群馬県の学校は1999年の桐生一と2013年の前橋育英が優勝しているので、春も優勝経験あるかと思ったが、初優勝らしい。
筆者は3月28日(木曜日)の健大高崎と山梨学院戦の最中に山梨学院の遠山侑那(16)応援団長が紹介されている場面をたまたま見たが、応援団長は少し太っているなと思った。腕の長袖Tシャツがムチムチだったからだ。団長はニヤニヤしていた。
低反発金属バットが導入されたので、HR3本だった。
1992年春もラッキーゾーン撤去直後でHR激減した。
1992年春はHR7本だが、ランニングHRが1本、通常HRが6本で、松井秀喜が3本だった。
松井秀喜は力が違った。
1992年春は帝京がHR0で優勝した。健大高崎もHR0で優勝だ。
1975年に金属バット解禁されたが、銚子商業の篠塚は木製バットを使用し、HR2本も打ったようだ。
筆者も篠塚の現役時代を見ているが、篠塚は細身だった。
篠塚も松井もプロ行く人は木製でも金属でも関係ないってことだ。
篠塚の頃はラッキーゾーンあったことは考慮するべきだが。
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