関ケ原の合戦後、その功績により田中吉政に筑後一国、三十二万石が与えられた。
その後、田中家は二代で改易となり、久留米藩と柳川藩に分割され、それぞれ有馬豊氏と立花宗茂が初代藩主となる。
ところで、この田中吉政はなかなかの名君だったようで、有明海の埋め立て事業や筑後川の治水工事など、数々のインフラ整備を行った。
その吉政の遺産の一つが、久留米から柳川に伸びる街道『柳川往還』である。
旧久留米市図書館跡近辺が久留米側の起点だ。
左の道路と、石畳の角度が微妙にずれている。
これが現在僅かに残る、往時の柳川往還跡である。
今日は、この起点から柳川往還を辿ってみよう。
県道23号。
通称『柳川県道』
柳川往還と呼ばれていた名残が、いまだに息づいている。
御塚、権現塚古墳通過。
大善寺玉垂宮通過。
知り合いの整骨院前通過。
通過
通過
つーか、
やっぱ、
ストーーップ!!
先日の足首の捻挫もあるし、柳川往還は急遽中止。
揉んで貰おっと
冒頭、
柳川往還について、あれほど語っておいて、何たるいい加減なヤツだ!
と、舌打ちがあちこちから聞こえてくるが、生来私はこういうヤツなのである。
私の辞書には『初志貫徹』という熟語など、どこにもない。
『方針変更』こそ、私の真骨頂なのだ。
「おう、ちょいと揉んでくんな。」
「はーい。そこにうつ伏せになって下さい。」
足首を痛めた事を告げた。
「まだ腫れてるし、熱がありますね。針を埋め込んだ絆創膏を張っておきましょう。」
足首を優しくマッサージしてもらった後は、全身を揉みほぐしだ。
モミモミ
グイグイ
あー、気持ちええー。
揉み解しが終わると、エアー圧を微妙に変化させて、両足をプシュー。
これが、気持ちいいのなんのって。
汚いふくらはぎをお見せして恐縮だが、次は、肩と腰と右足首に低周波治療器を押し当てる。
グムム
そして最後はウオーターベッド。
100本の指で指圧を受けているような絶妙な水圧がかかるのだ。
まったり。。。。
一時間前の意欲など、どこを探しても無くなってしまった私であった。