【2】へ
小学校とか中学校とか、クラスに一人はいたでしょう。
異様に足の速い男の子。
背も高いし、スタイルもいい。しなやかな身のこなし。
マラソン大会とか運動会で、ヒーロー役をいつも掻っ攫っていくような子。
……なのに、いざ球技になると、あれ? って。
てんでズレてるっていうか、微妙にプレイが「下駄を履いてる」っていうか。
様になってない。
一気に精彩を欠く。
応援しようと盛り上がってた女の子たちが、怪訝そうに顔を見交わすような。
手塚はその典型だった。
彼のアキレス腱。コンプレックスはまさに、「球技」。
「……とか言い出すからさ、マジでびっくりしちゃったわ。あたし」
衝撃の告白の日、寮のお風呂タイムを終えて、柴崎が話を切り出す。
と、郁が、
「あー、何。あんたに言っちゃったの、手塚ってば」
ごしごし。ショートヘアをタオルドライしながら目を剥いた。
「うん。この世の終わりみたいな顔してた」
昼間のやり取りを思い出しながら、柴崎は頷いた。
ごし……。一瞬、郁の手が止まる。
「……手塚もあんたには知られたくなかっただろうになー」
少しだけ気の毒がるような顔で、ベッドの縁に腰を下ろす。
イオン飲料水に手を伸ばした。
「あら、なんで?」
「いや。なんでもない」
「で、どうなの」
柴崎は郁の正面に腰を下ろし、身を乗り出して訊いた。
「どうって何が」
「あいつのことよ。
――そんなに、ひどいの?」
わずかに眉を寄せる。
風呂上りのスッピンでも、柴崎は匂いたつように綺麗だ。
郁は八の字に眉をしかめた。まるで飲んだイオン水が酸っぱかった、とでも言うように。
そして、
「ひどい」
言下に言った。
「予想を超えてる。超ド級の球技運痴だね、あいつは。筋金入り」
と断じた。
柴崎は「あー」とうめいた。
空を仰ぐ。
「そっかー……」
「うん……」
しんみり。
二人の間に無言の数秒が流れ。
その後、部屋の空気がいきなり弾けたかのように、歓声が上がった。俄かに部屋の中がかしましくなる。
「そ、そんなにひどいんだ。あいつってば」
柴崎が堪えきれないというように、吹き出しながら言った。
「ひどい。見るに耐えない」
郁は笑いを噛み殺して、顎に梅干を作ってかぶりを振った。
柴崎の好奇心は抑え切れないほど膨らんでしまっている。
「ど、どういう風によ」
「どうって、例えば……」
「だーっ! 手塚、何度言ったら分かるの。
バレーは手でボールを持っちゃいけないんだよ。それってホールディング、反則なの! 審判にホイッスル吹かれるの!」
「あれ。そうだったか?
バスケじゃ確か、よかったぞ」
「バスケとバレーを一緒にしないでよ!」
「~~手で持たなかったらどこで持つんだよ?」
「だから、持たないで、指でこう、押し返すように相手にボールを差し出すんだよ」
「こうか?」
「ばかっ。相手コートに返してどうするの。チャンスボールになっちゃうでしょ」
「チャンスの後にピンチあり、だろ」
「逆! まあいいや。次はサーブ練習してみて」
「サーブって、このラインのどこからでもいいんだっけ?」
「いいよ。ただなるべく踏まないでね」
「わかった。――あらよっ!」
ボカン☆
「いたっ! な、何するのよ!!」
「あ、わ、悪い。当てるつもりは……」
「いたあ~。後頭部、直でキタ……」
「だ、大丈夫か、笠原。
お前、ただでさえスペックが怪しい脳みそなのに。ごめん。衝撃与えて」
「誰がスペック怪しいだ!
あのねえ、手塚。サーブはネット越えて向こうコートに入れないと、意味ないの!それがどんなに威力があってもね」
「分かった。――こうか?」
バカン☆
「~~~~だから、線のなかに入れろ! アウトにするな」
「加減が分からん。力を抜くとネット越えしないで自軍のメンバーの後ろ頭をやっちまうだろ。ちょっと力を入れると、ホームランだ。難しいな」
「ほどほどでいいんだよ。サービスエース狙う訳でもないんだからさ」
「サーブってブロックしてもいいんだっけ? それならジャンプすればできそうだ」
「いつの時代のルールだよそれ! ロス五輪か!!
今はダメ! サーブブロックなし!」
「はあ……」
「何よそのため息、こっちが【はあ】だよ、全く」
「大体なあ。こんな重力に反する競技は、俺、嫌いだ」
「はあ!?」
「なんだよ、地面にボールをつけちゃいけないってルールは。
地球上に存在してたら、すべては万有引力で全ては大地に落ちるんだぞ。それが自然の摂理だろ」
「せ、摂理?」
「ああ。ニュートンだってりんごで証明したんだ。それに反するようなルールでなんでプレイしなくちゃならない?」
「いや手塚、それってなんか違うから根本が」
「違わない。サッカーだって、なんで足しか使っちゃいけないんだ? 人間には手があるってのに。不自然だろう」
「だから、それはね」
「ラグビーだっておかしいぞ。人は前に走るのに、ボールは後ろだなんて。ちぐはぐだ。腰を痛める。あんな走り方してたら。
なのになんで皆粛々と不条理なルールに従うんだ? 変だ。ぜったい変だ」
「あーやかまし! いいからごちゃごちゃ言わんと、構えろ! 手塚!
あんたみたいな理屈屋は頭使うよりも身体でがっつり覚えたほうがいいのよ! 余計な邪念は捨てて、無心でボールを拾え、跳べ、そして打て!」
「うわっ。なんだよ。セーブなしかよ」
「だから、持つな、ボールを!!!!!!」
「だって、ドッジじゃOKだった……」
「あんたがこれからやる種目は、バレーだっつの!!」
「……てな感じよ。ひどいの。あたしの毎朝の気苦労、分かってくれる?」
話し終えて柴崎を窺うと、腹を抱えて身をよじっていた。
ベッドに突っ伏す勢いで。
「ふ、腹筋痛い……。おなか、よじれるわ」
ひいひいと呼吸が浅い。
目には涙。
「なまじ頭いいから、ダメね。あれは。
プレーするときあれこれ考えてたら、集中できないっつーの。
何よ、万有引力とか。ばっかみたい」
郁はそう斬って捨てる。
「それはあいつなりの理論武装でしょ。上手くできない言い訳よ。
――それにしたって」
あの、手塚が。
死角なし、同期ライバルなし、出世街道まっしぐら、ひた走る、あの男が。
そんな楽しい弱点を持っていたなんて!
美味しすぎる。そして、面白すぎるわ。
柴崎は情報屋として上ネタを掴んだときと同様、そわそわと浮き立つ気持ちをどうにも抑え切れなかった。
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それにしても何であんな名前を(笑)
嗚呼面白かったv