Nothing is Everything!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

エスタニスラウ神父伝記拾い読み5

2022-01-09 18:05:00 | 日記
修道院でのエスタニスラウ神父の生活のリズムは非常に厳格なものでした。腎不全のために重病になるまで彼の健康は悪化しました。医者は完全に萎縮した腎臓を取り除くために手術することに決めました。しかし、執刀医はエスタニスラウ神父がその手術に耐えられないと確信し、彼に知らせました。彼の死の時が来ました。それにもかかわらず、手術することが決定されました。修道院長エスカレと何人かの修道士は別れを告げるためにバルセロナの病院に行きました。 
「さようならエスタニスラウ神父。天国へ!」修道院長は言いました。 
「いいえ、師父なる修道院長、私はまず隠遁者にならなければなりません」と彼は答えました。 
修道士の死に備えて祈りが捧げられ、エスタニスラウ神父は全く寛いでいました。さて、看護師が担架で彼を運ぶために来たとき、エスタニスラウ神父が自分で身を起こしたので、彼が手術を受けるのに最も深刻な状態の患者であるとは信じられませんでした。担架の上でさえもそうだったのです。 看護師は患者を間違っていないか確認しなければなりませんでした。 
彼は手術室に入り、麻酔科医は彼に次のように説明しました。
「少し注射します。すると、口の中が苦くなり、ピンク色になり、手術から目覚めるまで何も感じなくなります。では、私にあなたの腕をください。」
 「どうぞ、それはあなたのものです」とエスタニスラウ神父は答えました。 
「麻酔科医が言ったようにすべてが進みました」とエスタニスラウ神父は私に説明しました。「しかし、ピンク色は白くなりました。それからトンネルに入ると、電車の警笛が鋭くなりました。トンネルの終わりに、私は自分が底なしの深淵に突っ込んでいるのを感じました、そして私は無限のめまいを感じました。しかし、それから大きな沈黙があり、私は無限の平和を経験しました。白光が黄金になりました。私は純粋に幸せでした。」 
この意識状態は、手術中持続しました。彼らはエスタニスラウ神父を彼の部屋に戻し、神父は目覚めたとき、彼らが自分にこう言うのを聞きました。
「エスタニスラウ神父、動かないでください、それは非常に危険です!」
それは彼が現実に戻るために、できる限り動いたためでした。
「そうしなかったら、私はその状態から抜け出せなかったでしょう。できる限りの努力をしたので、それは私のパジャマが汗浸しになるほど、負担がかかりました。」 
これは死でしょうか?死とは何でしょうか?エスタニスラウ神父は本当に死んだのでしょうか?現実は彼がモンセラートに戻ったということです。腎臓が取り除かれました。これから、彼は残りの人生を一つの腎臓で生きます。彼は45歳でした。一旦回復すると、彼は徐々に通常の修道院生活を再開しました。 1961年4月のある日、修道院長エスカレはエスタニスラウ神父の部屋に入りました。彼はタイプライターの前にいて、修道士の博士論文をレビューしていました。 
「エスタニスラウ神父」と修道院長は言いました、「少し休息したい場合は、聖なる洞窟[Santa Cova]に行ってしばらく休むことを許可します。 エスタニスラウ神父は黙っていました。彼はすぐにすべてを残して洞窟に行きました。夕方、修道院長はこれを修道士たちに伝え、「心配しないように。3日後には耐えられず、またここに来るでしょう」と言いました。しかし、エスタニスラウ神父は戻って来ませんでした。それは1961年5月1日、モンセラートでの彼の隠修生活の始まりでした。 

Pare Estanislau Maria Llopart 
El monjo, l’ermità 
MARCEL CAPELLADES RÀFOLS 
Publicacions de l’Abadia de Montserrat 

"第8章 死の扉で" より

------ 
エスタニスラウ神父と共に来日されたミリアムさんによると、最初に隠修生活を修道院長に申し出たとき断られたそうですが、神父様は修道院長に「あなたの方から私に隠修生活をするようにお願いするときが来るでしょう」と言い、それを聞いた修道院長は笑って「それはないよ」と言ったそうです。(記憶に基づいて書いているので若干違うかもしれません) 
ミリアムさんの作成した略歴によると腎臓の手術は1961年2月7日、隠遁生活の許可を得たのはここでは「1961年4月のある日」とありますが、略歴に1961年4月27日と記されています。 

エスタニスラウ神父伝記拾い読み4

2022-01-09 17:43:35 | 日記
Cant al Crist Llum
光なるキリストに捧げる歌

Desvetlla't, tu que dorms,
aixeca't d'entre els morts,
i sobre tu el Crist resplendirà,
i tu tocaràs el Crist i el Crist et tocarà.
目覚めよ、眠れる者よ。
死者のなかから、立ち上がれ。
そしてキリストが汝を照し、
汝はキリストに触れ、キリストは汝に触れるだろう。

Ell, aquest Sol de la Resurrecció, 
engendrat abans de l’aurora
i que ha donat la vida amb els seus raigs, 
Ell, el Crist, t’il·luminarà.
彼こそ、復活の太陽、
黎明に先立って生まれた者、
その光条で命を与えた、
彼こそ、キリスト、汝を照らさん。

OM! L’Esplendor del Pare,
l’objecte suprem dels nostres desigs! 
Meditem el seu misteri diví,
que ell inspiri tots els nostres pensaments!
オーン! 御父の輝きよ。
我らの望む至高のもの!
彼の神聖なる神秘を瞑想せよ。
彼は我らの思い全てに霊を吹き込むだろう。

Llum del matí que veiem, 
fruit de la Llum primordial
que brilla més enllà del firmament, 
que penetra la tenebra!
我らが見た夜明けの光、
そは至高の光から生まれた者、
天空を超えて輝きわたり、
闇を貫く。

Tot contemplant aquesta Llum Altíssima, 
aconsegueix la Llum suprema!
Endut pel seu Esperit, guaita-la Yuhashiro, 
que nosaltres ja la contemplem!
この最も高き光を見て、至高の光を得よ。
彼の霊に奪われて[我を忘却して?]、この光を見なさい、ユハシロー、
我らはすでにそれを見た。

OM! Crist-Sol, escampa els teus raigs, 
aplega’ls damunt els teus servents,
que vegem de Tu la forma més bella! 
Tu que ens el reveles, Imatge del Pare, 
El Veritable!
オーン! キリストなる太陽よ、汝の光をふり注ぎ、
汝の僕[しもべ]達の上にその光を集め給え、
汝の姿をより美しく見られるように。
我らに啓示したもうた汝こそ、御父の似像、真理なり!

----
五島列島で出会った隠れキリシタンの青年?に請われて洗礼を授けた時に唱えた詩、祈りです。Yuhashiroはその方の名前だと思います。ユウジロウがなまったのでしょうか?キリスト教の枠組みにとらわれない、普遍的な信仰がうかがえる美しい祈りです。エペソ人への手紙5,14、アレクサンドリアのクレメンス、リグ・ヴェーダ3 62, 10(ガーヤットリー・マントラの部分)、サーマ・ヴェーダ、イーシャ・ウパニシャッドに基づいています。

エスタニスラウ神父伝記拾い読み3

2022-01-09 13:35:00 | 日記
聖十字架の庵に住んでいたとき、エスタニスラウ神父は「森の光」と呼ばれていた人を紹介されて知り合いになりました。
彼は小柄ですが、魂は偉大で、人のオーラを見ることができました。
神父様と最初に出会ったとき、彼はこう言いました。
「兄弟よ、なんて素晴らしいんでしょう!」
二人はいい友達になりました。
そのときまで神父様はまだ髭を生やしておらず、髪も伸ばしていませんでした。
神父様に「善なる神の創造されたままにするように」と説得したのは彼でした。
そこに果樹をもたらし、自分で働いて食べるための小さな畑を持つように勧めたのも彼でした。
それから神父様は常に庵の畑を耕していくつかの野菜を育てるようになりました。そして多くの花も!
ある日一人の修道士が「どうやってこんなに多くの花々を維持しているのですか?」と訊くと、「私はそれらを愛しているのです」とだけ隠遁者はお答えになりました。

「森の光」について話すとき、思い返すのも喜ばしい、美しい話があります。
1972年の夏、聖十字架の庵に最後に訪ねてきてお別れのとき、「森の光」はとても悲しくなって、こう言いました。
「世界に偉大な教師は一人もいません。ええ、そうです。隠遁者の兄弟よ。イエスの後には彼のように偉大な人は誰も来ませんでした。」
隠遁者は厭世的な雰囲気を変えようとして、こう答えました。
「イエスの後、彼よりも大きい人は来ることができませんでした。なぜなら彼は最も偉大な人だからです。」
「森の光」は驚いたように彼を見ました。そして隠遁者は続けて何気なく[無邪気に]言いました。
「私たちはみなイエスなのです。」
「それは私も?」
彼は森の光に答えました。
「もちろん、あなたも!」
すると「森の光」は飛び跳ね、走り出しました。喜びに満ちて、「私はイエス、私はイエス、私はイエス」と叫びながら。そして道をはるか遠くまで止まることなく走ってゆきました。なんと美しい別れなのでしょうか。