行けば、次の山形県「米沢」に行きやすいからさ。
でも仕方が無い…夜行バスは「長岡」着または、もっと「直江津」方面から(長岡よりも)遠ざかる「新潟」着しか無いんだもん。

 4月10日(木) 高速夜行バスで長岡へ(車内泊)
 4月11日(金) 長岡①六日町②与板③長岡④栃尾直江津泊
 4月12日() ⑤直江津⑥北新井⑦春日山米沢泊
 4月13日() ⑧米沢⑨白石?泊
 4月14日(月) ⑩?⑪平泉⑫仙台高速夜行バスで横浜へ(車内泊)
 4月15日(火) 朝、横浜着後、直行で出勤
これが出発前(4月6日)の記事で紹介した旅程だったけど、最終的に…
 4月10日(木) 高速夜行バスで長岡へ(車内泊)
 4月11日(金) 長岡①六日町②春日山③直江津④北新井長岡泊
 4月12日() ⑤栃尾⑥長岡⑦与板新津泊
 4月13日() 新津⑧米沢⑨白石?泊
 4月14日(月) ⑩?⑪平泉⑫仙台高速夜行バスで横浜へ(車内泊)
 4月15日(火) 朝、横浜着後、直行で出勤
…というように11日と12日の新潟県三角地帯を組み替えて収めてみたよ。
最初の案だと、列車からバスの乗り換えに3分しか無いとか、春日山や与板、栃尾での滞在時間が短いとか…バタバタした旅程だったのが少しは落ち着いて移動や参観ができるかなぁ?

さてと…今日は「長岡」から始まり、夜は「長岡」に戻って宿泊し…明日は「長岡」周辺をハントしてから、ここ「長岡」を離れます。

長岡駅ホームで上越線を待ってたら、隣に「トワイライト・エクスプレス」が入って来たよ。

こっちは俺が乗る5:43発の上越線です。

①新潟県南魚沼市「六日町(坂戸)」編
「長岡」5:43発の上越線に乗り、6:40ごろ「六日町」に着きました。
ここ「六日町」では約4時間半あるんだけど…って、当然やね、こんな早く着いても9時からしか入れないトコもあるんだもん。
それでもこんなに早く来た理由は「徒歩で行けてタダで観れるトコは先に行ってしまえ」という戦法を採ったから。
「え~ここでの停車時間は4時間と30分~」と銀河鉄道999の車掌さんに言われてるような感じだよ…次の列車に乗り遅れたらアウトだからさ。
次は「六日町」11:04発の北越急行ほくほく線で「直江津」に行かなきゃいけないんで…とりあえず9時から入場できる2ヶ所は、8時半に駅方面に戻ってレンタサイクルを借りた後に行く予定だよ。

こんなに早く来た理由は駅からも見える「坂戸城址(坂戸山)」をハントするためだったんだよ…登って下りて8:30ごろレンタサイクルを借りに行ければベストだからね。

六日町駅を出る前にロッカーにリュックを預けようと思ったら¥300だったんでケチって…南魚沼市役所に向かいました。

駐車場に停まってた車なんだけど…「義風堂々!!」やん

市役所の向かって右側に…

「上杉景勝・直江兼続レリーフ」があります。

ここは2人が生まれ育った町だからね。
ソチ五輪・スキーハーフパイプで銅メダルを獲った「小野塚彩那」選手も、ここ南魚沼市出身なんだって~

「坂戸城址」に向かう途中の商店街の中にあったんだけど…何の店だったんだろう?

六日町大橋の手前にあった「廣井橋跡」です。

反対側には「こうりんぼうの館」があり、「お六の湯」という足湯があったよ。
像は「お六と桂姫」だって…「お六」は樋口与六(のちの直江兼続)」のことで、上杉景勝には史実では姉と妹が1人ずつ、或いは妹が2人いたとされています。
姉(または妹の1人)が「天地人」でいう「華姫」で上杉景虎に嫁いでいます。
言い伝えによれば、妹(もう1人の妹)が「桂姫」で、 少年時代の直江兼続=樋口与六と仲が良かったとされています。
この言い伝えによれば、お六(与六)がその後、直江家に婿入りしたことにショックを受け、傷心を癒すために現在の小千谷市の方へ移ったものの、若くして亡くなられたそうです。

そして六日町大橋を渡ります。

ここにも「愛の兜」が

この川は魚野川です。

「坂戸山」の麓には「埋田堀」があります。

「坂戸城」の内堀が一部残っています。

さぁ7:10登山開始だよ…コースは2つあって、俺はここを真っ直ぐ行く「城坂コース」にしました。

これは「鳥坂神社」です。

ここは「家臣屋敷跡」です。

そしたら前を歩いてた地元民みたいなオバちゃんが「ちょっとこの先は行けないわねぇ」と。
「これしきの雪で何を言うかぁすぐ先には直江兼続・上杉景勝生誕之地碑があるんだし」…と何とか雪を踏み越えて行くと先は登山道がしっかりあるんで進むことにしました。
…が、これが後の悲劇の始まりだったんだなぁ…地元民の言うことは聞いた方がいいんだよ。

「坂戸城跡」の碑です。

これは「直江兼続・上杉景勝生誕之地碑」です。

右端に写ってるのが「坂戸城跡」の碑だよ。

この麓の辺りは問題無かったんだけど…

木が倒れてたり…だんだん雪が残ってる道が多くなってきたよ。

まだ1/3くらい?のトコで撮った町の風景です。
この後、唯一見かけた50代くらいの夫婦を追い抜いたんだけど…その先の方からホント、ほとんど登山道が雪で覆われちゃって歩きようがない状態になったよ。
俺は軽装備だけど、父から借りたスノータイヤを応用したという靴にハメるアイテムが効力を発揮し、ほとんどスベることなく歩けたけど…もはや手も使って登らなきゃムリだったわ。

これ…絶対あの夫婦苦労したはずだよ…いくら山登り用の道具や格好をしてても、俺でさえ草木を掴み、雪山を四つん這いで登ってたんだからさ。
この「城坂コース」は段がほとんど無い代わりに、なだらかにクネった道を進むのよ…でも道が雪で無いから上へ直進するように登ってたからね。
こんな厳しい登山になるんだったらコインロッカーにリュック預けて来るんだったわ。

これ、引き返そうにも下りるに下りられないだろうな…むしろそっちの方が危険で遭難するかも知れないし。 

ここが頂上か?って思ったら、まだまだ先があったよ。

そこを登った先の風景です。

何とか8:20頂上に辿り着いたよ…以前、中国山西省で登った「劉備山」を思い出したわ…あのときも死ぬかと思ったけど雪山だった分こっちの方が危険だったね。

この御堂は何だろ?

一般的に上り80分らしいんで…このコンディションで70分は上出来だと思うけど、8:30には町でレンタサイクル借りるつもりだったのになぁ。

「富士権現堂」だってさ。

これを見て「634mもあったのかよぉ」…って、気づくの遅いだろ。
この頂上に地元民のオバさんがいたんで「もう一本の登山道で帰れますか?」って聞いたら「来るときはどこから来たんですか?」って聞き返されたんで、今登って来たコースを言うと…「そこは今の時季は登れないわよ」って…俺、今死ぬ思いで登って来たんスけど。
そのもう一本のコース(薬師尾根コース)は段が多くてキツイけど、そっちはもうほとんど雪が解けてるってさ…マジかよ。
下りなら階段もキツく感じないだろうし、もうそのコースしか下りようが無いからね。

頂上の滞在時間5分…8:25下山開始だよ…って、本来この時間には下山してて自転車屋に向かってなきゃいけなかったんだからね。

さて…帰りは下りで段が多いんだけど…さすがに走って下りられないもんな~

杉の木はいっぱいあったから…どれが一本杉なの?

これは「御居間屋敷」です。

いくつも鳥居がある神社だね。

これは「薬師堂」かな。

樋口さんの墓が多かったんだけど…もしかして兼続(樋口与六)の子孫?

「薬師尾根コース」登山口に戻って来たよ…こっちから登れば、あんな苦労はせずに済んだんだなぁ。
元々下山だって一般的には60分コースなんだよ…それを何とか40分くらいで下りて来たけどさぁ、もう初っ端でこんな体力使ってどうすんのよ。

急いで駅方面に戻ってレンタサイクルを借りに行ったけど、もう9:20だよ。(レンタル¥600)
ここで自転車を借りたのは、けっこう離れたトコにある1ヶ所の史跡をハントするためだったのね…そして、そこは9:00開門なんで、時間の無い俺には足が8:30にゲットできて、30分で着けば9:00から拝観できるんだからラッキーだな…って思ってたのが50分も押しちゃったんだよ。
事前に自転車屋に「8時半からやってます」と開店時間を聞いたときは「おぉ神よ」って思ったのに、俺が山登りに苦戦して遅れちゃったんだからな~
しかも、これから向かうトコは詳細な地図持ってないし…道に案内板があればいいんだけどさ。

これは途中にある「長尾越前守政景公墓所」です…政景は景勝の父で、景勝が9歳のときに池で溺死してしまうのです。

その後、景勝は子を作らなかった「上杉謙信」の養子となります…ちなみに景勝の母は謙信の姉(仙桃院)なので、甥っ子を養子にしたってこともあるけど、まだ若かった景勝にとっては叔父が父親になって武士としての生き方と(謙信の)精神が受け継がれたんだね。

ここには上田長尾家の供養塔もありました…写真の左から、
 
四代「長尾越前守房長」、二代「長尾肥前守房景」、初代「長尾兵庫助景実」、

三代「長尾肥前守顕吉」、六代「上杉中納言景勝」、一番右端に「直江兼続」の供養塔もありました。

途中には案内板があって良かったよ…でも、意外や意外…寄り道をしながらも自転車屋を出て25分くらいで着いたよ

ここが「雲洞庵」です(拝観料¥300)

俺、「天地人」のイメージでもっと山奥の古寺みたいのを覚悟してたんだけど…平地にあったとはね。

ここは「与六」(のちの直江兼続)と「喜平次」(のちの上杉景勝)が少年期に学問を学んだ寺なのです
2009年の大河ドラマ「天地人」の第1話で、加藤清史郎クンが演じていた「与六」が「喜平次」の小姓となるために「雲洞庵」に連れて来られ…「わしはこんなとこ来とうはなかった」と言ったんだよね~、そのとき「与六」はまだ5歳だったんだよ。

その「こんなとこ」に俺は来たかったんだよ~

「雲洞庵の土踏んだか」

「妙声」の額のかかる鐘楼です。

こっちの建物は何だっけ?

室町時代永享年間「上杉憲実」公によって建立された本堂です。

外の入口が無人だったんで、この中で拝観料を払いました。

初めは実父(長尾政景)の死の原因が父「上杉謙信」にあるのでは?という疑惑を拭えず、あまり他の小姓たちとも馴染めなかった「喜平次」でしたが、純真な「与六」を弟のように可愛がり、心を開いていきます。

喜平次や与六は「北高全祝(第10世住職)」の元で修行に励みました。

これは「内陣」です。

これは「千手千眼観音」です。

最後に「宝物殿」に入りました。

戦国時代の武将の古文書など、歴史的にも貴重な品々が展示されています。

「武田信玄公書状」や「北高全祝禅師の書」

「上杉景勝公遺墨」です。

10:10「雲洞庵」を出て自転車を飛ばし…これなら最後にもう1ヶ所9:00から開館だった「直江兼続公伝世館」(自転車屋がある方向)を観る時間がありそうだぞ

…ってことで、10:30「銭淵公園」に着き、まず「直江兼続公伝世館」(¥300)に入りました。

この館の骨組みは南魚沼市内の築200年以上前の古民家を移築したものだそうです。

上田衆の「泉沢久秀」と「安部政吉」の甲冑です。

これは「直江状」です。

「上杉景勝」と「直江兼続」の甲冑です…もちろん複製だけど。

これは兼続の「軍配」です。

これは兼続の「兜」です。

これは…兼続の「鉄扇」じゃなく、フツーの「軍扇」です。

坂戸城のジオラマです…って、この坂戸山に登って来たんだよ。

このフィギュア売り物だったら良かったのになぁ…「与六」は「雲洞庵」に来たばかりのころ、母が恋しくて雪山を越えて家に帰ってしまいます。
しかし、母は「与六」を突き放し「雲洞庵」に帰るように言い、家に入れませんでした。
「雲洞庵」から「与六」がいなくなったことを知った「喜平次」は自ら「与六」を連れ戻しに後を追い…実家の前で泣く「与六」に「わしが背負ってやる」と言って連れ帰ります。
「天地人」でも、この2人の「絆」が生まれるシーンにはジィ~ンと来るんだよね~

10:40「直江兼続公伝世館」を出ました。

この裏手の「銭淵公園」内には「与六と喜平次の像」があります。
「雲洞庵」で生まれた2人の絆は「豊臣秀吉」が兼続を家臣にしようとしても、引き裂かれることはなかったのです。

これが「長尾政景」が溺死したと伝えられる池です。
さて…自転車を返却し、10:55ごろ六日町駅に戻りました。

駅にある「六日町観光協会」です…ここにも出発前に2度メールで問い合わせをさせてもらってました。

そこでゲットした「美女旅」シリーズです…残念ながら、もう「Vol.1」はありませんでした。
美女を使って観光アピールと言っても、その観光地やらにその美女がいてくれるなら、その美女目当てに訪れるヤロウもいるだろうけど…これでこの美女たちは東京のモデル事務所から撮影に来てましたぁ~じゃ笑えないけどね。

さて…次は11:04発の北越急ほくほく線で「直江津」に行って、路線バスで②春日山に行くんだけど…文字制限に掛かったようなんで後編に続きます。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桜を観に行って来たよ、なので。 | トップ | 義風堂々!!漢たちに逢いに... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本武尊・源平・戦国史跡めぐり」カテゴリの最新記事