35年前の日航機墜落事故の真相は未だに明らかにされていない。
墜落の7年前に着陸時に尻もち事故で機体後部の圧力隔壁が破損し、
その修理不全のため相模湾上空で隔壁破損が起こり、操縦不能になるも
自衛隊上がりのパイロットは、群馬県の御巣鷹山までひっぱた。
1985年8月12日、午後7時頃、JALボーイング747型機123便が群馬県
上野村の山中に墜落したとの大ニュースが当時のラジオから流れた。
私は、当然直ちにヘリコプターによる救助が行われるものと思いましたが、
現場が特定されず夜間飛行とホバリングが、当時出来ないとのことでした。
そんなはずは無いと思うが、実際千葉県習志野駐屯地から第1空挺団の大型
ヘリ6機が出動したのは、翌日早朝でした。助かる命も、助からない。
当時、上野村(村長は元自衛隊員)には陸上自衛隊(火炎放射部隊)の駐屯地
があって、直ちに現場に向かい夜間活動していたそうです。
*相模湾上空で、自衛隊の演習が当時行われていて日航機が事故に遭った。
その際の日航機の破片が海中に有るも、極秘にされている。
*航空機火災による死体損傷は、大抵半身が多いが、大半丸焦げであった。
*死体検案の報告書、検案者も極秘扱い。
*問題の圧力隔壁の証拠保全がなされてない。
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