"2019年6月18日、日中、静岡県伊東市にある労働組合本部で行われた役員会議終了後、駐車場に向かう通り道で東郷平八郎の別荘(東郷記念館)があり、たまたま屋内観覧が行われていたので別荘に入館させて頂きました。
歴史に詳しくない私でも日露戦争の日本海海戦で陣頭指揮を取った司令官が東郷平八郎だと言う事くらいは知っていますが、彼がその晩年を過ごした別荘がここにあった事は驚きでしたが、更にこの辺りにあった署名人の別荘が無くなっていく中、当時のまま現存しているのは更なる驚きでした。
この日はたまたま東海館が休館で、そのガイドさんがこちらに来ていたのも幸運だったので、早速入館料200円を支払ってガイドの案内を聞きながら別荘の内部を見学しました。
別荘の主だった東郷平八郎の人生は歴史に語られる日露戦争の話はごく一部であり、そこには人としての紆余曲折があった事が感じられました。
私は横須賀の戦艦三笠も見に行った事はありますが、そこで語られる栄光の部分とは別に別荘で過ごした東郷平八郎は一人の老人の姿だったと思いました。詳しくは歴史本を見て欲しいと思います。
この別荘は彼の死後、競売に掛けられたそうですが、たまたま買い取った人が本日まで大切に保存してくれたので、この別荘を通して東郷平八郎の姿を知る事ができたのは言うまでもありません。
【伊東東郷記念館】です。(抜粋しました)
日露戦争の日本海海戦当時の連合艦隊司令長官だった東郷平八郎元帥が晩年を過ごした別荘が、松川河口近くの≪東郷小路≫と呼ばれる露地の中ほどに当時のままの姿で保存されており、今回所有者の東郷神社により一般公開されることになりました。
この別荘は、東郷元帥が夫人の療養のためにと昭和4年に建てられたもので、昭和8年まで利用されました。
元帥薨去のあと、海軍将官のための休養施設として使用され、戦後は石橋財団により「元帥がお使いになったまま釘1本変えてはならぬ」という方針の下、大切に管理され、長い間「東郷記念館」として公開されてきました。
その後一時民間の手に移りましたが、平成22年寄贈を受けた東郷神社により一部修繕工事が行われ、平成24年12月に「伊東東郷記念館」として再度一般開放されることになりました。
建物は、東郷元帥の人柄を物語るかのように質素なたたずまいの和風建築で、元帥を偲ぶ数々の遺品と共に大切に保存されおり、現在伊東市に現存する唯一の本物の別荘として、また日本に存在する唯一の東郷元帥旧居として、見学できる貴重な歴史文化遺産です。"
歴史に詳しくない私でも日露戦争の日本海海戦で陣頭指揮を取った司令官が東郷平八郎だと言う事くらいは知っていますが、彼がその晩年を過ごした別荘がここにあった事は驚きでしたが、更にこの辺りにあった署名人の別荘が無くなっていく中、当時のまま現存しているのは更なる驚きでした。
この日はたまたま東海館が休館で、そのガイドさんがこちらに来ていたのも幸運だったので、早速入館料200円を支払ってガイドの案内を聞きながら別荘の内部を見学しました。
別荘の主だった東郷平八郎の人生は歴史に語られる日露戦争の話はごく一部であり、そこには人としての紆余曲折があった事が感じられました。
私は横須賀の戦艦三笠も見に行った事はありますが、そこで語られる栄光の部分とは別に別荘で過ごした東郷平八郎は一人の老人の姿だったと思いました。詳しくは歴史本を見て欲しいと思います。
この別荘は彼の死後、競売に掛けられたそうですが、たまたま買い取った人が本日まで大切に保存してくれたので、この別荘を通して東郷平八郎の姿を知る事ができたのは言うまでもありません。
【伊東東郷記念館】です。(抜粋しました)
日露戦争の日本海海戦当時の連合艦隊司令長官だった東郷平八郎元帥が晩年を過ごした別荘が、松川河口近くの≪東郷小路≫と呼ばれる露地の中ほどに当時のままの姿で保存されており、今回所有者の東郷神社により一般公開されることになりました。
この別荘は、東郷元帥が夫人の療養のためにと昭和4年に建てられたもので、昭和8年まで利用されました。
元帥薨去のあと、海軍将官のための休養施設として使用され、戦後は石橋財団により「元帥がお使いになったまま釘1本変えてはならぬ」という方針の下、大切に管理され、長い間「東郷記念館」として公開されてきました。
その後一時民間の手に移りましたが、平成22年寄贈を受けた東郷神社により一部修繕工事が行われ、平成24年12月に「伊東東郷記念館」として再度一般開放されることになりました。
建物は、東郷元帥の人柄を物語るかのように質素なたたずまいの和風建築で、元帥を偲ぶ数々の遺品と共に大切に保存されおり、現在伊東市に現存する唯一の本物の別荘として、また日本に存在する唯一の東郷元帥旧居として、見学できる貴重な歴史文化遺産です。"