音楽日記

私が触れた音楽などを紹介していきます。

沖縄の旅

2009-07-27 22:33:12 | Weblog
7月3日(金)から7日(火)まで、友人の結婚式出席と観光を兼ねて沖縄へ行ってきました。
(写真はフォトアルバムにアップしてます♪)

関西空港から約2時間で那覇空港着。
そのまま翌日の新婦さんが出演するライブ会場へ…。
空港からタクシーにのって1時間ほどで、沖縄民謡や沖縄ポップスなどが聞ける「カラハーイ」というお店に到着。
着いて早々、現地の音と味を堪能して、すでにおなかいっぱいに…。

一泊目は、予約していた一泊1000円のゲストハウス(ドミトリー)に泊まりました。

2日目は、前の日に乗ったタクシーの運転手さんに教えてもらった
「アメリカフェスタ」というお祭りへ行きました。
会場はアジア一広いという嘉手納基地。
年に一度、アメリカ独立記念日にだけ一般に開放されるそうです。
軍用機が展示されてるすぐ近くでは、食べ物やお土産の販売コーナーがあったり、特設の遊園地があったりして、ものものしい雰囲気とにぎやかで和気藹々とした雰囲気が入り混じった不思議な空間でした…。
それと、やはり、とにかく広かった…。

夕方には那覇に戻り、結婚式会場へ。
今回私たちは新婦の友人として参加させてもらったんですが、なぜ沖縄の人とご縁ができたかというと、昨年夏、田辺で「もじけ展」というイベントが開かれたとき、主催のNさんの学生時代の後輩として、田辺に来られて出会ったのがきっかけでした。
式には田辺や東京のもじけ展のメンバーが10人ほど集まっていました。
会場にはなんとステージがあって、歌や踊り(初めてエイサー見ました。すごくよかった!)や三線の演奏や、獅子舞など色んな出し物が続き、まるで文化祭のようでした。参加者の人数もふだんの1.5倍くらいいたんじゃないかな…。
場所を変えての二次会も大盛り上がりで(特に新郎側の友人)、夜11時くらいからのスタートでだいたい3時4時までドンチャン騒ぎ…というのが普通だそうですが、私たちは、新郎と新婦がなかなか到着しないのもあって、12時くらいには退席させてもらいました^^;

この日も前日と同じドミトリーに宿泊。

翌日から、レンタカーを借りて沖縄本島を北上。メンバーは私とMさんとKちゃんの3人。
やんばる(山原と書いて、森が原っぱのように広がる地域のことを言うそうです)へ向けて朝10時頃出発しました。
午後3時頃名護に到着。さらに1時間ほど足をのばして、美(ちゅ)ら海水族館へ。
ジンベイザメとマンタの飼育記録世界一を更新しているという、全国的に有名な水族館です。
午後4時以降は入館料が3割引(1200円が840円に)ということで、その時間帯をねらっていきました。 
巨大なジンベイザメが2匹も飼育されている大水槽では、そのほか、マンタやマグロのような魚やアジの仲間や無数の魚たちが思い思いに泳ぎまわっています。気分はまるで浦島太郎…。現実世界のことなんて忘れてしまいます^^;
他にも、イルカのショーを見たり、マナティーを見物したり、ヒトデやナマコに触れる体験をしたりして、すっかり童心に返ってました(笑)

そこから備瀬のフクギ並木を見て、宿の人に「あそこはほんとに景色が綺麗だからオススメ」と教えてもらった古宇利島を目指しましたが、
日没に間に合わず、今回の旅では断念。でも、また行ってみたい場所ができましたね!
そのまま夜ご飯を食べて名護市内の宿へ。その夜もゲストハウスでしたが、ちょっとリッチに、3200円の個室に泊まりました。

最終日はやんばる自然塾(http://www.gesashi.com/)のガイドさんにお世話になってトレッキング&カヤックを体験!
メンバーは私たち3人と、愛知から来たというカップルの計5人。
トレッキングは3時間ほどでしたが、晴れて気温が高かったので、タオルしぼれそうなくらい汗だくになりました。
でも最後に、眼下に緑のじゅうたんのような森が広がる場所に来たときには、それまでの苦労が一瞬で消えてしまうほど景色に吸い込まれました。
海と空の青、森の緑のたった2色でなんでこんなに綺麗な絵が描けるんだろう…ほんと自然は偉大なアーティストだなぁと思います。
トレッキングから戻って昼食を食べた後、2時間ほどカヤックでマングローブの林を見物しに行きました。
「マングローブという木の種類はなくて、海水と淡水の混ざったところで育つ木を総称してマングローブって言うんですよ」
「そうだったんですか~」
「他の樹種の木との生存競争に弱いので、他の木が生育しないような海水の混じった場所に適応してそこで育つようになったんです」
「へぇ~頑張りはってんなぁ~」
などなど、興味深い説明を聞きながら、ゆっくりゆっくり漕いでいきました。
気がつくと、もう時間は5時。後片付けを終えて待合室に戻ると、地元名産のパイナップルとサーターアンダギーが!(両方好物♪)
最後にガイドさん、三線も演奏してくれて、素朴であったかい音色を聞いてると、(もう旅も終わりかぁ…)沖縄での思い出が次々浮かんできました。

やんばるでの一日を終え、一気に那覇まで南下して食事、そのあと国際通りでお土産を買って、宿へ。
最後の宿泊も1、2泊目と同じところでしたが、500円アップして1500円の個室に泊まりました。(やっぱりドミトリーと個室では、リラックス感が全然ちがいました…笑)

翌朝は朝7時代の飛行機に乗ることになっていたので、5時に起床して、5時半頃宿を出発。
せめてあと1日…という思いを抱きつつ、飛行機は予定どおり飛び立ちました。

そんなこんなの沖縄4泊5日…。今度はいつ行けるのか分かりませんが、ぜひまた訪れたい場所だなぁと思います。

肝心なことを言い忘れましたが、沖縄の食は、どれもほんとに美味しかったです。
野菜たっぷりのメニューが多くてヘルシーだし、ボリューム満点!
田辺に沖縄料理店が欲しいくらいです…。
和歌山・大阪あたりで美味しい沖縄料理の店知ってる人がいたらぜひ教えてください!!

インド旅行記[5日目]

2009-07-23 01:32:20 | Weblog
9月23日(火)

とても充実した前の日に比べて、この日は一日予定もなかったので、「少しヒマだなぁ~」と、朝からなんとなく退屈な気持ちでいました。そこで、「よし、外に出てみよう!」とちょっと散歩に出かけてみることにしました。

実は、私がインドへ行く前に、「プーナという町に行きたいと思った時期があった」という人がいてびっくりしました。「え!?私もプーナなんですよ」というと、相手もびっくりしていました。
プーナには、OSHO(オショウ)という人がつくったアシュラム(瞑想などをする道場)があって、世界中から大勢の人々が訪れるそうで、その人もそのアシュラムに行ってみたかったそうです。

そんなわけでそのアシュラムに少し興味を持っていました。
調べてみると、滞在していたアパートから歩いて行けるということで、向かってみることにしました。

大通りをしばらく歩いて、ジャーマンベーカリーというパン屋さんの角を曲がって入っていくと、だんだんうっそうとした木々に囲まれて、空気が濃密な感じになってきているような気がしました。
次第に黒っぽい外壁が見えてきました。
(きっとここだ…)
黒く見えていたのは、真っ黒な色をした竹でした。
(なんか日本の建築みたい…)
重厚感のある外観で、ゲートが近づくにつれて少しドキドキ…
ゲートには人がいて、外から様子を伺うのもなんだかなぁという気がして、中を少し覗くくらいにして、そのままその場を後にしました。竹の外壁が通りに面してずっと続いていて敷地の広さが伺えました。

私は瞑想とか精神世界のことには今まであまり触れたことが無かったので、アパートに置いてあったOSHO関連の本を読んでいて、新鮮で興味深く感じるところがありました。インドの旅全体を通してですが、自分の心や体の声を聞くことがいかに人生を豊かなものにしてくれるかを教えてもらったような気がします。

しばらく歩いていくと大通り沿いに曲がり角があって、なんとなくその先の路地を歩いてみたい気がして、角を曲がって入っていきました。すると、一人の女の子が道で遊んでいました。
それまで、なんとなく警戒心を持ちながら歩いていたんですが、その女の子と目が合った瞬間、お互い笑顔になって気持ちが通い合うのを感じました。その出来事は、緊張して少し硬くなっていた気持ちを和らげてくれ、その先で出会う人とも自然と笑顔になれたり、あいさつできるようになりました。
私が笑顔で接すると、相手も笑顔を返してくれる… 自分がオープンになればなるほど、相手もオープンになってくれる…それが実感できて、人間って基本的な部分はやっぱり一緒やなぁと思いました。
その付近は、子どもが多くて、写真を撮らせてもらいました。お母さんに抱っこされた坊やや、売店の看板娘、学校帰りでおそろいの制服を着た子どもたち…。

さらに路地を進んで行くと、少し背の高い中学生くらいの少年に出会いました。彼はガネッシュ君(写真)と言って、英語が好きみたいで少し話をすることができました。弟や友達を紹介してくれたり、あたりを案内してくれました。
彼が住んでいるところは、車が入れないような細い路地の奥で、お母さんたちが家事をしたり、子どもたちがその周りで遊んでいたり、ヤギも何匹か居て、少し昔にタイムスリップしたような、のどかで生活感あふれる場所でした。
カメラを向けると、小さな子たちが興味深そうに覗き込んできたり、大きな子たちは友達と肩を組んでポーズをとったり。子どもたちの生き生きとした表情に引き込まれて何枚も写真を撮っていました。
帰り道、ガネッシュ君はしばらく送ってくれました。小さな子たちに「遠くなると帰るのが大変だから、先にお帰り」というように促して。
(きっと面倒見の良い子なんだろうな)
電話番号も交換し(インドでの携帯電話の)、日本に帰る日を告げると、「それまでに僕の家に遊びに来て」と言うので、「また会えたら会おうね」と言って別れました。

少し遅めのお昼ご飯を食べてから、アナディさんのアパートでメールチェックや返事をした後、色々話させてもらっていたらあっという間に日が暮れて、夜は、前の日に緑化現場を案内してくれたナミートさんが映画に連れていってくれました。
インド映画を一度見ていたいと思っていたので、ワクワクして行ったんですが、インド映画はやってなくて「ゾハン(ZOHAN)」というコメディ映画でした。http://www.youtube.com/watch?v=rCcK-QYJcSU&NR=1

すべての英語が分からなくても映像だけでも結構笑えたんですが、ナミートさんは、面白いところでは大声を上げて苦しそうなくらい大笑い!(笑)他のお客さんたちも、けっこうそんな感じで、周りの目を気にしないで、感情をストレートに出すインドの人たちに圧倒されつつ、インドの国民性をちょっぴり垣間見れた気がしました。


この日の日記は以上です。

最後に、地球再緑化機構で最近始めたブログを紹介します。
下記のアドレスでアクセスしてみてくださいね♪
http://www.treenitiative.info/?p=1&lang=ja

インド旅行記[4日目]

2009-07-23 01:16:34 | Weblog
9月22日(月)

この日は、いよいよ日本を出発する前から希望していた、緑化活動の現場を見せてもらえるということで、朝からなんとなくワクワクした気分でした。

10時にアナディさんのアパートに集合。ボンベイからプーナまで案内してくれたマナスイさん、地球再緑化機構のメンバーの1人、ナミートさんが運転する車で4人でまず向かったのは、HUD学園という学校でした。


私が滞在していた地域は、通りには人や車が多くて、建物もビッシリ立ち並んで、都会的な雰囲気(実際、プーナはインドの中では大きな都市です)なのですが、HUD学園は車で1時間も行かないところ(だったと思う…)だけど、周りは草や丈の低い木が少し生えているくらいの大地の中にポツンとあるような学校でした。

農業学校のような所なのかな?と思いましたが、5歳から15歳の子が通う、普通の学校だということでした。到着したときはちょうど授業中で、授業をちょっと拝見…と、窓越しに教室の方を見ると、子どもたちもインド人と日本人の一行が気になったらしく、みんなキョロキョロこちらを見てくる…。しかも、歩いて移動するとどの教室も同じようにこちらを見てくるので、好奇心旺盛な子たちやな~と内心面白がったり、授業のじゃまをして申し訳ないな~と思ったり…。


子ども達に植樹や、苗木の世話を指導していているナミートさんの案内で、学校の脇にある、小さな農園みたいなところを歩きました。

そこに植えられていたニームやマンゴー、アカシヤなど、乾燥地に強い木や、3年前から植樹をはじめて、今では数本の木が2~3mに育っていることなどを教えてもらいました。

農園の中を歩いているとき、腰の位置くらいで折られた木がありました。どういう理由かわかりませんが、とても痛々しく感じました。
アナディさんは「木が行き続けるためには、少なくとも人の背丈は残しておかないといけない」と話していました。
また、サイザル麻と呼ばれる植物が2000本ほど植えられていたそうですが、あるときほとんど盗まれてしまったそうで、インドではそんなことも珍しいことではないというのには、カルチャーショックを受けました。

農園は周りに比べて緑の種類も多いし、密度も濃いので、動物も住みやすいのでしょう、虫の声も聞こえました。

学校の敷地を一巡して、校舎の近くまで戻ってくると、ちょうど休憩時間に。子ども達が避難訓練のように一斉に校舎の中から駆け出してきて、「なんだなんだ?」と思っているうちに、私達は子ども達に取り囲まれてしまっていました。

私もドキドキ…、向こうもドキドキ…、何か話したいけど何て話しかけよう、言葉も通じないし…はじめはお互いそんな感じもありましたが、とてもフレンドリーな子ども達で、ナミートさんが現地語と英語で通訳してくれて、少しの時間でしたがおしゃべりすることができました。

「何しに来たのー?」「みんなが育ててる木を見せてもらいに来たよ」

「どこから来たの?」「日本よ。日本って知ってる?大きくなったら遊びに来てね」

「お父さんの名前はー?」(知ってどうするんだろ?(笑)…と思いつつ答えました)

最後にみんなで記念写真を撮って、握手して別れました。現地の子ども達の純粋さ、明るさに触れられて、インドの大切な思い出の一つになった出来事でした。

次に向かったのは、「アーユルヴェーダ大学病院」というところでした。ここは以前、大学病院側と話し合って木を植えたり、雨水の再利用、水の浄化などに取り組んだりしたそうです(http://eforest.org/project/ で紹介しています)が、何故かあるときから大学病院側が一方的に方針を変えてしまったようで、話し合いが行えない状態になっているということでした。むき出しの土砂の中に少し緑が見えるくらいの荒涼とした風景を目の前にして、インドでの緑化活動という現実の厳しさを改めて感じました。

最後に、「シバ財団」というインドの宗教財団の依頼で、財団が所有する約200haの広大な土地をこれから森に還そうという場所へ案内してもらいました。そこは、360度地平線が見渡せて(見える場所すべてが財団の土地ではないと思うけど)、赤茶けた岩のような土のような大地に、丈の低い草が生えていて、木は所々に生えているだけ…というような、サバンナのような場所でした。

ここが森になるのに、どれくらいの時間がかかるんだろう、と思ったけれど、その場でこれからの計画を話し合うアナディさん、ナミートさん、マナスイさんを見ていると、不思議とこの人たちならできそうだ…と思えてきました。

ちなみに、計画というのは、粘土団子といって、数種類の植物の種を中に入れた粘土を直径1.5cmくらいのボール状に丸めて地面に蒔き、気候条件など発芽の条件が合ったときに種が芽を出すという、手間もコストもできるだけ省いたシンプルな方法。粘土で種を包むのは、種が鳥や虫に食べられるのを防いだり、栄養分や水分をとりやすくする…など色んなメリットがあるからなんだそうです。

私も後日教えてもらいながら作ってみたんですが、とっても簡単!子どものころ、土でお団子を作って遊んだみたいに、粘土を少しのばしておいて、そこに種を置いて、あとは丸めるだけ。子どもからお年よりまで誰でもすぐに作れるんです。

そこには周りの土地よりも高い小山のような場所もあって、その山のあちこちから地下水がしみだしていて、陽の光を受けてキラキラしていました。この地面の中にもちゃんと水分があるんだ…意外な驚きでした。

アナディさんは、その小山の中腹に洞穴を掘って、そこにスタッフと番犬が常駐して、粘土団子を蒔いて、木の世話をするという将来図を語ってくれました。私は、いつかその場所が森になるのをどうしても見たい気がしてきたのでした。インドで、というか、今までの人生の中でも、忘れられない1日になりました。


インド旅行記[3日目]

2009-07-23 01:06:13 | Weblog
それでは、今日も旅の続きにいきたいと思います。
午前中は部屋用のサンダルを買いに、アパートから歩いて15分ほどの露店のサンダル屋さんへ。
(石のような材質の床で、カーペットなどをひいてないせいか、裸足でいると汚れがつきやすいし、冷たいので)
デザインも色も、けっこう可愛いのがたくさんあって迷いました。サンダル1つ買うのにそこまで悩まなくても…と自分でも思うくらい色々と試し履きして買ったのは、全体が麻のような素材で、周りとかかとの部分が薄紫色のサンダルでした。値段は日本円で300円ほど。けっこうしっかりしててこれからも重宝しそうです。

途中、これも露店の服屋さんで服を見ることに。店のお姉ちゃんがすかさず、「これはどう?」「これもいいでしょ?」って次々に色んなのを薦めてきて、自由に選ばせてくれないので、(買う気なくなるなぁ…)と思いつつも、何かインドっぽい服を買って帰りたいな~という思いもあって、その店で2着買いました。1つは紫色、もう1つは空を写したみたいな青と白の長袖。はじめ青と白の方は断ったんだけど、250ルピーを150ルピーにするから、と中ば無理やり一緒に袋に入れられたような感じでした。恐るべし、インドの商人…(ちなみに私が居た頃は、1ルピーは2.5円くらいだったから、その服はだいたい375円)

アパートに帰って昼食を作りました。前日スーパーで買った食材を使い、野菜とウィンナーの炒め物に、茹でたとうもろこし、それと味噌汁の3品。味噌汁の具は豆腐です。前回も書きましたが、インドにも味噌や豆腐があるのです!豆腐は日本のよりすこ~し酸っぱい気がしたけれど、味噌はまったく日本の味噌と同じ味。インドで日本の味が味わえるとは意外でした。

そうこうしているうちに、アナディさんが迎えに来てくれ、マッサージのお店へ案内してくれました。リキシャで5分も離れていないところでした。
マッサージを受けたお店は「ジャーマンベーカリー」と言うパン屋さん(名前からして美味しそうなんですが、ほんとに美味しかった!)のすぐ隣あたりのビルの4階くらいにありました。そのあたりは車や人通りが多い通り沿いにありましたが、階段を上りお店に着くと、町の喧騒がすごく下の方にあるように感じました。

さっそくいくつかある個室のうちの1つに案内されました。私が担当してもらったのはサジャンさんというインド人女性でした。彼女が「パンツ一枚になってベッドにうつぶせになって」と言うので、言われる通りにして(何が始まるんだろう~?)と思いながら少し待っていると、あたたかいオイルが首の近くにツーっと流れてきました。やさしい手つきで肩や背中にオイルを広げながら撫でてくれるうちに、気持ちが鎮まってリラックスしていくのを感じました。
なめらかだけど、力のこもった手の感触が腕や肩、背中、腰…と体全体に行き渡り、眠っていた細胞が目を覚ますような、そして、体の中で流れが滞っているところをスムーズに流してくれているような感じでした。
背中側がすべて終わると、今度は仰向けになって首のあたりからお腹にかけて、そして、また同じように手も足も全体をくまなくマッサージ。最後はまた別のオイルで頭皮を揉んでもらったり、髪を軽く引っ張って程よく刺激してもらったりして、終わる頃には、もう、なんだか自分の体が自分の体でないような不思議な気分でした。

マッサージが終わってからチャイを頂きながら、サジャンさんとアナディさんと3人でしばらく話をしました。
サジャンさんは私より5歳ほど年上だけど、とても可愛らしくて実際より若く見えました。
私自身や日本のことなどにとても興味を持っていて、自分のこともオープンに色々話してくれました。
彼女が私のことを「日本人にしてはよく日に焼けてるように思うけれど、どうして?」というので、「私はインド人と日本人のハーフなの」と冗談を言うと、「She is joking!!」といって思った以上に笑うので、(私が冗談言うのがそんなに意外なのかなぁ)と思いました。
私が出会ったインドの人達は英語が話せる人ばかりで、会話は英語だったのですが、やっぱり聞いて理解するにも話すにも、もっと集中力が持続できるようにならないと…と痛感。
帰りは20分ほどかけて歩いて帰りました。アナディさんも彼女のマッサージを受けたことがあるそうで、「彼女の腕はずば抜けてる」と絶賛していました。そんなにすごい人に、初めてのアーユルヴェーダマッサージを体験させてもらって、ほんとにラッキーだと思いました。まだアーユルヴェーダのイロハのイも分かっていませんが、精神面から健康になるという考え方に関心が持てるし、食事、行動パターン、感情など日常の生活スタイルを重視しているところが興味深いな、と思います。

部屋に戻ったら、まだ6時だったけれど、ベッドに横になると、もう立ち上がる気になれなくて、そのまま眠ってしまいました。(6時に寝るなんて、何年、いや何十年ぶり?)


今日の日記はここまでですが、11月末にムンバイで起きたテロのことで少し…
この旅行記の初めにも書きましたが、出発前にデリーでテロが起きた後、次はムンバイかも知れないという情報があると言われて、本当に行くかどうか迷いました。たまたまタイミングがずれて、何事もなく帰ってこうして日本で今までどおりの生活を送っていますが、教えてもらったとおり、インドは明日何が起きても不思議じゃないような国なのだと改めて思いました。日本にいると、明日もあさっても、その先もずっと変わらない日常が続いていくような気がしますが、それは当たり前のことなのではなくて、恵まれたことなんだと改めて気付かされます。そう思うと、1日1日生きていることに自然と感謝できます。

先日アナディさんと電話で話しました。プーナはテロの影響はあまりなく平穏な日々だそうで、お世話になった人達も変わりなく生活しているとのことで安心しました。
ただ、知り合いの方が、占拠されたホテルに閉じ込められていたそうで、今回の事件が、まったくの人事ではないという印象をさらに強くしました。

インド旅行記[2日目]

2009-07-23 01:01:28 | Weblog
9月20日(土)

午前中はとくに予定がなかったので、少しアパートの近くを散歩しました。インドに来て初めて1人で出歩いたので、少し緊張してました。自意識過剰かもしれないけれど、現地の人の視線が気になって、(なんか見られてる気がするなぁ…)と思いつつ、できるだけよそ見しないように黙々と歩いてました。

私がインドに行った頃は、雨季が完全には終わっていなくて、ノースメインロード(車がたくさん通る広い通り)でも、あちこちに池のような水たまりができていて、水たまりを避けようと思って車道のほうを歩いたら車にぶつかりそうになって(ほんまに容赦ないわー)、安全な場所を探りながら歩いていたから、すごく歩くスピードが遅くて、きっと地元の人が見たら、(なんちゅう歩き方してるねん…)って思われていたと思います。
途中でいきなり雨がザーザー降りになってきたので、食品や日用品などを売っているお店で傘を買いました。
(日本から傘は持って行ってたんですが、アパートに置き忘れてしまってました)
これというのがなかったのですが、雨がやむ気配もなく、派手だけど少しは日本で使う可能性のありそうな傘を買いました。(値段は300円くらいだったと思う。日本に帰ってからまだ使ってません…^^;)

午後は、アナディさん、アニーシャさん、セトゥさん、セトゥさんの彼女のニサルグさん(スペインの人です)がランチに招待してくれました。向かった先は、ル・メリディアンホテルというプーナで最上級のホテル。
ホテルまで約15分ほどリキシャ(プーナでの長距離移動はもっぱらこれのお世話になりました)のジェットコースターのような運転に揺られてやって来たので、キラキラ光る照明…大理石の床…、思わずため息をつきそうな優雅な館内に、一気に別世界に来た感じがしました。
レストランはバイキング形式で、パンやパスタやサラダなど、どれもこれも美味しくて(西洋風の料理が多かった)ほとんど全種類制覇してたと思います。
甘いものは別腹とは良く言ったもので、「ケーキも美味しいよ」というアニーシャさんの言葉に誘われて、次はデザートへ。言われるとおり5種類くらいケーキを食べましたがとても美味しくて、もうこれ以上入らないと思っていたのに、気がつけばお替りしていました。
さすがに最後は食べきれず、残りは紙ナプキンに包んで持ち帰ることに。ボーイさんは見て見ぬふりしてくれていたのでしょうが、少し恥ずかしさも感じつつ、次々に包んでいき、おみやげがいっぱいになっていくのを見て、みんなにだいぶ笑われましたが、その後数日、おなかがすいたときには良いおやつになりました。
ロビーのラウンジでコーヒーもごちそうになって、まったりとした雰囲気の中、しばらくおしゃべりを楽しみました。

その後、自炊用の食材を買うため、アニーシャさんにドラブジスーパーマーケットというスーパーへ連れて行ってもらいました。そこは、外国人のお客さんが多くて、外国製品がたくさん売っていました。インド料理の材料も売っていて、様々な種類の香辛料を見ているだけでも興味深かったです。
また、日本のわさびや醤油、みそ、豆腐まであって、みそと豆腐を買いました。豆腐は日本のより少し酸っぱく感じましたが、みそは日本のみそそのものでした。その他、スパゲティーと、スパゲティーソース、卵、カット野菜、チーズなどを買いました。
買い物の後、隣のフードコーナーで、「モモ」(写真)という中国風の肉まんのようなものが売ってて、とても美味しそうに見えたので、食べてみることに。モモ自体は美味しかったんですがソースが激辛で舌や唇がヒリヒリ…。
口直ししようと紅茶を頼んだら、今度はカキ氷の蜜になりそうなくらいの甘さ。「うわー、何だこれはー」と思わずストローから口を離してしまいました。
帰りに、なんだか色々食べ過ぎて便秘気味だとアニーシャさんに言ったら、夜アナディさんから電話がかかってきて「明日、体調ととのえるのに良いから、マッサージ受けたらどう?」とお誘いが。
(どんなマッサージなんだろう~?)インドといえば伝承医学・アーユルヴェーダ。名前だけは聞いたことがあったけど、もしかして本場インドでアーユルヴェーダを受けられるのかな…。
想像したらなんだか心地良くなって、この日は早くも8時頃には眠ってしまっていました。

インド旅行記[1日目]

2009-07-23 00:45:10 | Weblog
9月19日(金) 

前日の旅の疲れが出るかな~と思いきや、意外と元気に朝8時頃には目覚めて、洗濯したり、部屋にあったテレビを見たりして過ごしました。だいぶゆっくりできたので、朝11時頃、アナディさんに電話し、ホテルのロビーで待ち合わせすることに…。

電話やメールでのやりとりはあったものの、お会いしたことはなかったので、(実際会ってみたら、どんな人やろ…。想像してた人と全然ちがったらどうしよう…。)と、色んな想像を膨らませていました。昔雑誌とかで文通相手募集 のページを見たことがあって、私は募集も応募もしたことはなかったけれど、文通相手と初めて会うのってこんな感じなんだろうなぁ…とか思いながらしばらくすると、足音が近付いてくるのが聞こえて、なんだかちょっとドキドキしてきました。
立ち上がって玄関に近付くと、そこに現れたのは、長い髪をまとめ、長いひげのまるで仙人のような人…!!
写真で拝見していたので、すぐにアナディさんだと分かりました。日本ではまず見ない風貌のアナディさんに一瞬釘付けになってしまいましたが、「はじめまして」と言われたときの笑顔に、なんとなくホッとできるものを感じて、私も「はじめまして。よろしくお願いします!」とあいさつしました。

アナディさんのアパートを事務所代わりに使っているということでおじゃますることに。アパートはホテルと道をはさんですぐ向かいにありました。アニーシャさんというスタッフの日本人女性がいて、それから昨日空港へ迎えに来てくれていたマナスィさん、もう1人の日本人スタッフのセトゥさん(男性)も途中で来てくれました。
「よくインドまで来たねぇ」
「はい…一度現地を見てみたいと思いまして…」
日本でしていることを話したり、インドでの生活について教えてもらったりしながら夕方まで過ごしました。初めて出会ったばかりの人達なのになぜかそんな気がしなくて、アットホームな雰囲気を感じました。
9年インドに住んでいてるアニーシャさんは、年上ですが年齢が近くて、買い物に連れて行ってもらったり、色々話(人生相談!?)させてもらったりして“頼れる姉さん”という感じの人。関西出身ではないけれど、大阪に住んでいた期間が長かったそうでとっても流暢な関西弁。一緒にいると、ふるさと大阪に居るような感覚になりました。

セトゥさんは私がボンベイからプーナへ安全に来れるように急遽タクシーを手配して下さり、ホテルより安いからと、短期間でも滞在できる知り合いのアパートを紹介してくれたり、滞在中に使えるようにと携帯電話屋さんや、両替屋さんに連れていってくれたり、常に頼りにさせてもらってました。

マナスィさんも雨の中、インド国内線の飛行機のキャンセル料について問合せに行ってくれて初日から皆さんにはお世話になりっぱなりでした。

私が滞在したのは、もともとインドのお金持ちの別荘が多くあったコレガオンパークという地域で、大きくてきれいな家やマンションをよく見かけました。通りの両脇や庭には木々がたくさん植えられ、外は暑くても木の下にいるとけっこう涼しく感じました。町には北側の大通り(ノースメインロード)、南側の大通り(サウスメインロード)が走っていて、その2本をレーン1~7(数は記憶が正しければ…です)いう名前の道が結んでいます。

夕方セトゥさんが連れて行ってくれたアパートは、ノースメインロードから少し入った「パラダイスアパートメント」というアパートでした。部屋は2階にあり、玄関をあけると、そこは一面ピンク色の空間で、まるでお姫様になったような(似合わへんって!?)気分!リビングルームのような感じで、奥には3つ小部屋があって、その1つを借りました。もう1つの部屋はインド人男性と日本人女性のカップルが住んでいました。男性はシタール奏者で、朝となく夜となくシタールの神秘的な音色が聞こえてきました。今でもあのアパートのことを思い出すと、音色が聞こえるような気がします。

アパートにはキッチンもあり、好きなものを料理して食べられるのが良かったです。夜はセトゥさんと、アパートから歩いて数分のところにあるプレナムレストランというインド料理のレストランへ食事に行きました。
この日もカレーに挑戦!数種類の野菜が入ったカレーや、チキン入りカレーなどを注文し、ナンやロティ(ナンより薄め)に付けて食べました。前日に食べたカレーは辛かったんですが、このレストランのカレーはあまり辛くなく、色んな香辛料(ハーブも?)の味が絡み合って独特の風味を生んでるな~、インドには色んなカレーがあるんやなぁと、感心しながらじっくり味わいました。チーズを揚げた料理もあり、これまた美味しかったです。
(前回の日記で味の説明をもっと詳しく…って言われたけれど、今回もあまり詳しく書けません…ごめんなさい!美味しいとそれだけで満足してしまうので…)


インド2日目は、素敵な出会いがたくさんあった1日でした。(本当にインドに来て、少しずつ色んなこと経験してるんやなぁ…なんだか現実じゃないみたい…)半分、夢見ごこちでアパートに帰りました。