【1】へ
「…事件から、何年だ」
苦虫を噛み潰したような玄田に、手塚は冷静に答えた。
「事件から約九年になります」
「確か水島は実刑を食らったんだよな」
「はい。初犯でありましたが、一連の犯行の主犯と見做され、余りにも悪質だと
して執行猶予は付かず一年六か月の実刑を受けました」
「…タイムラグがあるな」
呟いたのは堂上だ。
会議室に密かに集められたのは、旧堂上班と現在も特殊部隊の隊長である玄田
だ。
手塚がまず玄田に相談したところ、当時のメンバーを集めろと指示を受けた。
私服のまま駆け付けた堂上夫妻と小牧に深々と手塚夫婦は揃って頭を下げたと
ころ、
「あんた達が謝る必要なんてカケラも無いっ!」
殆ど泣かんばかりの表情で郁が怒鳴った。
堂上がそっとその肩に手を置く。
「お前がいきり立つな。一番辛いのは手塚達だ」
そう窘められ、熱いものが込み上げる喉を郁は懸命に堪えたのだ。
「水島は、晃を手元に置いてると匂わせるだけで、具体的に誘拐したとは言いま
せんでした。携帯は拾っただけだと。そして、携帯の側にいた子猫が勝手に着い
てきて側で眠っている、と」
気丈に説明する麻子の姿に、郁だけでなく皆の胸が抉られるようであった。
その顔はびりりと引き締まり、どれほどの苦渋をその胸に抱えているかを如実
に表している。
けれど麻子は乱れなかった。
(泣き喚いている場合じゃない。そんなエネルギーがあったら、全て晃の救出に
使え! 全ての力を今はそれだけに使え!)
麻子がそう自分を励ましているであろうことは、夫の光ならずともここにいる
全員が理解していた。
「ですが、解放の条件のように私にひとつの要求を突き付けて来ました。内容は
こうです。事件の際に捏造された卑猥な写真を、今度は本当に私自身で撮影しろ
と。そしてその写真をA4サイズ用紙に私の名前と所属記入でコピーし、武蔵野
第一図書館近隣一帯に配付せよ、と。配付枚数は一万枚。各部署の用紙を使えば
賄える筈だと。そして勤務中の図書館員総出で近隣の住宅、及び店舗に配付。タ
イムリミットは今夜10時。勿論、他言は無用――これは、警察に通報するなと
言う意味に受け取りました。そして要求が果たされなければ、子猫の写真でも代
わり撮るしかないわね、と。ただ、子猫に危害を与える真似は絶対しないからそ
れだけは安心しろと。そう言っていました」
しんと、恐ろしい程の静寂が会議室を包み込んだ――。
「ふざけるなあッーーー!!!」
爆発したのは案の定郁であった。ガタッと椅子から立ち上がり、やり場の無い
怒りを拳でドンッと机に叩きつけた。
「落ち着け! 今は晃の救出が最優先だ! 騒ぐしか脳がないなら家へ帰れッ!
」
そんな郁を抑えたのは当然のごとく夫の堂上である。
「だって…っ!」
余りに余りな要求に、当事者でない郁の体すら怒りの炎が渦を巻き、何かを言
わずにはいられなかった。
「堂上も落ち着いて。笠原さんの気持ちはよく判るよ。卑劣極まりないな要求だ
よね。女性にそれを実行しろって、レイプに等しい行為だからね。おまけに子供
にまで犠牲にしかねないとプレッシャーをかけるなんて、犯人の品性がいかに下
劣かよく判るというものだよ」
小牧が使った単語に、改めて一同は自体の深刻さを思い知った。
レイプ。
正しくその通りだ。
不本意なえげつない裸体写真を自分の手でばら蒔くなど、下手をしたらレイプ
より質が悪いかも知れない。
それも実名と所属記入でなどと。
(なんてことを! なんて酷いことを!)
そんなことをしたら麻子はもうこの町にはいられない。無論、手塚一家もろと
もだ。
万が一そんなコピーがネットで出回りでもしたら、これから先、下手をすれば
一生麻子は『手塚麻子』として世間に出ることが適わなくなるかも知れない。
他人の目を気にして家に閉じ籠り、その人生がズタズタになってしまいかねな
いのだ――。
しかも、麻子がそれをしなければ晃を身代わりにするだと? 児童ポルノでも
撮影する気か? そしてそれをばら蒔くと脅すのか?
(酷い! 何だってそこまで酷いことが言える? 考えつく!?)
郁は遠い記憶を必死に掘り起こし、一発殴った女の顔を思いだそうとした。し
かしその顔はぼんやりと揺らぎ、輪郭すらあやふやだ。
(ダメ、思い出せない…!)
物覚えの悪さは超一流、ことに人の顔覚えの悪さは天下一品と揶揄される自分
だが、こんな場合は本気で自分の記憶力の悪さを呪いたくなる。ある意味、王子
様の顔を忘れた時より自分に腹が立つ。
(あんなに柴崎を苦しめた相手なのに!)
そうは思うが、どう必死に記憶を手繰っても水島の顔は茫漠と逃げ水のように
ハッキリしなかった。
しかし、今回ばかりは郁のことを誰も咎められないだろう。
短期間でも同室であった麻子と、車に同乗させその異様さに身震いした手塚以
外、誰も水島久美子という人間をしかと認識したことが無かったのだ。
逮捕時に居合わせた玄田以下、堂上、小牧さえ、九年経った今、正直その顔は
既に曖昧だ。
平凡などこと言って特徴のない、どこかで擦れ違ったとしても全く気に留まら
ない類いの、一見ごくごく普通の女。それが水島久美子の外見的印象だった。
だからこそ、よりその闇の深さに愕然とする。 九年も経った今尚、滴るよう
な悪意で麻子の子供にまで牙を向く。その暗黒の心根がずんと重く、一同の胸に
伸し掛かる。
重苦しくなった空気に耐え兼ねるように、郁が口を開いた。
「ねえ晃君の誘拐って本当なの? 携帯だけを何らかの方法で手に入れて連絡し
てきて本人は実は何にも知らずに遊んでいるとかっていう可能性はない!?」
手塚がゆっくりと頷きながら答えた。
「電話口に晃が出た訳じゃないからその可能性が皆無とは言えない。ただ、その
電話が来た三時以降、自宅や親しい友人宅に電話をしてみたが、晃の所在は確認
出来なかった。官舎の周り学校近くの公園、晃がよく遊ぶ場所も捜してみたがや
はり姿が無かった。ちなみに晃の携帯は麻子に連絡が来て以降不通でGPS機能
も役に立たない状態だ」
「そもそも」
麻子が後を引き継いだ。
「安全確認の意味で晃には携帯を持たせているのよ。もしどこかで携帯を落とし
たりしたら一人で探さず、まずは私達に言うように日頃から言い聞かせてあるわ
」
「…もっとも、叱られるのが恐くて探し回ってる可能性が無い訳じゃないけど、
水島という人間から連絡が入った時点で、その可能性は限り無く低いと思う」
再び、会議室に沈黙が落ちた。
現在時刻は四時四十分。水島から電話が来て以降、手塚達は心当たりを片っ端
から捜し回り、どこにもいないことを確認した上で玄田に報告したのだろう。
郁もよく知っているが、晃という子供は全くと言っていい程手がかからない子
供であった。
鉄砲玉のような彩とは違い、親に心配かけぬよう常に連絡を入れてくるのだ。
大体遊ぶ場所も一定していて、その場の流れで誰かのうちに遊びに行くと決まっ
ら、その時点で必ず母親に電話をしてくる。
一年生でありながらその律義さに郁は感嘆し、翻って娘の彩への説得材料にし
た程だ。
「あんたは晃君みたく、携帯をちゃんと使えるの? ボードに行く先を書けって
あれほど言っても、三回に一回くらいしか書いて行かないじゃない。そんな調子
だったら携帯なんて持っても無駄でしょ」
あんたには発信器のほうが必要よと胸のうちで呟きながら、郁は娘を説得した
のだ。
黙って聞いていた夫がその後「携帯諦めたご褒美に皆でディズニーランドに行
こう」と彩を宥めるのを(甘いよな~)と苦笑したものだった。
ハッとした。
そういえば、彩は。
もう家に戻ってるだろうか。玄田からの緊急召集でただごとではないと二人し
て家を飛び出して来た。堂上が辛うじてキッチンボードに「パパもママも用事で
出かける」とだけ、書き残してくれた。
こんな事態だ。何時に帰れるか判らない。ご飯だけ食べさせに私だけでも一旦
帰ろうか。それともお隣りの横山さんに彩を預かって貰おうか?
玄田が口を開いた。
「平賀刑事にはもう連絡を入れた。平賀は生憎部署変えになっていて本庁を離れ
ているが、それを見越して以前から顔繋ぎを頼んであってあそこには俺を知って
る人間を残してある。平賀からの口利きも頼んだ。今回は再犯の上、同じ被害者
をターゲットにした子供の誘拐絡みということで、向こうも力を入れてくれるそ
うだ。間もなくやってくるだろう」
「裏口を使って貰えるかの連絡は?」
「案ずるな小牧。やっこさん達もプロだ。誘拐犯が警察の関与を嫌い周辺を見張
ってる可能性があるから、カモフラージュした業務用トラックで裏口から来ると
あっちから申し出があった」
「了解しました」
見張ってる? そうか、そんな可能性もあるのか。
となれば、怪しい人影や車などがいるのかも知れない。
「隊長!」
「何だ笠原」
「私その辺を自転車で回って来ます。この時間、買い物に出る主婦なら疑われな
いでしょうし、怪しい人物がいないか、それと出来れば子供達を当たって、晃君
の情報集めて来ます」
「大丈夫か」
反射的に堂上が心配げな声をかけた。
「大丈夫。探るだけだから。ついでに横山さんに、彩のことを頼んでくる」
「笠原」
昔の呼び名で、麻子が呼び掛けた。
「ごめん、心配かけて」悲愴な表情の麻子に、郁は無理矢理笑顔で言い放った。
「晃君は必ず元気に帰ってくるからそんな顔しない! で、終わったら外飯デザ
ート付き一回、家族分ね!」
ミスった。
運転しながら水島は舌打ちを繰り返した。
子供に見られるなんて。まして知り合いらしい子供に。途中まで追っかけてき
たが、大通りに出た時点で振り切った。まさかナンバーまで覚えちゃいないわよ
ね。
大丈夫、落ち着こう。
相手は小さな子供。せいぜいが親か手塚家に連絡するのが関の山だ。そこから
警察に通報されても、どうせもう柴崎が連絡したに決まってる。だから大した失
態じゃない。警察が大人数でローラーを敷いたらヤバいけど、タイムリミットの
10時までに見つかる恐れは殆ど無い。令状無しで家宅捜索は出来ないんだから。万が一部屋に訪ねて来ても、子供は奥に隠しておけばいい。薬を嗅がせ続けて
静かにさせておけば問題ない。
問題は車だけど、仕方ない。近所のマンションにでも停めて置くことにすれば
いい。
(お金が欲しい訳じゃない。子供の命を奪うつもりはないとハッキリ伝えた。警
察も気が緩む筈。だから捕まるリスクは殆ど無い。大丈夫。絶対大丈夫)
それは去年のことだった。
新宿駅のホームで、背の高い男の後ろ姿が水島の目に入って来た。
(似てる)
あの人に。
何年もひたすら好きだったあの人に。
そして。ドキッと心臓が跳ねた。
その男の横に寄り添う女の横顔が見えたからだ。
柴崎麻子。あの女だ。 では。その人はやはり。
男がひょいと屈んだかと思うと、立ち上がった肩に子供の顔がひょっこり覗い
た。綺麗な顔立ちの子供だった。柴崎に似ているような気もする。
では。その子は。あんた達は。
息を潜めてすぐ後ろに歩み寄った。自分の足下を見つめ、聞こえる会話に集中
する。
「疲れたか、あきら」
「大丈夫。僕、自分で歩けるのに」
「ここは人通りが多いから、パパに抱っこして貰いなさい。大丈夫よ、あんたを
赤ちゃん扱いしてる訳じゃないから」
「来年は小学生のお兄ちゃんだもんな」
その声で、男が手塚光だと確信した――。
その日、店は休むことにした。ショックだった。
考えてみれば当然予想出来たことなのに、現実を目にしたことが死ぬ程水島久
美子を打ちのめした。
幸せそうな家族。健やかで利発そうな器量よしの子供。絵に描いたような、理
想の家族。
私はこんな生活をしているのに――!
刑期を終えた自分を家族の誰も迎えに来てはくれなかった。弁護士を通じて絶
縁状を渡され、一言も交わすことなく家族関係は終焉した。
紹介された工場は、余りにも給料が安く、犯罪者だと言われ執拗な苛めを受けた。
逃げるように工場を辞めた後、スナックでバイトを始めた。接客のノウハウを
知らぬ水島を「擦れてなくて可愛い」と気に入った客がいた。
間も無く一緒に暮らし始めた。男は職を転々としており優しかったのは最初だ
けで、気に入らないことがあればすぐに暴力を振るった。
別れようと何度も水島は思ったが、結局ずるずると二年暮らした。
その間に職を変えた。男の口車にのり、風俗に身を落としたのだ。確かに実入
りは良かったから、水島はそのまま流された。
ある日、男が出て行った。水島より若い女に乗り換えたのだ。それは返って有
り難いことだった。金食い虫がいなくなると、どんどん金が貯まって行ったから
だ。
ある程度纏まったら、今の仕事は辞めようと水島は決意していた。年々指名が
厳しくなるし正直しんどくなってきたから。
何をしよう。どこか遠いところで、新しい人生を…。
そんなことをぼんやり考えていた時期に、手塚一家を目撃した。
ぐらりと、眩暈がするほどの絶望を水島は味わった。
自分が欲しかった全て。それがその光景にはあった。そしてそれは、柴崎のも
のだった。
私だった筈なのに。
あの人の隣りで笑うのは本当は私の筈だったのに。
その子は私の子だった筈なのに――!
その絶望が、水島に新たな行動を起こさせたのであった――。
アパートの前に車を横付けすると、辺りを窺ってから速やかに子供を連れ込む
ことに成功した。奥の六畳間に子供を転がし、両手足を縛り猿轡を噛ませる。
「ふう」
どっと疲労が押し寄せたが、まだゆっくりは出来ない。取り敢えず落ち着く為
に一服だけ吸うと、水島は次の行動に移った。
時間は少し逆上る。
彩は必死で走っていた。
晃を乗せた車を、ただひたすら追い駆けた。
しかし当然のごとく、残念ながらぐんぐんとその距離は離されて行った。
大通りへ出た車を追い駆け角を曲がったところ、クラクションが鳴り響いた。
道路に飛び出した彩を後ろからやって来た車が警告したのだ。
「危ないじゃないか!」
「ごめんなさいっ!」
慌てて下がった彩の前を、車は通り過ぎた。
(どうしよう、晃行っちゃう)
おろおろと道路を見ていた彩の目に一台の車が見えた。
(!)
「止まってえ!」
力の限り手を振り彩はタクシーを止めた。
子供ではあったが、必死の気迫が運転手の目に留まったのだろう。
ドアを開けずウインドーだけ下ろして運転手は彩に尋ねた。
「どうしたの、お嬢ちゃん」
「お願いです乗せて下さい! あっちに見える白い車を追いかけて! 友達が連
れて行かれちゃったの!」
彩を乗せはしたものの、運転手は甚だ疑わしげであった。
「ホントに? お嬢ちゃんの勘違いじゃないの? ホントだったら、警察に通報
した方がいいんだよ。何ならおじさんが連絡しようか?」
豆粒のように小さくなる白い車体を必死に目で追う彩に、運転手の言葉は届か
なかった。
「曲がった! 右!」
「あ、ああ」
彩の気迫に呑まれ運転手は素直に百メートル先の角を右折した。
「いない!」
彩は悲鳴を上げた。
一直線上の道の先に車は影も形も無かった。
ふうと溜め息をついて、運転手は車を停めた。
かつがれたかな。最近の餓鬼は判らないからなあ。
「おじさん! あたしここで降ります! ごめんなさいお金持ってません! 私の
お父さんは関東図書隊防衛部特殊部隊員、堂上篤。お母さんは堂上郁。同じ特殊
部隊員です。お金はお父さんかお母さんが必ず払いますから!」
叫ぶと同時に彩は車を降りようとした。しかし、ロックが掛かってドアが開か
ない。
運転手は諦めたようにもうひとつ溜め息を付き、尋ねた。
「君、名前は?」
「武蔵野小学校2年1組堂上彩です!」
すかさず返事が返って来た。
必死な瞳が運転手に懇願する。お願いおじさん、あたしを行かせて!
「………」
ガチャリ。ドアが開いた。脱兎のごとく飛び出した彩は「有難うございます!
」と一言残し走り去った。
さて、どうするかな。 運転手は、しばし悩んだ。
飛び出して行こうとする郁に、手塚は一枚のA4用紙を渡した。
「水島!」
そこには水島久美子の顔写真が拡大印刷されていた。
「こんなの残ってたの!?」
「さっき家に戻った時、事件のデータを記録していたUSBを持って来ておいた
」
ハッとして麻子を振り返る。こくんと麻子が頷いた。
「嫌だけど、ちゃんと取ってあるのよ。実家の住所や事件概要、当時捏造された
写真も全部含めてね」
ぎゅうっと、一同の眉根が寄った。
万が一、これから先何かあった場合に備えて嫌な記憶をも大事に保管しておく。そんな配慮をする麻子が切ない。そして、それほど麻子という人間を用心深くさせた過去の出来事が哀しい。
ぐっと、郁は堪えた。今は感傷に浸っている場合じゃない。出来ること全てや
るだけだ。
「行って来ますッ!」
郁が飛び出したあと、小牧が提案した。
「雁首揃えて待機するのも芸がないと思います。俺と堂上も、コピー用紙を買い
に行くついでに近所の偵察をしてきますよ」
んっと、堂上が賛成した。
「もし見咎められて文句の電話が入っても、在庫が足りないからと一応言い訳は
立つ」
手塚夫婦はまたもや深々と、上司の背中に頭を下げたのであった。
「今回、どうも単独犯臭いよね」
早足で廊下を歩きながら小牧が言う。その言葉に頷きながら、堂上が賛同した。
「坂上がまた噛んでる可能性がない訳じゃないが、事件からこうも月日が経って
いるからな。失礼だが、三十半ばになった柴崎の写真をばら蒔けというのは、ど
うも水島の復讐心だけのような気がする。坂上には大してメリットはなかろう」
小牧が、心底気の毒そうに呟いた。
「彼女も、厄介なのに取り憑かれちゃったね」
「持てる者に対する持たざる者の怨念というやつかな。柴崎はそれだけの努力を
して来たんだが、そんなものは度外視なんだろうな」
「優雅に泳ぐ白鳥も、水面下では必死に足を掻いているのにね」
その白鳥が今、溺れかけている。水底から伸びて来た黒い藻に足を捕られて。
溺れさせやしない。
必ず禍根から解き放ってやる。
あいつらは俺達の仲間だ。仲間の窮状は俺達の窮状なんだ。
待ってろ晃。必ず助けてやるからな。
ぎりっと、握り締めた堂上の掌に爪が食い込んだ。
警察が密かに到着し、会議室が臨時の捜査本部と化した。
10人ばかりの警官が様々な機材を設置し、殺風景な会議室の様相が一変した。
「平賀の後輩で和田と申します。以前の事件のことはここに来るまで資料で概要
を確認しましたが、水島久美子という人間について、皆さんの知り得る限りの情
報を教えて下さい」
手塚と同年代と思しき刑事は、優しげな容貌に似合わぬ鋭い口調で指示を出し
た。
手塚も麻子もテキパキとそれに答え、玄田が第三者からの印象を身も蓋もなく
補足した。
「一言でいやあ、つまんねえ女だ。顔は十人並みで別段不細工って訳じゃねえが、全くと言っていい程覇気が無かった。人間として、何かこう他人を引き付ける
力が無かった。だから、坂上という共犯者がいたことに正直驚いたもんだ。男女
の仲でも無かったと聞いた時は更に驚いた。あの女に、男友達を作れるような能
力があるとは皆目思えなかったからだ」
玄田の説明を聞きながら、手塚は全く同じ思いでいた。
異性の友人を作るという行為は、ある種の人間にとって恋人を作るより難しい
行為だ。
本質的には不器用な質である手塚も、遠い昔は女性と友達関係になることは無
理だと諦めていた。
性別の違いは、まるで別の星に生まれたかと思うくらい意識の違いを感じさせ
恋愛以外で近付きたいという気力を萎えさせた。
だが、笠原郁と柴崎麻子という女達に出会って手塚光の狭い了見は覆された。
男女が近付くには恋愛関係しかないと信じていた頃、郁に交際を申し込むなど
と言う大勘違いを起こしたのも、今になって思えば当時の手塚に「女友達」とい
うカテゴリが無かった故だ。
郁に出会い、そうして麻子に出会った。
郁とは違い、麻子は手塚が素直に敬意を感じるものを沢山持つ人間だった。
自分の容姿が与える印象を誰よりもよく知っており「あたしって美人だからさ
ー」などと癪に触ることを散々言ってのけ、手塚を辟易させていたが。
三人でつるむようになると、何の気遣いもなくリラックス出来る自分に気付き
手塚はそのことにひどく驚いたものだ。
女であっても関係ない。腹から信用出来る人間ならばこうして友人になれる。
麻子に関しては若干デリケートな関係であったが、彼女が自分達を裏切ること
はしないと信じられた時点で、いくばくかの懐疑心は払拭された。
そして、他の男には見せない顔を自分にだけ見せると気付いたとき、微妙に感
情の色が変化したのを感じた。
そして、密かな疑念が生まれた。
韜晦も毒舌も、もしかしたら麻子からの信号ではないのだろうか。
あたしに夢をみないで。本当のあたしはこういう人間なの。これ以上でもこれ
以下でもない。
そして。それでも良かったら、好きになって…。
最後の部分だけがどうしても我田引水な気がして、手塚はなかなか麻子に踏み
込むことが出来なかった。
そんなことはどうでもいい。ただお前を守ってやりたい。だから、その資格を
くれ。
自分達の関係を変えた事件の首謀者、水島久美子。
晃を人質に取るほどお前は歪んでいるのか。罪を償い新しい人生を歩んで幸せ
を見つけるより、他人の人生に泥を塗るため全てを賭けるのか。友人を作れる人
間性がお前にもあったんじゃないのか。
それともそれは形ばかりで、坂上との関係も利用価値があっただけという事な
のか。しかも犯罪に。裏社会に育った訳でもない人間が。
気持ちが悪い。
久々にあの時水島に感じたおぞけを思い出し、密かに手塚は震えた。
☆3に続く☆
web拍手を送る
それにしてもMIOさんは原作の雰囲気をよく掴んでらっしゃる。別冊IIから遥か未来のお話なのに全く違和感を感じません。かつて原作で感じた水島への恐怖や嫌悪がありありとよみがえって来ました。
しかし何よりも堂上班の優しさや頼もしさ、手塚の男っぷりが読んでて暖かな気持ちにさせてくれました。
きっと必ず彼らが幸せになれる結末を信じて、これからも応援させてもらいます。
(投稿者のお名前は許可を得ておりませんので控えさせていただきました)
〉彩ちゃんに堂上の頭がありますように…
郁「ちょっ、堂上の頭って! つまりアレですか? あたし似だったら頭の働きは期待出来ないとっ!?」
堂「愚問だな。たくねこさんはお前の行いをよく知ってるから心配してくれているんだ。異議申し立ての出来る立場じゃなかろうが」
小「そんなこと言っちゃっていいの? 堂上も基本パーツは笠原さんと一緒だよ? 色んな経験を重ねてようやく理性が感情の手綱を取れるようになったけど。笠原さん知ってる? 堂上の肘の傷、あれは戦闘の痕じゃなくてね」
堂「余計なこと言うな…って、それどころじゃない! たくねこさん、心配をかけてしまって申し訳ない。俺達は皆、全力で事態を打開するべく奮闘している最中だ。きっと晃や彩も、子供なりに必死で闘ってくれていると信じている。だから、たくねこさんもどうか信じてやって欲しい」
と、堂郁達が申しておりますです(笑)。
子供を巻き込む嫌な展開で見捨てられても仕方ありませんが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
〉拍手コメントを下さった方
〉原作の雰囲気をよく掴んでらっしゃる。別冊IIから遥か未来のお話なのに全く違和感を感じません。
有り難うございますv でもそれはきっと私の手柄では無く、堂郁始め主要キャラ達の存在感が強烈で、私や皆様の心にしっかりと根付いているからなのだろうと愚考します。
今回捏造したのは子供達のキャラだけで、それも親達の性格を考えると割合すんなり形になりました。彩の場合は郁似となりましたが、晃は「手塚幼少期はこんなんだったのでは?」と、外見柴崎、内面は手塚成分多めという感じで。手塚は、比較的おとなしめな性格で兄貴の後をくっついて回ってたんじゃないかな~と(笑)。
〉かつて原作で感じた水島への恐怖や嫌悪がありありとよみがえって来ました。
折角キレイに終わった物語を嫌な形で蒸し返してしまい、本当にスミマセン。
ですが、この話を書くきっかけは水島のあの強烈な後味の悪さが発端でした。
言葉が、誠意が伝わらない。自分の見たいように世界を歪める。
誰もが生きて行く上で、多少なりとも水島に近い人間に出会い、悩まれたご経験はありませんか。あるいは自分の中に水島に似たものを密かに発見し愕然とされたりしたのではないでしょうか(自覚出来る段階で既に水島とは遠く離れた理性の持ち主でいらっしゃいますが)。
そんなリアルな苦痛を喚起させるが故に、下手なシリアルキラーより余程嫌な後味を私達読者の心に残したのが水島というキャラクターだったように思われてなりません。
そんな彼女に再登場して貰いネタを作ってしまう私もかなりアイタタタな人間ですよね。本当にスミマセン★
〉しかし何よりも堂上班の優しさや頼もしさ、手塚の男っぷりが読んでて暖かな気持ちにさせてくれました。
そうおっしゃって頂けて嬉しいですv
アキレスの踵を握られながらも、毒々しい悪意に一歩も退かぬ彼らを精一杯に書いたつもりです(というより、それが書きたかったです←言い訳臭いかしらんw)。
それぞれの立場で彼らがどう闘うのか、よろしければ最後まで見守ってやって下さいませ☆
堂郁たちからのお返事、確かに受け取りました。
堂上にお伝え下さい。
「基本的に、同種類の夫婦ですよね?ただ、とりあえず堂上の方が先を走ってる分、郁よりは見えてるかな~程度です(断言)はい、小牧が正解!」
身内に水島タイプのがいますので、ありえるよな~と実感してます。彼等はいつスイッチがはいるかわかりませんから…自分の子供は自分が守る。
奪回を心待ちにしています。