《花かつみ》といえば母校の校歌にも歌われ、同窓会の名前にもなっている懐かしい名前です
この《花かつみ》が今の時期限定で見られるというので行ってみました
“をみなえし 咲く沢(佐紀澤)に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 戀(こい)もするかも”
万葉集に、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持(おおとものやかもち)に贈った歌があります。後に松尾芭蕉が『奥の細道』に記したように「花かつみ」は捜し求めても見つからない幻の花といわれてきました。
阿久比町ではアヤメ科の多年草で6月上旬から中旬にかけて鮮やかな紫色の花を咲かせる野花菖蒲(ノハナショウブ)のことを「花かつみ」と呼んでいます。
室町時代に伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県)から草木の下芳池に移植されたと伝えられ、桶狭間の合戦の際には、徳川家康の生母於大の方が家康の武運長久を願い、坂部城で「花かつみ」の「勝つ」という名前に思いを込め、仏前に捧げたという伝説も残っています。
大正時代には、絶滅してしまったとも言われましたが昭和になって草木の俳人竹内丁子が自生の1株を発見し、地元の人々によって密かに保護されてきました。(阿久比町HPより)



小ぶりの花しょうぶですね 来るのがちょっと遅かったようで残念
さてこちらはわが故郷の《花かつみ》です
「みちのくのあさかのぬまの花かつみかつみる人に恋ひやわたらん」
『古今和歌集』
『古今和歌集』
みちのくの安積の沼の花かつみの名の、かつみというように、かつがつに不満足ながら、ともかくも、ちょっと逢ったばかりの人なのに、心に恋しく思って、永く月日を暮らすことであろうか
この歌により、「花かつみ」は陸奥国の安積の沼の名物となり、多くの歌が読まれるようになりました。
元禄2年5月1日(西暦1689年6月17日)松尾芭蕉と曾良は、「奥の細道」紀行でここ安積山を訪れました。
「安積山」は、「万葉集」や「古今和歌集」に詠まれている歌枕として有名で、芭蕉はここで「花かつみ」を尋ね歩きました。
花かつみには、古より諸説があり、幻の花とされ、松尾芭蕉も花かつみや安積沼を人々に尋ねまわりましたが、知る人がいなかったと書いています。
明治9年6月17日、明治天皇の東北巡幸のさい、日和田の安積山の麓、横森新田のご休息所で、花かつみを「菖蒲に似て最(いと)些小(ちいさ)き花」なるヒメシャガを花かつみとして天覧に供しました。
以後、「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定されました。

遠く離れたそれぞれの地で《花かつみ》は歌に詠まれ、幻の花とされ、大事にされてきたんですね
今回それぞれの《花かつみ》を知ることができてスッキリしました