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元保健所長余録

2019-09-11 | Weblog

 本年度より山形市も中核市と認定され、保健所設置が義務化となり山大医学部教授で定年退職なされた加藤教授が所長に就任成された。所長要件として3ヶ月間の研修を国立保健医療科学院(旧国立公衆衛生院)で元教授と言えども受けられたとのことです。
私も、平成6年から一介の町医者が55歳で唐突に保健所長になった。開業医の頃は、数年に一度の保健所からの医療監視があった。その頃の保健所は全盛期で、感染症対策、環境衛生対策、適正医療対策の三大役割に奮闘していた。それだけに特異な職種が揃った難しい職場です。
その頃の保健所長には、人事権が与えられていた。現在は、地域保健法の改正で環境保健部長に人事権があり、保健所長は医療監と言う役職になっている。
1996の地域保健法施行令第4条第2項では「地方公共団体の長が医師をもつて保健所の所長に充てることが著しく困難であると認めるときは、2年以内の期間を限り、医師でない技術吏員をもつて保健所の所長に充てることができる。」とも定められている。保健所職員は、全員県職員でほとんど卯建の上がらない人が多く、いくら昇進を上申しても難しかった。
保健所長になって間もなく、白金台にあった国立公衆衛生院にて全国より約30名の保健所長が集まり研修を受けた。皆、それなりに事情を抱えた30代から国立大学の助教授、60代までのdoctor達だった。それでも、私以外に過去開業医の経験者はいなく珍しがられた。
研修で面白かったのは、当時立教大学教授の行政学、危機管理とマスコミ対策、エイズ?・エボラ対策でした。それで、国立感染症研究所、築地魚市場、東京大学医科学研究所付属病院での研修も受けてきた。
保健所10年の間で一番の思い出は、当時の知事自らが難儀していた右翼絡みの不当投棄物の野焼き問題を、担当部長の反対を押し切って私個人で告発し,一機に解決された事件でした。

保健所は、地区医師会に健康キャンペーンなどでお願いする事が多くて以外と弱く、適正医療対策、医療監視等に弱腰な時がある。私が保健所長なっても1-2年と持たないと言われたが、10年も務められたのは医師会理事もしていた事もあり、又空手5段の腕力がものをいった。
集団食中毒、集団感染症が発生すると保健所は大忙しだった。補犬所と言われながら狂犬病対策は大したことがなかったが、所長室には物凄い立派なエアーガンが設置されていた。年に一度、試射ができた。
保健所の役割は、1に感染症対策、2に適正医療対策、3に精神保健対策ですが保健所単独ではタカがしれていた。いずれにしても,医師会の協力無しには何もかも出来なかった。私が苦手としてたのは、精神保健で特に措置入院の事例では老練な保健師さん達と対立する事があった。到底叶わなかった。

 

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