大徳寺 「黄梅院」
京都市北区紫野大徳寺町
京都非公開文化財、特別拝観として大徳寺境内にある「黄梅院」に行ってきました。
黄梅院(おうばいいん)は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を開祖として建てた庵「黄梅庵」が始まりです。
現在の本堂・唐門は豊臣秀吉、庫裏・表門は毛利元就の子、小早川隆景が創建したものです。
「黄梅院」の名は、お釈迦様から数えて32代目の弘忍大満禅師のゆかりの地である中国の「黄梅県破頭山東禅寺」に由来して名付けられたものです。
院内は一部を除いてほとんどが撮影禁止になっていました。
院内の本堂で昔の「袱紗」の展示会をやっておられ、袱紗の刺繍のことでたまたま声をかけた人がこの展示物の持ち主の女性で、刺繍の話や展示されている作品の話などをして頂きました。
その女性も私が「日本刺繍」の仕事をしているということで、大変喜んでおられ話も弾みました。
院内は撮影禁止ということで作品の写真も撮ることが出来ませんでしたが、今ではそれでよかったのかなと思っています。
すべては心の中の思い出として、しっかりと心のフィルムに撮影されていますから。
名刺交換も何もせず、本当の「一期一会」の粋な出会いでしたが、歴史のある「院」で心に残る思い出会いが出来ました。
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黄梅院の表門。特別拝観のため、看板と受付があります。
Nikon Coolpix P5100
門を入ると右手に石柱が立ててあり、
・蒲生氏卿公墓地
・小早川隆景卿墓所
・河春寺殿 毛利元就公 家一門霊所
・萬松院殿 織田信秀公 霊所
とあります。
黄梅院の前庭、奥に庫裏(重要文化財)天正17年(1589)創建、禅宗寺院のものとしては
現存する日本最古の庫裏だそうです。
石畳には水が打たれ、苔の庭がとてもきれいです。写真左手の唐門は豊臣秀吉が創建
したものです。
庭を眺めながら進んで行くとお地蔵様がありました。
庭をゆっくりと眺めながら進むと茶室があります。
書院の前の庭にも茶室があります。
書院からの庭の眺め。
少しづつ紅葉して来ています。
この後に「一期一会」の出会いが。。。。。
大徳寺「紅梅院」への地図
京都市北区紫野大徳寺町
京都非公開文化財、特別拝観として大徳寺境内にある「黄梅院」に行ってきました。
黄梅院(おうばいいん)は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を開祖として建てた庵「黄梅庵」が始まりです。
現在の本堂・唐門は豊臣秀吉、庫裏・表門は毛利元就の子、小早川隆景が創建したものです。
「黄梅院」の名は、お釈迦様から数えて32代目の弘忍大満禅師のゆかりの地である中国の「黄梅県破頭山東禅寺」に由来して名付けられたものです。
院内は一部を除いてほとんどが撮影禁止になっていました。
院内の本堂で昔の「袱紗」の展示会をやっておられ、袱紗の刺繍のことでたまたま声をかけた人がこの展示物の持ち主の女性で、刺繍の話や展示されている作品の話などをして頂きました。
その女性も私が「日本刺繍」の仕事をしているということで、大変喜んでおられ話も弾みました。
院内は撮影禁止ということで作品の写真も撮ることが出来ませんでしたが、今ではそれでよかったのかなと思っています。
すべては心の中の思い出として、しっかりと心のフィルムに撮影されていますから。
名刺交換も何もせず、本当の「一期一会」の粋な出会いでしたが、歴史のある「院」で心に残る思い出会いが出来ました。
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黄梅院の表門。特別拝観のため、看板と受付があります。
Nikon Coolpix P5100
門を入ると右手に石柱が立ててあり、
・蒲生氏卿公墓地
・小早川隆景卿墓所
・河春寺殿 毛利元就公 家一門霊所
・萬松院殿 織田信秀公 霊所
とあります。
黄梅院の前庭、奥に庫裏(重要文化財)天正17年(1589)創建、禅宗寺院のものとしては
現存する日本最古の庫裏だそうです。
石畳には水が打たれ、苔の庭がとてもきれいです。写真左手の唐門は豊臣秀吉が創建
したものです。
庭を眺めながら進んで行くとお地蔵様がありました。
庭をゆっくりと眺めながら進むと茶室があります。
書院の前の庭にも茶室があります。
書院からの庭の眺め。
少しづつ紅葉して来ています。
この後に「一期一会」の出会いが。。。。。
大徳寺「紅梅院」への地図