8月1日(月)
今日は6:00くらいに起床し、7:30にチェックアウトしました。
昨日でS君と別れたんでね…俺は携帯も持ってないからアラーム(目覚まし)も無い。
だけど、夏の日の入りは早いし、俺は普段から目覚ましが鳴る前に起きれるんでね。
この旅では今のとこ最悪だったホテルですが…78元と最安値だから仕方が無いか。
そして昨日の「済寧汽車南站」から8:15「河南省安陽市」行きのバスは発車しました。
9:50ごろ「汶上」、10:30「東平」で客の乗り降りがあり…
15:40「安陽汽車客運東站」に着きました…って、約7時間半も掛かったよ。
とりあえず、「汽車站」で安陽市内地図を購入し、今自分がどこに居て、ハントしたい史跡はどこにあるのか?を確認することにしました。
「汽車站」の係員とかにも聞いたけど、面倒なんでタクシーを拾って「殷墟」に行くことにしました。
運チャン(オバちゃん)は“言い値”で15元と言うんだけど、もう早く行きたいんでOKしたら少し走った街中で別の客(3人)も乗せやがってさ。
結局、メーター倒さないから、常に「空車」が点灯してるんだもん。
まぁ「殷墟」に向かう途中だったんだろうけど、俺より先にそいつらを降ろしやがって…こっちが明らかに怒ってるそぶりを見せたんで、オバちゃん着いてから謝ってたけどさ。
けど、俺が20元札を払ったら「正好(ちょうどね)」だとさ…「15元って言ったじゃんか、何が正好だ」と言ってやりたかったが、今日はそんな気力も無いや。
「殷墟」は2006年に世界文化遺産に登録されました。
16:20「殷墟」に入りました。(入場料90元)
「殷墟」は古代中国殷王朝(BC1600 - BC1046)後期の遺構で、発掘された多数の甲骨(亀の腹甲や牛や鹿の肩胛骨など)には文字が刻まれており、合計で5,000字以上の文字が確認され、そのうち1,700字ほどが解読されています。
またこの甲骨文字の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字が現在使用される漢字の祖形となったことが確認されています。
まず、「殷墟博物館」に入りました。
この入口を入ると、地下が博物館になっていました。
約3,000年前の人骨ってことか…
これもね…何で側頭部に穴が開いてるんだろ?
これが甲骨で、これに文字を刻んでたんだね。
博物館を出て、広い敷地内を進んで行くと…
「殷墟車馬坑」がありました。
おぉ、これは以前見た「臨淄」の「東周殉馬坑」や「古車博物館」と同じだね…でも年代は明らかにこっちの方が古いけど。
ふむふむ…これは2馬と1人ね。
確かに後ろに…
1人と、
馬が2頭ね。
甲骨碑林を見て…
奥の方にも発掘された遺跡がたくさんあります。
これらケースの中を覗いてみると…
人骨や
こっちは…
ヤギか牛の骨かな?
さらに、
馬車や
整列して埋葬されたんでしょうか?
こっちにも…
多数の人骨がありました。
これは「甲骨窖穴」です。
中の穴には…
多数の甲骨がありました…って読み捨てられた新聞みたいなモンだったりして。
右は「毛沢東」がここに来たっていう記念碑みたい。
これは第22代の帝「武丁」の王妃であった「婦好」の墓で、1976年にほぼ未盗掘の状態で発見されました。
これは「婦好」像です。
「婦好」の墓に入りました。
墳墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者が発掘され、他に副葬品として440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7,000枚の当時の貝貨が出土しています。
これらは発掘された一部の副葬品ですね。
17:15「殷墟」を出て、90元の入場券で入れるもう1つの「殷墟王陵遺址」に行ってみることにしました。
今見てきた「殷墟宮殿宗廟遺址」や「殷墟博物館」が夏季は18:30まで入れるようだったんで、まだ「殷墟王陵遺址」も見れるだろうと思ってさ。
でも、「殷墟王陵遺址」とを往復してるバスは17:00までらしく、それを見込んだ白タクがウザいんで、歩いて行こうと思ったら5.5Kmくらいあるみたい…
それでも歩いて行ってみました。
殷都橋を渡り…ひたすら歩いてたら雨がけっこう降って来ちゃったよ。
そして50分くらい歩いてT字路に出たとこで案内板すら無くなり…雨も強くなって来たし、もう着いてなきゃいけないくらいの距離は歩いてるからね。
しかも全荷物を持ってだもん…もう疲れたわ。
18:05…ここが引き返した辺りなんだけど、この付近に「殷墟王陵遺址」があるはずなのに案内が無かったぞ、絶対。
引き返して歩いてる途中で時々タクシーが通るんだけど、絶対足元見られて高くフッ掛けられると思って停めもしませんでした。
恐らく往復10Km以上歩いたと思います…18:55ごろバス停を発見し、「人民公園」とかいかにも中心部っぽいバス停名で降りてホテルを探すことにしました。
そして19:10ごろ車窓から街を見て賑やかそうな所で降りて、19:20ホテルにチェックインしました。
そして近辺を散策しながら夕飯を買うことにしたら、「鐘楼」を見つけました。
結局、また雨が降り出して来たんでケンタとカップラーメンを夕飯にしました。
明日の天気はどうなんだろう?明日は「安陽」から南下して、いろんな街で史跡ハントしなきゃならないんだよな…雨だと面倒だなぁ。
今日は6:00くらいに起床し、7:30にチェックアウトしました。
昨日でS君と別れたんでね…俺は携帯も持ってないからアラーム(目覚まし)も無い。
だけど、夏の日の入りは早いし、俺は普段から目覚ましが鳴る前に起きれるんでね。
この旅では今のとこ最悪だったホテルですが…78元と最安値だから仕方が無いか。
そして昨日の「済寧汽車南站」から8:15「河南省安陽市」行きのバスは発車しました。
9:50ごろ「汶上」、10:30「東平」で客の乗り降りがあり…
15:40「安陽汽車客運東站」に着きました…って、約7時間半も掛かったよ。
とりあえず、「汽車站」で安陽市内地図を購入し、今自分がどこに居て、ハントしたい史跡はどこにあるのか?を確認することにしました。
「汽車站」の係員とかにも聞いたけど、面倒なんでタクシーを拾って「殷墟」に行くことにしました。
運チャン(オバちゃん)は“言い値”で15元と言うんだけど、もう早く行きたいんでOKしたら少し走った街中で別の客(3人)も乗せやがってさ。
結局、メーター倒さないから、常に「空車」が点灯してるんだもん。
まぁ「殷墟」に向かう途中だったんだろうけど、俺より先にそいつらを降ろしやがって…こっちが明らかに怒ってるそぶりを見せたんで、オバちゃん着いてから謝ってたけどさ。
けど、俺が20元札を払ったら「正好(ちょうどね)」だとさ…「15元って言ったじゃんか、何が正好だ」と言ってやりたかったが、今日はそんな気力も無いや。
「殷墟」は2006年に世界文化遺産に登録されました。
16:20「殷墟」に入りました。(入場料90元)
「殷墟」は古代中国殷王朝(BC1600 - BC1046)後期の遺構で、発掘された多数の甲骨(亀の腹甲や牛や鹿の肩胛骨など)には文字が刻まれており、合計で5,000字以上の文字が確認され、そのうち1,700字ほどが解読されています。
またこの甲骨文字の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字が現在使用される漢字の祖形となったことが確認されています。
まず、「殷墟博物館」に入りました。
この入口を入ると、地下が博物館になっていました。
約3,000年前の人骨ってことか…
これもね…何で側頭部に穴が開いてるんだろ?
これが甲骨で、これに文字を刻んでたんだね。
博物館を出て、広い敷地内を進んで行くと…
「殷墟車馬坑」がありました。
おぉ、これは以前見た「臨淄」の「東周殉馬坑」や「古車博物館」と同じだね…でも年代は明らかにこっちの方が古いけど。
ふむふむ…これは2馬と1人ね。
確かに後ろに…
1人と、
馬が2頭ね。
甲骨碑林を見て…
奥の方にも発掘された遺跡がたくさんあります。
これらケースの中を覗いてみると…
人骨や
こっちは…
ヤギか牛の骨かな?
さらに、
馬車や
整列して埋葬されたんでしょうか?
こっちにも…
多数の人骨がありました。
これは「甲骨窖穴」です。
中の穴には…
多数の甲骨がありました…って読み捨てられた新聞みたいなモンだったりして。
右は「毛沢東」がここに来たっていう記念碑みたい。
これは第22代の帝「武丁」の王妃であった「婦好」の墓で、1976年にほぼ未盗掘の状態で発見されました。
これは「婦好」像です。
「婦好」の墓に入りました。
墳墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者が発掘され、他に副葬品として440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7,000枚の当時の貝貨が出土しています。
これらは発掘された一部の副葬品ですね。
17:15「殷墟」を出て、90元の入場券で入れるもう1つの「殷墟王陵遺址」に行ってみることにしました。
今見てきた「殷墟宮殿宗廟遺址」や「殷墟博物館」が夏季は18:30まで入れるようだったんで、まだ「殷墟王陵遺址」も見れるだろうと思ってさ。
でも、「殷墟王陵遺址」とを往復してるバスは17:00までらしく、それを見込んだ白タクがウザいんで、歩いて行こうと思ったら5.5Kmくらいあるみたい…
それでも歩いて行ってみました。
殷都橋を渡り…ひたすら歩いてたら雨がけっこう降って来ちゃったよ。
そして50分くらい歩いてT字路に出たとこで案内板すら無くなり…雨も強くなって来たし、もう着いてなきゃいけないくらいの距離は歩いてるからね。
しかも全荷物を持ってだもん…もう疲れたわ。
18:05…ここが引き返した辺りなんだけど、この付近に「殷墟王陵遺址」があるはずなのに案内が無かったぞ、絶対。
引き返して歩いてる途中で時々タクシーが通るんだけど、絶対足元見られて高くフッ掛けられると思って停めもしませんでした。
恐らく往復10Km以上歩いたと思います…18:55ごろバス停を発見し、「人民公園」とかいかにも中心部っぽいバス停名で降りてホテルを探すことにしました。
そして19:10ごろ車窓から街を見て賑やかそうな所で降りて、19:20ホテルにチェックインしました。
そして近辺を散策しながら夕飯を買うことにしたら、「鐘楼」を見つけました。
結局、また雨が降り出して来たんでケンタとカップラーメンを夕飯にしました。
明日の天気はどうなんだろう?明日は「安陽」から南下して、いろんな街で史跡ハントしなきゃならないんだよな…雨だと面倒だなぁ。
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