その頃、前述の宇田川久美子さん、船瀬俊介さん、内海聡さん、由井寅子さんたちの本を何度も何度も読み漁って自然治癒力というものの本当の意味を知ることになりました。
それまでも、「自然治癒力」という言葉は聞いたことはありました。
でも、完全に誤解していましたね。ほとんどの人がそうだと思います。
転んで膝を擦りむいたぐらいなら自然に治る、
料理してて包丁でちょっと手を切ったぐらいなら自然に治る、
ちょっとぶつけて青アザ作ったぐらいなら自然に治る、
ちょっとぶつけて青アザ作ったぐらいなら自然に治る、
まぁ、その程度だと思っていました。
風邪を引いて、初期段階だったら、ちょっと温かくして一晩寝てたら自然に治るかも・・その程度だと思っていました。
でも、熱が出ちゃったら・・・・?
ヤバイヤバイ、もうダメだ。 自然治癒なんてもう言ってらんない。もうこれは、自然治癒の能力を超えたことだから、もう絶対病院行って解熱剤もらって飲まないとダメだって思っていました。
だって、子供の頃からずーっとそう教え込まれて来たからね。
何も疑うことなく、そうしなければいけないって思っていましたよね。
だって、病院に行っても、「熱があるんですね。じゃぁ、解熱剤出しときますね。」と当たり前のように言われて来ました。そこに、どこにも怪しむ余地もありません。
ところが、それがまちがいなんだということを知りました。
熱が出ることは病気だと思っていました。悪いことだと思っていました。だって苦しいし、動けないし。
しかし、発熱は病気ではなく、まさに、まさに、これこそが自然治癒反応の大家(たいか)であるということ!
生き物の体というものは、何か健康を阻害するような不都合なことがあると、自ら正しい状態に修正する働きが備わっているというのです。 自らの生命を守るべく、きちんと動く働きがあるのです。
体内にへんなウィルスや異物が侵入したら、体は自らそのウィルスや異物を退治しようという働きが起きます。それが、まさに熱というものなのです。 ウィルスは熱に弱いので、熱によって死にます。そして、その死骸を鼻水や痰などに乗せて、体外に排泄するのです。下痢になって出る場合もあります。
体はそのようにして自らに備わっている兵隊を総出動させて一生懸命に「敵」をやっつけてくれるのです。生まれながらにそのような力が備わっているのです。
そして、ウィルスを全部退治して、鼻水などの分泌物に乗せて体外に排泄し尽くしたら、熱は下がり、鼻水なども止まります。 そうすると、体の中はきれいに一掃され、すっきりと清浄な血液が流れ、健康が増進するわけです。
炎症というのは、読んで字のごとく、「ほのお」の症状。 つまり、熱くなる症状。 よく「熱を持って赤くなっちゃってる」という状態。 前述の「風邪」の時に全身が発熱することを普通に「熱が出る」と言いますが、体のどこか一部だけ熱が出ることを「炎症」と言います。
全身発熱する場合は、全身に異物がまわってるからそれを退治するべく全身発熱している。
一部だけ発熱する患部発熱、つまり「炎症」は、まさにその場所に異物があるから、それを熱で焼いて退治して、何かの分泌物に乗せて外に排泄しようという働きです。その分泌液とは、膿だったり浸出液だったり・・・血の場合もある。
一部だけ発熱する患部発熱、つまり「炎症」は、まさにその場所に異物があるから、それを熱で焼いて退治して、何かの分泌物に乗せて外に排泄しようという働きです。その分泌液とは、膿だったり浸出液だったり・・・血の場合もある。
患部発熱は、皮膚に起きる場合が多い。皮膚に出るニキビや湿疹やブツブツ、吹き出物なども、そこにある固結した毒素を炎で焼いて液状にして毒素を皮膚から外に排泄するという体に備わった浄化作用。
目も然り。 白目が充血するというのはそういうこと。つまり眼球が患部発熱を起こしているわけです。
そこに何か退治しなければならない菌なり、毒素なりがあるということ。目はそれらを一生懸命に外に出そうとしているのです。
そこに何か退治しなければならない菌なり、毒素なりがあるということ。目はそれらを一生懸命に外に出そうとしているのです。
充血の後、目脂なり、涙なりの分泌物が出て、それで終了して何事もなかったようになるのに、それを知らないので、たいてい、目が充血したら「ヤバイことになった」と思い、目薬を挿して、充血させなくする。 つまり、その退治しなければならない何かをそのままそこに留まらせているということ。
しかし、体としては、やっぱりそれ(目の所にある毒素)を外に出したい。だから隙あらばまた充血する。生命力が強い人(=浄化力がある人)は、その薬攻撃にも負けず、そのうち強硬手段として、目脂がダラダラ出てしまったりする。
しかし、またアホな人間は、こんなに目脂とか出ちゃってヤバイことになったと慌ててまた目薬を挿して、それを必死に食い止めようとする。もしくは、冷やしたりして喜んでいる。確かにそうすれば、感覚的にはラクにはなるんだけれど、冷やして炎を消しちゃってるから、毒は出ることは出来なくていつまでも完治には至らない。
また目薬挿す。そのうち、目が重く感じて来る。 それは実は、単に重く「感じる」という感覚の問題だけではなく、実際に物質的な重量なのです。出させてもらえなかった毒素がその目の所にちゃんと物質として溜まっているのです。
人間は、ちゃーんとそれを感じ取っているのです。目の筋肉が疲れているから重く感じるとかではありません!「疲れ目」とか言ってるけど、本当は違うのです。
それを延々とやっている。
それが、つまり、この私だった。
私が今までずーっとやって来たこと。
私が今までずーっとやって来たこと。
よかれと思ってやって来たことが、実は体の声を無視し、健康を妨害して来たことに他ならなかったのです。
そして、もう許容量いっぱいになり、もう、これ以上は無理だ!もうこれ以上そんなことをしたら。それこそ命にかかわるということで、体は強行突破して来たわけです。それで、薬が効かなくなり、大爆発を起こした。
それが、つまり、腫れて、汁がダラダラダラダラ・・・止まらない状態です。
もう、体としては、命がけです。文字通り、命がけ。命をかけて、浄化作用を起こしている。
もう止めてくれるな。絶対、毒を外に出すからな!私は死にたくないんだ!生きるぞ!って。体がそう言っているわけです。
今まで私が(私たちが)正しいと思ってやって来たことは、その健康になるための活動を一生懸命妨害し続けてきたことに他なりませんでした。
体が一生懸命熱を出して、ウィルスをやっつけようとしているのに、薬でムリヤリ熱を下げて、ウィルスをやっつけさせなくしてしまう。
毒素や老廃物を鼻水に乗せて、外に出そうとしているのに、薬でムリヤリ鼻水を出させなくして、毒を体に押し返している。 下痢になれば、下痢止め飲んで、嘔吐すれば吐き気止め、咳が出れば咳止め飲んで、なんでもかんでも出ないようにする薬を飲んで・・・と・・・
ひたすら、体が外に出したがっているものを、必死に「出させなくして」いる。
そして、治ったと言って喜んでいる。
確かに、薬を飲んで熱を下げることには成功したと言える。 鼻水が出なくなることに成功したとは言える。
咳も痰も下痢も嘔吐も・・・なんでもかんでも止めることに成功したとは言える。
でも、それは、体の本来の自然な働きを停止させて、健康になることを妨害しているだけに過ぎない。
だって、その「強制停止」させられたその鼻水などは、どこに行くんですか?
消えたわけじゃないですよ。体内に毒素として留まっているんです。よどんだ血液として体内に残っているんです。
消えたわけじゃないですよ。体内に毒素として留まっているんです。よどんだ血液として体内に残っているんです。
車が排気ガスが出るからイヤだと言って、排気口をふさいじゃってるのと同じ。行き場を失ったガスは車内に充満して中にいる人を一酸化炭素中毒にして命を奪ってしまいます。
実際に、大雪の日に道路で立ち往生してしまった車で、雪が排気口をふさいでしまい、中の人が亡くなってしまったという痛ましい事件があったそうです。
まぁ、人間の体はそこまですぐに命を奪うことはないけど、そのようなことを何度も何度も何年も何十年もし続けていたら、どうなるでしょう。
常に、体が重い、だるい、眠い、なんか疲れる・・・・そんな感じになって行きます。過去に何度も出るものを止めて来たからです。体内が毒だらけなんです。
でも、体はそれでも、どうしても生命を維持したい。 生きようとする力が働きます。体中に毒素が散りばめられていたのでは、全体がダメになるから、一カ所に集め出します。
それが、つまり、腫瘍だったり、癌だったり・・・
今や日本人の二人に1人と言われています。
癌は、たまたま偶然にとか、運が悪くてなるのではありません。
今までよかれと思ってやって来たことが、全部まちがっていたということに気づいたのです。
薬が毒だと言うのは、つまり、「体が生命を維持しようとして行っている活動をすべて無にしてしまう。」ということです。あと、薬そのものが毒だからということももちろんありますが。
さて、じゃぁ、どうするか・・・・
こちらはこのページの動画版です。私がしゃべっております。是非見てね!
自然に治るという意味を多くの人が誤解している。 目だけアトピー壮絶闘病記 (第6回目)
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