ミッキンの机 ~セレッソ大阪とわが子Love~  完全我が子寄り、時には自慢あり、それでも良かったら見て下さい

男の子と女の子の母です。
セレッソ大阪と子育てについて、
色々話してみたいです。
よろしくお願いします。

将来の夢に影響与えるのは、薬。

2020年10月22日 13時34分00秒 | 進路
「大人になったら何になる?」


誰もが一度は口にしたり、聞かれた経験があるのではないでしょうか。
うちも例外なく、子どもが小さい頃から事ある毎に誰かが口にしていた様に思います。


上の子は幼稚園の頃、卵のお寿司が大好きで「卵だけ出すおすし屋さん」
次はゲームばかりして「ゲーム作る人」
これには、叔父がゲーム関係の仕事をしてるので、
ゲームのエンディングのクレジット見るたびに言ってたかな。
「僕も」的な感じで。
今では大学行って、たぶん、そういう関係の勉強してます。



下の子は、ドーナツにハマってた時があって、
「ドーナツ屋さん」が続いてたかな。

小さい時から病院通いばかりしてたので、病院関係には興味があったみたいで、
中学生の職場体験で、とある病院を選びました。
が、そこから帰ってくるなり、
「絶対、病院嫌や」と。
裏事情は見たくなかったんかな、と。

まあ、元々、小さい体で病院に通ってたから、
見る物も、見る人も、みんな体の大きな人だし、
怖がってたのは十分知ってる。
レントゲン撮影の時は、私の後ろに隠れてたし、
あの部屋に一人置いとかれるのが、大人にとっては短時間でも、
子どもにはとても長く感じたみたいで、「怖かった」と言ってました。
すごく不安だったんだろうな。
ってことがあって、そういう関係は嫌と。


ただし、小さい時から、数多く薬を飲まされてきた彼女には、
口にする言葉がある、
「〇〇(自分の名前)にも飲める薬作る」
と、将来薬を作る人になって、
「飲める薬を作るから、それまで飲まない」
そう言って、薬を飲んでくれない時がありましたね。

そのたびに、「今、飲んで」
と、娘とのやり取りが繰り返されてました。


喘息持ちの彼女。
飲まないと、発作で苦しくなるのは誰やねんって。
本人もそれはすべて承知の上ですが。



そんな事もあって薬との格闘が日常茶飯事。
「ご飯をずっと食べてたかった」
つい最近教えてくれました。
小さい時、毎食なかなか食べ終わらなかったのですが、
理由がここにあったとは。

『食後のお薬が嫌』って。



それでも、ちょっとでも飲みやすいようにって、
薬局の薬剤師さんが、色々手を変え形を変えと、
これ以上ないくらい工夫を凝らしてくれて、
なんとか飲めるようにしてくれました。
そりゃ、なんども。

お苦労をかけしたのは、申し訳ないけど、
そのおかげで、娘はちゃんと成長できました。



息ができなくてぐったりするたび、病院に駆け込んで、点滴やら吸入やら、
そして、その度にお薬に助けられ、
症状が落ち着いてから気がついたのは、自分の膝が震えていたこと。

娘がどうにかなっちゃうんじゃないか、そんな不安からでした。
「膝が笑う」って、本当にあるんだと、何度教えられたか。


そんな娘も、もう高校生。



具体的に将来を考え始めたのがいつからかはわかりませんが、
あの子の中に、確実に「薬剤師」という職業があったはずです。

小学校最後の参観日に掲げた将来の夢、
『薬剤師』
と大きく書いた紙を誇らしげに持ってました。

あの時は、そこまで真剣だとは思ってもみなかったです。
あの子は勉強したいから、長く行ける大学行きたい。
そう言ってましたが、
その目的は、
色々な職業の時給を調べたりしてて、
たしかに、明らかに高いですがね、「薬剤師」
それも理由かなとか、

でも、ね、
同じ学校の子で「薬科」を希望する子が結構いるみたいなんですが、
その一人が、
「薬学部あんまり面白くなさそうやから、やめようかな」
って言ってるらしく、
「そんな理由で、進路変えるんや」
と。呆れてました。


「〇〇は、理想の薬剤師さんがいるから、あの人みたいな薬剤師になりたいねん」
「ママも知ってるやろ? いっつもお薬出してくれてたあの人」

と、小さい頃から無茶苦茶お世話になってるあの方を挙げました。


そう、あの子の中で「ヒーロー」だったんです。


「あの人おらんかったら、薬なんか飲んでなかったよ。いてくれてよかった。
 じゃないと、こんな風に学校とか行けてなかったかもしれんもん」



元気になったのは、あの薬剤師さんのおかげもある。
ちょっとでも飲みやすいように工夫を凝らしてくれたから。
でも、
それでも、

嫌な薬を頑張って飲んでくれた、
あなたの我慢と努力あってこそなんだけどね。

でも、本人がそう認識してくれているのが嬉しかった。



「だから、〇〇も、あんな薬剤師さんになりたい」

「病院行くの嫌やったあの時、あの薬剤師さんだけが〇〇の味方してくれたもん」


まあまあ、かなりの偏見もありますが、
それほど、嫌な病院に頻繁に行ってましたね。



お正月もゴールデンウィークも夏休みも、
特に冬はしょっちゅう。
定期的に通いながら、救急もあった。
学校から呼び出されて何度お迎えに行ったか。

お兄ちゃんの幼稚園のお迎えも、
かなり遅れて行かなきゃ行けない時もあった。
点滴してる娘を置いていけなかったから。

花火してて、いきなりしゃがみこんで、抱えて帰ったこともある。
寒い冬は冷え込まないように、部屋の温度・湿度管理が大変だったか。



何より困ったのは、
発作が起こっても教えてくれなくなったこと。



お薬が嫌とかじゃなくて、
息するのが苦しいってのが普通で、
苦しくてもそれが普通じゃないって思わなかったってことには、
かなり苦労した。
どう教えたらいいんだろうと。


立ってられなくなったら。
階段上がれなくなったら。
走れなくなったら。
お胸が痛くなったら。
息が吐きにくくなったら。

『苦しい』ってのを具体的に、
できるだけ詳しく、
その都度教えていくしかなかったです。


そんな苦労もあった中、
あの子の将来の夢に影響を与えそうなこの方は、
私の中でもとても重要な「ヒーロー」です。
女性ですが。


いつか、夢を叶えるのか、違う夢に変わるのか、
それはわかりませんが、
少なくとも、
あの子の中で、あの頃が、嫌な記憶だけに終わってなくてよかった。
ちょっとでも救いがあったのは、良かったなと思います。


今を乗り切るべく奔走したあの頃を、
正直本人は、忘れてるところが多くて、
特に酷い発作を起こした時の記憶は殆どありません。


けど、病院・薬=悪者
で、薬剤師=ヒーロー

あくまでも、子どもの中では、です。





長文失礼しました。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
お付き合いくださり、ありがとうございました。


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