意識することや、無意識でいるということを
普段考えて生活している人はいないと思いますが
実はここに、とても重要なことが隠れています。
まず無意識でいるというのは、どういう状態を言うか。
瞑想しているときや、座禅を組んでいるとき
というように考えがちかもしれませんが
私の場合は、皿洗いをしている時が
一番無意識でいられるかなぁと思っています。
皿洗いは、手順は体が覚えているので
動作そのものに意識がいきません。
つまり、皿洗いについては、考えてない。
だからか、皿洗いをやっているときには
閃きが多く、気持ちも落ち着いてることが多い。
雑念がなく、心も楽だから、閃きも増えるのだろうと思います。
ブログのネタもたくさん浮かんでくるが、
皿洗いを終えた途端消えるという
なぜなら、いきなり考え始めてしまい、無意識じゃなくなるから。
こんな風に頭で色々考えて、意識が優位になっているときは
雑念も多く、不安が湧いてきて不快な時が多い。
負のスパイラルにはまっている人は
頭がたくさんのことを考え続けてしまうので
脳も疲弊し、とてもつらいだろうと思います。
こうしてみると・・・・
「考えない」ということの凄さがわかります。
じゃあなぜ、考えてしまう(意識する)のか。考えることによって
どうにかしなきゃいけないと
追い込まれているから
だから考えないと、不安が広がって
もっと考えなきゃと自己暗示をかけてしまう。
でも本当にそうなのでしょうか。
考えれば、何とかなるのでしょうか。
人間関係において、人に対して感じることは
全て自分の主観であり、真実かどうか定かではありません。
人から何か言われるとき、悪意に感じることが多いかもしれないが
相手を思った嘘のときもある。
そう考えていくと、実はどういう意図で言ったのか
言った本人しか、真意はわからないなと思うのです。
仮に説明されたって、100%理解できるとも思えません。。。
そう考えていくと、理解するしないではなく
人の気持ちは永遠にわからないのだな~と思ってしまうんですね~。
自分の主観が全てを決めているだけで
その主観が決めたことが真実ではないのですよ。
友達が、職場の同僚が、自分を嫌っている??
そういう風に思うことがあったとしても、真実とは言えない。
単に勘違いや、意見の相違かもしれないわけで。
それをストレートに言われただけかもしれない。
でも自分の主観は、悪く解釈することが多いように思うのです。
こうなると、自分の意識が暴走し始める。
そのことについて、あれこれ考え始め
答えの出ないループにはまっていく。
○○なんじゃないか
▲▲なんじゃないか
仮に相手に直接聞いたとしても、
本当の答えが返ってくるとは限らない。
そうすると、余計にループにはまっていく。
そして考えて考えて、疲れてしまえば・・・
どうでもよくなる
そしてその瞬間こそが、無意識の優位な状態に変化するときなのです。
それは、自分じゃ何とかできないと悟り、手放す瞬間だからです。
そして宇宙と繋がり、気づかないうちに解決に導かれる。
奇跡のリンゴの木村さんという方がいますが、
あの奇跡のリンゴを生み出す前、ものすごい試行錯誤を繰り返し
どうしたら無農薬のリンゴができるのか、地の果てに行くくらい
考えまくったけれど、結果妙案は浮かばず、事態は最悪の状態までいくんですね~
そして、もうダメだ~~終わりだ~~~
そう思った後、突然変化が起こるんです。(詳しくは本を読んでくださいね~)
そしてあの奇跡のリンゴが生まれた。
木村さん自身は、もうちょっと早く教えてよ~~って思ったそうですが
自分自身が、もっと早くコントロールを手放す・・
つまり、どうにかしようと考えるのをやめていたら
あのリンゴは、もっと早く生まれていたかもしれません。
木村さん自身も、苦しまずに済んだことでしょう。
これは誰にも当てはまること。
人は、つい考えてしまうものなんです。
そういう風に刷り込まれてきたから。
でも考えてる内容って、邪念しかなかったりする(笑)
だから考えない方がうまくいく!
やりたいことや好きなことをして、深く考えないで
思いついたことだけやっていたらうまくいく。
奇跡のような本当の話が、考えないだけで
手に入れられるのです。
慣れるまでは、難しく感じるかもしれませんが、
些細なことから、実験してみると
きっとコツもつかめると思います。
明日までの命だと言われても
果たしてそのことを今、考えたいか?
私はこうやって、考えようとする意識に
ストップをかけます(笑)
とても楽になりますよ。
ぜひお試しを!
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