■1月10日(木)
仙台から陸前高田市へ。仙台を朝7時20分にバスで出発。車窓からはしばらくの間、青空と雪化粧した山々が美しく目に映りましたが、陸前高田の海が見えてくると、海沿いや平野部は建物がほとんど残っておらず、広々とした地面に雪が積もっている光景が印象的でした。仮市庁舎前に午前11時頃到着。
車窓から
2011年、IYEO(日本青年国際交流機構)という青年団体の和歌山での全国大会で出会ったご縁で、陸前高田市の副市長をされている久保田崇さんとお会いすることができ、職員の方たちと「りくカフェ」というコミュニティカフェで昼食を頂くことに。
待ち合わせまで少し時間があったので、周辺を少し散歩。広々とした地面。ところどころに建物のあとが見えて、津波が今たっている場所まで来たことを想像すると言葉もありませんでした。
寒くなってきたので、先にお店に入ってコーヒータイム。このコーヒー、とても美味しくて、粉で販売もしていたので、お土産に買って帰りました。
12時過ぎに、久保田さんと職員さんたちが来られ、ランチを頂きました。ふだんは喫茶メニューのみだそうですが、たまたま行った日はオープン1周年記念のイベントをしていて、お昼ご飯も出されていたそうです。ランチを作られていたのは、岩手県一関市のレストラン「あさひや」のオーナーシェフ原田さん。カフェに来られていて、直接メニュー紹介を聞かせてもらえたのはラッキーでした。
(ランチの写真を撮っていなかったのが残念…!と思ったら、この日のメニューがりくカフェさんのブログに載っていました♪)
りくカフェ店内
お店は主に地元の主婦の方たちが運営されているそうで、この日も7人くらいの女性がお店に来られていて、とてもにぎやかな雰囲気でした。様々なミュージシャンがライブに訪れたり、他にもいろんなイベントをしていて、町の人たちの憩いの場、また訪れた人たちとの交流の場になっているそうです。
久保田さんや職員さんが仕事に戻られてからは、ニューヨークに留学していて時々陸前高田を訪れているという大学生の女の子Mさんと出会って「異文化の人たちがつながって一緒に何かできるようなネットワークづくりをしたい」という夢の話を聞いたり、りくカフェの運営にあたっているYさんからは、お店で取り組んでいることなど、お話を聞いたりして、初めて来たのに、なんだか前から知っている人たちに会ったような雰囲気でした。
お昼2時半頃までりくカフェでゆっくりさせてもらい、3時にまた市庁舎へ。
全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部の方たち10人ほどが久保田さんを訪問されており、陸前高田市の震災以降についてお話を聞く場に同席させてもらいました。
なんと、ご一行のリーダーの山本さんは、中国派遣団に参加した2007年、ミャンマー派遣団の副団長をされていた人で、どこでお会いしたか分かったときは、偶然の再会に本当に驚きました。
陸前高田には20mくらいの高さの津波が押し寄せ、大きなもの以外は基礎を含めてほとんど流されてしまい、4人に1人の職員の方が亡くなったため、名古屋市や京都(和歌山市からも)などから職員が派遣されています。
9000棟あった住宅などのうち4000棟が全壊。学校のグラウンドに仮設住宅が建てられ、2200世帯が仮設住宅で暮らしておられるそうで、いつ仮設から出られるのか、住民は願いが叶う日を待ち続けているそう。市には平成25年度中に100戸の公営住宅をつくる計画があるというお話も伺いました。
宿泊施設に関する話題も多くありました。
宿泊施設は800室ほどありましたが、今は250室ほどになり、今宿泊施設の建設も計画されているそうです。
直接お話を伺えたのは本当に貴重な機会で、今後起こるだろうと言われている南海・東南海地震のことを考えると、地震そして津波の恐ろしさ、備えの必要性をとても感じました。
山本さんご一行に帰りのバスの出発地である大船渡市へ同乗させてもらって、バス乗り場前のショッピングセンターで1時間ほど夕食、お土産探しをして17時半、大船渡を後にしました。
仙台についたのは夜9時半頃。そのまま夜行バスで仙台から東京へ向かいました。
仙台から陸前高田市へ。仙台を朝7時20分にバスで出発。車窓からはしばらくの間、青空と雪化粧した山々が美しく目に映りましたが、陸前高田の海が見えてくると、海沿いや平野部は建物がほとんど残っておらず、広々とした地面に雪が積もっている光景が印象的でした。仮市庁舎前に午前11時頃到着。
車窓から
2011年、IYEO(日本青年国際交流機構)という青年団体の和歌山での全国大会で出会ったご縁で、陸前高田市の副市長をされている久保田崇さんとお会いすることができ、職員の方たちと「りくカフェ」というコミュニティカフェで昼食を頂くことに。
待ち合わせまで少し時間があったので、周辺を少し散歩。広々とした地面。ところどころに建物のあとが見えて、津波が今たっている場所まで来たことを想像すると言葉もありませんでした。
寒くなってきたので、先にお店に入ってコーヒータイム。このコーヒー、とても美味しくて、粉で販売もしていたので、お土産に買って帰りました。
12時過ぎに、久保田さんと職員さんたちが来られ、ランチを頂きました。ふだんは喫茶メニューのみだそうですが、たまたま行った日はオープン1周年記念のイベントをしていて、お昼ご飯も出されていたそうです。ランチを作られていたのは、岩手県一関市のレストラン「あさひや」のオーナーシェフ原田さん。カフェに来られていて、直接メニュー紹介を聞かせてもらえたのはラッキーでした。
(ランチの写真を撮っていなかったのが残念…!と思ったら、この日のメニューがりくカフェさんのブログに載っていました♪)
りくカフェ店内
お店は主に地元の主婦の方たちが運営されているそうで、この日も7人くらいの女性がお店に来られていて、とてもにぎやかな雰囲気でした。様々なミュージシャンがライブに訪れたり、他にもいろんなイベントをしていて、町の人たちの憩いの場、また訪れた人たちとの交流の場になっているそうです。
久保田さんや職員さんが仕事に戻られてからは、ニューヨークに留学していて時々陸前高田を訪れているという大学生の女の子Mさんと出会って「異文化の人たちがつながって一緒に何かできるようなネットワークづくりをしたい」という夢の話を聞いたり、りくカフェの運営にあたっているYさんからは、お店で取り組んでいることなど、お話を聞いたりして、初めて来たのに、なんだか前から知っている人たちに会ったような雰囲気でした。
お昼2時半頃までりくカフェでゆっくりさせてもらい、3時にまた市庁舎へ。
全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部の方たち10人ほどが久保田さんを訪問されており、陸前高田市の震災以降についてお話を聞く場に同席させてもらいました。
なんと、ご一行のリーダーの山本さんは、中国派遣団に参加した2007年、ミャンマー派遣団の副団長をされていた人で、どこでお会いしたか分かったときは、偶然の再会に本当に驚きました。
陸前高田には20mくらいの高さの津波が押し寄せ、大きなもの以外は基礎を含めてほとんど流されてしまい、4人に1人の職員の方が亡くなったため、名古屋市や京都(和歌山市からも)などから職員が派遣されています。
9000棟あった住宅などのうち4000棟が全壊。学校のグラウンドに仮設住宅が建てられ、2200世帯が仮設住宅で暮らしておられるそうで、いつ仮設から出られるのか、住民は願いが叶う日を待ち続けているそう。市には平成25年度中に100戸の公営住宅をつくる計画があるというお話も伺いました。
宿泊施設に関する話題も多くありました。
宿泊施設は800室ほどありましたが、今は250室ほどになり、今宿泊施設の建設も計画されているそうです。
直接お話を伺えたのは本当に貴重な機会で、今後起こるだろうと言われている南海・東南海地震のことを考えると、地震そして津波の恐ろしさ、備えの必要性をとても感じました。
山本さんご一行に帰りのバスの出発地である大船渡市へ同乗させてもらって、バス乗り場前のショッピングセンターで1時間ほど夕食、お土産探しをして17時半、大船渡を後にしました。
仙台についたのは夜9時半頃。そのまま夜行バスで仙台から東京へ向かいました。