岡城を後にして向かった先は、

原尻の滝である。
《幅120m、落差20mを誇り、東洋のナイアガラと称される》
そう誇らしげに書かれている。

「ナイアガラ?それはどうかなあ。」
などと、異論を差し挟むのは無粋と言うものだ。
「ほほう」と素直に頷こう。

東洋のナイアガラは、滝の上を歩いて渡れたりする。
まことに親切なナイアガラなのだ。

さて、ここが目的の場所かというと、無論そうではない。
腹が減って堪らないので、隣接する道の駅で食事をしようと立ち寄ったのだ。

「お待たせしました。親子丼です。」
ウヒヒ。
親子丼、久しぶりだぜ。

ナントカ地鶏の親子丼、美味し。
東洋のナイアガラから、30分程車を走らせた山中に、私達の目指す所はある。

ここだ。
遊歩道脇に並ぶ、歴史を感じさせる石造りの分水器。
前方には滝が見える。

そして、遊歩道の下にあるのは・・・
発電所の跡である。

轟々と瀑声を上げる沈堕(ちんだ)の滝。
何故か、原尻の滝の『東洋のナイアガラ』に比して、
この滝は『大野のナイアガラ』と称するらしい。
水量で言えば遙かにこちらが上と思うのだが、何とも不条理な差の付けられようだ。
因みに、この滝を雪舟が描いている。
水墨画の名は『鎮田瀑図』 。
何故後年になって、『鎮田』を『沈堕』という悪字に変えられたのか?
別称といい悪字といい、どうにも気の毒である。

ただひとつ、強烈な違和感がある。
それは、滝のすぐ上に堰が設けられている点だ。
実はこれが、廃墟となった発電所の、発電の源だったのだ。
説明書きによると、
この堰により水嵩を上げられた滝の上流の水が、

この水路を通り運ばれ、

先ほどの石造りの分水器から、発電所内に流れ落ちる仕組みだったようだ。

中に入ってみよう。

崩れ落ちた天井。
蔦が絡まるコンクリート壁。
剥き出しの床には、大きな穴が三つ。
廃墟感が半端ない。

最奥部から。
前方に、沈堕の滝が見える。

この三つの穴から流れ落ちた水が、

ここに設置されていた発電機を回したらしい。

明治42年に発電開始。

発電された電気は、大分~別府間の路面電車に送られ、日本の近代化に役立てられ・・・云々
そう書かれている。


滝壷近くに、岡藩の『滝落としの刑場跡』があるらしい。
もしかしてこれが、鎮田→沈堕の由来?
ただ、どこにあるのか、どうにも良く分らない。
まあ、滝落としの刑の場所捜しは止めとくか。
ただでさえ、お化けが出そうだし。