かつての未熟な自分たちにそっくりな、そしてハードな場面を、みせられていることに気づきました。
あっちもやだ、こっちもおかしいしと思っていたけど、
なぜかそれが気になって気になってしょうがない。
それは、かつての自分たちの姿にそっくりだと、わかってしまった。
だから、簡単に、排除できず、気になってしょうがないみたいなのです。
どっちの気持ちもわかってしまう。なんでわかっちゃうのかなと思ったら・・・そういうことだったからみたい。
これってエネルギー取られていることになのかな?
わからないけど、
あの二人を見せられていることに、気持ちが引っ張られてしょうがないのだけど、
分析分析してたらまた気づいた。
そこを変えるエネルギーを、自分に向けろと。
だって、理解できるから、なんとか二人を手助けしたいなんて思っちゃったのだけど、
でも、
あの頃の未熟な私たちは、
結果、、自分たちで気づくしかなかった。
それでやっと変わることができた。
だから、私が今できることは、見守るしか、淡々と気を利かすしかないのではと思う。
でも、今書いてて思ったこと、
あの時の私たちは閉鎖的だったから自分が気づくしかなかったけど、
いま、私が見せられている出来事は、閉鎖的じゃない。
何人も人が立ち入る。
だったら、私が心を開放できたのだから、
次はその人たちを救って解放する手伝いをするべきなのではとも、思ってしまった・・・。
どうしよう。
あの二人、どっちも両成敗なんだよなーーー
昔の私とパパなんだよなーーー(笑)
だめだ、やっぱり私は、
おせっかいをして人を変えようとするんじゃなく、自分を変える努力に邁進しなさい。
また、その努力や邁進を、最近怠ってないですか~~~という、メッセージでもあるのではないかとも感じる・・・。神様。
どっちなんだ~~
どっちにせよ、今の私は、どうもそれに心が奪われているのは何故なんだ~~~~!!
適職ばかりに、最近偏っていたのかな・・・
道、外れていたのかな・・
天職、ちゃんと向き合ってなかったのかな・・・・・
わたしはわたしのやりたいこと、道を究めてないのかもな・・・
「自分が一生やれる道を仕事を早く見つけて、それに進みたいと思っていました・・・」
ラジオから聞こえてきて、ピンときた言葉、ぐさっときた言葉・・・。
そっちなのかな。