【3】へ
小牧は人ごみを掻い潜り、バニーガールの格好をした女の子に近づいた。黒のレオタード、網タイツ、そしてうさみみのヘアバンド。ウエイトレスよろしく、丸い銀色のトレイを持って酒を注がれたグラスをいくつか載せている。
際どい格好ではあるが、今日に限っては特別目立つ姿ではない。他にもキテレツななりをした人間が右往左往しているからだ。
そのバニーは、黒の羽根つきのアイマスクを掛けているので顔ははっきりと見えなかった。若い女性ということしか分からない。
けれども。
「……やっぱり」
注意深く彼女を観察していた小牧の口許がほころぶ。
まさかとは思ったけど、やっぱりそうだ。間違いない。
でも、どうしてここに? 小牧は複雑な思いでバニーに声をかけた。
「テキーラ、あったらください」
カウボーイの扮装なのだから、やっぱりアルコールはテキーラだろう。
すると、バニーはぎくっと身を硬くした。
何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
トレイの上のグラスの中、酒が揺らめいた。そして逡巡した挙句、
「……すみません。今夜はシャンパンしか用意してなくて」
蚊の鳴くような声で答えたそれは、はたせるかな、小牧の思ったとおりだった。
「毬江ちゃん。なんで……」
どうしてそんなカッコで? と言葉を継ぐ間もなく、目の前のバニーは色をなした。
きゃあと声を上げて回れ右をし、その場から逃げようとする。そのハイカラーの襟をはっしと掴んで小牧は言った。
「何で逃げるの。毬江ちゃんだよね?」
「ご、ごめんなさいっ、あたし」
腕を把って引き寄せると、アイマスクをしていてもその面が真っ赤だということが見て取れる。毬江の手からトレイを受け取って、小牧は手近なテーブルにそれを置いた。
「謝らなくていいけど、ほんとなんでここに来てるの。その格好はどうしたの」
改めて毬江に向き直る。と、依然真っ赤になったまま、それでも毬江は言葉を紡ぎだす。
「あ、あたし、幹久さんに寮のクリスマスパーティーのこと聞いたときから一回見てみたいなあって思ってて。ちょっとだけでもいいから参加したいなあって、それで。
柴崎さんにこっそり相談したら、仮装さえすればたぶん潜り込めるはずって聞いたから、今日、来ちゃったの」
小牧は目を丸くした。
「じゃあその衣装も柴崎さんに?」
うん、と恥ずかしそうに毬江はあごを引いた。
「借り物なの。柴崎さんが用意してくれて」
どおりで。小牧は納得する。
毬江のチョイスにしては、大胆すぎる。と、そこまで思い、いや、こうやってこの寮に忍び込んでくること自体、大胆なんだから別段驚くことはないのかと思い直した。
「でも、なんであたしだって分かったの?」
毬江は首をかしげた。顔もアイマスクで半分隠していて、絶対ばれないだろうと思い込んでいたのだろう。見つけられたのが不可解そうだった。
「分かるよ。俺は君ならすぐに。どんな格好をしてたって分かる」
小牧は断言した。
毬江は赤くなった。
小牧は思い出す。視界の端を通っただけで、気づいたことを。決め手は補聴器をかけているのを確かめたことだったが、それでも毬江だと確信があってバニーに近づいた。
「直接言ってくれればよかったのに。俺に」
と言うと、毬江はかぶりを振った。うさみみがそれにあわせてぴょこぴょこ揺れる。
視界がなんだかくすぐったい。
「だって。明日すぐデートが控えてるのに、今日もってわがまま言うの、いやだったの。……今日も明日もあたしのお守りするの、小牧さん、やでしょう?
寮でのパーティーは気心しれた同僚の人たちと、わいわい過ごすんだろうなって、そう思ったから……。だから」
毬江の言い分を聞いた小牧はため息をついた。
確かに明日、毬江と一日外出する予定でいた。イブはごめん、寮でパーティーがあるから会えない。その代わり25日はずっと一緒だよと前から言っておいた。
毬江も楽しみにしてるねと言ってくれていたのだが。額面どおりじゃなかったわけだ。
「ねえ、俺が君と会うの、厭うわけないでしょう。それにお守りとか言うの変じゃない?」
小牧が言うと、毬江はうなだれた。そして、
「ごめんなさい」
消え入りそうなほど小さな声でそう言った。
ふう。小牧が息をついて毬江の耳元に屈みこむ。
そして言った。一言一句、はっきりと。
「俺こそごめん。誘ってあげればよかった。俺から。ただ、俺の寮のパーティーってこんな風に特殊だから、君が見たら引いちゃうんじゃないかと思って、予防線引いた。配慮が足りなかった。ていうか、しすぎた。ごめん」
額がくっつきそうなほど顔を近づける。
毬江は面を上げた。
「ううん、あたしこそ。柴崎さんに相談するんじゃなく、幹久さんにちゃんと打ち明ければよかった。連れてってって」
小牧は微笑んだ。
「じゃあ仲直り、だね?」
「うん」
毬江も笑顔を見せる。二人はどちらからともなく手をつないだ。
「それにしたって、驚いただろ。うちのパーティー」
「ほんとに。すごいのね。皆さんのコスプレ、本格的」
「でも、君くらいセクシーな仮装もないけどね。まさかバニーガールに扮するとは」
「こ、これはっ。あたしが選んだとかじゃなくて。し、柴崎さんがこれしかないって言って着させられて」
泡を食って弁解をする。その表情がなんとも可愛らしい。
小牧はいっそう目を細めた。
「分かってますよ。ほんと、柴崎女史にはかなわないな」
男心と言うものをちゃんと分かってらっしゃる。内心感嘆した。
きっと彼女は俺が毬江ちゃんを見抜くこともきちんと計算済みでコレを着せたんだろうな。
心憎いような、なんとも照れくさいような、複雑な思いに満たされ小牧の胸が甘酸っぱくなる。きゅっと毬江の手を握る手に力を込めて囁いた。
「似合うよ、とっても可愛い」
「幹久さん」
あなたも、素敵です。
カウボーイの幹久さん、ずっと見てたの。ここに来てから。
あんまりかっこ良くて、目が離せなかった。
はにかみながらそう囁く毬江の背に小牧は腕を回した。
「ねえ。フけようか、これから」
「え? ふける?」
聞きなれない言葉に、毬江はきょとんとする。
「エスケープしないかってこと。ここ、出よう?」
人のいないところに行こうよ。二人きりになろう。
言われて、毬江が当惑する。
嬉しいけど、でも……。
「どこへ行くの。幹久さんが途中で抜けたらまずいんじゃないの」
「別に。これからもこうやってわいわい騒いでだらだら飲むだけだし。ビンゴ大会とかはあるけど特に式次第とかもないし。お開きまでまだ間があるし。それより俺の部屋に行こう」
まだ入れたことなかったよねと既に促す体勢。
毬江はえ、え? と促されるまま足を運びながら、
「でも、女の人っていうか外部の人が入ったらだめなんでしょう。寮の個室には」
「女人禁制だけどね、今夜だけ大目に見てもらえるんだ」
パーティーだから、無礼講。
一年のうち、今日の聖夜だけは。ガードを緩めてくれる。お目こぼししてもらえる。
そこらへんは寮母さんと寮生の暗黙の了解事項だ。
そう言うと、毬江の声が弾んだ。
「ほんとう? あたし一度幹久さんの部屋、見てみたかったの。嬉しい」
「じゃあ案内するよ。ナイショでね。こっちだよ」
そうして二人は会場を抜けた。
分かってるのかな、この子は。
毬江の先を行きながら小牧は思う。
俺の部屋にそんなセクシーなカッコで来て、ただで帰れるだなんて、まさか思ってないよね。
直截訊いたりなんて野暮なことはするつもり、さらさらないけどね。
どんな部屋かしらと無邪気に口にする毬江を見ながら、よこしまな気持ちに絡め取られていく小牧だった。
一方こちらは堂上。
郁にちょっかいをかけた古参たちを適当にあしらって、人の輪から離れたところに連れ出した。
「ど、堂上教官、手、手が痛いです」
力任せに引いてこられて、さすがに郁が音を上げた。
ぴたりと堂上が足を止める。あまりに急で、郁はたたらを踏んだ。彼の背に激突するのはすんでのところで避ける。
「すまん」
立ち止まっても郁の手を離すことはない。郁は困った顔で、
「いえ、謝られることでは……どっちかっていうとあたしのほうが助けていただいてすみません」
と頭を下げる。
マシュマロマンたちは悪い人たちではないのだが、アルコールが入ると幾分絡み酒になるのだ。それは郁も堂上も織り込み済み。
でも、堂上は郁が絡まれるのをよしとしなかった。
貸切って言った。さっき。教官。
どうしよう、すっごく嬉しい。くらくらするほど。
郁はああああの、貸切ってどういう意味でしょうかと口にしかけて、堂上に機先を制される。
「笠原。お前、熱っぽくないか?」
堂上は真顔で訊いた。
「へ?」
「いや、さっきから気になってたんだが。お前の手、異様に熱いぞ。……ほっぺたが赤いのは、人ごみに紛れてたせいだとばかり思ってたけど、でも」
もしかして、お前、熱ないか?
堂上は言って心配そうに眉を翳らせた。
郁は自覚症状がない。頬がぼうぼうするのも、頭がくらっとするのも、全部パーティーのせいだとばかり思っていたから。それと堂上の言葉のせいだと。
でも改めて指摘されると、尋常じゃないくらい熱いかもしれない。
これはもしかしなくても、もしかすると……。
郁は俄にナースの制服の胸の辺りを押さえた。そういえば心臓の鼓動がいつもより速い気がする。
どくんどくんって脈打ってる。これって、教官に手を握られてるせいじゃなくて、ひょっとしたら、あたし、熱があるの?
堂上は空いているほうの手で郁のおでこに触れた。そうっと。
「わあ」
いきなりだったので頓狂な声を上げる。
「ばか。何もせん。ただ熱を見るだけだ」
辺りを気にして堂上が声を落とす。
「す、すみません」
「……高いな。やっぱしお前熱あるぞ。風邪かな」
最近朝晩冷え込んでたからなあ。そう言いつつ堂上は額に当てていた手を引いた。
それを少し寂しく思いながら、郁は言う。
「でも、大丈夫ですよ。自覚症状ないし。咳も鼻水もぜんぜん」
「いや、もう寝め。こんな人ごみにいたらいかん」
悪化してしまう。堂上はそこで郁の格好を改めてまじまじと見つめた。
「看護師が熱出してたら、世話ないんだぞ」
ふ、と目元を緩める。
郁もつられたように肩の力を抜いた。
「医者の不養生ですね」
「言いえて妙といいたいが、ちと違う。――おいで。部屋まで付き添ってやるから」
堂上が優しく促す。
おいでという台詞が、優しい声音が郁の心に魔法をかける。
気持ちが緩やかに高ぶっていく。
すると誰かが郁の口を借りて言ったように、思ってもいない言葉が彼女の口をついて出た。
「お医者さんなのに、付き添ってくれるだけなんですか」
「…… 何が言いたい」
行きかけていた堂上がゆっくりと振り向く。
あ、やばい。
郁は自分が何を口走ったのか、そのとき気がつく。でも既に言葉に出してしまったのは取り返せない。
ままよ、と俯いた顔を上げて、堂上を見据える。
「教官、今日お医者さんなんでしょう。だったらちゃんとあたしを診てください。診察して」
じゃなかったら、ここから動きませんからあたし。
めちゃくちゃなことを言っている。その自覚はある。
なんだか、いつになく大胆なことを言ってしまった。心臓がばくばくと破裂しそうだ。
熱のせいだ。きっと。何もかも熱のせいにしてしまおう。
郁は唇を噛んで堂上の返答を待つ。
堂上はまずい薬を飲めと突きつけられた子供のような顔をして黙り込んでいた。そしてややあって、
「……お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか」
低い低い声で尋ねた。
郁はぶんぶんと頭を振った。縦に。
「俺に診察されたいのか」
「……そうです」
答えると、ふう、と堂上は長く息をついた。
まるで自身の中の迷いを搾り出すみたいに。
「分かった。ちゃんと診てやるから来い。――俺の部屋にな」
そう告げた。
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web拍手を送る
小牧は人ごみを掻い潜り、バニーガールの格好をした女の子に近づいた。黒のレオタード、網タイツ、そしてうさみみのヘアバンド。ウエイトレスよろしく、丸い銀色のトレイを持って酒を注がれたグラスをいくつか載せている。
際どい格好ではあるが、今日に限っては特別目立つ姿ではない。他にもキテレツななりをした人間が右往左往しているからだ。
そのバニーは、黒の羽根つきのアイマスクを掛けているので顔ははっきりと見えなかった。若い女性ということしか分からない。
けれども。
「……やっぱり」
注意深く彼女を観察していた小牧の口許がほころぶ。
まさかとは思ったけど、やっぱりそうだ。間違いない。
でも、どうしてここに? 小牧は複雑な思いでバニーに声をかけた。
「テキーラ、あったらください」
カウボーイの扮装なのだから、やっぱりアルコールはテキーラだろう。
すると、バニーはぎくっと身を硬くした。
何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
トレイの上のグラスの中、酒が揺らめいた。そして逡巡した挙句、
「……すみません。今夜はシャンパンしか用意してなくて」
蚊の鳴くような声で答えたそれは、はたせるかな、小牧の思ったとおりだった。
「毬江ちゃん。なんで……」
どうしてそんなカッコで? と言葉を継ぐ間もなく、目の前のバニーは色をなした。
きゃあと声を上げて回れ右をし、その場から逃げようとする。そのハイカラーの襟をはっしと掴んで小牧は言った。
「何で逃げるの。毬江ちゃんだよね?」
「ご、ごめんなさいっ、あたし」
腕を把って引き寄せると、アイマスクをしていてもその面が真っ赤だということが見て取れる。毬江の手からトレイを受け取って、小牧は手近なテーブルにそれを置いた。
「謝らなくていいけど、ほんとなんでここに来てるの。その格好はどうしたの」
改めて毬江に向き直る。と、依然真っ赤になったまま、それでも毬江は言葉を紡ぎだす。
「あ、あたし、幹久さんに寮のクリスマスパーティーのこと聞いたときから一回見てみたいなあって思ってて。ちょっとだけでもいいから参加したいなあって、それで。
柴崎さんにこっそり相談したら、仮装さえすればたぶん潜り込めるはずって聞いたから、今日、来ちゃったの」
小牧は目を丸くした。
「じゃあその衣装も柴崎さんに?」
うん、と恥ずかしそうに毬江はあごを引いた。
「借り物なの。柴崎さんが用意してくれて」
どおりで。小牧は納得する。
毬江のチョイスにしては、大胆すぎる。と、そこまで思い、いや、こうやってこの寮に忍び込んでくること自体、大胆なんだから別段驚くことはないのかと思い直した。
「でも、なんであたしだって分かったの?」
毬江は首をかしげた。顔もアイマスクで半分隠していて、絶対ばれないだろうと思い込んでいたのだろう。見つけられたのが不可解そうだった。
「分かるよ。俺は君ならすぐに。どんな格好をしてたって分かる」
小牧は断言した。
毬江は赤くなった。
小牧は思い出す。視界の端を通っただけで、気づいたことを。決め手は補聴器をかけているのを確かめたことだったが、それでも毬江だと確信があってバニーに近づいた。
「直接言ってくれればよかったのに。俺に」
と言うと、毬江はかぶりを振った。うさみみがそれにあわせてぴょこぴょこ揺れる。
視界がなんだかくすぐったい。
「だって。明日すぐデートが控えてるのに、今日もってわがまま言うの、いやだったの。……今日も明日もあたしのお守りするの、小牧さん、やでしょう?
寮でのパーティーは気心しれた同僚の人たちと、わいわい過ごすんだろうなって、そう思ったから……。だから」
毬江の言い分を聞いた小牧はため息をついた。
確かに明日、毬江と一日外出する予定でいた。イブはごめん、寮でパーティーがあるから会えない。その代わり25日はずっと一緒だよと前から言っておいた。
毬江も楽しみにしてるねと言ってくれていたのだが。額面どおりじゃなかったわけだ。
「ねえ、俺が君と会うの、厭うわけないでしょう。それにお守りとか言うの変じゃない?」
小牧が言うと、毬江はうなだれた。そして、
「ごめんなさい」
消え入りそうなほど小さな声でそう言った。
ふう。小牧が息をついて毬江の耳元に屈みこむ。
そして言った。一言一句、はっきりと。
「俺こそごめん。誘ってあげればよかった。俺から。ただ、俺の寮のパーティーってこんな風に特殊だから、君が見たら引いちゃうんじゃないかと思って、予防線引いた。配慮が足りなかった。ていうか、しすぎた。ごめん」
額がくっつきそうなほど顔を近づける。
毬江は面を上げた。
「ううん、あたしこそ。柴崎さんに相談するんじゃなく、幹久さんにちゃんと打ち明ければよかった。連れてってって」
小牧は微笑んだ。
「じゃあ仲直り、だね?」
「うん」
毬江も笑顔を見せる。二人はどちらからともなく手をつないだ。
「それにしたって、驚いただろ。うちのパーティー」
「ほんとに。すごいのね。皆さんのコスプレ、本格的」
「でも、君くらいセクシーな仮装もないけどね。まさかバニーガールに扮するとは」
「こ、これはっ。あたしが選んだとかじゃなくて。し、柴崎さんがこれしかないって言って着させられて」
泡を食って弁解をする。その表情がなんとも可愛らしい。
小牧はいっそう目を細めた。
「分かってますよ。ほんと、柴崎女史にはかなわないな」
男心と言うものをちゃんと分かってらっしゃる。内心感嘆した。
きっと彼女は俺が毬江ちゃんを見抜くこともきちんと計算済みでコレを着せたんだろうな。
心憎いような、なんとも照れくさいような、複雑な思いに満たされ小牧の胸が甘酸っぱくなる。きゅっと毬江の手を握る手に力を込めて囁いた。
「似合うよ、とっても可愛い」
「幹久さん」
あなたも、素敵です。
カウボーイの幹久さん、ずっと見てたの。ここに来てから。
あんまりかっこ良くて、目が離せなかった。
はにかみながらそう囁く毬江の背に小牧は腕を回した。
「ねえ。フけようか、これから」
「え? ふける?」
聞きなれない言葉に、毬江はきょとんとする。
「エスケープしないかってこと。ここ、出よう?」
人のいないところに行こうよ。二人きりになろう。
言われて、毬江が当惑する。
嬉しいけど、でも……。
「どこへ行くの。幹久さんが途中で抜けたらまずいんじゃないの」
「別に。これからもこうやってわいわい騒いでだらだら飲むだけだし。ビンゴ大会とかはあるけど特に式次第とかもないし。お開きまでまだ間があるし。それより俺の部屋に行こう」
まだ入れたことなかったよねと既に促す体勢。
毬江はえ、え? と促されるまま足を運びながら、
「でも、女の人っていうか外部の人が入ったらだめなんでしょう。寮の個室には」
「女人禁制だけどね、今夜だけ大目に見てもらえるんだ」
パーティーだから、無礼講。
一年のうち、今日の聖夜だけは。ガードを緩めてくれる。お目こぼししてもらえる。
そこらへんは寮母さんと寮生の暗黙の了解事項だ。
そう言うと、毬江の声が弾んだ。
「ほんとう? あたし一度幹久さんの部屋、見てみたかったの。嬉しい」
「じゃあ案内するよ。ナイショでね。こっちだよ」
そうして二人は会場を抜けた。
分かってるのかな、この子は。
毬江の先を行きながら小牧は思う。
俺の部屋にそんなセクシーなカッコで来て、ただで帰れるだなんて、まさか思ってないよね。
直截訊いたりなんて野暮なことはするつもり、さらさらないけどね。
どんな部屋かしらと無邪気に口にする毬江を見ながら、よこしまな気持ちに絡め取られていく小牧だった。
一方こちらは堂上。
郁にちょっかいをかけた古参たちを適当にあしらって、人の輪から離れたところに連れ出した。
「ど、堂上教官、手、手が痛いです」
力任せに引いてこられて、さすがに郁が音を上げた。
ぴたりと堂上が足を止める。あまりに急で、郁はたたらを踏んだ。彼の背に激突するのはすんでのところで避ける。
「すまん」
立ち止まっても郁の手を離すことはない。郁は困った顔で、
「いえ、謝られることでは……どっちかっていうとあたしのほうが助けていただいてすみません」
と頭を下げる。
マシュマロマンたちは悪い人たちではないのだが、アルコールが入ると幾分絡み酒になるのだ。それは郁も堂上も織り込み済み。
でも、堂上は郁が絡まれるのをよしとしなかった。
貸切って言った。さっき。教官。
どうしよう、すっごく嬉しい。くらくらするほど。
郁はああああの、貸切ってどういう意味でしょうかと口にしかけて、堂上に機先を制される。
「笠原。お前、熱っぽくないか?」
堂上は真顔で訊いた。
「へ?」
「いや、さっきから気になってたんだが。お前の手、異様に熱いぞ。……ほっぺたが赤いのは、人ごみに紛れてたせいだとばかり思ってたけど、でも」
もしかして、お前、熱ないか?
堂上は言って心配そうに眉を翳らせた。
郁は自覚症状がない。頬がぼうぼうするのも、頭がくらっとするのも、全部パーティーのせいだとばかり思っていたから。それと堂上の言葉のせいだと。
でも改めて指摘されると、尋常じゃないくらい熱いかもしれない。
これはもしかしなくても、もしかすると……。
郁は俄にナースの制服の胸の辺りを押さえた。そういえば心臓の鼓動がいつもより速い気がする。
どくんどくんって脈打ってる。これって、教官に手を握られてるせいじゃなくて、ひょっとしたら、あたし、熱があるの?
堂上は空いているほうの手で郁のおでこに触れた。そうっと。
「わあ」
いきなりだったので頓狂な声を上げる。
「ばか。何もせん。ただ熱を見るだけだ」
辺りを気にして堂上が声を落とす。
「す、すみません」
「……高いな。やっぱしお前熱あるぞ。風邪かな」
最近朝晩冷え込んでたからなあ。そう言いつつ堂上は額に当てていた手を引いた。
それを少し寂しく思いながら、郁は言う。
「でも、大丈夫ですよ。自覚症状ないし。咳も鼻水もぜんぜん」
「いや、もう寝め。こんな人ごみにいたらいかん」
悪化してしまう。堂上はそこで郁の格好を改めてまじまじと見つめた。
「看護師が熱出してたら、世話ないんだぞ」
ふ、と目元を緩める。
郁もつられたように肩の力を抜いた。
「医者の不養生ですね」
「言いえて妙といいたいが、ちと違う。――おいで。部屋まで付き添ってやるから」
堂上が優しく促す。
おいでという台詞が、優しい声音が郁の心に魔法をかける。
気持ちが緩やかに高ぶっていく。
すると誰かが郁の口を借りて言ったように、思ってもいない言葉が彼女の口をついて出た。
「お医者さんなのに、付き添ってくれるだけなんですか」
「…… 何が言いたい」
行きかけていた堂上がゆっくりと振り向く。
あ、やばい。
郁は自分が何を口走ったのか、そのとき気がつく。でも既に言葉に出してしまったのは取り返せない。
ままよ、と俯いた顔を上げて、堂上を見据える。
「教官、今日お医者さんなんでしょう。だったらちゃんとあたしを診てください。診察して」
じゃなかったら、ここから動きませんからあたし。
めちゃくちゃなことを言っている。その自覚はある。
なんだか、いつになく大胆なことを言ってしまった。心臓がばくばくと破裂しそうだ。
熱のせいだ。きっと。何もかも熱のせいにしてしまおう。
郁は唇を噛んで堂上の返答を待つ。
堂上はまずい薬を飲めと突きつけられた子供のような顔をして黙り込んでいた。そしてややあって、
「……お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか」
低い低い声で尋ねた。
郁はぶんぶんと頭を振った。縦に。
「俺に診察されたいのか」
「……そうです」
答えると、ふう、と堂上は長く息をついた。
まるで自身の中の迷いを搾り出すみたいに。
「分かった。ちゃんと診てやるから来い。――俺の部屋にな」
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