関根本人は『選手育成の名人』を否定しているが、
チームの『土台作りの名人』ではあると思う。
多くの人が言うように野村がヤクルトの3年目に
優勝したのは関根の土台作りがあったから。
決して野村個人の力量だけではない。
と言うのも阪神で野村は3年連続6位だった。
野村以前の監督が吉田だったから。
阪神でも関根→野村の順だったら2001年
には4位になっていたと思う。
選手としては打者では1流だ。1000本安打を打てる人はいない。
投手としては60勝だから数字だけなら2流だ。
ただ、打線の援護がない弱い頃の近鉄で60勝だ。
その点は考慮する必要がある。