背中合わせの二人

有川浩氏作【図書館戦争】手塚×柴崎メインの二次創作ブログ 最近はCJの二次がメイン

香りの誘惑

2009年02月28日 04時31分59秒 | WEB拍手お礼SS収納庫


手塚が帰宅したときから、家の中にはチョコレートの香りがあちこちに薄く漂っていた。今日が何の日か、などとは誰に訊かずとも分かっていた。



職場で、昼休みの食堂で、手塚は何度同じ台詞を繰り返したか知れなかった。
自分はすでに妻のある身で、この手のことは甘ったるい菓子のやりとり以上の意味はないにしろ、そういった騒ぎに身を委ねるつもりは金輪際ない、と。
指輪を嵌めているあなたの手でこそ自分の菓子を受け取って欲しい、などと喚く剛の者も中にはいたが、そんな族(やから)に対して、手塚は冷ややかな眼と沈黙を返すのみであった。

バカ騒ぎを一刀のもとに切り捨てた手塚ではあったが、それは外に向けてのアピールでしかなく、安らぎと慈しみに溢れた空間である我が家において、最愛の妻から手渡されるであろうカカオの香りを拒絶する気は毛頭なかった。



キッチンには、手塚の好物のデミグラスソースの香りが溢れ、鍋から立ち上る湯気のなかには細いシルエットが浮かんでいた。
華奢な影は身を翻し、長くまっすぐな黒髪をさらさらと言わせて、極上の笑みを手塚に見せつける。

「おかえりなさい」
「ハートの飛び交う阿鼻叫喚のなか、おつとめごくろうさま。相変わらずモテる男は大変ね」
図書基地一の情報屋を以て任ずる妻はこの日の夫とその周辺を一から十まで調べ尽くしているのであろう。言葉の端々にトゲが混じる。
手塚は鼻の頭にシワを寄せて、苦るしかない。
「誰が好きこのんであんな騒動の中に飛び込むか。おまえだって分かってるんだろう、俺が断りを入れた回数と戦利品ゼロの収支決算を。誰のせいだと思ってるんだ?」
「あら、誰のせいかしら?そういうあんたこそその気になれば、戦果三桁でも朝飯前なんじゃなーい?それをあんたは敢えて選択しなかった。自分の選択の結果をヒトのせいにするなんて大人のする事じゃないと思うけどお」
「いい加減おまえも夫の繊細を分かれ」
手塚は妻の情け容赦のない攻撃に根を上げ、ぬくもりを求める方向へと作戦をシフトした。
「…麻子」
手塚は目の前にある妻の細いウエストに腕を伸ばした。が、妻は彼の腕を猫のような身のこなしですり抜け、食器棚へと移動した。手塚の腕は空を抱きしめるばかりであった。

「さて、ご飯が出来たわ。手を洗ってきて。うがいも忘れないでね。図書館でもインフルエンザが流行っているのよ」


夫を放置して、柴崎はテーブルセッティングに余念がない。
ダイニングテーブルの上にはジノリのベッキオホワイトの皿たちが並ぶ。柴崎はテーブルの上の彩りに殊の外神経質だ。栄養面でも味でも柴崎の手料理はカンペキだが、「目を喜ばせるモノでなければ料理とは呼ばない」というのが柴崎の料理哲学である。その料理を美しく演出する白いキャンバスがベッキオホワイトなのだ。皿たちの脇にさりげなく置かれた小振りのワイングラスはベネツィアングラス。ペンダントライトからの光を受け、暖かな輝きを放つ。ベッキオホワイトもベネツィアングラスも柴崎が新居に持ち込んだお気に入りの一品だ。洋食の場合であれ、和食の場合であれ、毎日の食卓にこれらの器は欠かすことの出来ない、手塚家の食卓の顔ともいうべきモノたちであった。


「早くして。時間を掛けた煮込みが冷めたらちっとも美味しくないでしょ!!」
手塚は苦虫をかみつぶしたような顔をして、黙って行動を起こした。
目の前にある折角の晩餐をむざむざ逃す法はない。手塚は柴崎の手料理を作り手以上に愛していたのだ。今夜は好物ばかりで、空腹の極みで帰宅した手塚にとっては、なおさらだった。


その後、手塚夫妻はなにごともなかったように、にこやかに夕飯をともにした。今日の郁や堂上の様子を話しながら。
美味しい食事にありつきながら、仏頂面を維持することほど困難はない。作り手の料理に込められた繊細な感情がその彩りや味からは確かに伝わってくるのだから、手塚にしかその意固地な愛情を向けることはない正面に座る妻の「愛してる」という言葉はなくとも手塚の甘い気持ちは溢れ出て、自然と顔も言葉も緩んだ。


「おまえは今日一日なにしてた?」
今日明日と2連休の妻はおそらく家事に勤しんでいたのだろうとは、髪の毛一筋ほども落ちていない磨き立てのフローリングを見、洗剤の香りの立ち上るカジュアルシャツに袖を通してみれば簡単に予想がつくのだが、敢えて口に出して問うてみる。それは自分の目の届かない日中の妻に対して軽い独占欲が含まれていることを自覚しながらも、聡い妻に知られたくない精一杯のディフェンスであった。と、同時に夜のおまえは俺のモノだよなというささやかな自己主張でもあった。
「主婦は勤務がなくても多忙なのは分かり切ってることだと思うけど」
あたしの身体はあんたのためだけにあるんじゃないのよ、とさりげない妻からの逆襲が手塚には悔しい。
「掃除もしたし、洗濯もした。キングサイズの布団をひとりで干すのに、小柄なあたしがどんなに苦労するのかは図体のでかいあんたに分かれってほうが難しいのか知らんね」
結婚前だったら「フルコースのフレンチ奢って。勿論デザート付きね」という支払い請求が即座に飛んできたであろう、妻の物言いに手塚は一瞬ぎくりとする。
「俺だって明日は休みなんだから、布団干しなんて明日俺にやらせれば済むことだろう」
一応(というかむしろ、バリバリに、と表現したほうが適切であろう)妻フェチの夫を自覚する自分としては妻ばかりに一方的に家事を押しつける気は毛頭ない。ヤル気を強く主張する。
「えー!ヴァレンタインナイトにお日様の香りのする布団であんたと手を繋いで眠りたいっていう妻の純情は汲んでくれてもいいんじゃなーい?」
二の矢は天然で来た。妻は自分のことを天然だ朴念仁だと悪し様によく言うが、おまえのほうがどんだけ天然なんだよ、との突っ込みは内心に留める。
「ヴァレンタインナイト」「お日様の香り」「あんたと手を繋いで」
妻の一言ひとことに几帳面に反応して、脳内妄想が暴走し始める。
手塚は己の赤面を誤魔化すかのように妻に労いの言葉を掛けた。
「悪かった。今日一日、家内労働お疲れさん」
「ん。午後からは買い物にも出かけられたから、いい気分転換にはなったんだけどね」
「そんで、俺名義の家族カードの利用控えは何枚になったんだよ」
ホワイトデイには3倍返しどころか、毎年10倍は返してるぞ、と来月の請求明細の数字を想像して手塚は戦慄した。
「まあ、そこは来月の明細を見てのお楽しみってことで、想像を逞しくしておいてよ」
可愛いかと思えば、強すぎるほど強い妻に相変わらず縦横無尽に揺さぶられる手塚だった。


食後の後始末は手塚が一手に引き受けた。熱めのお湯で、鍋釜をガシガシと勢いよく洗い上げる。
(手塚は、妻が洗い物をするときに熱めのお湯を使うことは一切許さなかった。手荒れの原因となるからだ。妻の細く白い手はささくれ一つあってはならぬ。その手があかぎれを起こしている状態など、想像するだに痛々しく居たたまれない。この男が妻フェチと自他共に許すゆえんである。…。)
件(くだん)の食器を洗うときは、柴崎が手塚の横に立ち、細かいチェックを入れる。
「鍋釜洗うみたいに力一杯こすらないでよ。食器は図書館の本を扱うときよりも、女を抱くときよりも、もっと繊細に扱わなきゃすぐに欠けたり壊れたりするんだからね」
「…。俺にとってはおまえを扱うときのほうが注意が必要なんだが」
一瞬ひるむが、手塚はめげずに一応の反撃を試みる。
「あーら、ウチの旦那様がそんなに繊細な配慮をしてくださっていたなんて、ちーっとも知らなかったわ」
「食器洗いが終わったら珈琲淹れてよ。マンデリンがいいな」
手塚の反撃は柴崎に軽く流されて終息した。
折角のヴァレンタインナイトに甘い空気を上乗せしようとする手塚の努力はここまで悉く不発に終わっている。今夜は妻の寝顔を覗き込むだけで夜が明けるのかもしれないと、手塚は思い始めていた。それでも妻の愛を引き出したい手塚は玉砕覚悟で訊ねてみる。
「買い物の戦果の中には、俺へのチョコレートは当然含まれているんだよな」
「あたしの愛情が山盛りの夕飯をキレイすっかり平らげたくせにまだ足りないの?時間も労力も気力も愛情も夕飯作りに注ぎ切ってしまったので、これ以上はなんにも出て来ません」
柴崎はきっぱり言い切った。
言葉の見つからない手塚は淹れたての珈琲の入ったマグカップを2客、黙ってリビングへと運んだ。


ソファに隣り合って座った。
おもむろに一口、珈琲を含んだ柴崎がまじまじと手塚を見つめる。
「そんなにチョコが欲しいの?」
正面から訊かれると手塚は答えに窮する。チョコが欲しい訳じゃない。欲しいのはおまえの愛情表現だ。と言いたい。しばし、言葉を探す手塚を前に柴崎は続ける。
「チョコの遣り取りで大騒ぎするなんて、製菓会社と歯医者の陰謀以外のなにものでもない、と手塚三正は強く主張されていたと聞いたけど」
「っ!!…それは!」
「この景気低迷期に経済界において多少は歓迎すべき年中行事ではあるが、たかだか1週間かそこらの動向にしか過ぎないし、それで大きく景気が上向くとはとても思えない、とも言っていたんですってね」
「だから!」
「虚礼廃止を唱える手塚三正に対し、強い賛意を示すべく、我が家でも早速実践に踏み切ってみたんだけど、あんたは文句がある訳?」
目の前の女から渡されるチョコレート以外は受け取らない、と手塚は決めていた。だが、それを外であからさまに言うのが恥ずかしかった。だから、いろいろともっともな理屈を付けて、周囲の冷やかしをかわしていたというのに、その自分の言葉を目の前の女が逆手に取るとは夢にも思っていなかった。ぐうの音も出ないほど、やられた。


それまで、膝を揃えてソファに座っていた柴崎がおもむろに片脚を上げ、ソファの座面に膝を立て手塚の正面に身体を向けて座り直した。ここから本質論に入るという合図だ。
今日の柴崎はコットンのロングスカートを着ていた。片膝を立ててもその美脚を拝むことは全くできなかった。ソコまでおまえに出し惜しみをさせる俺の存在って一体なんだ?との手塚の嘆きは口には出さない。
「だいたいあんたはどんなチョコあげたって、当日食べたことがないじゃない」
「どんなに早くても翌日の朝、遅くなると翌日仕事が終わったあとでやっと口にするんじゃない」
「人が自慢の美脚を棒にして1日歩き回ってゲットしてきたデメルだって、ピエール・マルコリーニだって、コンビニのチロルだって、下手すればリボンすら解いてもらえずテーブルの上に放置されてるってどうよ。全然あげる甲斐がないわ」
「それは!」
「だから今年はチョコレートはあげません」
それは優先順位が違うからだろうと手塚は言いたい。
「あんたばかりが美味しい思いをして、あれもこれも手に入れるなんて許せない」
「あんたにはこれで十分よ」
しゅるんと伸びた柴崎の両手が手塚の首の後ろに絡みついて、力一杯手塚を引き寄せた。思ってもみなかった展開に手塚は踏ん張るヒマもなく、ぱふんと柴崎の鎖骨の辺りに顔を埋める形となる。手塚の鼻腔は帰宅したときから家の中に薄く漂っていたチョコレートの香りを捉えた。
「あ。この香り。帰ったときからいい匂いだって思ってた。だから、おまえがチョコを用意してるに違いないって当たり前みたく思ってた」
頭を柴崎に抱え込まれたまま手塚は話し掛けた。
手塚の吐息混じりの声が柴崎の首筋をくすぐった。柴崎は全身が上気してくるのを自覚し、手塚が顔を上げられないようその頭を強く押さえ込む。
「それは勝手な思い込みってモンでしょ。これね、カカオの香りの香水なの。今日街を歩いていたら、偶然見つけて。リアルのチョコレートあげるよりおもしろいかもって思って買ってみた」
「さっき言ったでしょ。ヴァレンタインナイトにあんたと手を繋いで眠りたいって。そのときこの香りがあったら、あんたはどう思うんだろう、あたしはどう感じるんだろう。試してみようって」
「それはチョコレートの香りを纏った奥さんを思いっ切りいただいちゃっていいってことなんだよな」
「…」
一瞬の沈黙。
柴崎の首筋が一気に熱を帯びるのを手塚は自分の額で感じた。
「…ばかね」
一言だけの返事はOKのサイン。
手塚は妻の腰に腕を廻し、少し力を入れて、腕の中にある細い身体をさらに引き寄せた。
柴崎は白い喉もとを曝け出して、手塚のなかにすっぽりと収まった。カカオの香りが一層色濃く甘く漂う。

手塚家のヴァレンタインナイトはチョコレートの香りに包まれた。

Fin.
<2009/02/14>


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4 コメント

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おおお! (MIO)
2009-02-28 14:48:10
バレンタインだー!甘いよ甘いよ、しかもめっちゃ品のいい甘さだよーーー!

初めまして世羅さん、MIOと申します。
これぞバレンタイン!と叫び出したい(もう叫んでるw)素敵な作品を読ませて頂き、有り難うございましたm(__)m
『妻フェチ』の件に、すんごく頷いてしまいましたよw 確かに手塚って、堂上や小牧とは微妙に違いそんな路線に行きそうな感じww
大事にし過ぎて時折引っ掻かれて、でもその傷さえ嬉しい、みたいなw


そしてカカオの香りの柴崎って!
これはもう、一生のうちで一番心に残るバレンタインの贈り物でしょうね!
シルバー世代になってもしみじみ思い出す、大事な思い出になること請け合いだわv

素敵作品を拝読させて頂き、有り難うございましたm(__)m
またのご執筆を楽しみにしておりますvv

返信する
ではさらに… (たくねこ)
2009-02-28 19:47:15
私所有の「チョコレートの香り」のグロスをプレゼント!

まさに「大人のチョコレート」ですね(^o^)
家族カードの明細はきっとかわいいもんでしょう。
そうだよなぁ、食べないと腹が立つよなぁ…
(うちもいつもそう)
なので、今年はチョコフォンデュで、ほぼ強制的でした。

あま~~~い、お話をありがとうございました!
返信する
特殊部隊の事務室で… (せら)
2009-02-28 23:26:51
緒方や進藤に溜め息つかれています。
「手塚もやーーっとまとまって結婚したと思ったら…」
「ありゃー尻に敷かれてるっていうよりも…」
「どっちかつうと、フェチの領域に足を突っ込んでいるよな」
「手塚は…妻フェチ認定だな」
「…だな」などと。(涙)

初めまして。MIOさま。
せらです。
拙文をお読み下さって有難うございました。

わたし自身「香りフェチ」ですので、カカオの香水を柴崎に纏って欲しいと思い、このお話が出来ました。

カカオ(チョコレート)の香水は幾つかは実在します。わたしが確認したのは「アムール・ド・カカオ」というものです。(ググって下さるとすぐに発見できます)これって、「カカオの愛」という意味だったんですね。今気づきました。

カカオの愛の妻フェチな手塚が心安らかに夜を過ごせるよう
祈ってやってください。(笑)


お読み下さったすべての皆さま
今回、管理人・安達さまのご厚意により、拙文を掲載していただき、加えて皆さまより、拍手やコメントを多数頂戴いたしました。
本当にありがとうございました。

せら
返信する
チョコレートの香りのグロスって… (せら)
2009-03-01 22:21:28
美味しそうですね。

たくねこさま。コメント&グロスをありがとうございました。

たくねこさまより頂戴したグロスはホワイトデイに手塚の唇に載ることになるでしょう。
(麻子さんがそのような形で使いますよ、きっと)


カードの明細の数字については
皆さんでナンバーズのごとき、数当てゲームを行うと楽しいかもしれません。

ウチん家の麻子さんは結婚後は「貸し」とか「担保」とかいう用語を返上した代わりに
翌月に「手塚 光」様宛に自動的に届くご利用明細兼請求書で
相変わらず搾取を続けて、
楽しんでおります。

すでに3月に入ってしまいました。

駅のポスターには 梅便りや桃便りの 美しい写真が
目に眩しい今日この頃。

皆さま、早春をお楽しみ下さいませ。


お読みいただき有難うございました。

せら

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