「あ、――ッ」
不意に、柴崎がちいさく声を上げて左の耳たぶを押さえた。
駅のホーム、電車が来るのを待っているところ。
「どうした?」
「ピアスが落ちちゃった。金具、緩かったみたい」
仕事中はしないピアスはもちろんデートのためだ。手塚は柴崎に動くな、といって足元から銀色のピアスを拾い上げる。目がいいので、すぐに見つかる。
柴崎に手渡して付け直すまで荷物を預かってやる。でも鏡がないせいか、なかなか留められない。
「ちょっと、やってくれる? もう電車来ちゃうから」
「あ、うん」
手塚は荷物を柴崎に渡し、少しかがんで彼女の耳元に手をやった。
ピアスってえらく小さいな。持ちづらいし、扱いづらいぞ。
と思っていると、
「落っことさないでよ」
と見透かされたように言われた。
「分かってるよ」
手塚は慎重にピアスを嵌めた。左手で柴崎のおとがいから頬を包むようにして、右手で耳たぶに触れて、その柔らかな感触の部位に針を差し込んでいく。
「……まだ?」
吐息のかかるほど、顔の位置が近い。
「もうちょっと」
柴崎の折れそうに細くて白い首が、目の前にある。無防備にさらけ出されている。
手塚はなかなか上手く留め金をかけられない。器用なはずの指が、もたつく。
やっとのことで終えて、「オーケー」と言ってから、手塚は柴崎の頬に添えた手でくいと自分に仰向かせた。
「――」
キス。
触れるか触れないか、というほどの、風が唇をかすめていくような、さらりとした感触。
そして、ようやく柴崎から手を離す。
「……」
「……」
自分たちに向けられた周囲の好奇の視線が、互いに身を離すことでいったん外れていくのを感じる。
柴崎は静かな声で言った。
「……あたし、こういう公衆の面前でキスとか、今までしたことないんだけど」
「俺もだ」
そこへ、電車がリズミカルな振動とともに、ホームに滑り込んできた。
「街とかでふつうにキスとかしてるカップルとか見て、正直ウザイとか思ってしまうほうなんだけど」
「俺もだ」
自動ドアがスライドし、乗せていた客を一斉に吐き出す。でも手塚も柴崎もその車両に乗り込まず、ホームに佇んだまま。
――でも、今のは確かに、電車ひとつぶん遅らせるだけの価値があるキスだわね。
そう思いつつ、柴崎は手塚のシャツの裾を引く。
ねえ、もう一回。
と言う前に、ふっと目の前が翳り、手塚の顔が近づいた。
唇を重ねると、駅の構内の喧騒も乗降車のアナウンス放送も、潮騒が引くようにすうっと二人の周りから遠のいた。
(2008.8.23)
※二人がくっつく前でも、くっついた後でもいいように書きました。
お好きなほうでドウゾ。
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すいません私このかた一度もピアスってしたことないのばれましたねっ(汗)そうなんだー、簡単に嵌められるもんなんだー って知りました。
まあ、キーアイテムってことでご容赦を。笑
特に私はぶら下げるタイプが多いからかな~~。