『mistに会うとパニックになる』妻がそう言うので、私は5月2日以降、妻と2人いる子どもに一切会っていません。
昨日は受診および、私の父親、私の妻、妻の父親との3者で話し合いの場が持たれました。
私が自分の父親に伝えていたことは、
①いつまでも障害年金に頼らず、いずれは『労働の対価』としてのお金を手にしたいと考えてはいるが、まずは今の病気と真剣に向き合い、治療に専念する。
②2人の子どものことが心配だ、特に不登校気味だった長男の学校生活が心配だ。
③いままで支えてくれた妻には感謝の気持ちしかない。結婚するときに誓いあった病めるときも健やかなときも一緒に支え合いたいという想いは変わらない。
余計なことを言わずにこの3点だけを伝えて欲しいと念を押して伝えました。父親は了承し、あくまでも相手の出方を伺うだけだから余計なことは言わない、と。
私抜きの3者で話し合いが始まってから約2時間後、ようやく話し合いが終わりました。
父親を迎えに行き、当然どのような話し合いの内容だったのかを聞きます。
すると、なんと、「『うちの息子は今は病気だけど、1年半後には寛解して立派に正規職員として働き、そこそこの給料を獲てます』って伝えておいたから」とのこと。
寝耳に水とはこのことです。
私は父親に猛抗議しました。
①まず、なぜ私が父親に託してもいない言葉を吐いたのか。
②なぜ1年半という期限を区切ったのか
③なぜ正規職員でないとダメなのか
④私の闘病生活は6年以上である、それをなぜ1年半後には寛解していると言い切れるのか
私の父親の言い分はこうです。
『俺はmistが1年半後にはしっかりと正規職員として働いていると信じている。1年半というのは障害年金が切れる時期だから。そのくらいの覚悟を持たないと相手は納得しないと思ったから。』
私は帰りの車の中で号泣しながら父親に抗議しました。
この病気の恐ろしいのは外見からは判断が出来ず、誤解をされやすい病気である。常に自殺を考え、明日の自分が生きているか死んでいるかも分からないのに1年半後の自分を想像すら出来ない。この病気は『心の風邪』なんて言うほど甘くなく、『心の癌』であり、実際に自分自身が希死念慮に襲われ続け、それでも辛うじて何とかここまで生き延びることが出来た。障害年金は、生活保護のように車に乗ったり貯金額が制限されたりするものではなく、『病気で働けなくなったときに今まで掛けていた保険料から受け取ることが出来る公的な所得保証』である。それはいつかは更新しなければならないが、今時点で1年半しか受け取れないなどという時期制限はない。仮に調子が良くなっていれば等級が現在の2級から3級になっているかもしれない。ひょっとしたら父親の言うとおり正職員として働いていて年金を受け取っていないかもしれない。でも逆に、次回の更新の際に状態が悪化して年金等級が1級になっているかもしれない。この病気にかかり、転職、復職、休職を繰り返してきた。妻からの『働きなさい』というプレッシャーにも耐え続けてきた。なぜ思ってもいないことを妻と義父の前で口にしたのか!!
私は怒り狂いました。
父親は言いました。
『そのくらいの覚悟を相手に伝えないと今まで長年mistを支えてきた相手家族に申し訳が立たない』と。
私の怒りは更に増しました。
私に今言えることは、確かに正規職員としてそれなりの給料を貰えるに越したことはない。しかし、妻との離婚やマイホームの売却、子どもの親権問題も視野に入っている大切な話し合いの場で、私の気持ちと違うことを口走って約束されては困る。今の自分が妻や義父に確実に言えることは、まずは治療に専念し、妻からの『働きなさい』というプレッシャーから解放され、心身の休息をしてエネルギーを蓄えるために、決して背伸びせず等身大の自分のままヨチヨチ歩きでもいいから確実に寛解に向けて歩みを進めていく。それから初めて、内職かもしれないし、パートとしてコンビニ店員かもしれないし、うまくいけば正規職員かもしれない。明日の自分が生きているか死んでいるのかも分からない、ドン底の闘病生活真っ只中で1年半後に正規職員として働いている、などと私は口が裂けても出来ない約束ごとはしない!!
父親はまだ不満のようで、『1年半後というのは障害年金が切れる時期だ、1年半の猶予を貰えたのだから、決意表明として、1年半後には正規職員として働いていると宣言すべきだと』
私の怒りは更に更に増しました。
出来ない約束はすべきではないし、私の代弁者として私の妻、義父と話し合いをしているのだから、私の父親の発する言葉=私の言葉と受け取られる。私は1年半後に正規職員として必ずや働いているとは決意表明であったとしても言えない。この病気の恐ろしさを知らずに、ましてや相手に伝えて欲しいことを何度も念を押していたのにも関わらず勝手に出来るかどうかもわからない約束を取り付けてくるのは止めてくれ!!
泣きながら私の父親にそれを伝えました。
私の父親はようやく観念し、私に謝りました。
しかし、いくら私に謝られても、妻と義父は、私の父親の言葉を聞いて納得した以上、取り返しがつかないことになりかねません。
私は36歳、本来であれば父親や義父が話をすること自体が不自然なのです。
いい歳をして父親同士が話をすることに私は非常に違和感があるのです。
そもそもは離婚やマイホームの売却、子育ての方針も含めて、私と妻の問題なのです。そのことは十分にわかっています。
しかしながら、妻が『mistに会うのは怖い』と言って連絡が取れない以上、私の意思を伝えてもらうのはお互いの親同士でしかないのです。
こんな私のために2時間半かけて一緒に病院に付き添い、妻や義父との窓口になってくれている父親には感謝の気持ちでいっぱいです。
実は私の父親も鬱病で会社を休み、転職した経験があるのです。
だからこそ、この病気の辛さや周囲の理解の得にくさをわかってもらえてるものだとばかり思っていました。ましてや、相手に何を伝えるのか何度もシュミレーションした上での話し合いの場であったのです。
それゆえ、私が思ってもいないこと、決して口には出来ないことを約束してきた私の父親に怒りが沸くのです。
頭を冷やそうと思ってもなかなか冷やせません。もっと冷静にならなければ!!
昨日は受診および、私の父親、私の妻、妻の父親との3者で話し合いの場が持たれました。
私が自分の父親に伝えていたことは、
①いつまでも障害年金に頼らず、いずれは『労働の対価』としてのお金を手にしたいと考えてはいるが、まずは今の病気と真剣に向き合い、治療に専念する。
②2人の子どものことが心配だ、特に不登校気味だった長男の学校生活が心配だ。
③いままで支えてくれた妻には感謝の気持ちしかない。結婚するときに誓いあった病めるときも健やかなときも一緒に支え合いたいという想いは変わらない。
余計なことを言わずにこの3点だけを伝えて欲しいと念を押して伝えました。父親は了承し、あくまでも相手の出方を伺うだけだから余計なことは言わない、と。
私抜きの3者で話し合いが始まってから約2時間後、ようやく話し合いが終わりました。
父親を迎えに行き、当然どのような話し合いの内容だったのかを聞きます。
すると、なんと、「『うちの息子は今は病気だけど、1年半後には寛解して立派に正規職員として働き、そこそこの給料を獲てます』って伝えておいたから」とのこと。
寝耳に水とはこのことです。
私は父親に猛抗議しました。
①まず、なぜ私が父親に託してもいない言葉を吐いたのか。
②なぜ1年半という期限を区切ったのか
③なぜ正規職員でないとダメなのか
④私の闘病生活は6年以上である、それをなぜ1年半後には寛解していると言い切れるのか
私の父親の言い分はこうです。
『俺はmistが1年半後にはしっかりと正規職員として働いていると信じている。1年半というのは障害年金が切れる時期だから。そのくらいの覚悟を持たないと相手は納得しないと思ったから。』
私は帰りの車の中で号泣しながら父親に抗議しました。
この病気の恐ろしいのは外見からは判断が出来ず、誤解をされやすい病気である。常に自殺を考え、明日の自分が生きているか死んでいるかも分からないのに1年半後の自分を想像すら出来ない。この病気は『心の風邪』なんて言うほど甘くなく、『心の癌』であり、実際に自分自身が希死念慮に襲われ続け、それでも辛うじて何とかここまで生き延びることが出来た。障害年金は、生活保護のように車に乗ったり貯金額が制限されたりするものではなく、『病気で働けなくなったときに今まで掛けていた保険料から受け取ることが出来る公的な所得保証』である。それはいつかは更新しなければならないが、今時点で1年半しか受け取れないなどという時期制限はない。仮に調子が良くなっていれば等級が現在の2級から3級になっているかもしれない。ひょっとしたら父親の言うとおり正職員として働いていて年金を受け取っていないかもしれない。でも逆に、次回の更新の際に状態が悪化して年金等級が1級になっているかもしれない。この病気にかかり、転職、復職、休職を繰り返してきた。妻からの『働きなさい』というプレッシャーにも耐え続けてきた。なぜ思ってもいないことを妻と義父の前で口にしたのか!!
私は怒り狂いました。
父親は言いました。
『そのくらいの覚悟を相手に伝えないと今まで長年mistを支えてきた相手家族に申し訳が立たない』と。
私の怒りは更に増しました。
私に今言えることは、確かに正規職員としてそれなりの給料を貰えるに越したことはない。しかし、妻との離婚やマイホームの売却、子どもの親権問題も視野に入っている大切な話し合いの場で、私の気持ちと違うことを口走って約束されては困る。今の自分が妻や義父に確実に言えることは、まずは治療に専念し、妻からの『働きなさい』というプレッシャーから解放され、心身の休息をしてエネルギーを蓄えるために、決して背伸びせず等身大の自分のままヨチヨチ歩きでもいいから確実に寛解に向けて歩みを進めていく。それから初めて、内職かもしれないし、パートとしてコンビニ店員かもしれないし、うまくいけば正規職員かもしれない。明日の自分が生きているか死んでいるのかも分からない、ドン底の闘病生活真っ只中で1年半後に正規職員として働いている、などと私は口が裂けても出来ない約束ごとはしない!!
父親はまだ不満のようで、『1年半後というのは障害年金が切れる時期だ、1年半の猶予を貰えたのだから、決意表明として、1年半後には正規職員として働いていると宣言すべきだと』
私の怒りは更に更に増しました。
出来ない約束はすべきではないし、私の代弁者として私の妻、義父と話し合いをしているのだから、私の父親の発する言葉=私の言葉と受け取られる。私は1年半後に正規職員として必ずや働いているとは決意表明であったとしても言えない。この病気の恐ろしさを知らずに、ましてや相手に伝えて欲しいことを何度も念を押していたのにも関わらず勝手に出来るかどうかもわからない約束を取り付けてくるのは止めてくれ!!
泣きながら私の父親にそれを伝えました。
私の父親はようやく観念し、私に謝りました。
しかし、いくら私に謝られても、妻と義父は、私の父親の言葉を聞いて納得した以上、取り返しがつかないことになりかねません。
私は36歳、本来であれば父親や義父が話をすること自体が不自然なのです。
いい歳をして父親同士が話をすることに私は非常に違和感があるのです。
そもそもは離婚やマイホームの売却、子育ての方針も含めて、私と妻の問題なのです。そのことは十分にわかっています。
しかしながら、妻が『mistに会うのは怖い』と言って連絡が取れない以上、私の意思を伝えてもらうのはお互いの親同士でしかないのです。
こんな私のために2時間半かけて一緒に病院に付き添い、妻や義父との窓口になってくれている父親には感謝の気持ちでいっぱいです。
実は私の父親も鬱病で会社を休み、転職した経験があるのです。
だからこそ、この病気の辛さや周囲の理解の得にくさをわかってもらえてるものだとばかり思っていました。ましてや、相手に何を伝えるのか何度もシュミレーションした上での話し合いの場であったのです。
それゆえ、私が思ってもいないこと、決して口には出来ないことを約束してきた私の父親に怒りが沸くのです。
頭を冷やそうと思ってもなかなか冷やせません。もっと冷静にならなければ!!