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ダグラス・ハーディングとvijñāna bhairava

2022-01-05 03:39:00 | 日記
カシュミール・シャイヴィズム[カシミール・シヴァ派]に興味を持って調べていると、昔買ったOshoの『タントラ秘法の書』で解説しているヴィギャン・バイラヴ・タントラ[vijñāna bhairava]がまさにカシュミール・シャイヴィズムの重要な文献であることに気付きました。

なにかいい解説書がないか調べていると、Swami Shankarananda, “Consciousness is Everything”の抜粋が目に入りました。 見てみるとダグラス・ハーディングについて何か書いています。

「もしダグラス・ハーディングがシヴァ派のテキストのVijnanabhairavaを見ていたなら、瞑想法62を見つけたことだろう」と書いてあります。スートラ85にそれはありました。
लीनं मूर्ध्नि वियत्सर्वं भैरवत्वेन भावयेत्।
तत्सर्वं भैरवाकारतेजस्तत्त्वं समाविशेत्॥ ८५॥
līnaṁ mūrdhni viyat sarvaṁ bhairavatvena bhāvayet |
tat sarvaṁ bhairavākāratejastattvaṁ samāviśet || 85 ||

英訳はJaideva Singh の訳文が引用されていました。

The yogi should contemplate the entire open space (or sky) under the form of the essence of Bhairava and as dissolved in his head. Then the entire universe will be absorbed in the light of Bhairava.

 「バイラヴァ[純粋意識]の本質の顕現である空全体を頭の中に溶け込ませて観照しなさい。全宇宙はバイラヴァの光の中に吸収されるだろう」

これはまさにダグラス・ハーディングの方法そのものですね。

プラーナ球?

2022-01-05 02:39:00 | 日記
青空を見るとモゾモゾ何やら動いているものがたくさん見えます。
あれがプラーナと呼ばれるものなのか、何なんだろうとずっと疑問に思っていました。
クリヤヨガを伝授してくれた師もこれをプラーナと言っていたようですし、成瀬雅春師もそのようです。
「根源的な生命エネルギーの『プラーナ』は神智学によれば、光と熱とは全く異なった別のものであるが、物質階層に出現するには太陽光線に依存しなければならない、とされています。」
成瀬雅春『悟りのプロセス』159頁
そこに引用されている『神智学大要』からも孫引きしておきましょう。
「これらの小微球は光り輝きながら大気の中を無数に活発に動いているので、特に天気の良い日など、その積りになれば、誰にでも見られる。太陽の方には向かずに、晴れ上がった空を背景にして5、6フィート前方に目の焦点を合わせると、一番良く見える。それは光り輝いてはいるが、無色なので白光に近い。」

どこで読んだか忘れましたが、ある人が飛行機に乗ったときに窓から外を見ていて、この光り輝く小微球に気づき、外に存在するように見えるけれども手を目の前に持って来ると、手前に見えるので外に実在するものではないと思った話を見かけたこともあります。

これが一体何なのか、ずっと疑問でしたがTED-Edにその正体を明らかにしたものがありました。

What are those floaty things in your eye? - Michael Mauser

日本語字幕も付いているので字幕表示して見てください。

ヨーガ行者の直感も当てにならないことがよく分かります。

黄檗でシンクロ

2022-01-05 01:07:00 | 日記
David R. Hawkins の “Truth vs Falsehood” を見るといろんなことをキネシオロジーで1~1000のスケールで測定した結果が掲載されています。そのなかにSpiritual Teacher という項目があって宗教家等の精神レベルの測定結果が一覧表になっているのですが、その中でHuang Po という中国人ぽい名前の人がダントツで高い数値を出していました。けれどもまったく心当たりがありません。孔子や老子よりもはるかに高いポイントが出ているのに。

調べてみると黄檗でした。臨済ならたくさん解説書・研究書等あるけど黄檗だと語録の『伝心法要』が宇井伯壽訳と入矢義高訳の二つあるだけでどちらも絶版です。英訳になると John Eaton Calthorpe Blofeld, “The Zen Teaching of Huang Po: On the Transmission of Mind” が安く手に入るようです。中国の古典を英訳で読むとまた違った味わいがあるのでちょっと欲しいなと思いながらそのままにしていたのですが…

ある日 Frank J. Kinslow, “Beyond Happiness” を見ていると無限の空間を発見する方法がありました。やり方は簡単で、両手を前に伸ばして30センチくらいの間隔をあけて手のひらを向い合せにすると、両手で制限された空間ができます。その空間に意識を集中させながら次第にその間隔を保ったまま顔に近づけます。最後には顔の横を通って、その時何を感じましたかとくるのですが、さっぱり分かりません。

この方法はDouglas Harding, “Look for Yourself” から借りてきたものだと書いてあるのでDouglas Harding の本をチェックしたりネットをさまよっていると、“The Headless Way” のホームページhttp://www.headless.org/english-welcome.htm
やその日本語版の“The Headless Way - 頭がない方法”
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/index.html
を見つけました。そして日本語字幕の付いたYouTube の “FacelessJapanFilms”を見て、いや驚きました。こんな方法があるのかと。

私たちの本質とは何か? 1A
私たちの本質とは何か? 1B

(直指人心ですね、このシリーズは4Bまであります)

早速図書館で “On Having No Head: Zen and the Rediscovery of the Obvious” の邦訳『心眼を得る』由布翔子訳を借りて読みました。先にダグラス・ハーディング考案の実験を済ませていたので衝撃は少なかったですが、その分言いたいことがよくわかりました。

最後にヒューストン・スミスの解説がありました。最近は手を抜いた翻訳をよく見かけますが、原著の解説まできちんと翻訳していて親切です。
「今回の改訂版の紹介に当たっては、本書の初版がいかにして私の手元に転がり込んだか、そのいきさつを語るのが一番かと思う。
あれは一九六一年のことだった。私はオーストラリアの大学で講義を終えて帰国する途中バンコクに寄って、ジョン・ブロヘルドと彼が最近訳した黄檗と慧海の禅語録について議論をかわすことになっていた。会話が軌道にのって程なく私が持ち出した諸問題について参照するために、彼は籐のテーブルの上の前の週思いがけず送られてきたという小冊子に手をのばした。それがいま私の手元にあるこの本だったのである。彼が問題に答えるのにそれをどう利用したかは覚えていないが、彼のこの本そのものへの熱い思いだけははっきり記憶にのこっている。『このハーディングなる男は何者なのかまったく知らない』と彼はいった。『ロンドンで私の知人たちのためにタクシーの運転手をしているのかもしれない。だが彼は実によくわかっている』」
ジョン・ブロヘルドってJohn Eaton Calthorpe Blofeld だよね。う~ん、こっちに進めってことかな?!

黄檗の語録『伝心法要』は宇井伯壽訳註の岩波文庫か入矢義高訳注の『禅の語録』第八巻、または入矢訳が筑摩書房の世界古典文学全集36Aの『禅家語録I』に収録されているのでそれを求めるしかありません。いずれも絶版で図書館で岩波と世界古典文学全集を借りてみました。宇井訳は訳といっても読み下し文なのでちょっと読みこなせません。ただし註が詳細なので読めなくても利用価値はあります。たとえばテキストに見今とあるのを現今の意であるなど原文を注意深く読みたい人には必要でしょう。入矢訳は漢文・読み下し文・現代語訳になっているのでスラスラ読めます。古い訓読の誤りも修正してあるそうです。

ちなみに黄檗のポイントは960。これがどれだけ高い数値か他の人と比べてみると…
ラメッシ・バルセカール 760
ラマナ・マハルシ 720
ニサルガダッタ・マハラジ 720
パタンジャリ 715
アディ・シャンカラ 710
ラーマクリシュナ 620
ヴィヴェーカーナンダ 610
ヨガナンダ 540
シュリ・ユクテスワ 535

キリスト教系の神秘主義者で見ると
アヴィラの聖テレサ 715
マイスター・エックハルト 705
マグデブルクのメヒティルド 640
タウラー 640
十字架の聖ヨハネ 605
ピオ神父 585
聖アウグスティヌス 550

ちなみに日本人では
道元 740
鈴木老師[たぶん大拙でなく、Shunryu Suzuki 鈴木俊隆 1904–1971] 565

また別に Avatars and Great Spiritual Teachers という項目があり、
イエス・キリスト 1000
ブッダ 1000
クリシュナ 1000
ゾロアスター 1000
十二使徒 980
神の名としてのオーム 975
洗礼者ヨハネ 930
モーゼ 910
アブラハム 850
聖パウロ 745
モハメッド(コーラン口述時) 700、(38歳)130。 
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mixiで2011.8.29に公開したものを手直ししました。
今だと興味ある方にはハーディングのコミック伝記『頭がない男 ダグラス・ハーディングの人生と哲学』をお勧めします。



エスタニスラウ神父伝記拾い読み1

2022-01-05 00:14:29 | エスタニスラウ神父

Pare Estanislau Maria Llopart
El monjo, l’ermità

Marcel Capellades Ràfols著より
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1972年の1月と2月に隠遁者は二人の意義深い訪問を受けました。
一人はテゼ共同体のブラザー・ロジェです。私は日曜日を何人かの修道者のブラザーと一緒にモンセラートで過ごしていました。次の日の朝、彼が隠遁者を訪ねて登ってきました。共同体の修道会でのミサで聖体拝領することが出来なかったブラザー・ロジェは、(彼もテゼもまだ思い切った行動を起こしていませんでした)、教会の分裂についての懸念を表明しました。
「あなたははすでに教会の一致がなされたと信じていないのですか?」隠遁者は彼に尋ねました。
「信じています」、ブラザー・ロジェは彼に答えました、「しかしそれでも苦難が?」

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最後のところよく分かりません。

ブラザー・ロジェはプロテスタント、第二次世界大戦の只中、せめてクリスチャンだけでも教派の垣根を越えた和解が出来ないものか探求し、母の出身地フランス・ブルゴーニュ地方のテゼで1940年から一人で祈りと労働の生活を始めた。次第にそのビジョンに共鳴する若者が集まり、いずれの教派からも独立した修道会として1949年に正式に発足。カトリックの聖体拝領をプロテスタントは受けることが出来ないが、後にテゼ共同体の中でカトリックに改心することなく、カトリックのミサで聖体拝領を受けられるようになったことに関する対話と思われる。
ブラザー・ロジェは、2005年4月の教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀ミサで、司式したヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿から聖体を受けたため、カトリックの間で議論を引き起こし、同年8月16日テゼの夕べの祈りの会で、テゼを訪問中であった精神を患う女性に刺され数分後に死亡しました。

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元はmixiの日記で書いたものです。

この本はスペイン語かなと思って取り寄せたらカタロニア語でした。Google翻訳で英訳して読んでます。保江邦夫さんで有名になったエスタニスラウ神父ですが、伝記を読むと子供の頃から日本の事を知っており、「ハポンに行け」とイエス様に言われて、ハポンが何処に在るのか知らなかった無知な修道士という保江さんの話と食い違っていて、そこから探求が始まりました。