(炁楽仙女さんが道院の秘経である鎮心経の解読本を出された頃の日記の転載です。読み返してみてあれからもう七年過ぎたとは信じられない気持ちがします。)
鬼雷さんの鎮心経の話に触発されてWeb探索しましたが、さすがに何の情報も出てきません。
その途中で笹目秀和さんのことについて書いてあるブログに行き当たり、見ていると作家の芹沢光治良さんに会った話があるのに気付きました。
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http://blog.livedoor.jp/lrf6662/archives/39540002.html
「気マガジン」という気功雑誌編集長と副編。
小生と井上球二先生の四人で芹沢光治良翁と対談いたしました。
その時、突然、芹沢翁がせき込んだ。
そして翁は私に「あなたのセキをうけました」と申されました。
そして、「神様があなたのノドを治したよ」とおっしゃいました。
私は何を先生がおっしゃっているのか、一瞬判断に躊躇しました。
私はその頃、郭良気功大師の元に外気治療を受けに、静岡より東京に通っていた。
私は芹沢翁も少しボケたのかなと思った。
手の平療治にしろ、気功治療にしろ、手の平より気を発して治療をするのに、手も使わず、
ただひとこと「神様があなたのノドを治しましたよ」のひとことであった。
そのひとことで、積年の私のへんとうせんは治っていたのである!!
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芹沢光治良は『神の微笑』で知り、これに続く神シリーズが発刊されるたびに夢中になって読んだものでした。高齢になって天理教の教祖と対話したり、庭木と会話する小説を出したので、昔からのファンの人は大変驚いたことであろうと思います。
http://tenmax.sakura.ne.jp/cid21772/2013/03/09/神と話した作家「芹沢光治良」-3-うそと言う名の/
ここに泰山木との対話の始まりの件がありますが、いま読み返しても涙が零れそうになります。
芹沢光治良の名前を見て、彼が道院と繋がっていたことを思い出しました。自伝的小説『人間の運命』に道名を授かった経緯が記されていたのです。どこにあったか調べてみると第十二巻「暗い日々」でした。芹沢光治良は森次郎の名前で登場します。以下引用して見ます。
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次郎がこの紅卍字会の運動を知ったのは、一郎と北京へ行った時だった。
或る日、日本大使館の林一等書記官が一郎と次郎に会いたいという、同盟の記者に言伝があって、一等書記官を大使館に訪ねると、北京の紅卍字会が一週間も前から二人を探していたとのことであった。道院のフウチに「森一郎こと真一と森次郎こと映光が、北京に到着するが、この日本の兄弟は、天帝から真一、映光という道名を授けられたとおり、道士であるばかりでなく、平和の使者であるから、歓待し、あらゆる便宜をはかるように」というようなことが出たが、北京の紅卍字会のなかには、森兄弟を知る人がないからとて、林書記官に連絡があったとのことだった。
(中略 翌日道院訪問の場面に移ります)
これがフウチかと、次郎は好奇心で全身をこわばらせながら、注意を集中した。しばらくして、二人の道士の持った棒が突然そのリズミカルな動揺をとめた。すると、卓子の漢字を書きとどめていた道士の横にかけた道士が、それまで書かれた漢字を文章にして、これまた朗々と読み上げた。しかし、次郎は意味がわからなかった。林書記官が低い声で通訳した。
「天帝老祖はみなが真一、映光をここに歓迎したことを嘉する。真一、映光の道友は天帝老祖が地上に送った平和の使者にして、この二道友が東方日本国より来たるは、この地に和平の来たる証として、みなも喜び祝すべし――と、まあこんな意味です」
「天帝老祖というのは、天帝と老祖ということですか」
「いいえ、機嫌のいい時は天帝老祖と自ら名のるらしいですよ」
そう話しているうちに、砂の上に赤い毛氈がしかれて、その上に白紙がのべられた。そして、二人の道士が両方から持った棒の中央に、棒の代りに太い毛筆をつないで、たっぷり墨汁をふくませてから、二人の道士はフウチの場合のとおりに、棒の両方のはしを持って、目を閉じた。壁にそって立った数人の道士が、再び音楽的な斉唱をはじめたが、二分もたたないで、棒はするすると左右に動き出して、棒の中央にさがった毛筆が、白紙の上に一気に黒々と達筆に書きあげた。とたんに斉唱はたえたが、全道士が等しく歓声をあげた。
「天帝の書です。めったに天帝の書は授からないので、みな歓喜しているのですよ」
そう林書記官が次郎たちに話した。道士たちが三人の日本人に感謝の言葉を浴びせている間に、天帝の書が壁にはられた。余りにみごとで、達筆の余り、次郎は読めなかった。
「遥かなる東方より陽光そそぎ、雪霜徐々にとけて、春光地にみつれば、万邦善隣の喜びを寿ぐべし――とでも読むのでしょうか」と林書記官が代って読んで聞かせた。
次郎はその意味よりも、その書が、壁にはられた他の書と、その筆蹟、運筆の妙等、すべて同一で同一人によって書かれたようなのに注意を惹かれたが、林書記官は、他の道院で書かれた天帝の書もみな同一筆蹟であるから、天帝が唯一の創造神であることが信じられると、話した。
次郎たちは院長や道士たちに送られて講堂を出たが、広い庭で、道士たちは幾度も次郎たちに握手して、再会を約束させては、別れをおしんだ。今日のフウチと書は、直ちに本部に通知するから、次郎たちが支那旅行中、何れの都市の道院も道士も、兄弟として迎えるので、遠慮なくわが家のように訪ねるようにと、最後に念を押して、門まで送って来た。
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そういえば私も昔炁胞牌(漢字が合っているか分かりません)というのを求めて、そのとき申し込んだ人は笹目仙人が天帝に報告の祈祷?をしてくれるということだったのですが、ひょっとして本当に通じていたのかしらと思う今日この頃です。